記事一覧
パンフレット読んでも分からないので振り返り研究ー目次
こんにちは。2021年がスタートし、色んな抱負を抱く時ですね。私はFacebookやInstagramを見るので使っている時間をもっと有意義なものにしようと決め、noteで自分の文章力(アウトプット力)を高めようと決めました。
まずはネットの情報など調べながら、猿でもわかるような歴史の振り返り記事を書いていくことにしました。
というのも、年末に京都・岡山・香川・滋賀を訪れ、たくさんのお寺や名所
かぐや姫とは関係なかった・・・「月読神社」
名前が美しくって行ってみたくなった神社が月読神社です。近くには竹の寺(地蔵院)やかぐや姫御殿と呼ばれる建物(私が行った時は営業していなかったようで入れませんでした)があったり、なんか名前だけ見て月読神社もかぐや姫関連かな!なんて無知な私は思ったわけですが、実際にはまっったく関係なかったって話です(;´∀`)
謎多き神様!?「月読尊(ツクヨミ)」月読神社で祀っているのは「月読尊(ツクヨミ)」なので
「松尾神社」で神仏習合について考える
嵐山に渡月橋から桂川沿いを歩くこと50分くらいかな?かなり歩きそろそろ辛くなってきたときに目に飛び込んできたのが松尾大社の大きな鳥居。山をバックにそびえる真っ赤な鳥居をみて疲れが一気に飛んでいきました。
しかし、、、ここまで京都を観光してきて、お寺にいくことが多かったので、突然「あれ、神社?仏教と共存??」と恥ずかしながら日本の宗教の広がりについてわかってなかったってことに気付き(;´Д`)・・
栄枯盛衰の「浄住寺」ー再び盛り上がることを願って
苔寺(西芳寺)や竹の寺(地蔵院)、鈴虫寺(華厳寺)の並びにひっそりと佇む浄住寺。復習していると「参道の石段を染める紅葉が美しいと人気!」という形で紹介されることが多いのですが、私が行った時には誰もいなくて本当にひっそりとしていました。「スタッフを配置する余裕がないので拝観料をいただくことができません、ご自由にどうぞ」という内容の貼り紙もあって、ビジネスがうまく回っている鈴虫寺に行った後だったので、
もっとみるいいビジネスの形を学んだ「鈴虫寺」
今回多くのお寺を巡らせていただきましたが、群を抜いて印象に残っているのが華厳寺a.k.a.鈴虫寺です。私にとってそれは全く新しいお寺体験でした。私のような無宗教の人でも何度でも通いたくなる仕掛けがたくさん。お寺の持続的な経営にはもちろん、仏教(鈴虫寺は禅宗の一つ臨済宗)の広がりや、地域の盛り上がりにも貢献されてるんだろうなーってビジネスのいい形を見たって意味でも感激しました。というわけで今回は、マ
もっとみる嵐山の別世界「広沢池」で平安仏教を振り返る
嵐山(嵯峨野)の地図を見ると、2つの大きな池が目に入ります。大覚寺のある大沢池と、もう一回り大きい方が広沢池です。広沢池は、嵐山の観光の中心となっている場所からそう遠くないですが、別世界のように静かで落ち着いた雰囲気の場所です。犬たちと散歩するには最高です!
平安時代は華やかな寺院の庭だった!
広沢池は、「遍照寺」の庭の池だたっということで、別名「遍照寺池」とも呼ばれます。今でこそ遍照寺は広沢池
暴れ天皇を慰める禅寺「天龍寺」
天龍寺は、前出の南禅寺と同じ禅寺。そして、品格の高い京都五山の一つです。(南禅寺はさらにその上の「五山之上」)室町時代1339年、足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるために建立されました。
暴れ天皇「後醍醐天皇」鎌倉時代の朝廷では皇族が2派に分かれて対立していました。そこで、鎌倉幕府が、両者の子孫がほぼ10年を目処に交互に皇位を継承するよう仲介に入ります。それに反発したのが後醍醐天皇です。討幕の計画
伊勢神宮への入り口、壮大な恋愛物語の舞台「野宮神社」
竹林の小径を歩いてると何やら厳かな雰囲気の神社がー。源氏物語でも登場する、縁結びのご利益をいただける神社、野宮(ののみや)神社です。*読み方が「ののみや」だってことがポイントだと後で発覚します!
日本神話時代まで遡る!鎌倉時代終焉までの日本には、天皇の代わりに神にお仕えするために選ばれた未婚の皇女または女王「斎王」が、三重県・伊勢にある「伊勢神宮」に派遣されるという慣習がありました。
なぜ伊勢
平安時代の優雅さと、スマートな未来を感じる「竹林の小径」
京都の代表的な観光地であり、渡月橋と並んで嵐山のシンボルでもある竹林の小径。縁結びで有名な「野宮神社」から禅寺「天龍寺」の北側を通り、昭和の映画俳優・大河内傳次郎が造営した「大河内山荘庭園」まで約400mにわたって空を覆うほど高く伸びた竹の林が続きます。晴れた日には木漏れ日が心地よく、また太陽のない日は昼でも薄暗いほどで、竹の香りがひんやり漂う癒し空間です。
平安貴族のあそび京都市の西部に位置す
船専用の鉄道!京都の活性化を支えた「蹴上インクライン」
インクラインとは、傾斜鉄道のことです。(英単語"incline"は「傾斜」の意味)京都市の市街地東部、東山の山麓部の一地区である蹴上に、産業遺産であるインクラインを見て、その上を歩くことができます。
北陸地方から京都まで、物資の移動をスムーズに水路閣の記事で触れた通り、明治初期に京都を活性化させるために「琵琶湖疏水」が建設されました。琵琶湖から京都へ水路を開いて水を通すプロジェクトです。京都は内
寺の中に水路!?日本初がいっぱいの「水路閣」!
究極の映えスポット夫が南禅寺に行きたい!と言った時、特定の寺に行きたいなんてなぜ?と思っていましたが、これを見て納得しました。南禅寺の境内に突如現れた、西洋風の巨大な赤レンガのアーチ。なぜここに!?と不思議に思いながらも、境内という静かな場所で、どっしり構えているその姿にはただただ感激でした。廃墟に萌える夫がこれを見たいというのはよく分かります。
橋のアーチ型の間からのぞいて見ると、いくつもアー
「南禅寺」について基本を押さえておきたい
日本最初の勅願禅寺、日本一の格式!「勅願寺」とは、時の天皇・上皇の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のこと。時は鎌倉時代、発願したのは国難去った後に出家し法皇となった亀山天皇です。国難とは、1274年から二度に渡って起こった蒙古来襲です。フビライ・ハン率いる当時地球上の面積の30%近くを統治していた大帝国が、二度に渡って博多に攻めてきたのです。北条時宗が退けましたが、亀山
もっとみる