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「松尾神社」で神仏習合について考える

嵐山に渡月橋から桂川沿いを歩くこと50分くらいかな?かなり歩きそろそろ辛くなってきたときに目に飛び込んできたのが松尾大社の大きな鳥居。山をバックにそびえる真っ赤な鳥居をみて疲れが一気に飛んでいきました。

しかし、、、ここまで京都を観光してきて、お寺にいくことが多かったので、突然「あれ、神社?仏教と共存??」と恥ずかしながら日本の宗教の広がりについてわかってなかったってことに気付き(;´Д`)・・・本当に歴史苦手だったんです!

というわけで今回は、松尾大社の情報を整理しながら、日本の宗教の広がり方についても復習したいと思います。

始まり、そしてベースは自然信仰

日本ではその昔、あらゆる物に神が宿るとされていました。特に大きな木、巨大な岩、あるいは山などは、「崇高な神様が降りて来られ宿られる特別の場所」と考えられていました。松尾神社も始まりは、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら、神が座るとされる岩石)に祀って、生活の守護神として尊崇したのが始まりと伝えられています。

松尾大社磐座

先祖崇拝、神と人の領域が曖昧

自然信仰には、いわゆるどの宗教における基本原理とも言うべき「教え(教義)」はありません。ただ、ご先祖様を祀る=「祖霊祭祀」という習慣があります。自然社会に留まる「神霊」のみならず、人の「御霊」もまた同様に扱われているという意味では、神と人に領域が曖昧で、神々の系譜の果てに祖先が直接つらなっているということになります。だから天照大神が天皇の祖先神であり、蘇我氏・藤原氏など多くの豪族もそれぞれの神々の存在を上げており、その土地の神様「氏神さま」となっています。

仏教に影響を受けて神道が発展

もともと自然信仰に「教え」がなかったように、「神社」というものも存在しませんでした。「神霊は一定の場所に留まっているのではななく、どこにでもいる」といった考えがあったのです。ところが6世紀ごろに日本に伝わった仏教と共に急速な近代文明化が進んで、仏教の寺院を参考に神社が建てられるようになります。こうして「自然崇拝(精霊信仰/山岳信仰)」だったのが、「神道」になります。

松尾神社は、飛鳥時代(701年)に、秦氏という豪族が、山の地主神・農耕の神である「大山昨神(おおやまぐいのかみ)」を一族の氏神とし祀るために建てられた神社です。(京都最古の神社の一つです!)仏教が日本に伝わってくなかったら、神社というものは存在していなかったかもしれないんですね。

神道と仏教の共存

ところで、仏教を参考に神道が発展したって、不思議だと思いませんか?世界の歴史を見ても、新しい宗教の登場によって、その前にあった宗教が迫害されたり、戦争が起きたりと平和なイメージは少ないと思います。でも日本では「神仏習合/神仏混交」という形で、両宗教が共存、さらには両者の文化的資質が高まるということが起きます。

これが叶った大きな要因としては、神道では、仏様を否定する要素がそもそもないということが大きいでしょう。神道では、すべてのものに神が宿るとしていますし、「神の道」って書き方をする通り、正確には宗教というよりは「道=考え方・生き方の指針」の要素が強い神道は、とても許容範囲が大きんです!今の日本人も多くの方が神道がベースにあるから、初詣に行くし、クリスマスも祝うし、法事もするのですね。

こうして「日本の神々=仏様が現世に現れるための仮の姿」という捉え方がされていきます。そうすれば天皇=神の子孫という考え方もすんなり通りますし、一つの崇拝で神と仏の両方を拝んでもおかしくないということになります。(*明治時代に神仏分離令が出されて、

土着の神を尊重・継承し、高めた渡来一族の存在

松尾大社2

さて、松尾大社を建てた秦氏は、桂川に堤防や堰、そこから水路を走らせ、桂川両岸の荒野を農耕地へと開発していきました。農業が進むと次第に秦氏がもたらした養蚕、機織などの産業、そして、秦一族の特技としていた酒造が発展します。こうして松尾大社は今も酒神として酒造関係者の信仰を集めています。境内の奥には「亀の井」という、この水を使えば酒が腐らないといわれ湧き水もあります。昔の蔵人たちは酒蔵に持ち帰り、仕込み水に混ぜて新酒を仕込んだそうです。このように、その土地の特徴やその土地を治めていた人の得意分野に「ありがたさ」を感じ信仰するというのも、氏神様をもつ神道ならではですね。

ちなみに、秦氏については、5世紀ごろに日本に来てた一族ですが、百済(古代の朝鮮半島西部、および南西部にあった国家)からの帰化人、秦の始皇帝の子孫、はたまたイスラエルからやってきたユダヤ人などと、そのルーツは謎だそう。鉱山技術、鍛冶技術、養蚕、機織、酒造などの最先端テクノロジーを持ち、技術経営力、人材機動力、財力、国際的知識を駆使して聖徳太子など飛鳥時代の皇族のブレーンとしても活躍し、平安京・京都の開発に貢献したスーパーエリート一族ですが、、、、いつの間にか歴史の表舞台から姿を消しているという((((;゚Д゚))))

▽こんな本もありましたよ、秦氏気になってきたし読もうかな・・・

背景を知るっていいですね

松尾大社には無料で見学できるお酒の資料館があります。何も予備知識がなく訪れたので、なぜ?と思いながらお酒ができるでの説明を見学してきました。こうやってnoteで訪れたお寺・神社の復習記事を書くようになって、ようやくその時の謎が溶けていきます。あーって嬉しいのもありますが、知った状態で行きたかったーとも・・・ともかくnoteを続けるモチベーション、そしてまた行ってみたい、そのために仕事頑張ろうなどモチベーションになります!

*参考:松尾大社HP神社人日経クロステックSAKETIMESLINEトラベル石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究

*参考情報をもとに自分の理解ですごく噛み砕いて書いた記事です。情報の正確性を保証するものではないことご了承ください。


母がドイツ人の父が日本人のいわゆる「ハーフ」ですが、ハーフって言われるの嫌い。ピザじゃあるまいしw。アウトプット力・文書力向上を目指してnoteを活用します。そして記事の内容が誰かの役に立ったら嬉しいです。