寺の中に水路!?日本初がいっぱいの「水路閣」!
究極の映えスポット
夫が南禅寺に行きたい!と言った時、特定の寺に行きたいなんてなぜ?と思っていましたが、これを見て納得しました。南禅寺の境内に突如現れた、西洋風の巨大な赤レンガのアーチ。なぜここに!?と不思議に思いながらも、境内という静かな場所で、どっしり構えているその姿にはただただ感激でした。廃墟に萌える夫がこれを見たいというのはよく分かります。
橋のアーチ型の間からのぞいて見ると、いくつもアーチが連なり、ミステリアスな雰囲気が漂うということで、サスペンスドラマで犯人が自白する舞台になることも多いそう。レンガのレッド、周りの葉や苔のグリーン、砂のグレー、空のブルー・・・というわけで映えスポットとして背景等を知らずとも十分楽しめるのですが、やはり南禅寺とは時代も違うだろうし、ともかくなぜここに!という疑問は払拭しておきたいので復習しました。
京都近代化政策の最大プロジェクト“琵琶湖疏水”の一部
この橋は、琵琶湖の湖水を京都市内に流す「琵琶湖疏水事業」の一環として施工された、幅約4m、長さが約93m、高さ約9mの水路橋です。文明開化から間もない1888年に完成しています。そう言われると、いかにも近代化=西洋化の時代に作られた感じですね。和洋折衷なオシャレさんが付近を歩いてる姿が目に浮かびます。
幕末の武力衝突で多くが焼け、明治維新や東京が首都と定められたことで人口が減少し、産業も衰退した京都市の再建のため、当時の知事が「琵琶湖疏水事業」を計画しました。琵琶湖の水を京都に引き込み、水道用水、水力発電、灌漑、下水の掃流、工業用水、そして疏水を利用した水運も行なわれ、京都に活気を戻したのでです。
日本初でありながら現役!
日本初、竪坑(地表から坑内へ垂直に設けた坑道施設)を利用した工法を採用し,れんが,材木も直営で生産し,ほとんど人力だけで工事をしました。*この水路を引く工事で使われたインクライン(ケーブルカーと同じ原理の傾斜鉄道)も見てきたので別記事にまとめます。
水力発電は営業用として日本初!さらにその電力で走っていた電車も日本初!だそう。さらに、日本初の急速濾過式浄水場である蹴上浄水場はこの時に設置されていて、まさに日本初づくし!それでいて、今でも水路閣には毎秒2トンの水が流れ、平安神宮神苑、円山公園など京都東山地区の庭園、そして京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されているそうです。
橋の上に登ると、水が流れる水路を目にすることができます。(疎水分路)ちょっと落ちそうで怖いのですが水路のそばを歩くのはとっても楽しかったです。高台になっていて景色も抜群です(写ってないですが写真左側)
偉人、田辺朔郎さんを知る
南禅寺境内を通過するということで、水路閣は、周辺の景観に配慮して設計、デザインされました。担当したのは田辺朔郎という方。工部大学(現在の東京大学工学部の前身の一つ)の卒業研究として京都へ調査旅行に赴き、卒業論文「琵琶湖疏水工事の計画」を完成させ、学長の推薦を受けて京都府に採用され、弱冠21歳で大工事である琵琶湖疏水の担当となったそう!すごい・・・のちに田辺さんのこの時の論文は海外雑誌にも掲載され、イギリス土木学会の最高賞も授与されています。上記水力発電所の創設も担当し、その後は関門海底トンネル(本州と九州を結ぶ海底トンネル)の提言を行います。さらに、北海道全道に約1600kmの幹線鉄道敷設計画の調査に着手し、計画・建設に携わるなど、、、えー、偉人!日本の近代化に欠かせないお方ですね。今まで存じ上げず申し訳なかったです・・・右手に琵琶湖疎水の設計図を持つ青年技師・田辺朔郎の等身大銅像が疎水公園に立っているということで、写真撮ってここに載せらたらよかったのに・・・悔しいw
*参考:京都市上下水道局
*私が上記を参考に理解できた範囲でまとめた内容ですので、記事記載内容が全て情報が正しいとは限りません。
母がドイツ人の父が日本人のいわゆる「ハーフ」ですが、ハーフって言われるの嫌い。ピザじゃあるまいしw。アウトプット力・文書力向上を目指してnoteを活用します。そして記事の内容が誰かの役に立ったら嬉しいです。