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伊勢神宮への入り口、壮大な恋愛物語の舞台「野宮神社」

竹林の小径を歩いてると何やら厳かな雰囲気の神社がー。源氏物語でも登場する、縁結びのご利益をいただける神社、野宮(ののみや)神社です。*読み方が「ののみや」だってことがポイントだと後で発覚します!

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日本神話時代まで遡る!

鎌倉時代終焉までの日本には、天皇の代わりに神にお仕えするために選ばれた未婚の皇女または女王「斎王」が、三重県・伊勢にある「伊勢神宮」に派遣されるという慣習がありました。

なぜ伊勢神宮なのか。それは、伊勢神宮は、天の世界を統べる神話の最高神であり、天皇の祖神でもある「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が祀られているからです。*『日本書紀』によると、天照大御神ご自身で美しい伊勢のこの場所を、永遠の鎮座場所に選んだとのことです。

という訳で皇族が伊勢神宮にお仕えするのですが、天皇本人は都にいる必要があるので、うら若き乙女たちがその役目を負った訳ですね。

このとき、伊勢神宮へ行く前の1年間、斎王の身を清める場所として機能していたのが、この野宮神社です。

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うら若き姫君たちの壮絶な恋愛物語の舞台

斎王の多くは10歳から13歳ぐらいの少女、最年長で28歳の女性が選ばれていたそう。斎王は天皇が替わるまで交代できません。その間、友人や親と引き離され、慣れ親しんだ都での生活とも別れを告げ、遠い地で過ごします。そして神に仕える身であるがために、斎王は恋愛を禁じられていました。そんな斎王をモデルとした人物が登場するのが『源氏物語』、斎王の悲恋をテーマにしたのが『伊勢物語』、その他にも『大和物語』『更級日記』など平安時代の書物で様々な形で語られています。恋人と引き裂かれるという悲話、恋ゆえに斎王を解任されるなど、青春時代に自由に恋することが許されない姫君たちのお話・・・具体的なストーリーは一つも知らないのですが、想像するだけでちょっとドキドキ&切なくなりますね。

全て知った上で伊勢神社・斎宮に行って見たくなる

家族と離れ、慣れ親しんだ都での生活とも別れを告げた斎王は、200人余りともいわれる従者に伴われて、斎王群行と呼ばれる5泊6日の旅により、三重県の伊勢神宮へ向かいます。そんな伊勢神宮領の入り口に位置する斎王たちが暮らした宮殿が「斎宮」です。祈りを捧げる慎ましやかな生活の一方で、十二単を纏い、貝合わせや盤すごろくを楽しみ、歌を詠むといった都のような雅やかな生活をしていたそう。

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ただ、673年から660年間続けられてきた斎王制度も、鎌倉時代が終わり南北朝の時代になると、国内の兵乱のために廃絶し、斎宮は「幻の宮」となってしまいます。今も斎宮究明の発掘調査は続いていますが、1911年以来この地に立つ「竹神社」のある場所に斎王の御殿があったのではないかといわれています。竹神社は別名(?ここは調べてもイマイチよくわかららなかったのですが)「野々宮」あ、竹・野々宮って嵯峨嵐山の竹林の小径、野宮神社につながりましたね!!(→一人で感激した瞬間です)

*参考:日本遺産ポータルサイト「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」野宮神社HP伊勢神宮HP歴人マガジン(TOP画像拝借しました)明和町観光サイト(最後の写真、6月上旬に開催される斎王まつりのお写真拝借しました)

*上記WEBサイトから得られた情報で作った記事です。内容の正しさは保証できません。

母がドイツ人の父が日本人のいわゆる「ハーフ」ですが、ハーフって言われるの嫌い。ピザじゃあるまいしw。アウトプット力・文書力向上を目指してnoteを活用します。そして記事の内容が誰かの役に立ったら嬉しいです。