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あなたに首ったけ顛末記<その9・どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている>【小説】

ご来店ありがとうございます。コチラは『異能もの現代ファンタジーラブコメ』女子向けライトノベルなお話の<その9>です。お口に合いそうでしたら、ひと口だけでもいかがでしょうか?

最初のお話:
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
前回のお話:
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい

マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 :第一話から順に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
 :”新着”タブで最新話順になります。
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毎度のご来店、誠にありがとうございます!
こんな遠いところまで、一緒に歩いてきてくださるなんて……大感謝です。

それでは、ごゆっくりどうぞ~。



あなたに首ったけ顛末記<その9>

◇◇ どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている ◇◇

(15800字)

御崎十緒子みさきとおこ:絵を描くのが好き、幽体離脱で生き霊になりがちな、首フェチ26歳会社員女子。黒髪ロングふっくら頬の和顔。
水野春臣みずのはるおみ:十緒子にナイスバディと認められた体の持ち主、顔立ち濃い目、口が悪く霊感体質の26歳会社員男子。ほっぺフェチ疑惑。
岡田冬芽おかだふゆめ:春臣の上司、主任。ショートカットのオトナ美人。十緒子の部屋で生き霊になってしまったが元に戻った。

【ヘビたち:五匹】
人語を話す手のひらサイズのヘビたち。十緒子の”従者”で様々な能力を持っているらしい。それぞれの色に合わせて十緒子によって名付けられている。
白(しーちゃん)/紫(むーちゃん)/青(あおちゃん)/赤(べにちゃん)/灰(はーちゃん

華緒子かおこ:十緒子の姉?
金のヘビ:?

<1>水野春臣は夜を歩く

(4500字)

「ああ、お客様だったんだ……んん、お客様、じゃないのかな?」

 カオコおねえちゃん、と十緒子とおこが呼んだその女性は、人指し指を頬に当てながら小首をかしげてみせた。
 十緒子とはまったく系統の違う、おっとりとした、だが華やかさを持つ美人。十緒子の姉というからにはいくつか年上なのだろうが、言われなければそうは見えない。
 すらりと真っすぐに立つ彼女は、ハイブランドの小さなバッグを肩から下げ、恐らくそれもハイブランドだろうと思われる、デザイン性のあるブラウスとパンツ、コートを身に着けている。
 コツ、と彼女のヒールが玄関先の床に当たる音が、部屋の中の、十緒子のうしろにいる俺の耳にまで届いた。

「そのエプロン。新婚さん、じゃなくてカレシさん?」

 十緒子の部屋で料理中だった俺を見て、彼女が言った。

「え……え! 違っ、あの、水野さんはカレシじゃなくて、その、すっごくお世話になってる、えーと……」

 クソッ、十緒子のヤツ、そこでなんで言い淀むんだよ。地味に傷つくだろうが。

 心の中で散々舌打ちをしつつ。俺はすぐそばの、壁の固定フックにかけてあった上着から名刺入れを取り出した。
 十緒子の横に並んで名刺を差し出し、営業モードにスイッチを切り替える。

水野春臣みずのはるおみです。十緒子さんとは友人として親しくさせていただいてます。彼女が心配で、食事を作りにお邪魔していました」

 十緒子のヤツ……ポカンとした表情でこっち見んの、やめろ。猫くらい俺だって被るわ。

 彼女は俺の名刺を受け取り、「ご丁寧に、ありがとう。ええっとね、私も出しちゃおうかな」と言いながら自身の名刺を取り出し、俺に差し出した。

 株式会社御崎コンサルティング、御崎華緒子みさきかおこ
 会社名と連絡先、名前。肩書や所属名のない、シンプルな名刺だ。

「十緒子の姉の華緒子です。それからこっちは私の相棒、ハナ」

 彼女が、真っ黒な十緒子の髪とは違う明るい茶色の巻き毛を、首のあたりでかき上げてみせる。
 そこにいたのは、金ピカに輝く小さなヘビ。
 さっき十緒子のヘビどもが相手してたのは、こいつだったのか。

 金ピカのヘビと目が合い、しまった、と思ったときには遅かった。
 驚きのまま、ヘビを注視してしまった……ここは見えないフリでもするべきだったような気がする。

(此奴、わらわが見えておるな)
「わ、やっぱりそうなんだ! すごい!」

 ……とりあえず、ヘンな術なんかは、かけられなかったようだが。
 やっぱり、あいつらの仲間だったか。
 十緒子のヘビども、白、青、紫、灰の4匹はさっきから近くにいるのだが、金ピカのヘビと、いくつかことばを交わしたきり、黙って十緒子のそばに浮かんでいるだけだった。
 主人を見習って、なのか?

 そう、さっきから。
 肝心の十緒子が黙ったままで、地味に困る。
 どうするか。ヘビはともかく、こういう場合遠慮するのは、当たり前だが俺のほうだよな。
 ついでに、見えている、に対して返事をせずに、はぐらかしておくか……。

「……立ち話もなんですし、中に入っては? 僕はすぐお暇しますので」
「いえ、いいの、車を待たせてるし、すぐ行くから。あのね十緒子。私、仕事で2、3日近くのホテルに泊まることになったから。ゆっくり話したいこともあるし、明日は時間ある?」
「う、ん。だいじょぶだよ」
「じゃあ明日、午後から会いましょう。待ち合わせ場所は、午前中にメッセージで送るから」
「うん、わかった」
「じゃあ。水野春臣、くん? お邪魔しちゃって、ごめんなさい。また、ね」

 そう言って彼女は手をひらりと振り、玄関の扉を閉める。コツコツという靴音がゆっくりと遠ざかっていった。

 息をつき、軽く首を回しながら十緒子を見ると、扉に目を向けたまま、ぼんやりとしている。「おい」と声をかけると、十緒子はゆっくりと俺を見上げた。

「おまえ、大丈夫か?」
「……ハナちゃん、いましたね」
「ああ、あのヘビ、な。あれ、こいつらの仲間だよな?」
「はい。昔は一緒に遊んでくれて……あれ? ってことは、華緒ちゃんは、」

 言いながら、十緒子がよろけた。俺が肩をつかむと「すみません」と返す。そのままちゃぶ台のあるリビングに連れて行き、ラグマットの上に座らせた。

「ありがとう、ございます。頭の中がぐるぐるして……記憶違いというか、なんだろ、これ」
「寝るか?」
「いえ、その……頭使いたくない、というか……おなか、すきました」
「ったく。そのまま座って待っとけ」


◇◇◇

 作り置きを兼ねた大量の肉そぼろの一部を、どんぶり鉢によそった白飯の上に、茹で玉子とともに盛り付ける。小松菜ともやしをそれぞれナムルにしたもの、それから味噌汁をちゃぶ台に運んだ。
 毎金曜日の材料代は、十緒子に「食材は、ぜっっったいに、私が買いますから!」と強く主張され、折れた。そのかわり俺は、なるべく安くあがり、大量に作り置きできるものを料理することにした。
 酒は、「全部が全部おまえのおごりじゃつまらねぇだろ」という無茶苦茶な理屈を通し、じゃんけんで勝ったほうがおごる、という新ルールを先週からねじ込んだ。ちなみに俺はまだ負けていない。

「いただきます! ……わあ、このそぼろ。ごはんがすすんじゃいますね!」

 俺が缶ビールを飲みながらゆっくり食ってる間に、十緒子は一度おかわりに立つ。大盛りのそれをきれいに平らげ「ごちそうさまでした」と手を合わせたところで、十緒子がぽつりと言った。

「さっきは……思い出しちゃったんです、昔のこと。あ、その前にコーヒー、淹れましょうか?」

 ちゃぶ台やキッチンをざっと片付けながら湯を沸かし、インスタントのコーヒーを淹れ、ふたり揃ってちゃぶ台に戻る。最近はいつも、こんな流れだ。
 というより、俺がそうした。
 俺が正気でい続け、きちんと帰るために。

「で? 昔のこと、姉ちゃんと遊んだ記憶?」
「……はい。華緒ちゃんは私より6つ年上なんですけど、よく遊んでもらったんです。私が小学校に上がる前くらいで……ヘビのみんなも、一緒で」
「6つ? マジか、そんな年に見えねぇな」

 それまでずっと黙っていたヘビ4匹が、やっぱり黙ったまま、十緒子の前でゆらゆらと揺れた。十緒子が笑顔になり、そいつらを指で撫でる。

「その記憶がさっき、戻ったんです。それまで私……華緒子お姉ちゃんに好かれてない、って思ってたのに。だから混乱してしまって」
「好かれてない?」
「お姉ちゃんと遊んだ記憶、なかったんです。話したりはしてましたけど、なんというか……遠巻きにされてる、そんな気がしてました。思えばそれは、お姉ちゃんが私立の中学に通うようになってからで……たぶんその直前あたりに、私、封印? されたのかな、って」

 十緒子はコーヒーをずず、とすすり、そのままマグカップを両手で抱えるように持つ。

「だから……もしかしたら私、嫌われてなかったのかな、って思ったんです」

 ああ、そういうことか。
 記憶ごとヘビを封印してたのだから、しょうがないとはいえ。
 仲良くしていた記憶がなくなる、というのは、なんというか……。

 俺は十緒子からマグカップを取り上げそれをちゃぶ台に置いた。
 それから十緒子を抱き寄せ、肩をポンポンと叩くように撫でる。

 ……までを、ナチュラルにやってのけた、自身に驚愕する。

 また俺は! だからそうやってすぐ手ぇ出すのは……なにやってんだ、バカヤロウ!
 あわてている内心を出さないよう、俺はそっと十緒子を離した。
 手を下ろし、その手で俺のほうのマグカップを持ち、口にあてがった。
 落ち着け、俺。

「えーと……明日、会うんだろ? いろいろ訊けんだろうが」
「そう、ですね。……はい、訊いてみます」
「俺もいろいろ訊きてぇけどな」
「そう……ですよね。そっか、華緒ちゃんなら、ぜんぶ知ってるかもしれないんだ……」

 十緒子が俺をじっと見つめてきた、その表情に。
 俺はこぶしを握り、抱き寄せたい衝動を耐える。

「ずっと、なにもお教えできなくてすみません。今度こそ……ちゃんとご説明できるように、訊いてきますね」

 そう言った十緒子の笑顔が、やはり寂しそうに見えて。
 だが俺は「ああ」と答えて立ち上がり、帰り支度をはじめた。


◇◇◇

 去年の、灰ヘビが出てきて、テンションの乱高下した十緒子と、酒を飲みすぎた日。
 あの日俺は、いつの間にか俺が自身を抑えられなくなっていたことに、やっと気付いた。
 顔に触れたり手を握ったり……あれだけやりたい放題やっておいて、なにをいまさら、という感じなのだが。

 もう、理屈じゃない。
 何度も何度も、あんな、いろいろと、本当にいろいろと面倒な女でいいのかと、わざと自問自答してみたりもしたが。それでも、ダメだった。
 俺はもう、十緒子を手放せない。
 なのに俺のことなんか、体しか見ていない、相変わらずな十緒子。
 俺があからさまにベタベタ触ってるってのに、恥ずかしがるだけ、って、おい。
 なびかねぇモンはしょうがねぇ、ゆっくり時間をかけて、と思っていた……が、理性が働かないほうの俺が、待てなくなってしまった。
 十緒子の意思を無視して手を伸ばしてしまうのも、時間の問題……いや、もうすでにいろいろやらかしてるし、さっきもやらかしたな……。

 だがこれは、押し倒したい、という意味ではない。
 なんというか……俺はもう十緒子に対して、距離を保てないのだ。
 ただただ愛でたい、とか。
 重症すぎんだろ、どうかしてるし……。
 なんだよ、これ。

 ってか。
 朝夕、待ち合わせて通勤して。
 昼メシ一緒に食って。
 金曜日は十緒子んで酒飲んで。

 ……ずっと、この状態で。
 なんで俺ら、付き合ってねぇんだ?

 いや、マジでおかしいだろ?
 なにやってんだよ、俺。

 毎週金曜日の夜、頭を冷やそうと十緒子の家からウチまでの帰り道、電車に乗らず歩きながら、俺は悶々と考え続ける。
 今週、言おうとして言えなかった場面場面が、脳裏をよぎりまくり。
 俺のヘタレっぷりに、ため息しか出ねぇ。

 簡単なことだろ?
 きっちり告白してしまえば、いいだけだ。
 せめてこの関係に、名前がつけば。
 理性が働かないほうの俺も、多少落ちつくはず。

 に、しても。
 告白なんて、されたことしかねぇんだが……。
 いや、言えばいいだけだろ?
 ほかになにが?

 ……フラれる、可能性?
 あんだけ同じ時間を過ごしてるのに?
 体が好きだと、言われてるのに?
 ありえない……はず、だろ?

 なの……だが。

 まあ、今日は。
 今日は、仕方ないよな。
 十緒子の姉であるという御崎華緒子、それとあの、金のヘビ。
 しかしなんなんだ、御崎家ってのは。
 あのヤバいヘビどもを、使役する一族?
 俺の記憶も、知らぬ間に消されたりしねぇだろうな?
 護符が効かない以上、俺に出来ることはなにもないのだが。

 告ったら、記憶消されたりして。
 ハッ、なにそれ、怖えぇ。
 ……は? それ言い訳にして俺は、告らないつもりか?

 明日!
 明日、絶対に連絡して、十緒子をつかまえて。
 ちゃんと、してやる。

 そしてその前に。
 まぁ記憶を消されたりは、しないとは思うが、念のため。
 なりふりかまわず、打てる手は打ってみるか……?



<2>御崎十緒子は雲を歩く

(5800字)

 華緒ちゃんが泊まっているのは、私の勤め先のあるビルのすぐ並びにそびえ立つ、この街のランドマークなビルにあるホテルだった。

 並んで建てられたビル群には様々な会社のオフィスが詰まっているけれど、この街はほぼ観光地として知られている。
 周辺に遊園地や小さなテーマパークのようなミュージアム・博物館なんかがあったり、夜景がきれいだと言われたり。少し離れたところに、大型船も発着する港があったり。

 私もはじめのころ、絵になるポイント多いなあ、なんてどきどきしてたこともあったけれど、毎日の通勤を繰り返すうちに、この光景にはすっかり慣れてしまっていた。

 土曜日、いつも素通りする駅前の広場で華緒ちゃんと待ち合わせ、開口一番に華緒ちゃんが「これに乗ってみたい」と言ったのは、最近ここにできた都市型ロープウェイ。

「うふふ。せっせと歩く人を見下ろしながら移動するって、気持ちいいわね」

 ゴンドラの中で私と並んで景色を眺めていた華緒ちゃんが、その美しい容姿に似合わないことを、さらりと言う。
 確かに、ロープウェイのすぐ下の道を行く人々を見下ろす格好にはなってしまうし、実はこれに乗んなくても普通に歩ける距離だったりする。運賃も安くはないし……それにしても、観光のお客さんはともかく、自分が乗るとは思わなかったなあ。華緒ちゃんのおごりだからいいけど。

 降りて「今度はあれね」と華緒ちゃんが指さしたのは案の定、遊園地の大きな観覧車。
 そういえば、これも初めて乗るなあ、と思いつつ、窓の下をのぞきながら微笑む華緒ちゃんを見る。

「うふふ。人が豆ツブのよう……」
「華緒ちゃん、言い方怖いよ」
「あ、口に出しちゃってた? 私、高いところ好きなの、なんていうかその、」
「そ、その先はなんとなく、聞きたくないかな」
「そう? それより……十緒子、私うれしい」

 窓から向き直って、私を見た華緒ちゃんが、ふわん、と咲いたように微笑んだ。

「お姉ちゃん、じゃなくて。華緒ちゃん、って呼んでくれるの、久しぶりなんだもん」
「あ、そっか。そうだね。うん、思い出したら自然に出てきたんだ」

 記憶がなかった私は、華緒子お姉ちゃん、と呼んでいた。
 華緒ちゃん、は、私が小さかった頃の呼び方。

「ずっと、待ってたんだよ。十緒子が思い出すのを、ハナと一緒に、ね」

 華緒ちゃんが言い、私は……ちょっと照れて、顔が熱くなってしまう。
 観覧車のゴンドラに入ってから、ヘビのみんなが、それぞれに浮かんだり、地上をのぞき込んだりしている。

 私の体の中で、精力を補填してくれていた、べにちゃん。
 もやもや……私が、見ると気持ち悪くなってしまうアレを認識阻害するために、目に重なってくれていた、あおちゃん。
 やっぱり、私がもやもやに触れないよう、予防で手に重なってくれていた、しーちゃん。
 むーちゃん、はーちゃんは、持っているバッグのチャームになって、ついてきてくれた。

「ねえ、華緒ちゃんは、あのヘンなもやもや見ても、気持ち悪くならない?」
「ああ、なるほど、だから青が。ううん、私はずっと、訓練してたから。慣れるまでは、ハナが調整してくれてたし」
「そっか。私も頑張れば、そのうち慣れるかな」
(無理をすることはないと、わらわは思うの)

 金色のヘビ、ハナちゃんが、ぴょこん、と私の膝の上に乗ってきた。

(青のを使えば済む話なのじゃろ? 此奴らはおまえの体だと思えばよい)
(金の、なにを偉そうに。十緒子様の膝から降りるべきです)

 しーちゃんが、尻尾でハナちゃんをはたこうとして、ハナちゃんはパッとそれをよけた。

(相変わらず白のは堅そうだの)
(まあねー、でも金のも変わんないよねー。ちょっと偉そうでさー)
(青のも相変わらず、雑にやわそうだの)
(あらあら。皆相変わらずで、懐かしいわね)

 体として、使う。
 そのフレーズになにか引っ掛かりを感じたのだけど、それよりも。

「うーん、使うんじゃなくて、お願いなんだよ。それに自力でなんとかできるなら、そのほうがいいと思うんだ」
「そうね。まあね、ゆくゆくは自力で、それまでは無理するなって、ハナは言いたかったんだよね」

 華緒ちゃんが言うとハナちゃんが、華緒ちゃんが差し出した手の甲に乗り、頬ずりをする。
 こちらに目線を寄こして口角を上げる華緒ちゃん……はいっ、美女と小動物が戯れる美しいカット、いただきましたっ。
 華緒ちゃんもハナちゃんもすごくきれいで、並んでいると、つい見惚れてしまう私がいる。

 観覧車を降り、少し歩いて。カフェに寄ってドリンクをテイクアウトしてから華緒ちゃんは、私たちをホテルの部屋に連れて行った。

 二つ並んだ、ビシッと整えられた気持ちよさそうなベッドを横目に、ヘビのみんなと一緒に窓のほうへ行き、怖々と下をのぞく。さっきまで乗っていた観覧車や、その向こうに続く港が見下ろせて……え、ろくじゅう……なん階、だっけ? 展望台で寝るのと、変わんなくない?

「うふふ、人が点ですら見えないって、最高よね。あ、そういえば十緒子、本家が建て直されてからこっち、お正月にも帰ってこないじゃない? 本家にあった叔母様の大量のマンガやDVDも、それ専用の部屋を作ったし、十緒子の部屋もちゃんとあるのよ? まあここより高さは低いけど……」

 そう、古い日本家屋だった本家、私の育った家は、私が大学に行って就職している間に、タワーマンションになってしまっていた。
 いまもそこに住んでいる華緒ちゃんは、普段から高い場所で生活しているわけで……。

「まあそれは、あとででもいいか。じゃあ、十緒子。ゆっくり、話しましょ? これまでなにがあったのか、全部聞かせて?」

 窓際のソファに座った華緒ちゃんが、シートの隣りをポンと叩きながら、私に言った。


◇◇◇

 6つも年上の、すごいお姉ちゃん。
 その位置付けは、いまも昔も変わらない。
 華緒ちゃんはなんでも知っていて、いろんなことを教えてくれて。
 私なんかが隠しごとしたって、そんなの簡単に見抜かれてしまう。

 わかってはいるのだけど。
 すべてを包み隠さず話すわけにもいかない。
 私は華緒ちゃんに、恥ずか死なない程度に、これまでのことを話した。

 これまでヘビのみんなが出てきたのは、ある生き霊さんとの遭遇がきっかけだということ。
 そもそもその生き霊さんは、水野さんと一緒にいたから私のところに来てしまったのだということ。でもそれはすっかり解決し、生き霊さんの本体だった冬芽さんとはお友達なのだということ。

「それで? 水野春臣くんとはどうやって知り合ったの? あちらの会社も十緒子の勤め先と同じビルに入ってる、ってのはわかったけど」

 当然の質問に、私はうっ、とことばを詰まらせた。

「んん? 言いにくいこと?」
「ええと、ね。私が水野さんのところに……行っちゃった、のがきっかけで」
「行っちゃった?」
「い、生き霊になっちゃったの、私。生き霊になって水野さんのところに行ってしまって、体に戻れなくなって。それで水野さんが、体に戻るのを……手伝って、くれて。それから私、何度か生き霊になりがちで、水野さんがいないと体に戻れない、ってのが現状で。だからそれから、ずっと心配してくれてる……って感じ」

 華緒ちゃんがジイッ、と私の顔を、穴が開きそうなほど見つめてくる。
 うう、ヘンな汗かきそう……いろいろ端折ったけど、嘘は言ってないし……。

「なんで、生き霊になっちゃったの?」

 はい、サクっと! 端折ったとこ、ツッコまれました!

「それはその、えーと、なんて言ったらいいのか……」
「じゃあ、ねえ。なんで水野くんがいないと体に戻れないの? どうやって体に戻ってるの?」

 すべて、答えづらい。
 というか、どれも答え同じだ、これ。

「好きなの?」

 華緒ちゃんの問いに、私は熱を持ちつつある顔を手で覆いながら、半ばヤケになって叫ぶように言った。

「ううっ、はい、その通り! 水野さんの、く……えっと、体! が好きで、触りたいって思っちゃったんです! だから、実体のほうの手で彼に触ると、体に戻れるんです!」
「やっぱりそうなの! ……え、待って、体?」
「体っていうか、首、の質感、というか……ヘンタイでごめんなさいっ」
「でも好きなんだよね、彼のこと」
「……え?」
「恋人にしたいなっていう、好き。あれ、なんでこんな説明しなきゃいけないのかな……」

 コイビト?
 あ、そっか、華緒ちゃんの「好きなの?」はそういう……。
 ……でも、たぶん。

「違う、です」
「カタコト?」
「水野さん、のことは。やさしくて、尊敬、してますが、違うんです」
「さっきから、なんでか敬語になってるし?」
「ヘビのみんなも、つがいだろって言うんだけど、違うんです」
「ふうん、そうなの、ね……まあいっか。それより先に、生き霊になって戻れなくなっちゃう件、かな」

 華緒ちゃんがすっ、と立ち上がり、向かいのベッドに座った。バタン、と仰向けのまま体を倒して横たわり、手を横に広げ、そのまま目を閉じる。

 と、パキン、と音がして、華緒ちゃんが起き上がった。
 真っ白な体と髪の彼女がそこにいて、でも横たわった体もあって……。

「うわっ、生き霊?!」
「そうよ、十緒子。そういえば、この姿で会ったことはないんだっけ。この姿になってから、体に戻る方法、よね? 教えてあげるから、こっちに来て」

 言われた通りベッドの、生き霊になった華緒ちゃんの横に座る。
 手を取られると私の体がパタンとうしろに倒れ、パキン、パチンという音とともに霊体の私が、華緒ちゃんと手をつないでいた。

(十緒子様!)
「白、動かないで。それに紫、灰、青、そして赤も、そこで待っていなさい。ハナ、お願いね」
(ほほ。あいわかった)

 手をとられたまま、私は華緒ちゃんと一緒に、ふわりと浮かぶ。
 冬芽さんに触ったときのような、浸食する感じはないんだな、と頭の隅で思った。

「でも体に戻る前に。イイところに行きましょうか?」

 フッ、と一瞬で視界が変わり。
 そこには一面の雲と、青空。

「……え、ええ?」
「もっと高いところにも行けるけれど、今日はこれくれらいにしておこうか?」

 見下ろした雲間から見え隠れする、地上。
 そして、キラキラと光りながらゆらゆらと揺れるコード、またの名を魂のヒモが、地上から長く長く伸びていて、それが私につながっている。

「うふふ。人の造りしものすら小さすぎて見えない……最高の眺めよね」

 それから華緒ちゃんは、私の手をパッと放した。落ちる! ような気がしてビクッとしたけれど、私はそこに浮かんでいる。

「気持ちいいでしょ? じゃ、十緒子、ここから体に戻ってみて? そのかわり、いまホテルにいるコたちの力は借りずに、ね」
「え、ちょっと、華緒ちゃん、」
「だーいじょうぶ、いまの十緒子なら出来るから。まあでも、ヒントはね……霊体と実体の切り替えスイッチを探すこと。それがダメならそうね、まだ呼び出せていないヘビ様の力を借りるのはОKってことにしよっか! じゃあ私は、先に戻ってるからねっ」

 すっ、と華緒ちゃんの姿が消えた。

 え、ええ……?
 ええええええええええええっ!


◇◇◇

 そんなわけで。
 私はいま、雲の上をお散歩中なんである。
 らん、らんらら、らんらんらん。
 空の青と雲の白、それぞれの色に濃淡があって、ところどころで溶け合っているような景色。
 すっごく、きれいだなー……現実っぽくない、アニメの世界だよ、これ。
 さっき華緒ちゃん&ハナちゃんを、某アニメ映画の主人公と小動物に空目したばっかりで、BGМがそれになっちゃったなー。

 ……いやいやいや。
 え、どうすんのこれ。
 帰れなかったら私、死んじゃうんですけど?
 なんなら、ちょっと死んじゃってるみたいな気が、してきたし?

 いったん、落ち着こう。
 コード、私の魂のヒモはいまのところ太くて、しばらく切れそうにない。
 なんでだか、歩く、というのは出来てる。
 スキップすら、出来ちゃってる。
 だから、ちゃんとイメージすれば、イケるんじゃないかな?

 自分の体に、戻るイメージ。
 ええっと……?
 具体的には、どうしたらいいのかな?

 そういえば。
 いつも水野さんのところに行ってしまうのは、私のイメージしたこと、なのだろうか。
 だとしたらそれ、体に戻るより楽に出来ちゃったりして?
 はい、イメージして……なんちゃってー、と思ったら。

「あ? ……十緒、子?!」
「み、水野さん? なんで? ほんとに?」

 目の前に水野さん。
 と、すぐ横に、知らない男の人。
 テーブルに広げた習字? のようななにか。
 よく見るとここは、どうやら水野さんじゃないっぽい……。
 わあ、私、不法侵入じゃん?

「すみません、ごめんなさい! お邪魔しました、失礼しましたっ」
「ちょっ、十緒子! 待てっ!」

 パッと視界が変わり、私はまた雲の野原の上。
 ……出来ちゃいました。
 やばっ、いったんココに戻らなきゃ、ってのもイメージ通り、成功しちゃいました!
 あはは、楽勝~。
 不法侵入の件は、逃げちゃったけど、あとで謝れば許されるかなっ?
 あははははっ……きっと水野さん、怒ってるよね……。

 まあでも、いまはそれより。
 楽勝なら、この調子で?
 私の体へ、GO!

 ……あれ、おかしいな。
 まだ、その者青き衣を纏わないで雲の野に降り立つべし、のシーン。
 らん、らんらら、らんらんらん。
 アニメ映画の、小さな女の子が歌うあのBGMが流れっぱなし。
 いや、こんなシーンあの映画にないし、BGMも使いどころ違うし。
 浮かぶイメージ、大雑把でめちゃくちゃだなあ。

 じゃなくて、体!
 違うこと考えてないで、体に戻んないと!
 私の体を、イメージするんだってば!
 むむむ……なんかむずい、なにかヒントがほしい。
 失われたカラダとの絆を結ばん……。

 ……そうだ、ヒント。
 華緒ちゃんは、なんて言ってた?
 切り替えスイッチを探す、それがダメなら。
 まだ思い出せてない誰かに、来てもらう。
 えーと。
 ああ……たぶん、私が呼ぶべきは。

 体は、大地。
 体は大地から作られて、大地に還るもの、だから……。

 唐突に浮かんだこの記憶。
 小さかった私はそれに、むずかしくてわかんないよ、って答えた。
 ……誰に?

「……ちゃーちゃん?」

 ポンッ、と音がして。
 広げていた私の腕に、茶色に光るヘビ、ちゃーちゃんが乗っていた。



<3>御崎十緒子は落ちて歩く

(5500字)

(十緒子っち、ごきげんよぉ♪ ワォなんだここ、こんなとこでぇなにしてんのぉ♪)
「わーん、ちゃーちゃんっ」

 現れた小さな茶色のヘビを両手に乗せ、私は頬ずりをした。ちゃーちゃんも頬ずりを返し、それから私の幽体の鼻先を、つんつんと口でつついてくる。

(体から出て、空の上ぇ♪ ぷぷ、いっきなりぃおもしろいこと、してくんなよぉ♪)

 ちゃーちゃんのその、歌いしゃべりが懐かしくって。私も自然に笑ってしまう。

「あははっ! 華緒ちゃんにね、置いてかれちゃったんだけどね私、戻れなくって困ってたんだよ! そしたらちゃーちゃんのこと、思い出せたんだ!」
(そぉなのか、ハハン♪ そんならそりゃあ、オレっちのぉ、出番んん♪)

 ちゃーちゃんがくるりと宙返りをして、空中でじゃん、とポージング。
 私はパチパチと……は鳴らなかったけど、拍手を贈る。

(おっきくなった十緒子っち♪ も・も・もしかして、もしかしてぇ、自分のチカラで戻れない?)
「うん、そうなんだ。だから華緒ちゃんが教えてくれるって……言ってたんだけど……」

 あれ、いまさらだけど。
 私、華緒ちゃんにイジワルされちゃってた?
 それとも、スパルタってこと?

(オレっちならば一発でぇ、戻してやることできるけどぉ♪……せっかくだから、頑張ってみるかい、ハハン♪)
「出来るかな、私に」
(ぷぷ、体から出てくるほうがぁ、むずかしいのによぉ♪)
「そうなの?」
(地に引っ張られている子らはぁ♪ みぃんなそいつに気付かないぃ♪)

 ちゃーちゃんが歌いながら、体を大きく左右に振りはじめた。

(♪地に引っ張られている子らよぉ
  おまえはどうして歩けるか?
  引っ張られるはぁ、落ちることぉ
  いつもの通りぃ、落ちたままぁ
  落ちて歩けばいいだけさぁ )

 落ちて、歩く?
 地に引っ張られる、は重力?

(♪地に引っ張られている子らのぉ
  生まれはみぃんなそこなのにぃ
  そいつを忘れて歩いてるぅ
  やがてそこへと還るのにぃ
  忘れたことは思い出せ! )

 ちゃーちゃんが、雲の上に降りた。

(十緒子っち、ならどうやってぇ、この地を歩く? オレっちの、地上の仲間はこうやって歩いてくんだ、知ってるだろぅ♪)

 茶色のヘビがキラキラと、雲の上を這ってゆく。

「ええと、つまり……そっか、私はこうやって、足を使うよ」

 私がそう言ったとたん、ちゃーちゃんがピカッと光り、私の目の前にポンッと移動してきた。

(♪そうそうそれだっ、足なんだぁ!
  地に足つけてぇ、歩くだけ!

  生きとし生ける者どもはぁ
  地に足つけて歩いてるぅ
  地に落とされてぇ、引っ張られぇ
  それが約束、大地との

  重たい体を引きずってぇ
  今日もオレらは歩くのさぁ♪ )

 私の中に破れて散らばっていた、小さな紙片のような記憶、知識が。
 ちゃーちゃんの歌に導かれ、あちこちから現れて、つながってゆく。

 私の中の、私のような、私じゃないような誰かが、知っていること。

 大地との約束、それは。
 重力に守られた体を借りること。

 だから、体に帰るために、思い出さなくちゃいけない。
 足で地を、歩いていたこと。
 体には、重力と言う恩恵があることを。
 それが、生きてるモノと死んでるモノとの、違い。
 この生き霊の体と、実体との違いってことで……。

 だから、そう!
 体に帰りたいと、思うなら!

「……私は! 重たくなって、落ちれば、いいだけ!」

 そう叫んで、私はパチリと目を開ける。
 天井が見えて、ふかっと背中にベッドを感じて。
 重たい……私の、体。

(大成功だね十緒子っちぃ♪)
「ちゃーちゃん! 戻れたよ、ありがとう!」
(十緒子様!)
(十緒子ぉー)
(戻ったのだな)
(十緒子ちゃんっ)
(あらあら、茶色の。お久しぶりね)

 起き上がって、周りに集まったみんなの頭を、ちょっとずつ撫でる。
 と、顔を上げると。
 窓際のソファに、華緒ちゃんが足を組んで、ゆったりと座っていた。
 ハナちゃんもその肩に乗り、髪の間から顔を出している。

「十緒子、お帰り」
「華緒ちゃん、ひどいよ。あんなとこに置いてっちゃうんだもん」
「うふふ。茶色に戻してもらったの?」
「うーんと、ねえ……」
(オレっちなんもしてないよぉ♪ ひとりで出来たね十緒子っちぃ♪)
「わ、すごいわね。じゃあこれで、彼に手伝ってもらわなくっても、戻れるってわけだ」

 華緒ちゃんが彼、のところで、私のうしろを手で指し示した。
 振り返ると、そこには。
 もうひとつのベッドに寄りかかり床に座り込んでいる、水野さんがいた。


◇◇◇

 「三人もいるんだし、がっつり中華が食べたい」という華緒ちゃんのリクエストに答える形で、私と華緒ちゃん、そして水野さんは、ホテルの近くにある庶民的な中華料理屋さんに入った。
 午後の中休みを取らないお店で、夕方前の中途半端な時間の店内は割合すいている。平日は観光客以外の、近くのオフィスから訪れるお客さんも多いこの店は、私も会社の人に連れられて食べに来たことがあった。
 華緒ちゃんはメニューを広げるなり店員さんを呼び、パカパカと片っ端から注文していく。

「全部二人前ずつ、あ、餃子は三人前で。それと温かいプーアル茶と……ふたりは飲み物、どうする? 仕事のついでに車で送っていくから、ビールでも頼んだら?」
「えっ? うん、でも、いい……プーアル茶、冷たいほうで」
「自分もプーアル茶、冷たいほうをお願いします」
「遠慮しなくていいのに。じゃそれで、お願いします」

 それほど間を空けずに、お茶と冷菜が出てきた。さっそく手を合わせ「いただきまーす」と言う華緒ちゃんにならって、私と水野さんも箸を取ったのだけど、さらに運ばれてきた料理を受け取って、皿を寄せてなんとか置いて、に忙しい。すいているせいか、ものすごい勢いでテーブルに料理が並べられて、そのうち店員さんが見かねて、隣のテーブルをくっつけてくれた。

「うん、おいしい。こういうお店、なかなか連れてきてもらえないのよね」

 向かい側の華緒ちゃんは言いながら、優雅にお皿を空けてゆく。私も、べにちゃんに戻ってもらったとはいえ、やっぱりおなかがすいてたので、華緒ちゃんのペースに負けずに食べ続けた。
 あおちゃんにはまた目に重なってもらって、ほかの4匹のみんなは(姿だけ消しますが近くにおりますので)と言って消えた。ハナちゃんはそれが定位置のようで、華緒ちゃんの肩の上、髪の中にいる。

 私の隣にいる水野さんは、神妙な顔でお茶を口にしていて……たぶん怒っているか、ドン引きしているかのどちらかじゃないだろうか。『私が呼んだのよ』と華緒ちゃんは言っていたけれど、たぶんそれだけじゃない。

 それを気にしていたら、餃子の皿を空けたところで華緒ちゃんが、水野さんがここにいるいきさつを、水野さんに代わって改めて説明してくれた。

 生き霊の私が、知らない男の人といる水野さんのところへ不法侵入してしまった、あとのこと。
 彼はまず、私のアパートへダッシュで向かい、合鍵を使って部屋の中を確かめた。
 その間、出てくれるかもしれないと、スマホでコールしまくり。
 だけど私は、部屋にもいないし、電話にも出ない。
 で、考えた末。持っていた華緒ちゃんの名刺を思い出し、華緒ちゃんに連絡を取ってみることにしたのだそうだ。

「じゃあこちらにいらっしゃい、って彼を呼んで。でも部屋に入って十緒子を見つけるなり、十緒子に飛びかかろうとするんだもの、びっくりしちゃった。だから、って言い訳みたいだけど、とっさに止めたかっただけとはいえ、ハナの術はちょっとキツめだったかも、本当にごめんね」
「……いえ。自分が悪いんで、あやまらないでください」

 いつもと違う営業モード(ちらりと話には聞いてたし昨日も見たけどほんとに別人みたい)で、水野さんが丁寧に答える。
 水野さんはつまり、床に座り込んでいたのではなく。
 ハナちゃんの術で、そこに座り込まされていたのだ。

 私を心配して、探して。
 ホテルにまで来てくれた、というのに。
 雲の上の私は、そんなところまで考えが及んでなかった。
 いたたまれない……ホテルの部屋でとっさに「すみませんでしたっ」とは言ったものの、それから水野さんのほうを見れず、どんなことばをかけていいのかわからない。
 華緒ちゃんが食事に誘ったとき、断られるかと思ったけれど、ついて来てくれた。
 心配してくれてる? それとも、怒ってる?

 それに……それよりも。
 水野さんは、自力で体に戻ってきた私を見て、どう思ってるんだろう……。

 華緒ちゃんに、私がどうやって戻ってきたのかを訊かれたので答えると、華緒ちゃんは「なるほどね」と言いながらプーアル茶をすすった。

「重力、重さを感じる、か。そうね……私の場合はね、夢と現実をスイッチで切り替える感じ。幽体の私が、夢なのか現実なのか、それを自分で選ぶの。体に戻るときは、幽体の私が夢、実体の私が現実、ってことね」

 そういえば。
 いちばん最初、水野さんの一喝で追い返されたときの私は、幽体離脱を夢だと思い込んでたっけ。
 2回目以降は、幽体離脱が現実なんだ、とそれを受け入れて……。
 だから、戻れなかった?

「ま、でもね。ヘビ様たちの誰かがいれば私たちは、簡単に体に帰れるのよ? それも知らなかったのね?」
「うん。みんなにお願いする機会、なかったし」

 ヘビのみんなが来てくれてから、生き霊化しちゃったのは、一回だけ。
 冬芽さんの生き霊さんをどうにかしようとしたとき、でもあのときは水野さんがいてくれたから。
 そっか。
 みんながいれば、生き霊になっちゃっても、戻れるんだ。
 そうなんだ、ね、やっぱり。

 水野さんにいてもらう理由が、これで。
 なくなっちゃった、んだ……。


◇◇◇

 追加のデザートも食べ終わってお店を出ると、出てすぐの道路に、華緒ちゃんは車を待たせていた。

「まだまだ話足りないんだけどなっ。なにせ20年近く待ってたんだから」

 車の中で、助手席に座った華緒ちゃんが言った。

「そう、だね。私も、訊きたいことがたくさんあったんだ」
「今日は結局、空の上で終わっちゃったものね。これから現場に行って様子見てからなんだけど、たぶんしばらくこっちにいることになる、ような気がする。またすぐ連絡するから……カイトウ、いいわ、出して」

 後部座席の私の並びに水野さんが乗り込んだのを確かめて、華緒ちゃんが運転席の男の人に声をかける。

「……あ、れ? カイト、さん? 名字?」
「ご無沙汰しております、十緒子さん。海、に植物の藤、で海藤です。とはいえ、よく覚えておられましたね」
「あ、はい、でも勘違いしてました、すみません……」

 海藤さんは、運転席の真うしろにいる私に見えるように、一度顔を出してペコリと頭を下げ、それから車を出した。

 確か、お姉ちゃんの運転手さん……そうか、海藤さん、なのか。

 いつもお姉ちゃんのうしろを一歩離れて歩く、ちょっとコワモテの真面目そうなお兄さん。お姉ちゃんが「海藤!」って呼んでたのを聞いていた子供の頃の私は、それがカイトっていう下の名前だって思い込んでた。
 記憶にあるあの頃の外見と、ほとんど変わってない。ずっと華緒ちゃんの運転手さんなんだろうか。

 それからなんとなく誰も話さず、車内は静かだった。
 ダッシュボードに並んでいるヘビのみんなも、めずらしくなにもしゃべらない。

 車窓の景色が、暗くなって、見えにくくなって。
 水野さんの様子を見たかったけれど、顔をしっかりあげられなくて、軽く握っている彼のこぶしまでしか視界に入らない。

 ホテルからほとんど黙ったままの彼が、なにを考えているのか。
 私と華緒ちゃんの話を聞いてどう思ったのか。
 そんなことが気になって、胸がざわざわする。

 でも、そう、ちゃんと話さないと、ダメだ。
 私はもう、水野さんがいなくても、体に戻れるんだから。
 それをさっき、水野さんも見たのだから。

 だから、水野さんを。
 私なんてモノから、解放しなくちゃいけない。

 車が、水野さんのマンションに着いてしまう前に。
 私の覚悟を、決めなくちゃ。
 一緒に降りて、話したいことがあるから、って言って。
 なるべく早く……だからそれは、いま。
 でも。でももう少しだけ、このまま……。


 車が止まると、水野さんがすぐに「ありがとうございました」と言って、ドアを開け外に出た。
 その素早さにあわてつつ、私も外に出て車を回り込むと、華緒ちゃんもドアを開け、車から足を出す。
 降りてきた華緒ちゃんを、水野さんがじっと見つめていた。

「ねえ。水野くんは、我が御崎一族の重大な秘密を知ってしまったわけだけど、これからどうする?」
「どうする、とは? 誰かに話したところで、こんなヘビがいるなんて、信じてもらえるわけでもないでしょう。なにもしませんよ」
「んん、そうじゃなくって……ああ、これじゃまわりくどいか」

 水野さんの眉根に険しくシワが刻まれ、華緒ちゃんに向けるその視線が険しくなる。
 え、なにこれ、どうしたらいいの?

「俺は、記憶でも消されるんですか?」
「え、ええっ! 華緒ちゃん?!」
「記憶? うふふっ、その手があったか! ってウソウソ、冗談よ、ごめんごめん。そんなことしないし、そうじゃなくてね。ヘビ様たちを視ることができる目、それを持つその才能が、我が御崎一族、欲しくなっちゃった。だから、」

 華緒ちゃんが、私のほうにチラリと視線を寄こし、それから水野さんの手を取って、言った。

「水野春臣くん、あなた。私のつがいに、なりなさい」



つづく →<その10>はこちら

あなたに首ったけ顛末記<その9>
◇◇ どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている ◇◇・了

(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)


【2023.02.14.】up.
【2023.09.28.】加筆修正
【2023.11.03.】誤字脱字修正など
【2024.02.11.】▼リンク貼付


☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆

<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です

【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!

【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ


マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 ↑ 第一話から順番に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
 
↑ ”新着”タブで最新話順になります。

マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
 
↑ <その14>のあとに書いたのでその辺でお読みいただくと楽しいかも? 


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#この街この駅とは長い付き合いですが未だに観覧車にもロープウェイにも乗ったことがなかったりします

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