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あなたに首ったけ顛末記<その7・吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている>【小説】

ご来店ありがとうございます。コチラは『異能もの現代ファンタジーラブコメ』女子向けライトノベルなお話の<その7>です。お口に合いそうでしたら、ひと口だけでもいかがでしょうか?

最初のお話:
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
前回のお話:
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 ↑ 第一話から順番に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
 ↑ ”新着”タブで最新話順になります。
・この記事の終わりにも、全記事へのリンクが貼ってあります(目次から飛べます)。


♪♬♪♬♪〜
 かやです。去年から、冬は家の中でもダウンベストを愛用しています。ある方のツイートを読んでマネしたんですが、あったかくていいですね。
 さ~て今回なんですが、”春臣は足りなかった”、”十緒子も足りなくなった”、”十緒子はまだまだ足りなかった”、の3本です。
 また次回も、ついて来てくださいね~。
 じゃん・けん・ぽんっ。ウフフフフフフ~。


 3本立てだからって、調子に乗ってすみませんでした☆
 それでは、ごゆっくりどうぞ~。



あなたに首ったけ顛末記<その7>

◇◇ 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている◇◇

(15000字)

御崎十緒子みさきとおこ:絵を描くのが好き、幽体離脱で生き霊になりがちな、首フェチ26歳会社員女子。黒髪ロングふっくら頬の和顔。
水野春臣みずのはるおみ:十緒子にナイスバディと認められた体の持ち主、顔立ち濃い目、口が悪く霊感体質の26歳会社員男子。ほっぺフェチ疑惑。

しーちゃん:白色のヘビ。人語を話す。手のひらサイズ。十緒子の”従者”で、様々な能力を持っている。
むーちゃん:紫色のヘビ。以下同文。
あおちゃん:青色のヘビ。以下同文。

岡田冬芽おかだふゆめ:春臣の上司、主任。ショートカットのオトナ美人。十緒子の部屋で生き霊になってしまったが元に戻った。

<1>水野春臣は足りなかった

(5500字)

 俺は、ただ。
 もう一度、確かめたかったのだ。
 
 岡田主任を見送って彼女、御崎十緒子みさきとおこの部屋に戻り、その長い黒髪と華奢な背が視界に入ると。
 俺、水野春臣みずのはるおみはどうにも、その衝動を抑えられなかった。

 手を伸ばし、後ろから抱きすくめ。
 こいつのやわらかさや大きさを、直に触れることで確かめ。
 床に転がして顔を合わせ、そのまん丸な……俺を見つめて潤む、黒目の奥を。俺は確信が持てるまで、覗き込む。

 ちゃんと、ここにいる。
 俺の知る十緒子、だ。

 生き霊になり、白だけじゃなく、青と紫のヘビを従えた、十緒子。
 そして生き霊のまま、別の生き霊に触れ、違う人間のような言動をする、十緒子。

 あれも、いや、おそらくあれこそが十緒子なのだと、頭の中では整理し、折り合いもつけた。
 腹をくくっていたから、そんなこともできた。
 が、結局それは上辺だけ。
 抑えられなかったこの焦燥感が、現実を受け入れるための確証を欲しがる。

 十緒子の霊体を実体に戻したとき。
 こいつの体を、俺は手放せなかった。
 俺の首を触らせることでちゃんと戻れたのを見、それでも、確信が持てずに抱きしめ直す。
 実感が、欲しかった。
 しばらくして、それに抵抗せず身をゆだねる十緒子に気付き、俺はゆっくりとその手をほどいた。どこか元気がない彼女の様子に、自重したのだが。

 これじゃ、足りねぇ。

 どうにか冷静になろうとして、車を動かしに出たり、十緒子から話を聞いたり、十緒子にバカと言ってみたりしたところで、収まりがつかない。

 耐えて、だが抑えが効かず、それを大人げなく開放した。
 学習してねぇな。
 また十緒子に拒絶されて、白にハタかれるかもしれない。
 ……それでも、よかった。

 俺は、触って確かめたかっただけ、それだけだ。
 ただ、それだけだったのだが。


◇◇◇

(たっだいまー、十緒子ぉ、オレ頑張ってきたよー。先に帰ってきちゃったけど……ありゃりゃ、イチャイチャしてるしー、しまったー、やっちゃったかな、オレー? まあでも、白の言ってた通りってことね、で、オマエが十緒子のつがいかー。ごめんごめん、これからは邪魔しないようにするからさー。そんじゃ、続きをどうぞー)

 十緒子があおちゃん、と呼ぶ、宙に浮いた青色のヘビ。
 主任が眠っているあいだに、紫のヘビとともに紹介されたが、正直こいつらには触れたくない。
 ヘビが増えてる、とか……十緒子だけで、こっちはキャパオーバーなんだよ!
 ヘビのくせにペラペラしゃべりまくって、うるせぇし。っんだよ、これはイチャイチャじゃねぇし、ツガイってなんだ。……は? 続き?
 いや、こいつ。絶対それをさせる気、ねぇだろ。

「続きを、って言うなら。どっかへ消えろ、このクソヘビ」

 俺がそう凄んでもヘラヘラと浮遊し続けるヘビに、俺はデカいため息をつく。

(気にしない、気にしないー。オマエ、オレのこと見えちゃってるから気になるだけで、オレらはアレよ、空気みたいなモンよー。だからぁー……十緒子?)

 と、俺の腕を枕にして転がっている十緒子が、プルプルと腹を押さえて震え出した。
 とたんに、くるるるる、と高く鳴り響く、十緒子の腹の音。

「ふ、うう、うええ……おなかが、っふ、うう、すきました……」
「……っ、なっ」

 涙目、ってか泣いてる?!
 なんでだよ!

 十緒子はのそりと起き上がり、四つん這いでリビングのちゃぶ台に向かう。
 その上にあった菓子箱に手をかけ、起き上がってベタ座りすると、焼き菓子を取り出し、次から次へと頬張りはじめた。
 動作はゆっくりなのだが、間髪入れずに、次の個包装に手を掛け続けている。
 すべてを食べ終えると、カラの箱を見て呆然とし、それからまたべそをかきはじめた。

「おい、十緒子?」
「……おいしかった、でもっ、ひっ、おなか……うう、っふ、うえ、足りないですぅ」

 スンスン鼻をすすり、涙をあふれさせ、困ったようにぐずり出す。

(あー……十緒子、力使い過ぎなんだなー)

 立ち上がり、冷蔵庫を開けた俺の背後から、青ヘビが言う。さっき十緒子がしまっていた、ロールケーキの切れ端が乗った皿を取り出してラップをはがしながら運び、十緒子の前に置いた。
 十緒子は目を見開き、ロールケーキを手に取り食べはじめる。
 ガツガツとはしない、モグモグと音が聞こえてきそうな、マイペースな食べ方。

「力の使い過ぎって、おい」
(オレと紫のを呼んだし、白のは張り切っちゃってたし、十緒子もな、あんなことすりゃなー。いまだって、白のと紫のがオシゴト中だろー? 早いとこヤツを呼ばないとだけどさー、それにも力いるしなー)
「ヤツ? 呼ぶ?」

 またしくしくと泣き出した十緒子に、俺は冷蔵庫に取って返し、開け放つ。
 ハッ、見事になにもねぇ……わかってはいたが。
 生の米と調味料だけで、どうしろってんだ。

 その辺の戸棚を開けても見回しても、カップ麺ひとつ出てこねぇし。
 紅茶のティーバッグとインスタントのコーヒーがあるだけ、マシなほうか。
 普段飲み物は、水道水で済ませて節約しているとか言ってたしな。

 俺はしょうがなくグラスを取り、水道の水を汲んでから運び、十緒子に手渡した。

 それにしても。
 腹減って泣きだす、とか。相当なんじゃねぇか?

「とりあえず飲め、この家、水しかねぇ。それ飲んだら、仕度しろ」

 十緒子は俺からグラスを受け取り、水を飲み干す。ちゃぶ台にグラスを置き、俺を見上げる目に、見る間に涙がたまってゆき、こぼれ落ちる。

「うううえっ、ふっ、うう……」
「俺んトコ来れば、食い放題だぞ。少し我慢しろ、途中でなんか買ってやるから……ああもう、わかった、仕度はいいから、立て!」

 十緒子を引きずるように立たせて靴を履かせ、玄関から追い出し、部屋の火の元と戸締まりを確認すると、十緒子の部屋を出て、持っている合鍵で鍵をかける。

 コインパーキングまで手を引き、車に押し込んだところで、途中にあったコンビニまでひとりで戻り、すぐ食えそうなおにぎりや菓子パンを買う。コンビニ袋ごと、助手席の十緒子の膝の上に置き、俺は車を出した。


◇◇◇

 マンションの駐車場に着いたところで、コンビニ袋の中身をカラにしてまた涙目になっている十緒子の手を引き、俺の部屋に入れると「手ぇ洗ってこい」と命令し、ジャケットを脱がしてやってから洗面所に入れた。

 その間に、ジャケットをダイニングの椅子の背にかけ、キッチンへ行き手を洗い、キッチンと向かい合わせのカウンターテーブルを拭き、冷蔵庫からいくつかの作り置きを取り出し、タッパーのまま箸とともに並べる。
 様子を見に行く前に自力で洗面所から出て来たのを見て、少しは落ち着いたのかと思いきやまたメソメソと泣き出す十緒子の腕を引き、タッパーと箸の前に座らせた。

 箸を持たせてやると、律儀に「いただきます」と言い、だがそれからはほとんど無言で食べ続けた。たまに「うう、おいしい、ですぅ……」というつぶやきや、鼻をすする音が聞こえてくる。

 冷凍スペースから出した冷凍白飯をレンジに入れ、だが残存量に不安を覚えた俺は、炊飯器を手早くセットし、高速炊飯を選んでスイッチを押した。カウンターの向こう側を見るとすでに、出したタッパーの半分ほどを食べ終えている。

 こういうときはやっぱり肉だろ、という考えに到り、また冷凍庫を開けいくつか取り出し、レンジから温まった白飯を取り出して、かわりに冷凍肉をブチ込む。湯気の立つ白飯を茶碗に盛って十緒子の前に置き、レンジから肉を出し、また冷凍白飯を入れレンジをスタートさせ、フライパンと水を張った鍋を火にかけ、さらにやかんに水を入れて三個目の五徳に置き、ガスの炎を確かめ調整する。
 冷蔵庫から使えそうな食材をまとめて出し、ソーセージは即フライパンへ、いくつかの野菜を千切ってもやしとともに洗ってザルに、それから……。

 十緒子が食べ切るのと、俺が調理を終え新しい皿を十緒子の前に置くのとが、ほぼ同時、そんな状態が何度も続いて、俺は食材の残りに不安を覚えた。

「追加のメシは、炊けたんだが」
(卵、もうないー?)

 十緒子の前、カウンターの上で光る青ヘビに、声を掛けられる。
 卵は一個、目玉焼きにして、焼きソーセージの付け合わせで出していた。

(なんでか卵がいちばん、効くんだよなー。ヘビの好物だから? まーオレらは食べないカラダなんだけどさー)
「クソヘビ、そういうことは、もっと早く言え」

 玉子をパックごと出して作業台に置き、ひとつを皿に割り、炊きあがった白飯をよそった茶碗と併せて、十緒子の前に出す。まあ手っ取り早く、玉子かけご飯だ。
 出したあとに、ヘビ、卵、と来れば丸飲み、と余計な連想をした俺は、はっとして十緒子を見る。

 まさか……生玉子、そのまま飲んだり、しねぇだろうな?

 浮かんだのは、腰に片手を当て、生玉子をゴクゴクと飲み干す十緒子、というイメージ。
 いや、問題ねぇけど、しかしだな……。

 が、それは杞憂に終わり、十緒子は玉子を大雑把にかき混ぜるとそれを白飯の上にこぼし、醤油を適当にかけて食べはじめた。

 ……いや、うん。茹でよう、なんとなく。
 沸かしていたやかんの湯を小鍋に出し、そこに、残り4つの玉子に穴を開けて入れ、タイマーをかけた。


◇◇◇

 茹で玉子を4つ食べ終えた十緒子の食欲はようやく落ち着いたようで、十緒子は手を合わせ、まぶたを重そうにしながら「ごちそうさまでした……」と小さな声で言った。

 すぐうしろのダイニングテーブル、その向こう側にあるソファまで手を引き、座らせると、そのまま目を閉じて、すうすうと寝息を立てている。
 毛布を持ち出してきて十緒子の体に掛け、俺も横に座った。
 青ヘビも、いつの間にやら、ソファの前のローテーブルに乗っている。

「なぁ。こいつ、まだ食べそうか?」
(だなー、アイツらがあの女の家でいろいろやってっから、またおなかすくかもなー)
「じゃあ、とにかく玉子、買ってくるわ。栄養ドリンクも買ってみるか……いややっぱり肉、鶏肉か? おい、ほかに効き目のある材料があんなら、とっとと教えろ」
(材料っていうかー。もうひとつ方法あるけどー。知りたいー?)

 選択肢もねぇから、嫌々コイツに訊いたってのに。
 勿体をつけるように言うヘビに、イラッとする。

「っんだよ」
(精力が枯れちゃったんだからー、精力で補うって手もあるよなー)
「精力……? っ、おい、まさか、」
(あーいやー、ソコまでしなくてもー。キッスでいいと思うよー)

 ……コイツ、殴りてぇ。
 殴れねぇのは白でわかってるから、余計に腹立たしい。
 『ソコまで』、ああそりゃ……考える、だろうが!

「キス、しても。精力はどうやって相手に移すんだよ」
(やだねー、やったことあんでしょー? 白のが言ってた、兄ちゃんがソレやりすぎたからー、白のが呼ばれたんだって)
「……アレで、移せるってことか?」

 俺と十緒子の間に白ヘビが出現した、あのときの、アレ。
 つまり、ディープキスなら出来る、と。
 そういうこと、か……。
 けどディープキスなんかで、本当に精力を補えんのか?

 いや、それより。
 十緒子に、これを説明して、それで?

 十緒子の寝顔に、目を向けた。
 薄く開いた唇に、目が吸い寄せられる。

 あのとき味わった、やわらかいと知る、それ。

 ………………。

 俺は十緒子から目をそらしてバッと立ち上がり、青ヘビに言った。

「買い物、行ってくる。こいつのこと、頼んだからな」
(了解でーす、いってらっしゃーい)

 スーパーとドラッグストアをハシゴしながら。
 俺は悶々と考え続ける自分の思考にあきれ、だがそれを止められなかった。

 帰って、十緒子が起きていたとして。

 また腹が減った、と泣いていて。
 いい方法がある、とかなんとか説明をし。

 こくり、とうなずき、十緒子が目を伏せ。
 うつむいた顔を上向かせるように、両手で十緒子の頬を挟み込み。

 そして……それから。

 一度放してやり、だが「まだ足りねぇだろ」と俺が言い。
 あいつが息継ぎをするように呼吸するのを待ってから、また……。


◇◇◇

 リビングへの扉を開け、キッチンの床に食材の詰まった袋を置き、顔を上げたところで。
 目に飛び込んできたその光景に、俺はそのまま固まり、しばし呼吸を忘れた。

「水野さん! お帰りなさい、あの、いろいろと、すみませんでした! えっと、このコ、この赤い色のヘビさんは、べにちゃんっていうんです。赤だからほんとは、あかちゃん、もしくは、あーちゃんなんですけど、あかちゃんだとアレですし、あーちゃんだとあおちゃんと間違えやすいよね、ってことで、紅色のべにちゃん。あおちゃんが、べにちゃんのこと、思い出させてくれたんです!」

 ソファから立ち上がり、勢いよく話しまくる十緒子、そして。
 青ヘビと並んで宙に浮かぶ、赤い色のヘビ。

 そいつはチラリと俺を見、それから十緒子の肩に乗って、身をすくめるようにする。
 それから、くるくるとらせん状に回転し、消えた。

「べにちゃんに私の中で頑張ってもらうと、あんなおなかのすき方はしなくなるんです! あっ、すみません、洗い物は私、やりますので!」

 十緒子が袖をまくりながら、キッチンのシンクに回り込むのをただ見送っていると、青ヘビが、わざわざ俺の方に近寄って、くねくねとイラつく動きを見せながら、言った。

(でもね一応、茹で玉子は作っといた方がいいかもー。あとね、キッスより卵のほうが、やっぱ、おなかすかないんじゃないかなー。あーでも、嘘ついたわけじゃないからなー)

 ……いつか絶対、コイツを絞めよう。
 なにか方法が、あるはずだ。



<2>御崎十緒子も足りなくなった

(4300字)

 水野さんの車の、助手席で。
 座ってから、『いつものように』膝を抱えようとした私は、それをやめた。

 いまの私は冬芽さんを見送ったときのまま、上着を引っ掛けてポケットに鍵だけ、というなんとも手ブラな状態で。たぶんそれで、ついクセが出てしまったのだけど……いま私、生き霊じゃないじゃん。
 でも……申し訳なさ具合が、負けず劣らずな感じで……あうう……。

 後部座席にドン、と鎮座する袋の中には、大量のおにぎり、鶏もも唐揚げ、そして茹で玉子。
 水野さん家で、私がキッチンの洗い物を片付けている間に、彼が作ってくれたのだ。

「体は、本当に大丈夫なんだな」
「はい。ほんとにほんとに、すみませんでした。あんな飢餓感初めてで、取り乱しました……」

 発車する間際に、再度確認された。私はペコペコと頭を下げながら言い、同時にあの飢えの感覚を、じわりと思い出す。
 それは衝撃的な飢餓感で、絶望と不安にいっぺんに襲われてしまうような、恐ろしい体験だった。
 ただ泣くことしかできなくて、どうしたらいいのかもわからない。
 出てきたものを次々食べても、治まらない空腹感。
 水野さんがいなかったら私、どうなっちゃってたんだろう?

 出そうと思って材料費のことを訊くと、「いらねぇ。そもそも主任の件、巻き込んだのは俺なんだし」と言われてしまった。
 冬芽さんの時間稼ぎ作戦に巻き込んだのは、私のほうだと思うのに。
 というより、私の食費って、それと関係なくない?
 うーん、なにか別の方法で、お返しをせねばなるまい。

「……それで。そろそろ、説明してほしいんだが」

 車がアパートの前に停まったところで、水野さんが言った。

「ああ、いまじゃなくていいし、急かすつもりもねぇんだが……おまえの、封印だの記憶だの、そういう諸々のこと、白にならって俺もスルーしてたけど、ここまできたら、そうもいかねぇだろ。なんかヘビ、増えてんし」
「そう、ですね。はい……うーんと……」
(兄ちゃん、それは無理だなー)

 どう答えようか考えているうちに、ずっとそばでフワフワ浮かんでたあおちゃんが、口を挟んできた。

(だって十緒子にも、わかんないんだもん、答えようがないんだよなー。この封印は、記憶と密接につながってるデリケートなヤツだからさー。十緒子にまかせるしかないのさー)

 そう。
 あおちゃんの言う通り、私は水野さんの質問に対する答えを持っていない。

(まあねー、さっきはちょっと無理させちゃったけどなー。オレ、白のに怒られるかもしんない)
「ううん、怒られない、だいじょぶだよ。べにちゃんを思い出せて、よかった」

 私を車から降ろして、彼は、後部座席からタッパーの詰まった袋を取り出し、私の部屋までスタスタと歩いていく。追いついた私が部屋の鍵を開けると、彼は袋を玄関先に置き、私を中に入れて扉を閉めた。

「つまり。現状、封印はまだすべて解けていない。十緒子にも、まだ思い出せていない記憶がある。そういうことで、いいんだな?」
(だなー)
「わかった。じゃあ、また明日の朝に。つまんねぇことでも、なんかあったらすぐ知らせろ」

 むにっ、と私のほっぺを軽くつねって、水野さんは出ていった。


◇◇◇

(十緒子ぉー、聞こえるよなー。寝たままでいいから、ちょっと頑張れー)

 水野さん家のソファで眠る私の、夢の中で。
 私に話しかけてくる、あおちゃんの声。

 目を開けると、あおちゃんはそこで、私と同じくらいのおっきなヘビになっていて。
 私はそれに、がばっと抱きついて、頬ずりをした。

「すっごい、でっかくなったね、あおちゃん!」
(ちっがうよー? 十緒子がちっちゃくなったんだよー)

 言われて自分の体を見ると、手も足も、小さな子のものだった。
 私、子供になっちゃったのかな? ま、夢だもんね、そういうこともあるよね。

(でさ、思い出してほしいのよー。ヤツのことだけ、どうにかさー)
「ヤツ?」
(ヒント、モジモジ)

 モジモジ、もじもじ……。たぶんヘビの友達を思い出してほしいんだろな、とは思うのだけど、えーと。モジモジなヘビ、うーん。

(んじゃー、ヒント2。さて、これはなんでしょーか?)

 あおちゃんはそう言うと、下から上へ、らせん状にくるくるとまわり出した。

(めっちゃイヤがる白のと違って、ヤツは協力してくれたし、ちっちゃい十緒子もたくさん笑ってくれてさー。楽しかったよなー)

 くるくるとまわる、青いらせん。しーちゃんの白と……ああそう、足りないのはもう一色。
 そう、らせん状の……赤。

「したからうえへ、あかい、くるくるのチカラ。そのチカラをトオコにくれるって、ゆってた……べに、ちゃん!」

 ポン、と音がして、あたりが赤の光に染まる。
 そこに、あおちゃんと同じ大きさの赤い色のヘビ、べにちゃんがいた。
 現れた途端、あおちゃんの後ろに隠れるようにして、そわそわと落ち着かないでいる。

(よっしゃー、出来たな、十緒子! んじゃさっそくー、さて、これはなんでしょーか?)

 あおちゃんが言いながら、べにちゃんを口でつつく。それからふたりそろって、らせん状にくるくるとまわり、ぴかぴかと光る。
 上昇する、青のらせんと赤のらせん。

「はい! こたえ、とこやさん!」
(ピンポーン! だーいせーいかーい、おめでとうございまーす! ひゅーひゅー)

 私は声をあげて笑って、ふたりを抱きしめる。
 うれしくて、楽しくて。

 でも。
 ほんの少し、胸が痛い。
 たぶん……まだなにか、足りない……ような。
 そんな気が、した。

 そして夢から覚め、現実に戻ると。
 ソファのひじ掛けのところに、手のひらサイズのべにちゃんがいた。

「べにちゃん、久しぶりだね」

 そう言うとべにちゃんは、もじもじと身をくねらせ、それから思い直したようにピッとまっすぐになって、言った。
 
(……十緒子ちゃん、これからも無理はしちゃダメだよ。ボクがいても、限度があるんだから)
「うん。まだよくわかんないんだけど、頑張ってみるね」
(よし。じゃ、十緒子ちゃん、いーい?)
「うん、べにちゃん、お願い」

 べにちゃんはその場でらせん状にくるくるとまわり、姿を消した。
 私の体の中、お尻の背骨あたりに重なるのだと、昔聞いたような気がする。
 そして、大地のチカラを……なんだっけ。

(っし、これで、腹ヘリに泣き出す十緒子を見なくて済むなー)

 あおちゃんが宙に浮きながら、私の頬に、スリスリと頭をこすりつける。
 そういえば、目が腫れぼったい。
 ひどい顔、してるかな。

「あおちゃん、ありがと」
(いいってことよー)

 水野さんが買い物から帰ってきたときに、べにちゃんに、水野さんに姿を見せるようお願いして。
 そのあとまた、べにちゃんは私の中に消えていった。


◇◇◇

「あとは、あのもやもやさえ、なんとかなればなあ……ふああああ」

 月曜日の早朝。
 すぐそばで浮いているあおちゃんにかまわず、私は声が出るような大あくびをした。
 昨日の冬芽さんのこと、べにちゃんのことを考えながら仕度を済ませ、ちゃぶ台で水野さんからいただいたおにぎり&唐揚げ&茹で玉子(よく見たら一部味玉だった)を、別のタッパーや袋に詰め直す。これは始業前に食べる用で、こっちは昼前にこっそりつまむ用。残りは、いま私がいただく朝食用。

(もやもや? あー、十緒子がめちゃくちゃイヤがってたアレかー。もうおっきくなったんだし、慣れればやり過ごせんだろーけどなー)
「しーちゃんも言ってた、やっぱりそうなんだ。でもまだ慣れなくて……とにかく人混みを避けて、メガネかけてなんとかしてるんだけどね」
(メガネ?)
「うん。しーちゃんに教えてもらったの」

 そう言って私は玄関に行き、収納上のスペースに置きっぱにしていたメガネケースから、メガネを取り出してかけてみせた。

(ふーん、なるほどねー。あ、思いついた。いまの十緒子なら、出来ると思うんだー。あとでやってみてもいーい?)


 水野さんにメッセージを送った。始発ではなく、以前乗っていたのより30分だけ早い電車に乗ることを伝えると、水野さんの最寄り駅で、彼が私を見つけて車両に乗り込んできた。
 久しぶりに車内で見る、水野さん。そして至近距離、少し照れくさい感じもして、思わずヘヘッと笑ってしまう。

「おはよう、ございます」
「メガネ、かけてねぇな。効果アリってことか」
「ですね。あおちゃんがすごいんです」

 あおちゃんはいま、なんと、私の目に重なってくれている。
 なんだっけ、水の力がどうとかで、とにかく私の目をごまかしくれているようなのだ。
 なので、メガネをかけなくても、あのもやもやを感じなくなっている。

「いずれ私が自力でなんとかできるように、様子を見て加減してくれるって言ってました」
「へえ。あのクソヘビが、ねぇ」
「これで早起きから解放されます! でもしばらくは今日と同じ、少し早めのこの時間に乗ろうかと。だから、」

 ……あれ?

 あおちゃんのおかげで、もやもや克服はできそう。
 冬芽さんのコード、魂のヒモが切れそうだった件も。今日これから、しーちゃんとむーちゃんに確かめないとだけど、たぶんあれで解決できた。

 だから、もしかして、もしかしなくても。
 水野さんは、私といる必要がない。

 あとは、私が生き霊になって体に戻れない、なんてことがなければ。
 でもそれも、こんな近くにいなくても。
 あのころ……水野さんが車両のあっち側にいたころに、戻ったとしても。
 なんとか、できてしまう、んだ……。

「わかった、これからこの時間に乗ればいいんだな。でもまたなんかあったら、事前に、絶対に連絡しろよ」
「……え?」
「てめ、連絡しないつもりだったか? このバ……」

 彼はなにかを言いかけてやめ、かわりに私のほっぺたをむにむにとつねる。
 それよりも。
 いま、水野さんも一緒にこの電車に乗ると、言ってくれたの?
 そんな、当たり前のことのように?

「そういや、今日の昼はそっち行けねぇんだ。帰りも少し遅くなりそうだから、先に帰れ。あとから追って部屋に寄るけど、いいよな」
「へっ、お昼? 帰り?」
「なんか、ボケボケしてんな。ちゃんと食ったのか?」
「は、はい! あ、そうだ、おにぎりと唐揚げと玉子、ごちそうさまです、助かりました! 残りはいま持ってて、始業前とお昼前にいただくつもりです」
「っ、アレを昼前に食い切るのか……」

 どうしよう。
 どうしよう、うれしい。
 まだ、このままでよくて。
 約束ができて。

 でも、どうしよう。
 私、もうあのころの、車両の向こう側を見つめるだけの距離に、戻りたくない。

 だって、もう。
 それじゃ、足りなくなっちゃった。
 だってこの距離を、私は知ってしまったから。

 そのうち、きっとすぐに、彼から離れなくちゃいけない日が来るかもしれないのに。
 どうしよう、どうしよう……。



<3>御崎十緒子はまだまだ足りなかった

(5200字)

 お昼に冬芽さんといつもの社員食堂で会い、昨日眠ってしまったことを、ひたすら謝られた。
 なにかヘンなことを話さなかったかと訊かれたけれど、きっとそれは、あのことを話してしまったのかを、知りたかったんだと思う。

 水野さんのあとをつけたりしていたこと。
 そしてもしかしたら、私になにかしようとしていたかもしれなかったこと。
 それを私に話したとき、冬芽さんは、半分生き霊さんになっていた。
 そのときの記憶が、曖昧でぼんやりしているのだ。
 まるで、夢だったかのように。

 それで、よかった。

 だから私は「なにもなかったです」と答え、そしてそれが、私たちの現実になった。
 嘘といえば嘘なのだけど、それでいいのだ。

 生き霊の私……私の中の私、みたいな誰かも、あのときそうしてくれた。
 これは、現実。
 これは、夢。
 そうして線だけ引いて、でも現実も夢も、どちらも消してしまうようなことは、しなかった。

 その後冬芽さんは、私が知らないことになっている現実と夢の話を、私に伝えることはなかった。実際なんの実害もなかったんだし(生き霊さんになってウチに来ちゃったけど、それだって、怖かっただけでなんの実害もない)、話す必要なんてないのだけれど。

 それを抱えたまま、それでも、私と一緒にいることを選んでくれた。
 それってすごいことだと、私は思う。
 私を避け、離れていくという選択肢もあったはずなのに。

 私も、冬芽さんと距離を置くことは、少しも考えなかった。
 冬芽さんのことを、一方的にいろいろ知ってしまったことへの罪悪感もあるのに。
 
 冬芽さんのほうからも、私が見えてしまったはずだけど、私ほどは見えていないだろうから、なんかズルいよね、とか……。

 それでも。
 私たちは一度、深いところでつながって、お互いを知ってしまったから。
 なにが正しくて間違ってるのかなんて、そうなってしまえば、それはどうでもよくて。
 私は冬芽さんが好き、だから一緒にいたい!
 たぶん、それでじゅうぶん、なのだ。


 しーちゃんとむーちゃんは、お昼には姿を見せず、夕方にウチまで帰ってきてくれた。
 このあと、また冬芽さんのところに行って、いろいろしてくれるらしい。

 部屋の結界がどうとか、マンション周りのじゃの道をどうこうしたりとか、様子を見て、たまに冬芽さんのいんの気とようの気のバランスを整えたり、なんてことも説明してくれたけど、正直よくわからない。

(白の、さー。結界、やりすぎてないー? 十緒子に負担かかるだろー?)
(その点はワタクシ、ぬかりなくやっております。結界の起動だけ、十緒子様のお力をお借りしましたが。それより青の、赤のを勝手に呼び出すなどそれこそ十緒子様の、)
(うまくやれたんだから、いーじゃん。なー、十緒子?)

 白と青の光が、ふわふわと私の周りを飛び、それから私の手のひらに乗った。
 そのすぐ脇で浮かぶ紫色の光も、私を見つめている。

「うん。私、だいじょぶだよ、しーちゃん。ほんとにありがとね。むーちゃんも、ありがと。みんながいてくれて、よかった。ほんとに、よかったよ」

 もうしばらくは、主にしーちゃんとむーちゃんが、冬芽さんの様子を見てくれることになった。
 あおちゃんも、たまに参加。
 べにちゃんも私のそばにいてくれる。

 ほんとに、よかった。
 みんながいてくれるのが、本当にうれしい。

 ……でも、やっぱり。
 この、なにかが足りない、という感覚。
 夢の中で感じたより、それが確信に近くなってきている。
 どうして? いままで私、ひとりでもうまくやれてたのに。
 ……4、じゃ、足りない?

 たぶん私は、なにかを思い出してしまったのだ。
 それがなにかは、わからないけれど。
 いまが『足りない』んだって、それがわかってしまうような、なにかを。


◇◇◇

 水野さんが大量の食材を持ってウチに来たのは、しーちゃんたちが冬芽さんのところに出掛けていったあとだった。

 食材だけじゃなく、お説教的なモノも、それはもうたっぷりといただいた。
 そのときは、べにちゃんは私の中、あおちゃんも冬芽さんのところに行っていたので、マンツーマンで、しっかりと。

「備蓄、備え。俺の言ってることばの意味、理解できるか?」

 食材を袋から出してウチのキッチンのあちこちにしまいながら、水野さんが言った。

「昨日みたいなことが起こっても、こうして備蓄しておけば、普通はなんとかなるんだ。水飲んでしのぐ、なんてことをしなくてもいい。わかるか?」
「わかります、けど、余らせて腐らせたくないですし、」
「おまえが余らせることなんて、あるのか?」
「そういえば……いまは、まったくないですけど」

 ひとり暮らしをはじめたころ、野菜を上手に使いきれなくて。それで野菜や生の物をあまり買わなくなったんだっけ。

「どっちにしても、腐らせないように考えて備蓄すればいいだけだ。個包装で少量のものを選ぶ、冷凍、常温でも保存できる食い物、ローリングストック。なんでも、いくらでも工夫できる。わかったか?」
「……なんか、さっきからずっと。私のこと、バカって言ってますよね」

 なにも言い返せなくて悔しくて、でもなにか言い返したくなって。

「いや。絶対に、ひと言も、言ってねぇけど?」
「うう、だって、なんか、」
「大体なぁ、昨日俺がいなかったらおまえ、どうしてたんだ? メソメソ泣きながら夜道を、コンビニに向かって走ったりすんのか? イイ年したオトナが?」
「う、ぐっ」
「それに熱出したりして動けなくなったときは、どうするんだ? おまえの実家、近くじゃねぇんだろ、じゃあ会社の人間にでも電話すんのか? 緊急時はそれでもいいが、普段から備えておくのが大人の常識だろうが」
「……はい、その通りです、スミマセンでした」
「本当に、わかったのか? あと、もしなんかあったら、最初の電話は俺にかけろよ」

 そう言って水野さんは、またヒトのほっぺを、むにむにとつまむのだ。


◇◇◇

 どう考えてもおかしいのに、水野さんはどうしても、持ち込んだ食材にかかった費用を受け取ってはくれなかった。
 日曜日の分だってあるのに「俺がかけた迷惑料みたいなモンだ」の一点張り。

 仕方ないので、発想を変えることにして。
 まずはじめに、金曜日にウチへお招きし、夕食をごちそうすることにした。

「へぇ、おまえ、こんなん作れるんだ」

 水野さんからの、好感触なひと言。
 出したのは、お手製の生春巻き。
 水野さんが到着する前に盛り付けまで終わらせた10本分ふた皿を、ちゃぶ台の上、水野さんに正面を向けるように置く。

「タレはごまドレか、奮発して買ったスイチリ、どちらでもイケますので。足りないと思いますので、作り足してきますね」
「待て待て待て。前菜扱いだろ、これ。前菜だけで終わるだろうが。とりあえず座れ」

 うながされて、缶ビール片手に座り、乾杯をした。
 パクリと、半分に切られた生春巻きをそのまま、水野さんがひと口で頬張る。

「うまいな」
「よかった、ありがとうございます! 会社に入る前にお世話になったバイト先で習ったんです。ダイニングバーで、私、店頭に出すブラックボード描くのと生春巻き巻くの以外、ほとんどお役に立てないダメバイトで。でもこれだけは褒めてもらえたので、自信アリなんです」
「ふーん、こっちはエビとパクチー、こっちのはシソと鶏肉、へえ。中身がぎゅっと詰まって、食べごたえある」
「あ、パクチーは平気でした?」
「ああ、好物」

 それから、目の前で巻いて見せろと言われてキッチンに移動して巻き、それを見た水野さんも、一本だけ巻くのにチャレンジした。

「チッ、意外と巻き込むのが手間だな。おまえと同じ量の具材巻いたら、ライスペーパーが破れそうだ」
「ふっふっふっ。経験値が違いますからね。ほぼ毎日巻いてましたから」

 今夜には、冬芽さんを守るための仕上げができそうだと、しーちゃんたちが言っていた。
 月曜日と同じで、あおちゃんも、むーちゃん、しーちゃんと一緒に冬芽さんのところにいて、べにちゃんは私の中。なのでいま私は、水野さんとふたりきり。

 月曜日はお説教だったのでアレだったけど、そういえば。
 最近、じっくりと『ナマ鑑賞』、出来てなかった気がする。

 前よりずっと、一緒に過ごす時間が多くなってるはずなのに。贅沢には慣れてしまうものなのね、と自嘲しつつ、ちゃぶ台に戻って、生春巻きを食べビールを飲む水野さんを視る。贅沢な距離。そうだよ、こんな贅沢を知ってしまったら、誰だって惜しくなるモノ、だよね? どうしよう、くらい、普通に思うよ。

 そうなったら誰だって、きっと。
 こんな、きゅっとしたキモチになるはず、なんだ。
 ヘンなことなんかじゃ、ない。

 そんなことを考えて少しほっとした私は……昨日材料を買ったときに思い付き、水野さんが来る前に生春巻きを巻きながら、そして生春巻きを食べたり巻いたりする水野さんを見ながらチラチラ思い出していたそれを、思わず声に出して口走ってしまった。

ナマ春臣サマと、生春巻き。やっぱり、似てる……」

 はっ、として口に手を当てたけど、まったく意味がなかった。
 水野さんが咀嚼を中断して、こちらを凝視してる。

 ……気まずい。

 しばらくして咀嚼を再開し飲み込み、さらにビールをぐいーっとあおった水野さんが、ジリ、とこちらに近寄ってきた。

「なあ。そういやおまえ、いつまで敬語で話すんだ。俺ら、タメだろ」
「へ、でも、なんとなく、」
「で、俺はおまえのこと下の名前で呼んでるし、おまえも『水野さん』じゃなくていいよな」
「……と、仰いますと?」
「いま。春臣つっただろうが」
「っあああ、あのそれはその、でも生って付けちゃったし、」

 鑑賞中、心の中でたまに「生春臣サマ」って呼んでるなんて、言えないし。

「ナマだの、生春巻きと似てるだのは、ともかく。名前で呼べばいい、そう言ってる」
「ええ、そんなわけには、」
「俺が十緒子って呼んでるのにか?」
「でも、なんか恥ずかしくて呼びづらいですし、水野さん、で慣れちゃいましたし、」
「フッ、恥ずかしい、のか? そんなん、経験値が足りねぇだけ、じゃあいまから練習、これから毎日やれば、上達すんだろ?」
「そんな、さっきの生春巻きの話みたいな、」
「生春巻き、って言えんのに、俺の名前は無理だってのはどういうことだよ」

 なんで譲ってくれないのか、さっぱりわからない。
 あと、私と水野さんの距離、だいぶ近くなってしまって……また、詰め寄られて、ますよね?

「十緒子、ほら。呼べよ」

 またいつものイジワルそうな笑顔で、水野さんが私のほっぺを、指の背でつんつんとつつく。
 実は、そんなには十緒子って呼ばれてない、いっつも、おまえ、じゃないですか。
 この距離で面と向かって呼ばれるの、ほとんど初めてじゃないかな?!
 なんか目が合わせられない、顔が熱い!

 いろいろと逃げられなくなった私は、意を決して口を開いた。

「う、は、」
「うん?」
「は、はる、おみ、サマ」
「様、とかいらねぇだろ?」
「いえ、必要です! 敬称略で呼び捨てとか、難易度上げないでください!」
「フッ、わかった。でも、様は禁止な、俺がイヤだ」

 うう、じゃあ……。
 春臣、さん?
 春臣、くん?
 どっちもしっくりこない。難易度高い。
 もういっそのこと、弊社部長を見習って、ちゃん付け?
 水野ちゃん。
 いやいや、そうじゃなくて。
 春ちゃん、とか?
 ん、はるちゃん……?

 ……はーちゃん?

 そのとたん、頭の中でまた、なにかがつながって。
 私は思わずそれを、口に出して叫んでいた。

「ダメっ、はーちゃん、はダメです! 先約がありますので!」

 ポンッと音がした。
 そう、このなつかしい感覚は。

(十緒子。よかった、元気そうね。呼んでくれて、ありがとう)

 ほのかな濃い青みを帯びて光る、グレーの小さなヘビ。
 差し出した私の手のひらに乗り、ペコリと頭を下げた。

「こちら、はーちゃん、です! 灰色だから、はーちゃん。だから水野さんのこと、はーちゃんとは呼べません! 残念ですが!」

 自分でもなにを言ってるのかわからないまま、はーちゃんを紹介すると、はーちゃんが今度は水野さんに向かって、ペコリと頭を下げる。

(初めまして。このコは、ワタシがえるのね)
「……ああ、視える、視えるんだが、それより、」
(たっだいまー、十緒子ぉー帰ったよー! あれ、灰のがいるじゃん)
(十緒子様、小僧のせいで、またなにかご無理を?!)

 立て続けにポンポンポンッと音がして、あおちゃん、しーちゃん、むーちゃんが帰ってきた。

(あらあら、ワタシは4番目なの?)
(いや。5番目だな)

 むーちゃんがはーちゃんに答え、それからポンッ、という音がして、べにちゃんが現れる。
 べにちゃんはすぐに、私の髪の中にするりと隠れてしまった。

「……なあ、十緒子」

 水野さんが、またとんでもなく低い声で、言った。

「は、はい、なんでしょう?」
「こいつら……まさか。『十緒子』、つまり、」
「はい、あの?」
「……こいつら以外のヘビ、まだいるのか?」

 水野さんに訊かれ、頭の中にふわりと浮かんだ答えを、私は口にした。

「えっと……これで、半分、です」



つづく →<その8>はこちら

あなたに首ったけ顛末記<その7>
◇◇吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている◇◇・了

(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)


【2022.12.16.】up.
【2023.09.09.】加筆修正
【2024.02.10.】あおちゃんのセリフ語尾等修正、▼リンク貼付


☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆

<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です

【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!

【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ


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#駒井かやはチョキの札を前に出している

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