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あなたに首ったけ顛末記<その10・「逃げちゃダメだ」と云わないで>【小説】


ご来店ありがとうございます。コチラは『異能もの現代ファンタジーラブコメ』女子向けライトノベルなお話の<その10>です。お口に合いそうでしたら、ひと口だけでもいかがでしょうか?

最初のお話:
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
前回のお話:
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている

マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 :第一話から順に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
 :”新着”タブで最新話順になります。
・全記事へのリンクが、この記事の最後にもあります。


うーわー。
<その10>って、10本、ですよ!
いまこれをお読みくださってるアナタ様!
こんなにたくさんお付き合いくださって……ホントにありがとうございます!

それでは、ごゆっくりどうぞ~。



あなたに首ったけ顛末記<その10>

◇◇ 「逃げちゃダメだ」と云わないで ◇◇

(16100字)

御崎十緒子みさきとおこ:絵を描くのが好き、幽体離脱で生き霊になりがちな、首フェチ26歳会社員女子。黒髪ロングふっくら頬の和顔。六匹の実体のないヘビを”従者”にしている。
水野春臣みずのはるおみ:十緒子にナイスバディと認められた体の持ち主、顔立ち濃い目、口が悪く霊感体質の26歳会社員男子。ほっぺフェチ疑惑。

岡田冬芽おかだふゆめ:春臣の上司、主任。ショートカットのオトナ美人、29歳。十緒子の部屋で生き霊になってしまったが元に戻った。
御崎華緒子みさきかおこ:十緒子の姉。明るい色の巻き髪ロング、おっとり系甘め美人、32歳。金色のヘビ、ハナを相棒と呼ぶ。高い所が好き。
水野睦也みずのちかなり:春臣がチカ、と呼ぶ相手。

【十緒子のヘビたち:六匹】
人語を話す手のひらサイズの実体のないヘビたち。十緒子の”従者”で様々な能力を持っているらしい。それぞれの色に合わせて十緒子によって名付けられている。
白(しーちゃん)/紫(むーちゃん)/青(あおちゃん)/赤(べにちゃん)/灰(はーちゃん)/茶(ちゃーちゃん

【華緒子のヘビ:金色】
名前はハナ。十緒子のヘビたちと同じものらしい。

<1>水野春臣はヘタレることにした

(3200字)

 十緒子とおこの生き霊が自力で体に戻るのを、ただ見てることしかできなかった、土曜日。

水野春臣みずのはるおみくん、あなた。私のつがいに、なりなさい」

 マンションの前まで送られ、礼を言ってさっさと車を降りたところで。
 車を降りてきた十緒子の姉、御崎華緒子みさきかおこに手を取られ、そんなことを言われた。

「ツガイ?」
「番い。あっ、ハナがいっつもそうやって言うから、うつっちゃった……ピンとこないよね? 番い、夫婦めおとになる、つまりこれは、プロポーズってこと」
「…………は?」
「ウチに婿入りすれば、一族の秘密も守られるし? 春臣くんの稀有な才能も一族のモノになるし? ほら、名案じゃない、ね? だから、」

 華緒子が一歩前に踏み出して俺に近づき、俺の手を両手で持ち上げ、自身の胸の前でぎゅっと握る。
 上目遣いに見上げる彼女と俺の距離は、身長とヒールの分、十緒子より近くなる。彼女の香水が香り、なんとなく息がしづらい。

「私と、結婚しましょ」

 ツガイ、夫婦、プロポーズ、婿入り、それから結婚。
 ようやくそれぞれのことばが、日本語として入ってきた。
 ………………はぁ?

「っ、意味わかんねぇ。あんたと俺が、結婚?」
「この年になるとね、もう待ったなしっていうか、関係者のみなさんの視線がイタイっていうか。だからちょうどよかった……あ、私、ゆくゆくは御崎一族でいちばん偉い人間になるから、玉の輿よ? そのかわりいろいろと面倒なこともあるかもしれないけど、そのくらい平気よね? 十緒子のヘビ様にも怯まないんだもの」

 華緒子は無邪気に微笑んで、二の句が継げない俺にかまわず続けた。

「どう? 前向きにご検討いただけるかしら。答え、いますぐじゃなくていいから、ねっ。ああ、十緒子! 十緒子はべつに、かまわないよね?」

 華緒子が十緒子に言い、ハッとして俺は、そちらに顔を向けた。
 華緒子と同じタイミングで車を降りていた十緒子が、こちらを見ている。
 その表情かおは無表情で……感情が、見えない。

「っ、おい、十緒、」
「『違うんです』って、何回も言ってたよね? だからいいよね、十緒子。十緒子の友人の! 春臣くん、私にちょうだい?」

 俺と目を合わせない十緒子はなにも言わず、ただそこに立っている。

 俺は華緒子から身を剥がし近寄ろうとしたが、華緒子に先を越された。
 車の後部座席のドアを開けて十緒子を無理矢理押し込め、自身もそのまま後部座席に乗り込む。

「じゃ、また連絡するねっ。おやすみなさい」

 車が走り去ってもしばらく、俺はそこから動けなかった。

 『違うんです』と何回も、言ってた、十緒子が?
 違う、ってなにが……俺が? 俺は、『違う』?

 それに『だからいいよね』だの、『べつにかまわないよね』だの。
 俺の目の前で、それをいちいち十緒子に訊くか?

 で。それを訊かれた十緒子のリアクションが……。
 無表情の無反応、だと?

 ……息がしづらい、ままだ。
 それに、だんだん腹が立ってきた。
 あれだけ俺を巻き込んでおいて、違う、って、なんだ。

「ちゃんと、聞かせろよな……じゃなきゃ、」

 俺はやっと歩き出し、マンションのエントランスへ向かった。

 直接、おまえの口からじゃなきゃ。
 俺は納得してやらねぇ。
 俺ときっちり目ぇ合わせて、同じこと言ってみろよ。
 俺って男をナメんのも、大概にしろよ、十緒子。

 チッ、と舌打ちをしてもムカつきが治まらない。
 告ってやろうじゃないか、えぇ!
 首洗って待ってろ、十緒子のヤツ!


◇◇◇

 その日、よっぽどそのまま、車を出して十緒子の家に乗り込んでやろうかと思ったのだが。
 部屋に着いてすぐにかかってきた、チカからの着信に答えた俺は、それで少し冷静さを取り戻した。

 午後に、チカの家でチカと会っているときに十緒子の生き霊が現れ、俺はそのままチカを放って十緒子を追ったのだ。

『春くん? あれからどうなったんだい?』
「ああ、そっちに連絡すんの忘れてた……悪かった」
『それはいいけど、彼女のこと。あの子は、僕が送った符を使った相手では、ないよね?』
「ああ、違う。……あれが例の、知り合い、だ」
『そっか。で、彼女、戻れたの?』
「……戻ってきた。目の前でそれを見学させられた」

 十緒子は一緒ににいるから、と華緒子に呼ばれ、ホテルの部屋まで行き。
 あわてながらもいつも通り、十緒子の手を取って俺の首に触れさせようと、寝ている十緒子に覆いかぶさろうとしたところで。
 俺はまたヘビの術にハメられ、床に吹っ飛ばされ、そこで動けなくなり。

「……またヘビに術をかけられた。なんとかなんねぇかな、マジで」

 苦肉の策、で。
 俺はチカに、ヘビのことを相談していた。

 チカ、水野睦也ちかなりは、血縁としては俺の従兄にあたる。
 俺の両親が死んで俺を引き取ったのが俺の父の兄、つまり俺の叔父の家で、俺はそこで叔父の息子、チカの弟になった。

 10歳年上のチカは霊感が強く、チカの家の家業を継いで、護符を作ったり、それを使ってバケモノ退治らしきことをしたりしている。

 両親の死をきっかけに霊感が発現し、徐々にそれが強くなってしまった俺は、チカにかなり頼ったし……散々からかわれたり、した。
 人外な奴らを退けるならエロがいちばん、とエロ本やらなにやらを中学の頃から俺に押し付けてきたのもチカだし、守りの護符を俺に教えたのも、チカだ。

 チカが帰ってきている、と里香りかさんからも、チカ本人からもメッセージをもらっていた俺は、約束を取り付けて、里香さんのヘアサロンの入る建物の上階にある、チカと里香さんの部屋でチカと会った。
 ほとんど家事能力のない夫婦の部屋は相変わらず雑然としていたが、ハウスキーパーを頼んでいるだけあってそこそこには片付いている。

 が、里香さんさえも立ち入り禁止にしているチカの部屋は、狭い中に護符の書き損じやうず高く積まれた新旧の書物、脱ぎ捨てられた服や手袋なんかが床に散らばっており、俺はそれらをスリッパを履いた足で蹴って、唯一置かれている古い書き物机の前に立てるようにした。

 護符の効かない相手がいて困っている、なんとかならないか。

 それが小さなヘビの形をした正体不明のモノで、どうやら知り合いがそれを使役しているようなのだが本人に自覚がない、という程度の説明をしたところで。
 そこに、生き霊になった十緒子が現れたのだ。

『僕らの護符で、跳ね返せない相手。それを使役する、彼女、あの生き霊の姿は……』

 電話の向こうで『うーん、でも、』と、チカの口ごもる声。
 しばらく、チカの返事を待った。

「おい、チカ?」
『……たぶん、だけど。あれは僕たちの力なんか、及ばない相手だ』
「そう、なのか」
『元は人だった幽霊や、存在に何かしらの理由がある怪異なら、僕らでも対処のしようがある。だけどあれは、そういうものじゃない。さっき、ほんの一瞬、彼女を見ただけだけど……』

 そういうものじゃない、ならなんだ。
 口に出さずにいた問いに、チカが答えた。

『あれはきっと、神様とか、それに近いものなんじゃないかな。神様の御遣いであるヘビ、だから護符が効かない。もしくは蛇神……彼女は本当に、普通の女の子なのかい?』

 それを聞いた俺はそのあと、どうにか「そうか、わかった。また連絡する」と一方的に言って通話を終わらせた。

 ……神、またはそれに近いもの。
 蛇神。
 御崎華緒子と、金のヘビ。
 確かに華緒子は「ヘビ様」とヤツらを呼んでいた。

 ……『彼女は本当に、普通の女の子なのかい?』

「神って、なんだ、それ……」

 俺は片手で目を覆いながらソファに沈み、スマホを投げた。

 そうやってまた悶々と考えはじめ、結局その日も日曜日にも、なんの行動も起こさなかった俺は。
 月曜日の俺に、バカだヘタレだと散々言われ、殺意を覚えるほどに恨まれる事態になることを、まだ知らない。



<2>御崎十緒子は逃げることにした(1)

(3100字)

 ぐうううっ、とおなかが鳴った。

 ラグマットの上で大の字になっていた私はぼんやりと、自分がいまいる場所を認識する。
 アパートの、ちゃぶ台を置いているリビング。
 室内は、レースのカーテン越しに街灯の灯りが入って真っ暗じゃない。帰ってきても、厚手のほうのカーテンを引いてなかった。着替えもしてない。持ってたバッグも、そのへんに転がっている。

「おなか、すいちゃったのか……」

 しょうがなく起き上がると、暗い室内に、ぼうっと5つの色が浮かぶ。壁の蛍光灯のスイッチを入れ、カーテンを閉めたところで私は、「放っといちゃって、ごめんね。ちゃーちゃんが来てくれたばっかりなのにね」とヘビのみんなに声をかけた。

(十緒子ったら。ワタシたちのことは気にしないでいいのに)

 灰色のはーちゃんが肩に乗り、口で私の髪を撫でる。それからは黙ってそこにいてくれた。

 キッチンへ行き、冷蔵庫を開ける。タッパーを見てしまい、昨日のそぼろ丼の味を思い出して溜まった唾液を飲み込み。
 同時に、水野さんを思い出して、なんでか胸が痛くなって……。

 なんだこれ、忙しいなあ、もうっ。
 ダメダメ、順番、順番!
 とにかくおなかすいたのっ、そっちが先だから!

 冷蔵庫を閉め、小鍋を取って水を張り、コンロにかけてから蓋をする。棚からカップ焼きそばを取り出し、冷凍庫から小分けしてあった白飯とキャベツを出してレンジに入れた。

 こうやって、冷凍保存したり買い置きしたりしておくの、
 ぜんぶ、水野さんに教わったんだよなあ……。

 なにこれ、なんで感傷的なモードになっちゃってんの。
 そうだきっと、おなかがすいてるから、おかしくなってるんだ。
 ダメダメ、ニンゲン、空腹時に物事考えちゃいけないって、誰かが言ってた!
 だからまず、ごはんごはんっ!
 ほらほらっ、目玉焼きも付けちゃうぞっ。

 目玉のせ焼きそば(キャベツ増量)&ライスを食べ終わって、明日のために炊飯器をセットして。
 すると、またぼんやり水野さんを思い出そうとする自分が、そこにいた。
 それに抵抗するためにシャワーを浴びることにしたのだけど、余計に無理だった。

 いつもより余計にシャンプーを泡立てて頭を洗っているときにも、その泡をシャワーで盛大に流しているときにも。
 普段ポンコツな私の脳みそは、華緒ちゃんの声音で華緒ちゃんの言ったことを、忠実に再生してくれる。

『水野春臣くん、あなた。私の番いに、なりなさい』
『だからいいよね、十緒子。十緒子の友人の春臣くん、私にちょうだい?』

「……痛い、なあ」

 もう手遅れ、だったんだ。
 ずっと、このままでいちゃいけない、って思ってたのに。
 いつかいなくなるって、わかってたことなのに。
 バカだなあ、私。
 いなくなる、それが具体的になってはじめて、わかるなんて。

 水野さんが華緒ちゃんに、なんて返事するのかは、わからない。
 もしかしたら、こんな面倒な御崎という家に関わりたくない、って思って、断ってしまうかもしれない。
 でも、そんなことより。

 誰かが、彼を連れ去ってしまう。

 その誰か、というのが、華緒ちゃんのおかげでよりはっきりとしたイメージになって、それを思うだけで胸が痛くなる。

 誰か、それはつまり。
 私じゃない誰か、ということ。
 そんなのって、でも。

「……ダメダメ、それ以上は考えるの、ストップ、禁止」

 その晩と次の日曜日の一日中。
 私は、何度も何度もそう口にして、勝手に走り出す思考を、無理矢理シャットダウンし続けた。


◇◇◇

 月曜日の朝。『ちょっと早く出勤しなくちゃいけなかったの、忘れてました』と水野さんにメッセージを入れ、私は早い時間の電車に乗って出勤した。
 メッセージには既読が付いて、「わかった」という返事ももらった。
 
 まんまと、避けちゃったし。
 だって、いま、どんな顔して会ったらいいのか、わかんないし……。
 ああでも、嘘ついちゃった、うしろめたい。
 帰りは、どうしよう……。

 そんなことを考えていたら昼休み、うっかりいつものように、いつもの社食に来てしまった。
 いや、普通に、普通にしてればいいだけなんだから、1時間くらい……よし。
 深呼吸して、顔をパチパチと叩いて気合いを入れていたら、訪れたのは冬芽さんのほうだった。
 思わずほっとして、顔がゆるむ。

「お疲れ様です!」
「御崎さん、お疲れ様」
「御崎ちゃんと岡田さん、お疲れ様~」

 3人目の声に私と冬芽さんが振り向くと、弊社部長がヒラヒラと手を振っていた。
 いつからか部長とはよく社食で会うようになり、なりゆきで冬芽さんも紹介したりなんかしていた。

「岡田さんのトレーはいつも通りの少なさだけど、今日は御崎ちゃんも少ないよね、体調悪いの~?」
「え、そうですか?」

 言われて自分のトレーを見ると、普通の唐揚げ定食がそこにあった。あ、ごはん大盛りって言うの、忘れてた。小鉢や生玉子も追加してない。

「いえ、だいじょぶ、です……」
「本当に~? あ、そうだこれ、出張のおみやげ。いつもより少ない分、甘いモノでもお食べなさい。こっちは岡田さんの分ね」
「私の分?」
「みんなにあげてるわけじゃないから、ナイショにしといてね。じゃあね~」

 小さな箱をふたつ置いたあと、いつも通り風のように去る部長を冬芽さんと口をぽかんと開けたまま見送り、それから気を取り直してふたりで手を合わせ、食事をはじめた。

「私の分って、どういうことかしら。他社の人間なのに」
「いいんじゃないですか? わ、これ、マカロンですよ。ラッキーですね!」
「ふふ、まあいいけど。でも部長さんの言っていた通りね。食欲ないの?」
「え? そういうわけじゃなかったんですけど……なんかぼんやりしてて、頼むの忘れちゃってました、あはは。あっ、部長にお礼言うのも忘れちゃってました。でもあの人、すぐいなくなっちゃうんですよね、もう」
「あら、そういえば私も……ふふ、困った部長さんね」

 和やかに昼食を終え冬芽さんと別れ、身支度を整え終わってデスクに戻った私は、ぼんやりと眺めていたスマホの中に、名案を見つけた。

 そうだ、用事作っちゃおう。

 配信されていたクーポン経由で、ヘアサロンの予約を取る。当日でも空いてた、ラッキー。
 そしてそれから、水野さんに『夕方から用事が入りました』とメッセージを送る。

 よし、これは嘘じゃない、うしろめたくない。

(十緒子。本当に、それでいいの?)

 はーちゃんの声がした。うっかり返事をしそうになって、ことばを飲み込む。
 今日のお供は、体内にべにちゃん、目にあおちゃん、バッグのストラップに、はーちゃんとちゃーちゃん。しーちゃんとむーちゃんはお留守番、ということになった。
 だから今日のバッグは、グレーとブラウンのヘビのチャーム、というシックな装い。まあ人には見えないんだけど。
 はーちゃん……それでいいの、って、なに?

(十緒子っち♪ オレっち、ちょっくら行ってくる♪ 赤のとダンスしてくんよ♪)

 デスクに置いていた社内持ち歩き用トートバッグで、ちゃーちゃんがほんの少し頭を上げる。
 べにちゃんと、ダンス? それって、私の体の中に入るってこと?

(元気ない、でも、元気のないのも十緒子っち♪ どうしてオレっち呼んだのか、オレっちわかった気がするよ♪)
「……どうして?」

 ものすごく小さな声で訊いた。ちゃーちゃんはバッグからするりとほどけ、少しずつ透明になっていく。

(追っかけたいから足生やしぃ、つかまえるために腕伸ばすぅ♪ どうして手足が生えたのかぁ、忘れたんなら思い出せぇ♪)

 ちゃーちゃんが消えたところで、昼休み終了時刻になり、私はトートバッグをデスクの下にそっと移動させた。

 ちゃーちゃん、むずかしくて、わかんないよ。



<3>御崎十緒子は逃げることにした(2)

(3800字)

「御崎さんが平日に来るの、久しぶりですね」

 ヘアサロンの大きな鏡越しに、店長さんと目が合う。

 定時に上がり、うっかり鉢合わせたりなんかしないようにキョロキョロしながら挙動不審にオフィスビルを脱出。電車に乗り、自宅の最寄り駅から二つ向こうの駅にあるこのヘアサロンまで来て、ああ、やっと座ったあ、と私は息を吐いたところだった。

 平日に来るの、久しぶり?
 そういえば平日の帰りは毎日水野さんと一緒で、だから土日に予約するようになったんだった。

 ……もー、また出たな、NGワード”ミズノサン”。
 はい、消去。

「えっと、今日は……昼休みにスマホ見てたらクーポン見つけちゃって、よし行くぞ、って思ってしまいました」
「わ、よかった、御崎さんに見つけてもらって。クーポンのトリートメント、すごくおすすめなんですけど、御崎さんのこのきれいな髪がどうなるのか、興味あるなあ、楽しみ! あとカットはどうしますか?」
「いつもと同じ、揃えるくらいで」
「かしこまりました。あ、眉もちょっとだけ、揃えましょうか?」
「ぜひお願いします!」

 店長さん、店名からするとたぶん、リカさんというお名前。

 私こそ喪女なんです、という風体だった私の、髪、眉を私でも扱えるように魔法的技術で整え、メイクという魔法を初心者にもわかるように伝授。さらに服に困っていた私に、こんな服が似合う、とファッションカタログ誌を見せながら提案、でも私なんかが、と尻込みしていると『絶対、かわいいから。私を信じて、これだけでも買ってみて』と、鼻血吹いちゃいそうなセリフを、そのイイ声で、耳元でささやかれて……。

 はい私、落とされた! ええ、すっかり魅了の魔法にもかかってしまいましたとさ!

 そもそも店長さんは、男装してないのに男装の麗人って呼びたくなる系お姉さまで、なんというか、立ち居振る舞いが美しく格好いい。
 そんな人に魔法をかけられちゃった私は、そりゃもう……努力するしか、なかったのだ。

 シャンプー&トリートメントの気持ちよさに脱力。店長さんという美の存在による目の保養。そして少しだけだけど髪をカットしてもらって、それでもなんだか肩が軽くなって。

 思わず、ふあーーーっと大きく息をついてしまった。

「お疲れ、だったのかな?」
「気持ちよかった、すっごく癒されました……」
「よかったです。こんな感じ、仕上がり、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。朝いっつもセットが楽で、助かってます。ほんと、魔法みたいです」
「ふふ。よかったー、魔法が効いて!」

 ちょっとワイルドな長めショートの、ウェーブがかった前髪を耳にかけながら。
 王子様スマイルで、そんなこと言うし。
 ああ、もうっ。
 マイ・ハートに矢がストッ、と刺さって抜けませんっ。
 私、店長さんに一生ついていきますぅ……。

「リカ、あのさ! っと、ごめん、お客様……」

 と、男の人の声がして、私と店長さんがそちらを見た。
 店内のお客さんは私だけ、もうひとりの店員さんが掃除をしていて。

 その人はお店の、スタッフオンリーな扉から入ってきた。

「チカったら、もう。ああでも……御崎さん、彼、春くんのお兄さんなんだ」

 へ?
 ハルクンノ、オニイサン?
 私がぽかん、としていると、店長さんが「あ、ごめんなさい」と言った。

「ふふっ、そうだった、本当はいろいろ訊きたかったんだけど我慢してたの、忘れてた。御崎さんは春くん、水野春臣の紹介でウチに来てくださったでしょう? 春くんが女の子紹介するなんて天変地異が起こって、でもこんなオバチャンが周りでわーわー騒ぐのもあれかなと思って、黙ってたんです」

 店長さんがケープとタオルを私からはずし、私の服に軽くブラシをかけてから、言った。

「私の名前、水野リカです。こっちは私のダンナで、チカ、水野チカナリ。だから春くんは、私たちの弟なの」

 NGワード”ミズノサン”が乱れ飛び、乱舞して。

 私が固まっている間に店長さん……リカさんが、レジのあるカウンターへ行って戻り、私に名刺を手渡した。
 印刷された水野里香、のすぐ下に、手書きで睦也(ちかなり)、と書き足してある。「耳で聞いただけだと、チカの名前は聞き取りにくいから」と、里香さんが微笑む。

「正確には僕のイトコ、なんだけどね」

 男の人、睦也さんが言いながら、座っている私のほうへ来て……。

 あれ?
 なんでだろ、この人に見覚えがある。

 表情を見えづらくしている、センターで分けられた長めの前髪。うしろで束ねられた長い髪。平たく四角いフレームのメガネ。
 どこかほんの少しだけ、水野さんに似ているから?

 じゃなくて、つい最近……って!
 そっか、土曜日!

「あれ、キミは、おとといの、」

 私が気付いたのと、睦也さんが「おととい」と言ったのが、ほぼ同時。
 睦也さんはそこで口をつぐみ、じっ、と私を見つめてくる。

「おととい? ああ土曜日、春くん来てたよね」

 里香さんが言い、睦也さんの続かないことばに、首をかしげる。

 そりゃ、黙るよね。
 だって。
 キミはおとといの……生き霊、だよね、なんて。
 いや、見えてたのかな、私のこと?
 でも、おとといの、って。そのワードでもう確定な気がする……。

 と、睦也さんが吹き出した。

 「……ふふっ。そう、春くんが急に追っかけてった相手だよね」 

 ビクーン、とさらに身を硬直させる私を見ながら、睦也さんが続ける。

「このあと会うんだって、僕とロクに話もせず飛び出してったんだ。春くん、かわいいよね」
「わ、そうだったんだ。でもチカ、そのへんでストップね。御崎さん、困ってるでしょ」
「ん、ああ……ふふっ、困らせちゃったか、ごめんね? ……ん、ミサキ、さん?」

 睦也さんが言い、あ、そっか、と唐突に気付いた。
 立ち上がって頭を下げ、顔を上げ、気をつけの姿勢を取り、滑舌に気をつけながら名乗る。

「御崎、十緒子、と言います。私の名前もちょっと聞き取りにくいので、名刺を……」

 カウンターまで行って里香さんにバッグを出してもらい、財布から名刺を取り出して、ついてきた睦也さんに渡した。

 名刺をしげしげと眺める睦也さんの前で、身の置き場がなくなる。
 まさか、不法侵入の件で、訴えられたりしないでしょうか。
 でも水野さんのお兄さんなら、事情があったこと、わかってくれるかも?

 でもでも。
 生き霊オンナが自分の弟と知り合い、とかって、さあ……。
 うわっ、ありえない。

「大丈夫だよ。里香にも、誰にも言わないから、おとといのこと」

 と。
 はっきりとした、でもやわらかい落ち着いた声が、ささやくように言った。
 もうひとりの店員さんに呼ばれ、カウンターから離れたところへ行って指示を出す里香さんに、聞こえないくらいの音量。

「よかったね、体に戻れて。僕もね、春くんと同じ霊感体質で、それを生かした仕事をしてるんだ。って、どうせ春くんのことだから、キミになんにも説明してないんだろうね。護符のこととか……ああ、その名刺、ちょっと借りていいかな」

 そう言って睦也さんは、私から里香さんがくれた名刺をそっと取り上げ、カウンターのボールペンでなにかを書き込んだ。
 彼は振り返り、「はい」とその名刺を差し出す。

「僕の連絡先。なにか困ったことがあったら、いつでも連絡して? すぐに返信出来ないときもあるけど、必ず返すから」
「あ、はい、ありがとうございます……」

 お礼を返したものの、どう受けとめていいのかわからない。
 里香さんが戻ってきたところでお会計を済ませ、里香さんに「引き留めちゃってごめんなさいね」なんて言われながらコートを着せてもらった私は、並んでいるふたりに軽く頭を下げて、お店の扉に手をかけた。睦也さんが、私に声をかける。

「じゃあ、またね」
「はい、失礼します」

 ふと、里香さんの目線と、睦也さんの目線の高さが違う、なんで? と、メガネを少しずらした睦也さんの視線を追うと、私のバッグへ……。

 そこにはシックな灰色のヘビ型チャーム、はーちゃんがいて。
 はーちゃんがピク、と動き、それから身を起こして、睦也さんに向かってペコリと頭を下げた。

「っっっ!」
(今後とも十緒子を、よろしくね)

 はーちゃんってば、ええええええっ。
 睦也さんがふふっ、と笑い、里香さんはそれを見て「やだ、なに笑ってるの?」とつられるように笑いながら訊いた。

 里香さんには、えてないし聞こえてない。
 でも睦也さんは、視えるし聞こえるんだ。

「気をつけて、帰るんだよ」
「はいっ、ありがとうございますっ」

 お店を出てしばらくしてから私は、スマホを取り出して通話するフリをしながら、はーちゃんに言った。

「もうっ、びっくりしたよ!」
(あのコなら大丈夫、だから声を出したのよ。目が合ったから、あいさつはちゃんとしないと)
「ほんとにだいじょぶ、かなあ……」

 それにしても。
 知らなかったとはいえ、水野さんから逃げるのに、水野さんたちのところへ飛び込んでしまった。
 やれやれ、もう……なにやってんだろ、私。

 アパートの前の道から無意識に、鍵を出そうとバッグの中に手を突っ込みながら歩いていた私は、アパートの廊下で、私の部屋の扉の前にあるカタマリとバチッと目が合って、その動きを止めた。

「遅かったな」

 そこには。
 しゃがんだままこちらを見上げる、水野春臣サマご本人が、いた。



<4>御崎十緒子は逃げなかったし逃げられなかった

(6000字)

 水野さんを見た私は一瞬固まり、でも寒そうな彼の様子に我に返り、「すみません、寒かったですよね」と、あわてて鍵を取り出してドアを開けた。
 扉を支えてくれる彼に、また「すみません」と言いながら先に中に入り、バッグとコンビニの買い物をガサリと置きつつ靴を脱ぐ。

 と、ドアの閉められる気配がないのに気付いて、振り返った。

 水野さんは、まだ部屋の外にいて、扉を支えて立っている。

「入っても、いいか?」
「……はい」

 なんで問われるのかわからないまま返事をし、彼が玄関に上がり、ドアがそのうしろで閉まるのを眺める。
 彼はそこで、靴を脱がないで足を止めた。

「ここで話す」

 え、どうして、と思ったのに、ことばが出ない。
 彼に向かい合うように、私も立ったまま。

 バッグのチャームになっていた、はーちゃんがするりとほどけ、ポン、と音がしてあおちゃんが私の目から離れて出てくる。むーちゃんとしーちゃんも姿を見せ、買い物袋の脇に4匹が並んだ。
 みんな、なにも言わず、こちらを見上げている。

 私から視線をはずした水野さんは、ほんの少しだけネクタイをゆるめ、それからその手を首のうしろにやり、さする。
 彼のことばを待ちながら、私の視線も自然と下へさがり、ヘビのみんなの色を無意識に目で追っていた。

 青、灰、白、紫。
 ちょっと寒そうな色合いだ。

 ふたりして、黙ったまま。
 どうしたらいいの……と、ぐるぐる考えていたら、思い出した。

 ああ、そうだ。
 私、ずっと、水野さんに言わなくちゃいけないことが、あった。

 土曜日に、話せなかった。
 水野さんが私のそばにいてくれる、その理由がなくなっちゃた、件。

 ……逃げてる場合じゃ、ない。

 ちゃんと私から、言わなきゃ。
 きちんとお礼を言って……。

 手をぎゅっと握って胸に当て、それから顔を上げ、言った。

「あ、の。いままでずっと、ありがとうございました」

 私のことばに、怪訝な表情を浮かべる彼の視線に気圧けおされながら、続けた。

「私、生き霊になっても、自力で、戻れるようになりました。だから、その。水野さんが、……いなくて、も。だいじょぶ、なんです、だから、」

 苦しくなって、目をそらした。

「水野さんのこと、を。いままでずっと、束縛、というかなんというか、その、してしまって、ごめんなさい。ずっと……申し訳、なくて、その、」
「俺はもういらねぇ、そういうことか?」

 低く静かな声が、刺さる。
 胸を押さえながら私は、もう顔が上げられなかった。

「いらない、じゃなくて、」
「言いづらそうにして、そういうことだろ? おまえは……『べつにかまわない』んだもんな。『違うんですって何回も言ってた』、だっけ? なにが違うのか知らねぇけど……俺があの、結婚? とかいうふざけた話を、受けても。おまえには関係ない、そう言いたいんだな」
「っ、水野さんが……水野さんには、ちゃんと水野さんでいてほしい、です。このまま、私なんかをかまわなくちゃいけない、なんてそれは、違う、から、だから、」
「わかった! もういい、わかった」

 支離滅裂な私のことばをさえぎる彼の鋭い声に、ビクリ、と背中から震えてしまった。
 大きなため息のあとしばらくして、チャリ、という音が聞こえる。

「これ。合鍵」

 彼のことばに顔も上げられず動けないでいると、またひとつ、大きなため息が聞こえてきた。
 視界に、しゃがんだ彼の後頭部が目に入ってくる。彼は床の上、私のバッグの横に合鍵を置いた。

 ガチャリ、ガシャン、と、玄関の開け閉めされ、彼の足音が遠くなる。

 私は急に立っていられなくなり、その場でしゃがみ、尻もちをついた。
 そのまま、膝を抱きしめるように抱えて、座り込む。

 ……どれくらい、そうしていただろうか。

(十緒子。このままで、いいの?)

 はーちゃんの、声がする。

 だって。

 我慢しなくちゃ、ダメ。
 私が彼を、束縛しちゃ、いけない。

 ほらね、やっぱりいなくなっちゃった。
 はじめから、いなくなるってわかってたよ。

 それを望んではダメ、だって、いつかいなくなるものだから。
 ほら、こんなに痛いんだよ。
 この痛みを私は、知ってたのに。
 ばかだなあ、ほんと。

 本当に、手遅れ、だった。

 だって、私は……いつの間にか。
 望んでしまっていた、から。
 心の底から、強く、それを。
 ……きっと、いちばん、はじめから。

 なにを、望んでしまっていたのか、それは。

 私が手を伸ばした先に、あったものは。


 突然、体から力が抜けた。

 パキン、パチン、という音がして、それから次の瞬間。
 私がイメージする、私の望むものの姿が、私の、すぐ目の前にあって。

「っ、十緒子、おまえ?」

 ひとけのない夜道を歩く彼の前で。
 生き霊の私が、水野さんに向かって手を伸ばしている……。

 はっとして私は、その手を下ろした。

「……なに、してんだよ」
「っ、わかんない、です」
「自分で戻れるんだろ」
「戻れると、思います」
「じゃあ戻れよ。ってかおまえ、ぶっ倒れて頭、ぶつけたりしてねぇだろうな?」
「っ、ぶつけて、ないです」
「……じゃあ、」

 私をよけて、彼が一歩踏み出した。
 彼が歩き去るのを見たくない影の私が、思わず声を上げる。

「っ、行っちゃ、やだ」

 ピタリ、と動きを止めた彼が、私を見た。

 その、めずらしく見開かれた彼の目を引き留める、ためだけに。
 私の口から紡ぎ出されることばが、彼をからめとる糸になってしまえばいい……。

「行っちゃやだ。いなくなっちゃ、やだ。華緒ちゃんのところに、ほかのヒトのところに行かないで……はる、おみ」
「っ、なんっ、……クソッ! おまえ、ふざけんなよ! 今度こそ、首洗って待っとけ!」

 彼が叫んで、猛然と走り出した。私の、生き霊の体が彼に引っ張られるようについてゆく。
 彼はアパートの私の部屋のドアを乱暴に開け、中に入って扉が閉まったところで、ハアッ、と荒い息を吐いた。
 肩を上下させるほどの呼吸で息を切らしながら、彼が私の体を見下ろす。

 私の体は、膝を抱えるように座ったまま、室内と玄関を隔てる壁にもたれて脱力していた。

「本当にどこも……ぶつけて、ねぇん、だな。っおい、ほらっ……自力、でっ、戻れよ。さっきの、ちゃんと……ハッ、体に戻ってからっ、俺の目を見て言え」

 ……さっきの?

 私……水野さんに、なにを口走っちゃった?
 生き霊になって、彼を引き留めて?

 え、あれ、なんだろこれ、え、どういうこと?

 そうこうしてる間に水野さんが、下げていたカバンをはずして放り、靴を脱いであがる。

「戻れねぇ、とか言う? ハアッ、……この期に及んで、焦らすとかおまえっ、ほんっと、ふざけんなよ。俺はもう待たねぇかんな、っ、覚悟、しろよ……」

 そう言って彼はひざまずきながら、私の実体のほうの体の両手を取って、彼の首にまわした。

 熱い。
 熱く、ほのかに湿り気を帯びる、感触。
 私はこれを、知っている。
 霊体になくて、実体にあるもの。
 この熱を感じるのは、なんて心地いいことなんだろう。

 彼が、ここにいる。
 この熱で、それとわかる。

 この熱が。私が最初に知った、切り替えスイッチ。
 そうして私の霊体は、実体へと戻って、重なり……。

 目を開けると、私を至近距離で見つめる、水野さんの顔があって。
 まっすぐに視線をぶつけてくる、彼の瞳から。
 私は、目をそらせなかった。

 ……もう、逃げられない。

「で、なんだって? ちゃんと言えよ、ほら、早くしろ」
「っ、わっ、たし、その。ゆっちゃった、声に出しちゃった?」
「はーやーくーしーろー。言ってただろ、やだ、って。おまえ、なにがイヤなんだって?」
「やだ、って。ゆっちゃった、私、ほんとに?」
「言った。しっかり言った。あーもういいや、時間切れ、もう待てねぇし」

 近づく顔に息が止まり、思わず目を閉じる。
 唇に触れる、その熱も、彼の唇の感触も。
 そうだこれ、欲しかったんだ、って思う。

 ゆっくりと、角度を変えながら何度もついばまれ、彼の首に触れたままの両手も、その熱を感じている。

 行かないで、ここにいて、と。
 私の実体の手が、彼を捕まえ。

 行かない、ここにいる、と。
 彼の熱と重みが、そう伝えてくる。

 胸が、心臓が。痛いほど、その存在を主張してくる。
 苦しくて、甘い痛み。

 ああ……もう、ダメだ。
 私は、欲張りになっちゃった。

 これじゃもう、華緒ちゃんにも、誰にもあげられない。

 影の、本当の私が。
 怖いくらい、喜んでる。
 ごめんなさい。
 華緒ちゃんにも嘘ついちゃった、『違うんです』って。

 ……違く、なかった、から。

 私、そっか。
 好き、だったんだ。
 水野さんの、こと。

 嘘。知ってた、くせに。
 私はただ、ごまかしてただけ……。


◇◇◇

 ウチの、玄関スペースで。
 彼の足の間に座り、彼の胸に寄りかかって、抱えられながら。
 ふたりしてそのまま、しばらくぼんやりしていた。

「……なんかおまえ、匂いが違うな」
「ああ、そういえばさっき、髪切ってきたんです。里香さんの……あ、ああっ」
「なんだよ」
「お兄さん、えっと睦也さんに、会って! おふたりはご夫婦で、水野さんで!」
「っ、なんだよ、それ。チカに会ってるとか、意味わかんねぇし。大体おまえ、なんで今日俺を避けてたんだよ。髪なんか切りに行ったのも、ワザとなんだろ?」
「あれっ、バレてる? ……はっ」
「やっぱ逃げてたのか、ったく。朝のも昼のも、あんなメッセージ寄こしやがって……傷つくだろ」
「傷、……ごめん、なさい」

 謝ると彼が、むにり、と私の頬をつまんで、そっと放してから、指の背で撫でる。

「でも、だから。私に文句が言いたくて、部屋の前で、待っててくれたんですか?」
「文句、って。や、それだけじゃ、ねぇけど……」

 と。
 くるるるっ、といつもよりは控えめに鳴る、音。
 割って入ったこれがなんの音なのか、彼はよく知っていた。

「ふっ、またバッテリー切れかよ。まだメシ食ってねぇのか?」
「はい。でも今日はコンビニでヤケ買いしたので、これ食べればすぐに、」
「あぁそういやぁ……精力を補ういい方法、おまえのヘビから教わってたな」
「へ、精力? う、むっ、んん……」

 頬にあった手に、口を開かされ。
 また唇が重なって、舌が舌に触れる感覚に、全身の毛穴が開いた気がした。
 逃げたくても、がっちりとホールドされてるし、なにより私の体に力が入らない。

 しばらくして口を離し「やべぇ、理性飛ぶ。これ以上はさすがに、今日の今日で、」とつぶやいた彼は、今度は私の頭と背中に手をまわして、ぎゅうっ、と抱きしめた。

「帰る、な。ちゃんと野菜も食え。ナムルの作り置き、まだあんだろ?」
「……昨日、全部食べちゃい、ました。……荒療治、で」
「荒療治?」

 彼は私から、今度は体を離して私を見つめたあと、眉間に思いっきりシワを寄せながら立ち上がった。

「とにかく、今日は帰るけど。ああ、この鍵、持っててもいいよな?」

 水野さんが、床に置かれていた合鍵を取り上げた。
 私はまだ脱力したまま、こくん、とうなずく。

「じゃあな。そこのヘビども、あとは頼んだからな」
「へ……? え、あ!」

 壁のカゲから、4匹の小さなヘビが、タテに連なってこちらをのぞいていた。

(ついさっきまでしょぼくれ小僧だったくせに、随分と調子に乗りましたね)
(精力を補う方法はー、オレが教えたんだぜー)
(…………)
(まかせて。アナタも気をつけてお帰りなさい)

 そして「おまえ、明日は逃げんなよ」と捨て台詞のように言い残して、彼は出ていった。

「みんな。ずっと、見てた、よね、やっぱり……?」
(見てないよー、オレらちゃんと、空気は読むよー。馬に蹴られたくないしー)
(十緒子、よかったわね。ほら、ごはん食べないと)

 それから私は、まだ頭がよく回らないまま、レンジでレトルトカレーと冷凍白飯を温めた。コンビニのホットスナックを贅沢にトッピングした、豪華カレー。

 ふと、カレーがなんとなく、いつもより辛く感じて、それが少しだけヒリヒリする唇のせいだとわかって。
 ちゃぶ台で唇を押さえ、ひとり身悶える私を。
 ヘビのみんなが、首を傾げて見守っていた。


◇◇◇

 カレーを食べ終わると、ポンポンッと音がして、べにちゃんとちゃーちゃんが飛び出してきた。

(ふわっ、びっくり)
(ワオ! 元気になったね、十緒子っちぃ♪)
「うん、あ、うん……」

 どうにか返事をしたのだけど、ちょっとそれどころじゃなかった。

 食器を片付けたり、お風呂に入ったり、しながら。
 私は、まだ夢の中か空の上にいるかのように、地に足がつかないような、ふわふわ~の、ぽわぽわ~が止まらない、状態で。

 その中で胸が、ぎゅっとなったり、疼いたり……でもその痛みが、ひどく甘い。

「だ、ダメだこれ、早く寝よう……」

 ベッドに身を預け掛け布団をかぶっても、現実味の無さに終わりが見えない。
 私の輪郭が、なくなっていくようで……。

 なにこれ、怖い。
 これが……色ボケ?
 さっき、水野さんにされちゃったあれこれを、さっそく再現VTRにまとめました、でもランダム&エンドレス再生です、って私……。
 顔の熱も、ずっと引かないし。
 なにより、胸が……これ、きゅん、じゃないよ、通り越しちゃってるよ?

 色ボケで、心停止。
 ありえなく、ない。
 今度こそ私、死んじゃうかも……。
 誰か……助けて。

「うう、苦しいよ……もーちゃん……」

 掛け布団の中でうめき声をあげ、思わずつぶやくと、ポンッ、と音がした。

(やほー、十緒子ちゃん! もーちゃんだよっ、元気してた? ……うわっ、十緒子ちゃんすごっ、オーバーヒートしてる!)

 掛け布団から顔を出すと、もーちゃん、桃色の小さなヘビがそこで、くるくるとらせん状に回っていた。

「もーちゃん、……あのね、胸が苦しくて、」
(めーがーまーわーるぅー)

 と、枕元に置いていたスマホが震え、反射的に手を伸ばし、通知画面からメッセージを開く。
 一度で入ってこない文面が、読み返すうちにやっと頭に入ってきて……。

「え、華緒ちゃん、嘘、」

 色ボケをどうにか抑え、私はがばっ、と起き上がった。

《十緒子に相談したいことがあるので、明日でいいから、連絡ください。
 驚かせたくないから先に教えておくけど、私、ケガしちゃった。
 仕事で、ちょっとドジっちゃった、テヘ》

「もしもしっ、華緒ちゃん? ケガって、なに?」

 電話したらすぐに出てくれた華緒ちゃんは、私とは対照的に、ひどくのんびりした声で言った。

『あら、十緒子? んん、私ねえ。うっかり、切られちゃったの。ああもう、しまったな……あいつに、してやられるなんて』
「切ら、れた? ……あいつ?」
『怪異。お化け、って言えば、伝わる?』

 うふふ、と電話越しに華緒ちゃんが笑った。



つづく →<その11>はこちら

あなたに首ったけ顛末記<その10>
◇◇ 「逃げちゃダメだ」と云わないで ◇◇・了

(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)


【2023.02.21.】up.
【2023.09.29.】加筆修正
【2024.02.28.】一部修正


☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆

<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です

【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!

【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ


マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 ↑ 第一話から順番に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
 
↑ ”新着”タブで最新話順になります。

マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
 
↑ <その14>のあとに書いたのでその辺でお読みいただくと楽しいかも? 


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#逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ
#コレットは死ぬことにしたに影響受けた章タイトルかも

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