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あなたに首ったけ顛末記<その20・招かれざる客は丁重にもてなせ>【小説】

ご来店ありがとうございます。コチラは『異能もの現代ファンタジーラブコメ』女子向けライトノベルなお話の<その20>です。お口に合いそうでしたら、ひと口だけでもいかがでしょうか?

最初のお話:
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
前回のお話:
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
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+++
<その20>って。いつの間にか、20本目ですよ? どういうこと?
まーでも、妄想もここまで続けりゃ見上げたもんだと自画自賛、とはいえ、このあと何本書けばラストに辿り着くのかは五里霧中……。

この度も大量文字数の妄想にお付き合いくださり、誠にありがとうございます!
ではでは、ごゆっくりどうぞ~。


あなたに首ったけ顛末記<その20>

◇◇ 招かれざる客は丁重にもてなせ ◇◇

(22800字)

御崎十緒子みさきとおこ:絵を描くのが好き、幽体離脱で生き霊になりがちな、首フェチ27歳会社員女子。黒髪ロングふっくら頬の和顔。十匹の実体のないヘビを従者にしている。
水野春臣みずのはるおみ:十緒子にナイスバディと認められた体の持ち主、顔立ち濃い目、口が悪く霊感体質の27歳会社員男子。十緒子と付き合っている。

御崎華緒子みさきかおこ:十緒子の姉(正確にはハトコ)。十緒子と同じ能力者で従者は金色のヘビ、ハナ。
御崎玄みさきげん:十緒子の父親。十緒子と20年ぶりの再会を果たす。
御崎真緒子みさきまおこ:十緒子の母親。黒のヘビを従者に持つ。
御崎高緒みさきたかお:御崎家当主、十緒子の祖母。銀色ヘビを従者に持つ。
水野睦也みずのちかなり:春臣がチカと呼ぶ、春臣の従兄。
水野里香みずのりか:睦也の妻。十緒子が通うヘアサロンの店長。

十三匹のヘビ:人語を話す、手のひらサイズの実体のないヘビたち。それぞれ違う色の体を持つ。自身を蛇神に捧げた巫女(とみ)の選ばれた子孫の前に現れ、その子孫の”従者”となる。それぞれで様々な特殊能力を持っている。

・以下の十匹十色は十緒子の従者となっている。幼少時の十緒子がそれぞれの色に合わせて名付けた。登場順:白(しーちゃん)/紫(むーちゃん)/青(あおちゃん)/赤(べにちゃん)/灰(はーちゃん)/茶色(ちゃーちゃん)/桃(もーちゃん)/緑(みーちゃん)/黄色(きーちゃん)/橙(だいちゃん

・金色ヘビ:華緒子の従者でハナと名付けられている。
・銀色ヘビ:高緒の従者。
・黒のヘビ:真緒子の従者(詳しくは→ 『闇呼ぶ声のするほうへ』)。

<1>水野春臣も狼に変わりますか?

(5400字)

 色恋だの、惚れた腫れただのを、心底鬱陶しいと思ってたってのに。

 そういうのに溺れ、振り回されている奴らのノロケ話を、例えば職場の付き合いなんかで、聞きたくもないのに聞かされるたび内心、小馬鹿にしていたくらいなのだが。

 そう、人を馬鹿にするのはよくない。馬鹿にするという行為はどうやら、無意識にブーメランを放つのとセットになっている。しかも、その瞬間は投げたことに気付かず、自身にぶっ刺さってから、それが戻ってきたと気付く……我ながらこれ、真理じゃねぇの? ってまぁ、誰かがどっかで、同じようなこと言ってるんだろうが。

 ……それというのも。
 いまの俺、水野春臣みずのはるおみの背中には大小のブーメランが、ずぶずぶと刺さっている。
 俺は奴らのように、他人にノロケたいとは思わないが、やってることは奴らと大差ない。ってか、もっと重くてしつこいような気もする。

 結局、それもこれも……あいつ、御崎十緒子みさきとおこのせいで。

 俺だってそれこそ、脱皮するくらい人格が変わってしまったんじゃねぇかって、自身に不安になることもある。かつての、面倒を避けるために人との付き合いを避けていた自分からすれば、あんなふうに痴話喧嘩して、挙句口説き直すとか……ヘビどものこと、怪異のことにしても、いまの状況は信じられねぇし、ありえねぇと思う。

 俺がおかしくなってたとして、だからそれはすべてあいつの、十緒子のせいであって、じゃあ、それなら。
 その責任はきっちり、十緒子に取ってもらおうじゃねぇか……なぁ?


◇◇◇

「あのね。おとーさんとおかあさん、離婚、してなかった!」

 土曜日の午後。俺んに泊まるときいつも使うボストンバッグをリビングで下ろし、手を洗って戻って来た十緒子が、唐突に言った。キッチンでコーヒーを淹れていた俺が顔を上げると、十緒子は笑顔で、ひどくうれしそうだった。

「訊くかどうか、私、すっごく悩んだのにさ? おとーさん、『苦労して結婚したのに、離婚なんかするわけないよ』なんて、あっさり言うんだもん。おかあさんにも電話で確認出来たんだけど、『黙っててごめんね』って、やっぱりなんか、軽い感じで言われちゃって……うん、でも、離婚してなくてよかったんだけど!」

 ものすごくうれしそうで……しかし唐突だな。なんで……あぁ、いや、そうか。俺は昨日までの十緒子の様子を思い出し、自問自答にぼんやりとした解答を得る。

 先日の、俺と十緒子のあの痴話喧嘩や、怪異とのなんやかやがあった、次の日から。
 俺らは連休中の出来事を、朝の電車や会社までの道のり、昼の社食、仕事帰りに並んで歩きながら、細切れに報告し合っていた。
 十緒子が連休中に開けたピアスのことは、真っ先に俺から訊いた。

『おとーさんがね、ピアス開けてて。それって実は、おかあさんからもらったピアスで、私、ちっちゃい頃にそれ見て、いいなあ、って言ってたの、思い出して。そんな話してたら、誕生日プレゼントでピアス、おとーさんからもらうことになって。だから開けたんだ』

『華緒ちゃんに付き合ってもらって、病院に行って……開けるとき、ちょっとだけ怖かった! このファーストピアスが落ち着いたら、おとーさんにもらったピアス、着けてくるね』

『華緒ちゃんてば、さ。お仕事って言ってたのに、『予定変更しちゃお』ってショッピングになっちゃって。またお洋服買ってもらっちゃったよ……』

『写真! 私の6歳までの写真、私に隠してたのが、たくさんあるんだって! おとーさんとおかあさんと一緒に写ってるのもあるから、今度持ってきてくれるって!』

 俺が俺のことをあまり話さなかったのもあり、ほとんど十緒子の話になっていたのだが。それでもさすがに『離婚』の話は、平日の合間合間では、話しづらかったのだろう。
 だが十緒子は、ここへ来ていちばんに、俺にそれを話さずにはいられなくて……。

 ローテーブルにコーヒーを運び、ソファに並んで座ったところで。
 俺は十緒子に、俺が勝手に得た答えを確かめるように、言った。

「おまえ、離婚のこと。ずっと気にしてたんだな」
「……うん。でもね、対外的には離婚したことにしてたんだって。そうやって……私のせいでおとーさんは、いろんな人に嘘を言って。おとーさんだけじゃなくって、おかーさんも、華緒ちゃんもおばあさまも、私のこと、守ってくれてた」

 十緒子が『私のせいで』と言うのは、十緒子が能力ごと記憶を封印されて、その原因が十緒子自身の能力の暴走にあるからだ。
 十緒子の父、御崎玄は、自身の存在により十緒子の封印された記憶が戻ってしまわないよう、身を隠すために、そうせざるを得なかった。
 それは十緒子のせいではない、御崎玄からもそう説明され、だからといって、十緒子が罪悪感を持たずにいられるわけでもない。

 十緒子が、膝を抱えて俺に寄りかかってきた。

「ほんとは、これ……月曜日に、いちばんに話したかったんだ」
「……悪かった」

 肩に手を回し頭を寄せようとしたところで、十緒子が体を起こして、俺に向き直った。

「ずっと、私ばっかり話、聞いてもらってるよね? 展望台で言ってた……訊きたいこと? あと、言い足りなかったことって、なに?」

 『なに?』って。そんな無防備に訊かれても、だな。
 ……わかってねぇな、とは思っていたが。

 俺にあんなこっぱずかしい告白させておいて『タダで済むと思うな』と、はっきり言ったんだがな? 確かに、十緒子を不安にさせた俺がわりいんだけども、いや、おまえが言外に要求してきたからこその、アレだろ?

 ことばだけじゃ言い足りねぇからこその、『週末覚悟しとけ』だったんだが。そういう『覚悟』は……やっぱ、してねぇんだろうなぁ……遠回し過ぎたか? いや、十緒子の油断、それとも俺への信用?

 まぁどちらにせよ、この流れで。
 この赤ずきんチャンを、頭から丸呑みにするわけにもいかない。

「あー……いや。俺のはいまじゃなくて、もう少しあとで……あぁ、そういや、おまえも『訊きたいこと、いっぱいある』んだっけ? この際なんでも訊け、ってか、そんなもん溜めんな」
「そう、だよね……うん、わかった! でも、えっと、どうしよ……なにから訊いたらいいかなっ?」

 最初に訊かれたのは、料理のことだった。コーヒーを飲みながら、飲み終わってそれを片付けたり、これから食べる夕飯の下ごしらえをはじめたりしながら俺は、十緒子の「どうしてそんなに料理が上手なの?」という質問への答えを、かいつまんで話した。

 両親を失くし、父の兄である叔父の家に引き取られ、叔父と、叔父の息子の睦也ちかなりと三人で暮らすことになった中学生のときに、必要に迫られて料理をはじめたこと。
 そして高校入学からは叔父と離れ、チカと二人で暮らすことになり、さらに俺が大学生の頃チカが里香さんと入籍し、なぜか俺もそのままふたりと同居する羽目になったこと、なんかを。

「チカも里香さんも……奴らふたりとも、家事全般まったく出来ねぇんだ。チカにめられて同居したようなモンなんだが、俺も金なかったし、家事労働で家賃相当払やいいか、って割り切ることにした。けど奴らときたら、出来ねぇくせにあれ食べたいだのこれ作れだの……そんなこんなで鍛えられたのもあるし、俺もまぁ、料理すんのは苦にならなかったんだよな。べつに上手とは思わねぇけど、料理本やネットなんかで調べて、手順通りにやりゃ出来るし」

「そもそもチカは、俺が引き取られたときから、容赦なく俺をからかい倒してきて……奴のせいで、しなくていい苦労を散々してきたからな。ムカつくことに、借りもある。10コ上とは思えねぇ、大人げねぇし、ほんとクソだな、あいつは」

 思えば、必要以上のことをしゃべっていて。
 十緒子が聞きたがったせいと、まぁ俺自身も、鬱憤が溜まっていたのかもしれない。

「チカがなんで、バスソルトなんかを俺に寄こしたか? おまえ、そんなん気にしてたのか?
 ……まぁいいけど、大した話じゃねぇ、ただの嫌がらせだ。
 俺は霊感体質のせいで、頻繁にじゃや霊にアテられたり、憑依ひょういされてたりしてたんだが、まだ自分で護符を扱えなかった頃なんか特に、チカに頼るしかなかったんだ。

 あ? あぁ、そういや話したことなかったな。奴は叔父さんの跡を継いで、祓い屋を生業なりわいとしてる。俺もそれを部分的に教わって、だから護符を施したり、結界を張ったりが出来る。
 ……奴が、師匠? いや? 俺は叔父さんにほとんどを教わったし? まぁ奴も、俺に教えようとしてたみてぇだけど……いやあれは、やっぱり嫌がらせでしかなかったな……」

「それで……バスソルトな。
 憑依には風呂がいい、特に酒風呂、塩風呂が効くから試せ、って奴が、目についたモンを片っ端から買ってきて、俺に寄こしたんだ。酒も塩もバスソルトも、何種類も……そもそも塩風呂とバスソルト入れた風呂を一緒くたにする奴の考えも、俺にはよくわからないんだが。

 そうやって何種類も買ってきたのは、それぞれで効果が違うんじゃないか、それが知りたかったんだと。
 俺は憑依されて体調崩すたび湯船に沈められて、チカに効果を訊かれ……気がつきゃ奴の実験台、モルモットにされてたってわけだ」

「タチわりいのは奴の言動、どこまでがマジで、どっからふざけてんのか、こっちにはさっぱりわかんねぇってのが……けど結局、大半は、俺が動揺すんのを面白がってるだけだと理解したからな。はじめのうち、それに気付けなかった俺にも、クソ腹が立つ。

 チカが護符を出してくんのは風呂のあと、落ち切らなかった憑依をそれで祓って、なんで最初からそれを出さねぇのか訊いても、奴は俺のためだ、とか言いながら、ヘラヘラ笑ってたんだ。
 護符を覚えたいまとなってみりゃ……当時の俺に対する奴の匙加減がわかって、さらにムカついたわ」

「……バスソルトの話だったよな。
 要するに奴のせいで、酒と塩、それにバスソルトを、大量に在庫する羽目になったってことだよ。
 奴が俺に押し付けてきたのは、それだけじゃなく、っ、……とにかく、酒はひたすら飲んで、奴らにも飲ませて……ああ、俺がそこそこ飲めるのは、そのせいかもな。あとは料理で使って、塩もほとんど料理で使い切ったな」

「それで。バスソルトはしょうがない、まんま少しずつ消費してたんだが。
 そうしたら奴がまた、ことあるごとにプレゼントだとか言って、バスソルトを押し付けてきやがって……俺はもう護符を扱えるようになってんのに、だぞ?
 訊けば、俺が風呂好きで、バスソルトをよく使ってたから、って……嫌がらせでしかねぇだろ? ったく、思い出すだけでもムカつくわ」

「……は? それで、どの風呂がいちばん、憑依に効き目があったか? そんなん、べつに……。
 あぁ、そうだ。なんならおまえも、試してみれば? 憑依云々うんぬんはともかく、使い切りてぇし、好きなの選べよ」

 で。十緒子がワクワクした顔で選んだのは、いくつかの香木のオイルがブレンドされた、森林浴をイメージしたバスソルトだったのだが。

「なぁ。それで……バスソルト、おまえは、どう?」

 俺は目の前の、俺に背を向けて膝を抱える十緒子に、言った。

「俺の個人的感想としては、どのバスソルトも、塩だの酒だのも悪かねぇ。そもそも、水に触れる、湯船に浸かるって行為全般が、気のいんようを整えるのには有効で、憑依を振りほどく助けになると思う。で、おまえは? そっち方面になんらかの効き目、ありそうか?」
「…………」

 黙ったまま、膝をぎゅっと抱きしめて石のように固まる十緒子に、俺は容赦なく言ってやる。

「いいかげん、こっち向けよ。それかそっち向いたままでいいから、俺に寄っかかって、肩の力抜くくらいは……」
「っ、どっちも無理っ! っていうか、なんで?!」
「なんで、って。メシの前に風呂入る、って言ったのは、おまえだろ?」
「そうじゃなくって! だって、後から入ってくるとか、ひと言も言ってなかった!」
「入らないとも、言ってなかったけどな?」
「っっっ! そんなのっ、」
「なんで? ここへ来ていまさらそういう反応すんの、よくわかんねぇんだけど?」
「だ、だってこんな、明るいトコとかって……っ、嘘ウソっ、絶対絶対、わかってるよね?」
「フッ、なおさらだ、明るいトコで俺のカラダ、観たくねぇの?」
「そりゃ、っ、じゃなくてっ、でもっ、」
「……あぁでも。首、ね。なるほど、悪くねぇな」
「へっ? 悪くない? なにが?」
「うなじ。おまえがこうやって髪あげてなきゃ、見えねぇし。ふーん……」
「え、あの……?」

 俺が十緒子の肩を引き寄せ、うなじに唇を這わせると、十緒子の「うきゃあっ」という声と跳ねる水音が、浴室内に響く。そうやって体がゆるんだところで十緒子の腹に手を回し、背を受け止めるようにして、十緒子を抱えてやった。

「これならバスソルト、使い切れそうだな。協力してくれんの、助かるわ。おい、聞いてんのか、十緒子?」
「……肉を切らせて、骨を断つ……? っ、いやいや、こんなの上級者コースでしかない……っていうか……熱い。のぼせた、か、も……」
「のぼせた? いや、逃げようとしたって……十緒子? マジか?」



<2>御崎十緒子・オニイサンなんか怖くない(1)

(6400字)

 あつぅ……。
 ぼーっとした頭で、持たされたスポーツドリンクのペットボトルを、ほっぺに当てる。
 冷たいのが、すっごく気持ちいい……おでこや首にも当てながら、自分の体の内側からホクホクッと湧いてくる熱の存在を感じる。

 茹で過ぎ。オーバーボイル。冷やしスパゲッティにするときは一分オーバーボイルで。冷やすときパスタの身が締まって硬くなるから。なら、茹で立てオーバーボイルの私も、こうして冷やせば、小顔になれないこともないはず……?

 ……じゃなくて。
 でも、バイト時代に覚えたレシピを思い出したり、しょうもないことを考えたりするくらいには、頭が復活したかもしれない。

 気がつけば私は、バスタオルを敷いたソファにびろーんと、無防備に身を預けていて。
 顔をどうにか上げると、バルコニーから見える空は曇っていて、開けられた掃き出し窓から入る風が、カーテンをわずかに揺らしている。

 その風とは別に。私を冷やすための風が、目の前で宙に浮く灰ヘビ・はーちゃんによって、冷風ドライヤーのように私の顔や首筋に、効率よく当てられていた。
 はーちゃんの透き通って光る灰色の体全体から、風が起こり、吹いて……。

(まだ顔が赤いわ。少し強めの風にするわね)
「はーちゃん……ありがと」

 はーちゃんの風を受けながら、徐々に頭がはっきりとしてきた私は。
 ゆっくりと身を起こしてみたところで、恐ろしいことに気付いてしまった。

 ぱんつ、は?
 え? 私、Tシャツだけしか着てないって、え?
 この、ちょっとおっきなTシャツは、春臣の……。

 ………回想、してみると。

 バスソルトの入ったお風呂を楽しんでいたら、春臣が入って来て。
 すぐ横で体を洗いはじめて、それから湯船に入ってくるまで、私は彼のほうに顔が向けられず、湯船から体を出すことも出来ず。

 んで、のぼせて。

 春臣に体を支えられながら、お風呂から出て。
 バスタオルで、ざざざっと体拭かれて?
 冷たいタオル、水で絞ったのかな? を、顔に当てられて。
 そのあとなんか言われながら、がばっ、っと頭からかぶせられたのが、このTシャツ。

 で、そのままリビングに連れてこられ、タオル敷いたソファに『座れ』って言われて。
 春臣が窓を開けて『風あんまねぇな。クーラー付けるか?』と言ったのを受けて、『風? はーちゃん?』と私がぼーっとしながら、はーちゃんを呼んでしまって?
 キッチンから戻って来た彼にスポドリを飲まされ、別のもう一本持たされて……。

 はい。回想、終わり。

 頑張って、思い出してみたけど。
 うん。ぱんつ、出てこなかったね?

 太ももの半分くらいまでしかないTシャツの裾に目を落とし、その事実と下半身の心もとなさに愕然としていると、頭上から声がした。

「おい、顔上げろ」

 言われたまま顔を上げるとそこに、春臣の上半身があって。
 おでこにヒヤッ、とした感覚があって、顔をさらに上に向けると、私の顔を凝視する春臣の視線にぶつかった。

「もう大丈夫そうだけど、貼っとけ」

 私のおでこに冷却シートを貼ってくれた春臣は、固まっている私にかまわず、ソファの前のローテーブルに置いていた冷却シートのフィルムごみをつかんで、立ち上がって行ってしまった。
 なにかを手にすぐに戻って来た彼は、ローテーブルにそれを置いてから、まだ固まっていた私の前で膝立ちになり、私の手からペットボトルを取り上げる。

「水分補給しろ、ほら」

 パキ、と口を開けたペットボトルを渡され、うながされるまま、スポドリを飲み。
 彼の上半身、ルームパンツだけ穿いて上になんにも着ていないっていう、そこから目を離せなくなってしまっていた私に、彼が言った。

「まだ、ぼーっとしてるよな。頭痛ぇとか、気持ちわりいとかは?」
「う、ううん、だいじょぶ、平気」
「部屋着。風呂入る前に、置いてたヤツ。そのまんまここ、置いとくからな。あぁ、そのままの格好がいいならそれでも、って、おまえ、もうそんな余裕ねぇよな」

 そして春臣は新しいタオルを私に渡し、ソファに敷いていたタオルを回収して、「片してくっから。もう少しそこで伸びてろ。灰色、なんかあったらすぐ知らせろよ」と言って、リビングを出て行った。

 ローテーブルに置かれた部屋着、そのいちばん上に、ブラと一緒に鎮座するぱんつを見つけた私は、すん、と冷静になって。
 まず、そのすぐ横に置かれていた、スポドリのキャップを取ってきっちりと栓をしてからペットボトルを置き。空いた手でぱんつを取り上げて穿き、ブラを着け、続けて部屋着のロングスカートと長袖のカットソーを身に着けて、脱いだTシャツは軽くたたんで、ローテーブルに置いて。髪をまとめていたヘアバンドとゴムをいったん解いて、簡単な一つ結びに結び直し。
 その間も、はーちゃんはずっと風を送ってくれていて、おかげでのぼせた熱もすっかり引いたのだけれど。

 いましがた目に飛び込んできた、春臣の胸板から首筋にかけて、の、残像。
 その胸板の、さっき湯船で直に背中に触れたときの感覚。
 その春臣の前で、ぱんつナシ・ブラナシで春臣のTシャツ着ちゃってる、つまり彼シャツ状態だった自分。
 彼にばっちり見られてしまった、ぱんつそのもの、おまけにブラ。
 の、前に。ワタクシの本体そのものも、ばっちりと……。

 ……いやいやいや。

『なんで? ここへ来ていまさらそういう反応すんの、よくわかんねぇんだけど?』

 私もね、いまさらとは思わなくもないけど、でも。
 そんなすぐに慣れるものでもないと、思うんだ?
 っていうか、春臣が!
 なんでか最近、私のこと困らせようとしてるよね?
 急に耳元に口寄せて、そこでしゃべるとか、さ?
 挙句、お風呂場にいきなり登場、だなんてもう……困るし、すっごくすっごく、びっくりした!
 そう、突然ってのがよくない、心臓に悪い!
 事前にお知らせとか、前もって相談とか、してほしかったよ?

 …………。
 ん、あれ?
 それってつまり。
 突然じゃなかったらべつに、よかった、ってこと?
 いや、よくない、よくないこともない、けど……あれ?

 ローテーブルに置いていた、スポドリを取り上げ。
 カカカカッ、と顔に昇ってくる熱にペットボトルを当てながら、私はまたソファに倒れ込んだ。

「恥ずかしいのに……えっちだ、私……」
(十緒子? また赤くなってるわね?)


◇◇◇

「いい香りがする……」

 ソファに転がりながら無意識に、つぶやいてた。
 自分の手や体から香る、さっきまで浸かっていた、バスソルトの残り香。
 普段、湯船なんて溜めない私にとっては贅沢な、いいお風呂だったな。
 森林浴をイメージした香り。そう、この香りは、なんだか……。

「……みーちゃんの香り、っぽい?」

 ポンッ、と音がしたところで。
 私はソファからゆっくりと身を起こし、すぐ目の前に浮かぶ、緑ヘビ・みーちゃんに向き合うようにして座った。

(呼んだか、十緒子?)
「みーちゃん。呼んじゃったね、うん、みーちゃんのこと、思い出したんだ。お風呂の香りでね、ほら」

 手を差し出すと、みーちゃんが顔を寄せ、フンフンと頭を上下に、小刻みに揺らす。と、送風を止めていたはーちゃんも、みーちゃんのすぐ隣にポンッ、と飛んできて、同じ仕草でバスソルトの残り香をスンスンと嗅ぎ出した。

(灰のは、何故なにゆえここに?)
(ワタシも十緒子に呼ばれたの。お風呂で、のぼせてしまったのですって)
(大事はないようだな。多少駆け足のようだが、落ち着いた音だ)

 みーちゃんが言ってる『音』は、心臓の、ってことなんだけど。
 うん、まあ……さっきまで、大暴れだったんだけどね……。
 それより。のぼせたのも引いて落ち着いたんだし、春臣を手伝いにいったほうがいいよね。
 床、ビッショビショにしちゃったはず。春臣に支えられて、バスルームから出たとき……ふたりとも、真っで……。

 ううう、と唸りながら頭を抱え、何度目になるのかわからない羞恥心の襲来に悶えていると、ピーンポーン、と高らかに、インターホンのチャイムが鳴った。
 けど、春臣が出て来ない。インターホンの画面のすぐ後ろが、バスルームに続く洗面台のある部屋なんだけど。気付いてないのかな?

 リビングのソファから立ち上がり歩いていって、キッチンの向かい側の引き戸に、手をかけようとして。ふと目を向けたインターホンの画面に、見覚えのある人物がいる。

 あれ、この人って。
 画面が消え、しばらくしてすぐにまたチャイムが鳴り、エントランスにいるその人が、画面に現れる。
 後ろで結わえた長いストレートの髪を垂らして、四角いフレームのメガネをかけた、イケメンな男性。
 やっぱりそうだ。
 里香さんの美容室で会った、睦也ちかなりさん。
 さっきの、春臣の話にもたくさん出てきた、彼のお兄さん。あ、ほんとはイトコ、なんだよね。

 勝手に応答するのもどうかと思うけど、彼のお兄さんだし、私も一応顔見知りではあるし。
 お待たせしてしまうより、とりあえず私が出ちゃったほうがいい……かな?

 ドキドキしながらインターホンの操作パネルの通話ボタンを押し、「はい、御崎です」と応えてみる。
 すると、睦也さんが目を見開いて、きょとん、としてる様子が、画面越しなのに伝わってきて……はっ、私、いまっ!

「ま、間違えましたっ! 水野、みずの、ですっ!」
『ぶっ、ハッ』

 睦也さんは吹き出したその口を手で押さえ、下を向いてしまわれて。
 長い髪に隠れて表情が見えないけど、体全体が小刻みに震えている。
 いたたまれない……泣いてもいいかな?

『御崎さんかぁ。春くんは? いるんだよね?』

 少しして顔を上げた睦也さんが、片手でメガネをずらしつつ、その指で目尻を拭いながら言った。

「はい、います」
『そっか。お邪魔してもいいかな?』
「っ、はい!」
『……そうしたら、解錠、ってところ、押してくれる?』

 あっ、そっか! こっちで操作しないと睦也さん、エントランスからこっちに、入れないんじゃん。
 操作パネルの解錠ボタンを見つけて押すと、睦也さんが手を振りながら画面の外に消えた。
 あああ……私、やらかしてばっかり、もおぉ……。

(あらあら。あのときのあのコね)

 私のすぐ横に来ていたはーちゃんが言うと、同じようにそのすぐ隣にいたみーちゃんが首をかしげた。

(あのときの、とは?)
(十緒子が髪を切りに行ったときに会ったのよ。春臣の血縁ね。ワタシもそのとき、彼に挨拶したわ)
(ほう、我らが視えるのだな? 十緒子、我はこの者に姿を見せてよいのか?)
「へ?」
(あの子なら大丈夫よ。ね、十緒子?)

 うーん。みーちゃんの姿を見せても、だいじょぶかどうか?
 だいじょぶもなにも……その前に、私、は?
 よーく思い出してみれば、睦也さんとの初対面って実は、私が生き霊になっちゃってたとき、で。
 で、そのあと、里香さんの美容室でお会いしたときも、生き霊になって睦也さんのお宅に不法侵入しちゃってたこと、謝れてなかったりするんだよね……。

「だいじょぶ、かなあ……」
(そうか。それはそうと、十緒子、迎えはよいのか?)
「え、あっ、そうだよね」

 春臣がいる扉の向こうから、シャワーと洗濯機の音が聞こえる。
 そうだよ、私が玄関の鍵開けないと、またお待たせしちゃうじゃん。
 しっかりしなくては!

 廊下に出るドアを開け。小走りに玄関へ向かう途中で、玄関のドアチャイムが鳴ってしまい、私はあわてて鍵を開け、玄関ドアを押し開けた。
 扉の向こうに、ニッコリと笑顔を浮かべる睦也さんがいて、ドアを持ってくれたところで私は一、ニ歩下がって、睦也さんと向かい合う形で玄関に立った。

「お待たせしちゃって、すみませんっ」
「フフッ、待ってないよ? 久しぶりだね、御崎さん。……ん、熱?」
「ねつ?」

 意味がわからなくて首をかしげている間に、睦也さんの後ろでカチャン、とドアが閉まり。
 ……あっ。
 おでこの冷却シート、貼りっぱなしだった!
 ワタワタとおでこに手をやり、冷却シートを剥がしたけど、すでに意味がない。

「こっ、これは熱じゃなくて、その、お風呂でのぼせちゃって、」
「ん? いや、体調が悪いとか、そういうのじゃなきゃ、いいんだ、けど……」

 睦也さんのことばが途切れ、その視線はいつの間にか、私の背後にあって。
 荷物でふさがっていなかった片手でメガネをずらし、睦也さんがつぶやいた。

「二匹……」
(お久しぶりね)
(お初にお目にかかる。我も十緒子の従者、以後よろしく頼む)
「…………」

 睦也さんはしばらく無言で、はーちゃんとみーちゃんを見つめていたのだけど、やがて「フフッ」と笑い声を漏らし、言った。

「はい。こちらこそ、よろしく頼みます。あっ、そうだ御崎さん、これおみやげ」
「えっ? あ、はい、えっと、ありがとうございます?」

 睦也さんに、真っ白で丈夫そうな紙袋を渡され、中に白い箱が入っているのが見えたのを受け取ったところで、廊下から声がして。

「十緒子? そっちいんのか、なんで玄関開けたん、」

 振り返ると、上半身にちゃんとTシャツを着、首にタオルをかけた、春臣がいて。絶句して固まってしまった春臣に、睦也さんが言った。

「春くん、久しぶり。お邪魔してるよ」
「……なんでここに、おまえが……っ、確かに邪魔だ。とっとと帰れ」
「えぇー、冷たいなあ。そう思うよね、御崎さん」
「えっ、は、はい」
「ほらー、御崎さんもこう言ってることだし、ちょっとくらい話そうよ」
「うるせぇ、なにしに来たんだ、話すことなんかねぇだろ?」
「あるよ? 連休中のこととか、これも渡したかったし。あといつもの僕の勘、なにか呼ばれたような気がしたんだけど、僕のこと、話してなかった?」
「っ、呼んでねぇし。これからこいつとメシなんだ、遠慮しろ」

 びっくりするくらい容赦のない春臣と、そんな春臣にまったく怯まない睦也さん。
 ええっと、私はいったい、どうしたら……。

「えー、いーなあ。僕もおなかすいたな。里香にさ、春くんの太巻き久しぶりに食べた、って自慢されたんだよ。僕も食べたい。待ってるから、作ってよ」
「いまこれから太巻き作れとか、相変わらずイカれた思考回路だな」
「じゃあ、太巻きじゃなくてもいいよー。ごはん食べたら、さっさと帰るからさ? フフッ、ふたりの邪魔なんかしないよ。でもほら、御崎さんのことも、ちょっと休憩させてあげないと。ガッツくばっかりじゃ、ねぇ?」
「はぁ? なに、」
「のぼせるまでお風呂で引き止める、とか。女の子を春くんの体力に付き合わせちゃ、ダメだろう?」

 しん、と音がしたような、空間。
 春臣がまた絶句してて、私は睦也さんの言ったことを、考え、て……。

 ……あ。
 そっか、私さっき『お風呂でのぼせた』って、言っちゃってて。
 春臣の髪、まだしっとりしてるってわかるし、だから、見るからにお風呂上がりで。
 それで、睦也さんは……そういう解釈、に……?

「……っ、おまえ、なにを、」
(あらあら、そういうことだったのね。十緒子もたいへんね)
(春臣。わかるが、少し加減してやってはくれまいか?)
「なっ、俺らは、…………チッ」

 はーちゃんとみーちゃんに、たしなめるようにことばを遮られた春臣は、こぶしを握り、眉間にかつてないほどのシワを寄せ……舌打ちをしたきり、黙ってしまい。
 そんな春臣と、ずっとニコニコ顔の睦也さんを左右、横目に見ながら、私はここでどうするべきなのか、さっぱりわかんないでいた。

 え、これって、否定するべき? でもそれこそが失言になっちゃわない?
 うう、それに……顔が、すっごく熱い。体の奥底から再々沸騰してきた羞恥心が、私の顔面で吹きこぼれてる。
 どうしたらいいの、これ?



<3>御崎十緒子・オニイサンなんか怖くない(2)

(5100字)

「やった、オムライス。とろとろだね、里香に自慢してやろうっと」

 睦也さんはそう言ってスマホを取り出し、私がキッチンのカウンターからダイニングテーブルに運んだオムライスの皿を動かし角度を変え、小さいボウルに盛り付けたサラダと一緒にパシャリと撮ってから、スマホを操作する。
 もう一皿を運んだところで春臣が「先に食ってろ」と私に言い、すると睦也さんが「じゃあ遠慮なく、いただきまーす」と言って、スプーンを取り上げた。

「おまえに言ってねぇ、けど、とっとと食い終わって、早く帰れ」
「御崎さんも! あったかいうちに食べたほうがいいよ?」
「あ、はい。いただきます……」

 盛り付けてからナイフをスッ、と引かれたオムレツが、ケチャップ色のチキンライスの上で、トロ~リなだれを起こしたオムライス。スプーンでひと口すくって頬張り、はふはふニコニコしてる睦也さんは、とってもうれしそうで……。
 10歳年上、ってことは37歳、かあ。外見からするともっと若く感じるし、それよりもさっきからの言動が……言ってしまえば、少年のような無邪気さ、というヤツなのかもしれない。

 さっきの、春臣と私を撃沈した爆弾発言のあとも。それをまったく気にせず、「スリッパ借りるね」と玄関の収納から取り出して履き、スタスタとリビングへ行ってしまうし。

 いろいろ諦めた春臣がキッチンに立つと、冷蔵庫から白ワインのボトルを見つけて開け、グラスも三つ出してきて、ワインを注ぎ、強引に乾杯してしまったり。

 ワイングラス片手に私をダイニングにうながして、「春くんてばさぁ、ここの、このマンションの鍵、持たせてくれないんだ。僕も里香も元々は一緒に、ここに住んでたのに……あぁ、それは春くんから聞いた? でね、引っ越してしばらくしたら、前に使ってた鍵、使えなくしちゃたんだよ、ひどいよね? だから今日は本当に、御崎さんがいてくれてよかったよ。春くんなんか平気で居留守使って、出てくれないからね!」なんて話を、教えてくれたりして。

 お風呂の前に聞いたばっかりの、春臣の話もあって……さっきは春臣の話と、お店でお会いした睦也さんとがいまいち一致してなかったんだけど、実際目の当たりにして、よくわかったというか。

 そんな睦也さんとダイニングテーブルに向かい合って座った私は、スプーンを手に取り上げたまま、睦也さんのことを眺めてしまっていたようで。

「すっごくおいしいよ。御崎さん、食べないの?」
「え? あ、いえ、」

 うながされて、ひと口食べ……ほんとだ、すっごくおいしい、わかってたけど!
 おいしさに気を取られ、気付けば無言で食べ進めていて。
 しばらくしてふと、睦也さんの視線に気付いた。

 さっきまでそこにいた、無邪気な少年の面影はどこへやら、自分よりずっと年上の、オトナな男の人がそこにいて。オムライスを口に運ぶ私を見て、なんでだか微笑みを浮かべている睦也さんに、ソワソワしてしまう。

 睦也さんは。どことなく春臣と似ているのだけど、そこまで濃い顔立ちではなく、というか、春臣より色白で線が細い。サラサラの長い前髪、それを含めて、髪は無造作に後ろでひとつに束ねていて、四角いフレームのメガネの奥にある目は、春臣よりもずっと切れ長だ。
 違う系統でイケメンな兄弟、かあ……よく考えたら、なんて贅沢な空間なんだ。

『僕もね、春くんと同じ霊感体質で、それを生かした仕事をしてるんだ』

 そういえば。睦也さんはあのとき、そんなふうに教えてくれたっけ。春臣からは、さっき聞いたばかりで。

『奴は叔父さんの跡を継いで、祓い屋を生業なりわいとしてる』

 ……そう。そうそう、祓い屋さんって感じ、すっごくする。
 いま着てる爽やかなシャツとジャケットじゃなくって、例えば黒づくめとか、お着物なんかだったら、もっと……。
 全体の雰囲気、ううん、やっぱその、長い黒髪が、すっごくそれっぽい気がするっ。
 こう、二次元世界の人物が、現世に顕現しちゃった、みたいな?
 術師のヒトが髪の毛を術に使うからって、切らないでいたりなんかしてさ?

 見られ続けてるソワソワと、好奇心のムズムズが手を取り合い。
 私はスプーンを置いて、口を開いた。

「……あの、睦也さん、は、」

 お兄さん、ってのもヘンだし、でも名前でお呼びしてもいいものだろうか、と思いつつ。けど睦也さんは、微笑んだままなにも言わずに小首をかしげたので、私はそのまま続けた。

「祓い屋さん、なんですよね?」
「うん、そうだよ」
「祓い屋さんだから髪の毛、長いんですか?」

 ……って、わあ。
 言っちゃってから急に、我に返ったんですが。
 私ってば、いったいなにを口走ってしまった?

「す、すみません、思ったことそのまま口に出してしまって、」 
「べつにかまわないよ? 髪長いの、気になる?」
「っ、ヘンな意味じゃないんです、その、マンガとかに出てくる……祓い屋さんみたい、だな、なんて……」

 尻すぼみになりながらも、素直に言い切るしかなく。どうして、しゃべり出してからじゃないと気付けないかな……本職の方に、二次元ぽいですね! って言っちゃうとか、うう、恥ずかしい、また余計なことを……。

「フフッ。いや、その通りだよ。髪を伸ばしているのはそういう類の、世間の祓い屋のイメージに寄せたいからだし」
「……? 『寄せたいから』?」
「こういう見てくれだと、お客さんがすぐに納得して、信頼してくれるんだ。はじめは単に里香の趣味に付き合ってただけなんだけど、お客さんのウケがよくって、仕事がやりやすくなってさ。小道具もいろいろ試したけど、手袋着けると反応がいいんだよね。このメガネもそう。つまんないことなんだけど、説得力が違うんだよねぇ」

 ふわあ。メガネと、手袋っ。

「御崎さんもこういうの、好きなんだ?」

 言いながらスプーンを置いた手で、背中に垂らしていた髪をつかんで、私に振って見せて。
 頭を軽くかたむけた状態、斜めな上目遣いで私に向かって微笑む、とか……んな、なんて破壊力、二次元でしか会えないと思ってた祓い屋さんの、イケメン実写版スチルって! 脳内保存っ、でも直視ツラい、頑張れ私、あと一秒くらいは……!

 そんな意識飛びそうなスチルは、睦也さんが髪から手を離したところで終了し。
 姿勢を軽く直して、今度はまっすぐに私を見つめながら、睦也さんが言った。

「けど、少し不思議な質問だね?」
「っ、やっぱり失礼なこと言っちゃいましたよね、すみませんっ」
「いやいや、そうじゃなくて。だってね、御崎さんのおウチだって、祓い屋、やってるでしょう?」

 ……ええと。
 そういえば、確かにそうだ。
 華緒ちゃんと、おかーさんと、おばあさま。
 あと、おとーさんも、サポートって形で関わってるんだって、この前聞いたばっかりで。

 そっかー、なぁんだ、身近にいたんだ。灯台下暗しってヤツ? ヤダ~もう、アハハッ。
 ……なのに、睦也さんにそんなこと、訊いちゃったんですね、私?
 口から出るすべてが失言って、もうしゃべんないほうがいいよね……。
 そう思いつつも、私は睦也さんに、あれ? と思ったことを訊き返していた。

「ウチのこと、ご存じなんですか?」
「……知ってるも、なにも。この業界で、御崎家を知らない人はいないからね。御崎さんの家と関係が遠い僕の耳にも、活躍っぷりが入ってくるくらいだよ?」
「そう、なんですね……」

 ぜんぜん、知らなかった。
 華緒ちゃんも、おかーさんも、すごいんだなー……。

「君のおウチは、どんなふうに仕事を?」
「どんなふう、」
「なに探り入れてんだ」

 私のことばを遮るように、低い声が降ってきて。
 両手にお皿を持った春臣が、私と睦也さんを怖い顔で見下ろしていた。
 その両脇に、春臣のフライパンさばきを見学してた、みーちゃんとはーちゃんが浮かんでいる。
 睦也さんは、春臣から離れて私のほうへ移動する、みーちゃんとはーちゃんを見送りながら、ハハッ、と声を上げて笑い、春臣に答えた。

「やだな、世間話だよ?」
「いいから黙って食え。……ここ、置くからな」

 言いながら新しいオムライスを私のお皿の脇に置いた春臣は、私の隣の椅子に座りながら、もう一皿のオムライスを自分の前に置いた。

「あ、うん。ありがと」
「ふた皿食べるんだ? すごいね!」
「言っとくが、おまえの分はねぇからな」
「それは大丈夫、満足したし、買ってきたケーキもあるし」

 睦也さんが持ってきた、紙袋の中のあの白い箱は、ケーキの箱で。
 さっき春臣がそれを、すっごく嫌そうな顔をしながら、冷蔵庫に入れていた。

「……あれは、みやげなんだろ? まぁいい、食いたいならそのまま持って帰れ。大体な、俺は何度も、」
「そんなわけにはいかないよ。だってあれは、春くんのお誕生日ケーキなんだよ?」
「……あぁ?」

 一皿めを食べ終わって、お皿を入れ替えていた私は、『お誕生日ケーキ』というワードと、それに不穏な反応をする春臣が気になって顔を上げ、ふたりを見た。
 春臣の誕生日は先月、ゴールデンウィーク前で、三週間ほど前のことだったりするのだけど。

「ちょっと遅くなっちゃったけどね。連休中、里香を助けてくれた、お礼も兼ねて!」
「……俺は。甘いもんはいらねぇし、もう食えねぇんだと、毎回毎回言ってるはずなんだがな?」
「そんなこと言って春くん、昔から、全部食べてくれてたじゃないか」
「っ、お前らがすぐ、『飽きた』とか言うからだろ! 自分で食い切れねぇもん、買ってくんな! なんで毎回ホール……いやそれより、俺はお前らに一生分以上のケーキを食わされて、もううんざりなんだよ! いいかげん理解しやがれ、アホが!」
「春くんは真面目だからね。もったいないから捨てられない、ってちゃんと食べてくれるんだよ? いい子だろう? あ、御崎さんはケーキ、食べるよね?」

 これって、兄弟ゲンカ……じゃない、こともない?
 ついこの前、弟属性に目覚めたかもしれない私は内心、弟っぷりを発揮した春臣が見れちゃうのかなー、なんてことも思ってたりして、確かに、弟をからかう兄って感じも、するんだけども。
 でもなんか、ちょっと……春臣が不憫になってきた……。


 睦也さんが持ってきたケーキは、真っ白なホイップに囲まれた中に、丸い形のメロン果肉がふんだんに乗っかった、メロンのケーキだった。
 その目の覚めるような爽やかなグリーンの上に『春臣くんお誕生日おめでとう』と書かれた、チョコのプレートがのっかっていて。

 みーちゃんとはーちゃんがしげしげとそれをのぞきこんでいる中、春臣が温めた包丁で切り分けて、睦也さんには八分の一、私には四分の一カットを皿に盛った。

 私は遠慮なくメロンから食べはじめ、これたぶん、すっごくいいメロンだ、贅沢な甘さ……などと、存分に堪能していたのだけれど。

「春くんは? 食べないの?」
「おまえの耳、マジで節穴だな。……これ食ったら、絶対に帰れよ。もう用事はねぇだろ」
「まだ済んでないよ。僕は、春くんが持っていったものを取りに来たんだ。連休中、あの部屋を掃除してくれたのは、助かったけど。黙って持ち出すなんて、春くんらしくないね」

 メロンを頬張りながら睦也さんが和やかに言い、けど春臣は、ビクリ、と体を強張らせた。

「べつに咎めてるわけじゃないよ。重要な資料には目印に符を付けてるから、すぐ所在がわかるし。ただ、どうしてあれが必要になったのか、気になるじゃないか? そうだね、例えば、このヘビの方々に関係した、困ったことがあったからなのかもしれない、よね?」

 え? 『ヘビの方々』?
 それって、つまり……。

「っ、なんもねぇよ。勝手に持ち出したのは……悪かった」
「……ふうん。でもさ、『護符が効かない相手』だと、春くんが言ってたからね。その危険度を見極めておきたい、僕がそう思っても、おかしくはないだろう?」

 気がつけば睦也さんの雰囲気、気配が変わっていて。
 みーちゃんとはーちゃんが、すっ、と私の脇に移動してきたのがわかり、私はフォークから手を離し。

「ねぇ。春くんの護符が効かないのなら、僕のはどうかな? 試してみる価値、あるよね?」

 そう言って、まっすぐに、こちらを射貫くような視線を送ってくる睦也さんに、私の頭の中が、追いつかなくって。
 同じようにフォークを置き、テーブルの上で両手を組む睦也さんからも目が離せず、身動きが取れなくなってしまった。

 ……危険? ヘビのみんな、が?
 春臣は、それを。
 睦也さんに、相談してた?



<4>水野春臣・招かれざる客の置き土産

(5900字)

 十緒子、おまえ。こんな、バケモノよりもやっかいなモン、招き入れやがって。
 あのときの俺はそうやって、それを十緒子のせいにしていたのだが。
 あとから考えりゃ……チカ、水野睦也みずのちかなりを招いていたのは俺で、つまり、俺が奴に余計な情報を与えてしまっていたから、であって。

《春くん、ごめん! 春くんが御崎さんと土日、おウチデートしてるみたいだよって、昨日チカにポロっと言っちゃって。さっき出掛けていったんだけど、もしかしてそっちに行ってない?》

 スマホで受け取っていた里香さんからのメッセージ……俺が里香さんに話したことも、連休中俺がこっそり奴の資料を持ち出したことも。
 それになにより、俺がチカになんか……。

 とにかく、奴の好奇心を刺激して、奴を招かれざる客にしたのは、ほかならぬ俺だったのだ。


◇◇◇

「ねぇ。春くんの護符が効かないのなら、僕のはどうかな? 試してみる価値、あるよね?」

 ダイニングテーブルの向こう側から奴が、俺の隣に座る十緒子と、脇にいる緑ヘビ、灰色ヘビをまっすぐに見据える。昔からよく知っている、捉えどころがなく、なに考えてんのかさっぱりわからない奴の表情、それも奴の策のひとつなのだと、俺は知っている。
 怪異を前に動揺せず、冷静に相対すること。過去、奴の仕事に付き合わされる羽目になって、俺は散々文句を言いながらも、学んだことは確かに多かった。

 奴はいま、それとなく組んだ手の中に、符を何枚か忍ばせている。
 ……あのヘビどもに対抗出来るだけのものを、奴が持っている? いや、無駄なことだ。こいつらは神の遣い、なんだぞ? いくら先祖代々受け継がれてきた秘伝だからといって、通用するはず、ねぇだろ。

「うーん、でもどうしたら、試せるのかな? 春くんは前に、そちらのヘビの方々に術をかけられたんだよね? 護り、護符をしっかり施した状態で、でもそれが効かなかった。金縛りで動きを封じられたり、意識を落とされたり、物理的に吹っ飛ばされたり? すごい力だ……そちらの手加減がなかったら、春くん、どうなってたんだろうね?」

 奴は、なにを……言動から意図が読み取れずにいた俺は、ハッとして隣の、十緒子を見る。まっすぐにチカを見つめながらも、テーブルの上で、手を固く握りしめて……俺はその手を上から覆うようにしてつかみ、奴に言った。

「確かに、おまえにそんな話もしたな。あのときは俺も動揺してたからな。けどもう、なんの問題もねぇハナシだ。俺がアホなことしたから術をかけられただけで、俺はもうそんなことはしねぇし。護符が効かねぇのは、まぁ……たぶん、こいつらに限ったことだ。おまえの仕事に支障はねぇし、試す必要もねぇだろ」
「春くんは、なにをしたの? ……そうだね、たぶんきっと、ヘビを使役している本人に、なにかをしてしまった。そういうことだよね?」

 チッ。余計なこと言うんじゃなかった。ヘンなとこに喰いついてきやがって。
 俺がにらみつけるのも気にせず、奴は続けた。

「それなら、じゃあ。僕が御崎さんになにか仕掛けたら、ヘビは僕を排除しようとするかな?」
「っ、チカおまえ、なにを、」
「それとも。春くんをどうにかしてみようか? 御崎さんはやさしいから、春くんを助けようとして、ヘビの方々を差し向けるかもしれないね? どうかな?」

 緑ヘビと灰色ヘビはダイニングテーブルに置かれた十緒子の手元、そのすぐ前に降りてきて、だがなにも口にせず、チカをじっ、と見つめている。
 そして十緒子はチカから目をそらし、うつむいてしまった。

「チカ、いい加減にしろ」
「話はまだ終わってないよ? ところで、このヘビの方々の正体、なんだけど。少なくとも僕がここに来たときから、使役する人間のそばでずっと姿を見せている、短期的に用いる式神ではなさそうだし、自分よりレベルの低い霊魂を使い魔にするようなものでもなさそうだ。それとも、守護霊的な動物霊を身に降ろしている状態……昔、そんな人に会う機会があってね、あのときは春くんも一緒だったかな。けど、それとも違う。じゃあ……春くんにはいつだか、半分くらい冗談のつもりで言ったんだけど、まさかの『神様の御遣い』なのかな?」

 フフッ、と奴だけが笑い。俺が口を開こうとしたところで、奴が言った。

「まぁ、どちらにせよ。この世のものではない、あちら側のモノがこうして、現世で存在するには、ルール、というか、縛りが必要になる。あちらとこちらの間に立ち、媒介する者の存在。そのヘビの方々は、御崎さんを媒介としてこの世に顕現してる、そういうことだろう。だとしたら……彼らをどうにかしようと考えるなら、媒介者を、」
「おまえ、ふざけんなよ。おまえの好奇心満たしたいだけで、ペラペラと、」
「……媒介者をどうにかすればいい。彼らになにかされる前に、ね。もしくは、媒介者に近しい誰かを楯に取って脅すのもいいね。うん、僕としては、そういう回答になるかな。春くんが訊いてきた、あの質問の答えだよ」
「『あの質問』?」
「『ヘビに術をかけられた』って、困ってただろう?

 ……だいぶ前の、あのときの?
 『またヘビに術をかけられた。なんとかなんねぇかな、マジで』と、俺がチカに相談した……。

「っ、そんなん、いまさら……ここで持ち出す必要、ねぇだろうが!」
「あれ、想定外? でも春くんが蒔いた種だよ? 僕の家業を知りながら、僕にいろいろ教えてくれたのは君だろう、そりゃ、好奇心も湧くさ。それで、蓋を開けてみれば、あの御崎家のお嬢さんが、人語を解する人外のヘビを連れてる、なんてね! それに、この情報を知りたい人間は、僕以外にもたくさんいるだろうし? 高く売れるかもしれないね?」
「っざけんな!」

 十緒子から手を離して俺は立ち上がり、するとチカが手を開こうとし、俺はギクリとしたところで、ポンッ、という音がして。
 十緒子の近くにいた緑ヘビが、チカの組んだ手の真ん前にいた。


◇◇◇

「……みーちゃん?」

 十緒子が、小さな声でつぶやいた。うつむいていた顔を上げ、緑ヘビがいるチカのほうを見ている。
 緑ヘビはその、透き通った鮮やかな緑、かたわらのメロンの緑よりは随分と濃い色のその体をふわりと光らせ、チカの手を、頭の角度を変えながらしげしげと眺めた。
 それから頭を起こし、チカの腕や体に目をやってから、チカの顔を見上げる。

(貴公の言い分は、よくわかった。だが、それくらいで治めてはどうかな? 我があるじも、それを望んでいる)
「……僕の、言い分? 主の危険を考えずに、そんなのん気なことでいいのかな?」

 すると緑ヘビの奴が首をかしげてみせ、チカはわずかに目を細めた。

(危険かどうか、我が判断を誤っているならば、灰のが黙ってはおらぬだろう。だが、同じ見解のようだ)
(そうね。十緒子、あのコはやっぱり、いいコだったわね。だから、怖がらなくても大丈夫よ)

 まだ十緒子のすぐそばいた灰色ヘビが同じように、その透明感のあるグレーの体を内側から光らせ、十緒子の手をつんつんとつつく。

「はーちゃん……?」
(ワタシたちの目は、アナタの目なのよ)
「……目?」
(緑のとワタシが視ているものを、アナタも感じ取れる、ということよ)
「本当に、随分とのん気だね。そういうことばのひとつひとつを、僕も耳にしているのにね?」

 チカが言い、だが灰も緑も、それに動じる様子はまるでない。

(すべての人の子には血が通っている。人の子だけではない、生きとし生けるものすべてには鼓動があり、その身は震えずにはいられない。そうして震える貴公の鼓動は必ずしも、主に危害を加えるものではないと、我は判断した。それだけのことよ)
(そうね。纏う気も、バランスが取れていて、とても気持ちがいいの)

 緑色と灰色が、交互に言い。
 ……それは、チカのことを言っているのか?
 チカがあれだけ煽ってくるのにもかかわらず、奴は危険ではない、と?

(我らは。主の望みを叶えるためここに存在し、主の許しを得てこの世に干渉する。先刻からの貴公の言い分は、まったくもってその通りであるから、主もこうして身につまされている。そして……我らが春臣にした所業については、なんの申し開きもしないし、謝罪もしない。ただ、その身を案じる貴公の懸念は、主共々、深く受け止めておこう)

 緑ヘビは言い、チカは黙って、組んだ手のほんの数センチ先にいる緑ヘビを見つめる。と、チカは組んだ手のままテーブルに両肘をつき、手をアゴに当てながら、わずかに笑みを浮かべた。

「僕を信用するのはそちらの勝手だけどね。そう判断させて裏をかくような人間かもしれないし、あと僕が、君らの言い分に納得して、引き下がると思う?」

 チカは組んでいた手を外し、その両手の指の間の、指と同じ幅の符を見せるようにして、言った。

「『みーちゃん』に、『はーちゃん』? かわいい名前だね、御崎さん。このヘビたちは君の従者で、でも君は彼らを、どう思ってるんだろう? もしかしたら『媒介者に近しい者』でもあるんじゃないかな、と僕は思うんだけど? だから……こんなことをしたら御崎さんは、どうするのかな?」

 チカが片手を伸ばし、緑ヘビに触れようとし……だがその手はすり抜け、しかしチカはその指でテーブルをトン、と叩いた。瞬間、符が発動し、霊感がある人間にしか視えない光の円が現れ、緑ヘビを囲んだ。

「みーちゃん!」

 十緒子が立ち上がり、その間にその光の輪が狭まり、緑ヘビの胴体をくびれさせる。

(ほう、少々ピリピリするな。我に干渉するとは、さすがは、)
「みーちゃんっ、だめっ、逃げて!」
(十緒子。我は大丈夫だ)
「フフッ、千切れても、大丈夫?」

 チカが言い、十緒子が緑ヘビに手を伸ばそうとして、俺はとっさに立ち上がって十緒子の肩をつかみ、腰に手をまわして引き寄せた。

「離してっ、みーちゃん、やだっ、だめ!」
「落ち着け! っ、緑色! おまえ、自力でなんとか出来んだろ!」

 俺の頭をよぎっていたのはこの前の、駅のホームにいた十緒子で。
 あんな十緒子を、チカに見せるわけにはいかない、それだけはわかる。
 十緒子がここで近寄って、緑色に気を取られた隙にチカになにかされれば、十緒子は……!

(その通りだ、春臣。さて、春臣の血縁よ。貴公には、主を不安にさせただけの礼を返さねばな?)

 緑ヘビがそう言った途端急に、あたりに木や枝葉の匂いと気配を感じた。
 大きな樹々に囲まれたような感覚、それが濃くなっていくのを感じる。

「……へぇ?」

 チカが言いながらまたテーブルをトンッ、と弾くように叩き、すると緑ヘビを絞める光輪が二重になり、だがほんの数秒もしないうちにその輪が、パリン、カシャンと音を立てて割れ、消えた。

「みーちゃんっ!」

 十緒子が叫んで両腕を上げ、手のひらを前に差し出す。すると緑ヘビがそこに、ポンッと音を立てて移動した。
 緑ヘビの移動に合わせて視線を動かしていたチカは、次の瞬間、大きな緑色の手に全身をすっぽり包まれ、姿が見えなくなり……違う、あれは手のようなカタチの、葉、か? と、俺がまばたきをしてる間に、パキパキパキッ、という乾いた音が部屋中に響き、それと同時に、葉は消え。
 ……葉だけが消え、チカはそこにいて。
 だが同じ姿勢で座ったまま身動きした様子もなく、表情すら変わってはいなかった。


◇◇◇

 チカはテーブルに伏せていた両手のひらを、順番に上に向けて見つめ。そしてその片手を、着ていたジャケットの内側に差し入れたのだが、すぐにその手を出し、それから両手のひらを広げて、俺たちのほうに向けてみせた。

「ハハッ、塵すら残ってない、すごいね。でも、ひどいなぁ……持ってたの全部、かい? 次の仕事用のもあったのに。仕込むの、意外と大変なんだよ?」
(貴公が容赦なく自らの身を投げ出してみせた礼だ。ああ、すまぬな、春臣。我としたことが加減を間違えた。紙札のみのつもりが、春臣の施していた結界にまで干渉してしまったようだ)

 言われて、この物件全体を囲っていた結界の気配が消えていることに気付いた。
 さっきの音は結界が切れた音で……いや、それよりも。
 緑ヘビはチカが持っていた紙札、符を、すべてどうにかしてしまった、そういうことか?

 と、チカが「ふう」と息をつき、十緒子の手の中にいる緑ヘビ、変わらずテーブルの上にいた灰ヘビにわずかに視線を送り、それからフォークを手に取った。
 そして、何事もなかったかのように、メロンケーキの残りを食べ始め。
 立ったままの俺らが惚けてそれを見ている間に食べ終わり、「ごちそうさま。やっぱりこのケーキ、当たりだったな」と言って、立ち上がった。

「春くん、いつまで抱きついてるんだい? 怖がらせちゃったかな?」

 ……ふざけやがって。それでも俺は十緒子を抱いた腕をゆるめず、なにも言わずにチカをにらみつけ、だがチカは俺にかまわず、俺の腕の中にいる十緒子に向かって、言った。

「それで、御崎さん。このヘビの方々の正体は?」

 十緒子はビクリ、と身を震わせ。しかし、また俺の腕をキュッとつかんで、はっきりと言った。

「……ダメ、です。睦也さんには、言えません」
「そっかー、残念だなぁ! さてと、これで用事も済んだことだし、そろそろ帰ろうかな? 春くん、貸したアレはまた今度でいいけど、ちゃんと手渡しで返しておくれよ? 黙ってこっそり、はナシだからね!」

 チカは俺らを背にして一歩踏み出したところで、「ああ、そうだ」とつぶやいて、振り返った。

「御崎さんのおウチ。さすがに、あの案件には苦労してるようだね?」
「……?」
「最近はワイドショーでも取り上げられるようになってしまったね。つまり、被害がどんどん拡大してる」

 俺も十緒子も、黙ったままチカを見るしか出来ない。

「あれ、ふたりとも、知らないの? あの、あちこちで頻発してる、通り魔の事件だよ?」
「通り魔? あぁ、見出しだけ見たな。でもそれがなんだって、」

 抱えていた十緒子が、腰にまわしていた俺の腕を、ぎゅっとつかむ。
 そしてチカの、俺の問いを受けての答えが、容赦なく耳に入ってくる。

「あの事件は、実は怪異の仕業でね。しかし、御崎家とはいえ……あれをよく引き受けたもんだね?」

 結局。最初から最後まで、引っかき回しやがって。
 こっちの事情や考えなんざおかまいなしに、迷惑なモン押し付けてきて、本人はそれで満足なんだろうが。
 だから……そんな置き土産も、本当にいらねぇんだよ。



つづく →<その21>執筆中です


あなたに首ったけ顛末記<その20>
◇◇ 招かれざる客は丁重にもてなせ ◇◇・了

(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)


【2024.02.29.】up.


☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆

<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です

【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!

【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ


マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 ↑ 第一話から順番に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
↑ ”新着”タブで最新話順になります。

マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
↑ <その14>のあとに書いたのでその辺でお読みいただくと楽しいかも? 


#眠れない夜に #長編小説 #小説 #物語 #現代ファンタジー
#ラブコメ #ラノベ #駒井かや #あなたにニヤニヤしてほしい
#風呂イチャが書きたかったらしいそしてまたも彼シャツ
#狼なんか怖くない石野真子じゃなくミルクちゃんアニソンで知ったんダス
#祓い屋イメージはやっぱり夏目友人帳手袋は東京バビロンかも


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