あなたに首ったけ顛末記<その21・歌い踊るは人の性(さが)>【小説】
あなたに首ったけ顛末記<その21>
◇◇ 歌い踊るは人の性 ◇◇
(約18400字)
<1>御崎十緒子・オニイサンなんか怖くない!(3)
(約8000字)
『金縛りで動きを封じられたり、意識を落とされたり、物理的に吹っ飛ばされたり? すごい力だ……そちらの手加減がなかったら、春くん、どうなってたんだろうね?』
春臣のお兄さん、睦也さんが。
この世のものではない二匹のヘビ、灰色ヘビ・はーちゃんと緑ヘビ・みーちゃんと一緒にいる、私、御崎十緒子に向かって、言う。
『僕が御崎さんになにか仕掛けたら、ヘビは僕を排除しようとするかな? ……それとも。春くんをどうにかしてみようか? 御崎さんはやさしいから、春くんを助けようとして、ヘビの方々を差し向けるかもしれないね?』
ヘビのみんなを、私が、睦也さんに?
そんなわけない、とすぐに否定しようとして、でも出来なかった。
だって私は無意識に、ヘビのみんなを呼んでしまう。
白ヘビ・しーちゃんが春臣に金縛りをかけてしまったとき、あれだってそもそもは、私がしーちゃんに助けを求めてしまったからだ。▼
同時に、ふっ、と……大広間でたくさんの人が倒れている、6歳のときのあの光景が、脳裏に浮かんで。▼
睦也さんにそれを見透かされてしまったような気がして、私は睦也さんの目が見れなくなる。
春臣にヘビのみんなの力を使ってしまった私を、睦也さんは許せなくて、だから……そんな言い方をするの?
でも。
私はおとーさんに再会して、忘れていたことを思い出した。
『脱皮』した私はもう、そんなことしない。
……ほんとに? 言い切れる自信、ある?
違う、違うのに。
睦也さんの言うことを否定したいのに、ことばが出てこない。
そしたら、みーちゃんが睦也さんの前に出て。
『(先刻からの貴公の言い分は、まったくもってその通りであるから、主もこうして身につまされている。そして……我らが春臣にした所業については、なんの申し開きもしないし、謝罪もしない。ただ、その身を案じる貴公の懸念は、主共々、深く受け止めておこう)』
みーちゃんの音のない声が、そう言ってくれて、でも。
『……こんなことをしたら御崎さんは、どうするのかな?』
睦也さんがみーちゃんになにかの術をかけて、みーちゃんの体が千切れてしまいそうになって、瞬間、心臓をぎゅっと握られたように苦しくなって。
あのとき、私は……なにをするつもり、だったんだろう?
春臣に体ごと止められなかったら、私は。
もしかしたら。
『おかたづけするのなんて、かんたん、だよ。
なんでもね、できちゃうんだから。』
6歳の私が、そんなふうに言う。
頭が、真っ白になる。
嫌だ、怖い、やめて、ダメ。
睦也さんに抱いてしまうたくさんの感情が、ひどく簡単に結論を出してしまう。
ユ ル セ ナ イ
ユ ル サ ナ イ
沸騰するその気持ちに、乗っ取られたようになって、私は、睦也さんに……。
◇◇◇
体に、揺れを感じて。
私は、うっすらとまぶたを開けた。
「起きたのか?」
聞こえたのは、春臣の声。
視界にはローテーブルと部屋着のスカート、春臣のスウェット。
ソファの上、春臣に肩を抱かれた私の体は、春臣にぴったりと身を添わせている。
……ここは、夢の中じゃない。
「ごめん……私、寝ちゃってた?」
「ああ。掛けるもん取ってくるかベッドまで運ぶかしようと思って、動いたら起こしたな」
……ぼんやりと、思い出す。
睦也さんが出て行って、玄関ドアが閉まる音を聞いたら、力が抜けて。
後ろから私を抱えてた春臣と一緒にソファまで移動して、ふたりともくっついたまま、黙ったまましばらくぼーっとして、それで……。
私、そのまま眠っちゃったんだ。
「そうだ、みーちゃんと、はーちゃんは?」
(ここだ、十緒子)
(いるわよ、十緒子)
ポンッと音がして目の前に現れた、宙に浮く二匹のヘビの、透き通った緑と灰色の体が、ゆらゆらと揺れた。
私はホッとして、春臣に寄りかかったままで片方の腕を伸ばし、みーちゃんとはーちゃんのヘビの頭に触れる。
「よかった……」
そうだ。
私は睦也さんに、なにもしていない。
みーちゃんは自力で脱出したし、それに。
私のことは、春臣が止めてくれた。
私は春臣から少しだけ身を離して、春臣を見上げ、言った。
「さっき……ありがと。その、私のこと、止めてくれて」
「……ああ」
「あと、ごめんなさい」
「あ? なにが」
「前に、しーちゃんが春臣のこと、金縛りにかけたり、それから、」
「なんだよ。いまさらだし、おまえが謝ることじゃねぇだろうが。前も言っただろ、正当防衛、あのときは俺がやり過ぎたんだ」
「でも、それだけじゃなくって、」
「あぁ、チカに言われたヤツなら、本当におまえが気に病む必要、これっぽっちもねぇからな。金色の奴に吹っ飛ばされたのなんか、明らかに違うし。……まぁ確かに、青ヘビの奴からは何回か、理不尽な仕打ちを受けたけどな、それは俺と奴との問題だ。いつか絞め……いや、せめて小突いてやりてぇけど、それはおまえが見てないところでやることにする」
「えっ」
「ああやってさっきのチカみたく、返り討ちに遭ったらカッコ悪いだろ?」
冗談めかして、春臣が言い。春臣が『絞める』ということばを言いやめたのに胸がチクリと痛んだけれど、でも春臣の答えに私は、すっごく、すっごく安心してしまった。
けど私、また……春臣に、許されたくなっちゃってた。
許してくれるってわかってて、ただ、だいじょぶ、ってことばが欲しいだけで私、『ごめん』って言った。何度も何度も、こんなの絶対ウザい、でも……うれしい。うれしくて、胸のザワザワしたモノが溶けてゆくのを感じる。
それに春臣が言った、『それは俺と奴との問題だ』ってことばがなんでか、すっごく胸に沁み込んできて。
私はまだ触れ合っていたほうの手で、春臣の指をつかんで握った。
春臣は私の肩に添わせていたほうの手で私の頭を撫で、その手をほっぺからうなじに滑らせて、私を見つめる。そして、眉根にシワを寄せ、いつもよりももっと鋭い目付きで、絞り出すように私に言った。
「あいつ、チカのこと、は。俺が、軽率だった。悪かった」
なんて言っていいのかわかんなくて、黙ったままでいると、春臣が続けた。
「奴に、相談したことがある。ヘビどものこと、護符が効かねぇのも、奴ならそれをなんとか出来んじゃねぇかって……いや、違う。俺はただ、ヘビどもの正体を知りたかっただけで、それと、」
私の肩の上で、春臣の手にきゅっ、と力が込められたのを感じる。
「要するに知りたかったのは、おまえのこと、だな。けど、おまえとヘビのことを知るのは、おまえが記憶を取り戻すまで待つしかねぇってこと、青ヘビにも聞いて、わかってたはずなんだが。結局待てねぇで、焦って、挙句チカになんか……」
そういえば、そうだった。
私、春臣に……あの頃の『水野さん』に、なんにも説明しないまんま、だった。
確かに、あの頃の私は、記憶を完全に取り戻してなくて、説明したくても出来なかったんだけど。▼
なのに『水野さん』は、なにも訊かないで、そばにいてくれて……でも、じゃあ、お待たせしてしまった私が、やっぱり悪い……。
「にしても、クソむかつく」
「むか、つく……?」
私は思わずひゅ、と息を呑み、そんな私にかまわず、春臣が続けた。
「チカの野郎だよ。確かに俺が不用意に、奴にベラベラしゃべったのはマズかった、だがそれを指摘してぇんなら……ほかに方法が、あるだろうが! あークソッ、イラつく! 飲み直すぞ!」
あっ、睦也さんのこと、か。
よかった、って思っちゃった……春臣がこんなに、怒ってるのに。
◇◇◇
私の体から手を離して立ち上がった春臣は、スタスタとキッチンに向かい。
冷蔵庫から「ビール飲むけど、おまえは?」と声を張って聞きながら、私の返事を待たずに戻り、缶ビールを手渡してきて。
私がプシュ、と栓を開けてる間に、立ったまま、ゴクゴクとすごい勢いでビールを流し込む春臣を、ついぼんやりと見つめてしまってた私は、「ほかのモン持ってくる?」と訊かれて我に返り、「ううん、いただきます」と言ってから、缶ビールに口を付けた。
「俺だってそれほどバカじゃねぇ、ちゃんと言われりゃわかるってのに。なんだってあんな……クソッ、まわりくどいんだよ!」
ぼすん、とソファに、私が少し避けて広くなった、さっきまでいた場所に座り直して、春臣が答えた。
「奴は今日俺らに、警告をしに来た、つもりなんだろうよ」
「警告?」
「つまり。一つは、俺が奴に情報を漏らしたことに対して。ヘビと、そして御崎十緒子という人間の情報を、な」
そこで、それまで目の前に浮いていたみーちゃん、はーちゃんが、宙を降りるようにソファの前のローテーブルに移動してきて。尾を丸め、とぐろを巻いて座ったような格好で、はーちゃんはどこかおっとりと、でもみーちゃんは背筋をピッと伸ばして春臣のほうに頭を向け、春臣を見つめている。
「で、おまえのことを試して、煽ってみせたのも……いや、こっちは本当に、奴の好奇心を満たしたいだけだったのかもしれないが。わかんねぇのがまた、イラつく」
(春臣。それはその通り、春臣の推測は正しい)
みーちゃんの、音のない声がして。
はーちゃんも(そうね)と言って、コクコクとうなずいた。
(十緒子。春臣の血縁は、十緒子に忠告していたのだ)
「忠告……」
「他人に、自分のことをペラペラ話すな、ってことだろ? あと、ヘビどもの姿を不必要に見せるな、か? そうなるよう仕向けておいて、それをバカにしてくるとか、クソすぎんだよ。……ただ、」
春臣はそこでことばを切り、ビールを飲み干してから、続けた。
「帰り際の、通り魔の件。チカの奴……受けても受けなくても、依頼には守秘義務がある、おまえも華緒子の話で言ってたろ? なのに堂々と、俺らに漏らしていきやがって。おかしいだろ?」
そう、だ。
あれはたぶん、華緒ちゃんが腕を切られてしまった、アレのことで。▼
華緒ちゃんの金のヘビ、ハナちゃんに頼まれて、ヘビのみんなも協力して、犯人である怪異を探している。
睦也さんがどうしてそれを……私に向けて、言ったのか。
その理由が。私には、すぐにわかってしまった。
指が、ひどく冷たい。春臣が話すのを聞きながら私は、缶ビールをローテーブルに置き、冷たくなってしまった指を、もう片方の手で温めるように握る。
「もしかしたら、奴は……奴の目的は。事件のことを知るために、おまえに探り入れようとしてたのかもしれねぇし、」
「違う、よ。睦也さんはたぶん……春臣を、巻き込むな、って」
言ってしまってから、気付く。
私はもうすでに、巻き込んでしまってるよ、ね?
通り魔の事件のことじゃなくって……私のこと、ヘビのみんなとのこと、に。
だから、睦也さんは私に、忠告をしに……。
「巻き込むな? いや、巻き込んできたのは、チカのほうだろ?」
「……え?」
それまでローテーブルに体を向けていた春臣が、空の缶をテーブルに置いて私のほうに向き直って、言った。
「依頼の内容を。俺らに、わざと漏らしたんだぞ?」
「そう、だけど。でも……」
でも、あれは。
結果的にどうであれ、春臣を心配する睦也さんの、私への忠告で。
危険なことには巻き込まないでくれ、と言われたような、そんな気がする。
だけど。
睦也さんがみーちゃんにしたこと、それがもやもやと胸のあたりに、まだあって。
これはさっきの、うたた寝の夢の中で『許せない』って思ってしまったときの、感覚。
……や、だ。
こんなの、こんなふうに思っちゃうのは、だめ。
だけど、でも。
「っ、ああっ、クソが!」
と、春臣が急に声を荒げて、胸を押さえるようにしていた私はビクリと、ソファから身が浮くほど飛び上がってしまい、それを見て春臣が「ああ、違う、おまえに言ってんじゃねぇから」と言い、ローテーブルに置いていた私の分の缶ビールを取り上げて、そのままゴクゴクと飲んでしまった。
「っ、ハァ。こうやって、奴の言動に踊らされてんのが、最っ高にイラつく……おまえも、ってか、おまえのほうが俺より、百倍むかついてんだろうけどな?」
「むか、つく?」
そこで、ポンッ、と音がして。
ローテーブルにいたみーちゃんが、私の膝の上にいて。私と春臣を交互に見上げながら、言った。
(だから、我が。十緒子の代わりに、礼をしておいただろう?)
◇◇◇
そのとき、私も春臣もみーちゃんが言ったことに、すぐに反応出来なかったのだけど。
隣に座る春臣が突然、「……フッ。ハハッ!」と、吹き出すように笑い出して。
さっきからずっと『むかつく』『イラつく』って言って、怒ってた春臣が……急に、笑っちゃってる?
「ハッ、礼か、確かにな。仕込んでた札全部、って……ありゃ、ねぇよ。おまえも容赦ねぇよな」
言われたみーちゃんは(ふむ)と返事をしながら頭をもたげて、胸をそらすような格好になって。ドヤ顔、じゃなくって、ドヤポーズかな、なんて頭の隅で思う。
(十緒子ために少々張り切ってしまった。これでは我も、青のや白のを責められぬな)
(あらあら。でもワタシも、わかっていても止めるつもりはなかったわ)
ローテーブルにいるはーちゃんもそんなふうに言い、春臣はそれに「さすが、おまえらだわ」と言って、まだクックッと笑っている。
「にしてもチカの奴、冷静そうにしてやがったが……フッ、ざまあ。これから全部仕込み直しとか、クソ面倒だろうなぁ。明日の仕事に間に合うといいが、な?」
春臣の……見慣れた、ちょっと邪悪な笑顔。
私はそれに、ヘンに見惚れてしまう。
なんか、こう……そう、気持ちがいい、胸がすっとしちゃう。
……けど。
(いいのだ、十緒子。それは我を心配する、十緒子の想いだからな)
みーちゃんが、するりと私の、重ねていた両手に巻き付くように乗っかってきた。
私を見上げるみーちゃんの、透き通って濃淡を変える、緑色の体と瞳が、すごくきれいで。
そのエメラルド色のつぶらな瞳が、私をじっと見つめていて。
みーちゃん。
それって……怒っててもいいよ、ってこと?
そう、だ。
私……睦也さんに、むかついてたんだ。
すっごく、すっごく怒りたかったんだ。いまごろ気付いた。
けど、それを解放してしまうと、よくないような気がして……。
や、解放するのはだめ、春臣に止めてもらってよかったんだ。
でもそれでも、怒っててもいいんだ、ね?
思うさま力を解放して、相手にぶつけちゃわなければ……たぶん。
うん、そんな感じ?
「うん……むかついたね、すっごくむかついた! だからみーちゃん、グッジョブ!」
口から、ことばが飛び出してきて。
なんか……スッキリした感じ!
そんな私を見て春臣が、「ハッ」と声を上げて笑う。
「イイ笑顔してんじゃねぇよ。おまえ、もっと怒ってもいいんだぞ? ……ああそういや、さすがのおまえもアレ、もう食わねえだろ? 俺は見てるだけでむかついてくる……今回ばかりは、捨ててやろうか」
春臣の視線は、ソファのすぐ先にある、ダイニングテーブルの上に向いていて、そこには。
あ、そうだ。睦也さんにいただいた、春臣へのバースデーケーキ、食べ途中だった。
食べたくない、かな?
……ううん、むしろ。
私はみーちゃんから手を離して立ち上がり、食べ残しのケーキとフォークが載ったお皿を持ってソファに戻り、ふた口くらいでそれをきれいにしてから、春臣に訊いてみた。
「冷蔵庫の残り。いま食べちゃっても、いい?」
春臣が「マジかよ」と、あきれ顔になったのを見てまた立ち上がり、冷蔵庫からホールケーキの残りを、箱のまま持ってきた。ローテーブルにいたはーちゃんが避けるのを少し待ってから、箱をそうっと置いて蓋を開け、真っ白なホイップの上、みずみずしいメロンがモリモリに盛られたメロンケーキを出した。
おかわりするのに、全然抵抗ない。
むしろ、おいしそう……うん、ケーキに罪はない。
それに。
「あのね、思ったんだけど。完食こそが、睦也さんへのリベンジになる気がする」
言いながら、うんうん、きっとそうだ、って思う。だから私は、春臣の返事を待たずに、ケーキを真正面から見据え、フォークを構えた。
さっき私と睦也さんに切り分けて欠けた部分には、ケーキの真ん中に乗っかってたチョコのプレートがあって。プレートの『春臣くんお誕生日おめでとう』の文字が目に飛び込んできて。
これって睦也さんの、屈折した愛情表現なのかも、って。睦也さんがいるとき、そんなふう感じたんだけど。
たぶん、それはあってる。
鈍感な私だけど、なんでかそれは確信出来る。
……でも、ね。
睦也さん、意地悪だったし。
みーちゃんに意地悪なことしたし、それは許さないし!
だーかーら!
春臣を困らせたい、なんていう睦也さんの、屈折した愛情的、野望は!
私が木っ端微塵に、打ち砕いちゃうもんね?
一口を大きめに、ホールケーキから直に、フォークですくい取って。
はむり、と頬張りながら春臣を横目で見ると、眉根を寄せたまんまで。
睦也さんになんか困らされるもんか、困ったら負けだ、って思っちゃった私は、メロンケーキの爽やかな甘さを堪能する。ぜんぜん、余裕! 私も、そして春臣もぜーんぜん平気、だもんね!
春臣も、平気……。
そこでふと、思いついてしまって。
咀嚼してたケーキをごくりと飲み込んでから、春臣に訊いてみる。
「甘いのが、だめなんだよね?」
「まぁな」
「それなら、果物は?」
「は、」
返事を聞く前に私は空いたフォークで、ケーキにデコレーションされている、まん丸なカットメロンを刺して、春臣の口元、唇に押し付けてみる。
「な、ん、……、……いや食えるけど、自分ではあんま買わねぇ、っ、む、ん」
飲み込んだのを確認して、すぐに次のメロンを刺して口に持っていくと、春臣はまた、素直にそれを口に受け入れてくれた。
ほら、ね。
よし。春臣も平気、困ってなんかない。
にしても……わぁ。
食べるとこ、こんなにまじまじと見たことなかった、こともないんだけど。
ほっぺ、が……そこに食べた物が入ってるのがわかる、頬骨からのラインの感じが、なんかこう、とってもよろしくって!
それは春臣の頬が、私のふくよか~なほっぺとは違って、シュッとしてるからなんだけど、そんでもってそのイケメンなお顔が、そのもぐもぐで崩れちゃって、それがまた……っ、うぐっ、この感覚コレ、この想定外のキュンは、どうしたら? ふうぅっ、理性、理性が危うい……。
もう一回。生クリームが付いていないメロンを選んで刺し、フォークで口に運んでみる。
体が少し引きぎみになってる春臣は、それでも逆らわずに口を開けてくれた。
なにこれ、やばい。
かわいい、っていうか……なんだろ、この感覚は?
母性、いや違う、そーゆーんじゃなくって。そう、これ私のモノなんだよね、みたいな? そこに、ちょっとだけSっ気があるような、ないような?
いやいや、分析なんか、あとあと! そんなの、いまはどうでもいいよねっ!
「っ、おまえっ。もういいだろ、む、」
「はっ、そっか。これって、『あーんして?』ってヤツ! なるほど、奥が深い……」
「……目ぇキラキラさせてやがるし……怖ぇし、なんか違うだろ? ちょ、待て、俺はもう、ぅむっ」
(あらあら。ワタシたちの前で番いに食事を食べさせるなんて、十緒子ったら大胆ね)
(求愛給餌か。人の子もするのだな)
はーちゃんとみーちゃんがすぐそこにいて、そんなことを言われちゃってても、私はそれを止められなくって……いいんだもん!
だってだって、癒されたかったんだもん!
春臣ならそのくらい、許してくれるもん……ね、しょうがないよね!
<2>御崎十緒子は踊って歌う
(約5900字)
つまるところ。
私はもっと、強くならなくっちゃいけない。
あのあと春臣と、睦也さんのことを話し合って、それ以外の話もして、考えたのだけど。
むかつくけど、睦也さんが私に指摘してたっぽいことは……華緒ちゃんや、ちっちゃかった頃におとーさんやおかあさんに言われてたことで。
私はヘビのみんなが戻って来たことがうれしくって、浮かれてて、油断してたんだ。
ヘビのみんなのことを、人に知られたりしては、いけなかったのに。
そして知られたとしても、問題ないように……誰かに、ヘンなことに利用されたりしないように、私がしっかりしてないといけない。
そうじゃないと、ヘビのみんなを守れない。
そして……すっかり巻き込んでしまった、春臣のことも。
華緒ちゃんには、いろんなこと相談したいし訊きたいこともあるし、会ったほうがいい、と思って連絡したのだけど、予定が合うのは少し先になってしまいそうで。
『んんん、ちょっとね、面倒でイラっとする依頼なのよね~。叔母様にも手伝ってもらってるのに、なかなか上手くいかなくって』
電話で訊くのもどうかなって思って訊けなかったけど、睦也さんの言ってた依頼なんだろうな、と思う。
『十緒子のヘビ様たちに、助かってるって伝えて? ハナからヘビ様たちの情報をまとめたのを聞いて、わかってきたこともあるから……そうね、十緒子にも今度、話しておいたほうがいいわよね。なんとか都合つけるから!』
通話を終えた私が、そのとき出掛けないで私のそばにいた、白ヘビ・しーちゃんに訊くと。
(華緒子に傷を負わせた輩はどうやら、陰の気や邪の吹き溜まりを隠れ蓑にしているようで。吹き溜まりごと消し去るなどは、ワタクシどもにとっては造作もないことなのですが、吹き溜まりはあちらこちらに無数にありまして。奴が吹き溜まりの闇に姿を隠せば、どの吹き溜まりの中にいるのか判別も難しく、奴もまた抜かりなく移動を繰り返して、追跡を警戒しているようで……まったく、なんと忌々しい)
そして、睦也さんが話していた通り魔の事件のこと。
ネットでニュース記事を探して、読んでみた。
いまなぜか全国で頻発している、通り魔の事件。どの事件も、人気のない夜道に一人でいた歩行者が、刃物で切りつけられる、というもの。被害者のほかに目撃証言もなく、被害者が見たはずの犯人像もまちまちで、ほとんどのケースで犯人が見つかっていない。
いまのところ、被害者はみんな軽傷で、死亡者なし。
事件の場所は本当に日本中のあちこちで、でも都市圏、特に関東圏に多いみたい。
なぜ同時期に似た事件が多発するのか? 愉快犯、模倣犯もいるのでは? 実は自然現象である可能性、まさか、かまいたち?
……なんて。それぞれの記事はそんなふうに、締めくくってたりするのだけれど。
睦也さんの言った通り、これがすべて怪異のやったことで、華緒ちゃんがその怪異を探してるのだとしたら。
日本のあちこち……華緒ちゃんを切った怪異だけじゃなくて、ほかにいくつもいる、ってこと? そんなのを、華緒ちゃんとハナちゃんだけで? おかあさんが手伝ってるとしても、それって……物理的に、無理あるよね?
……怖い、けど。
私にも出来ること、あるかもしれないし。
強くなりたい、でも結局のとこ私に、なにが出来るのかな?
◇◇◇
「まずは、身近なところから頑張る、って……思ったんだけど、なあ……」
弊社フロアのトイレで、大きな独り言をつぶやいた私は、「はあぁ~」とため息をついて、うなだれてしまう。
目の前にはいつもの、お掃除の人の制服を着てるらしき、幽霊さん。定位置にもなってる、洗面台と鏡の間に体をめり込ませて、不自然なくらい首を傾げながら、こちらを見ている。
つい最近。
私は別の幽霊さんを浄霊? することに、成功した。
駅のホーム、電車から降りたところで遭遇した幽霊さん。桃色ヘビ・もーちゃんに足を止めてもらって……いや、足はなかったけど、とにかく協力してもらって。あのときの感覚……そのヒトの行く先を、光で照らすような感覚があって、あっちだよ、って指で指し示して、そしたら幽霊さんが光の中に消えたのだ。▼
私、なんだかすごい。じゃなくてこれは、蛇神様の巫女、とみちゃんの力。私はつながっただけで、なーんもしてないし……それはともかく。
この方法使えば、お掃除人幽霊さんの件も、一件落着じゃん、って思ったわけで。
そもそも、幽霊さんの件は。
なんだかんだで、春臣とのケンカの原因にもなってしまったし。▼
だからまずは、ここからどーにかするべし! って思ったし、もう春臣を不安にさせたくない……『幽霊さんと付き合う』なんて、悠長なこと言ってる場合じゃないよね?
だから早朝、まだ誰も出社してない時間を狙って、浄霊するぞ! って覚悟も決めて、ここに来たっていうのに。
「えいっ」
(…………)
「ほいっ」
(…………)
「っ、こっち、は?」
(…………)
あのときの要領で、幽霊さんに向かって人差し指を突き出して……ダメだったから、いろんな方向を指し示してるのですが。
幽霊さんは無言で、どっちに指向けても、なんの反応もない。
ってゆーか、なんだろう……この、『あっちむいてほい』をひとりだけで続ける、虚しさよ……。
私はもう一度「はあぁ~」と、大きなため息をつく。
うーん。上手くいかないのは、やっぱり。
あのときの感覚になりきれてない、私が原因なのかな?
(♪ ダンスは終わり? 十緒子っち ♪)
「ちゃーちゃん。私べつに、踊ってたわけじゃないよ?」
私は振り返り、宙に浮くブラウン系の宝石みたいな色のヘビ、ちゃーちゃんに向かって言った。と、視界の端でちゃーちゃんの作った土色の、おうっふな渦が消える。渦は、黒くてもやもやした邪を、引き寄せるようにして飲み込んでいたんだけど、まるで宙に浮く蟻地獄みたいだったな……。
それにしても、ダンスって。
少しだけ口を尖らせてちゃーちゃんを見ると、ちゃーちゃんが言った。
(♪ 歌があるなら、踊るだろ? なあ、紫の? ♪)
歌があるなら、って? わからないままもう一匹の、宙に浮いてるアメジスト色なヘビ、むーちゃんのほうを見る。むーちゃんはなにも言わず、私を見つめていた。
(♪ 十緒子が歌を聴くからサ! いまじゃないって、思うのさ ♪)
(…………十緒子は、聴いている)
ちゃーちゃんとむーちゃんが、私の顔の前に並んで言う。私は幽霊さんばりに首をかしげ、「聴いている、ってなに、を……」と言いかけたところで、それに気付いた。
あ、そっか。
たぶん私、いま浄霊しちゃうのは違う、って思っちゃってる。
それは……幽霊さんが、それを拒否してるっぽい、からだ。
私はそれを、無意識に聴いちゃってる。
それは、幽霊さんが発している声のようななにか、ちゃーちゃんはそれを『歌』って言ってるんだけど、それを私が拾って、感じ取っているからで。
上手く表現出来ない、でもたぶん、そういうこと。
だから、こう……本気で浄霊しちゃうぞ、って感覚に、なれないんだ。
この幽霊さん、は。
誰かを襲うとか、そーいうことをするタイプじゃない。百パーセント安全か、って言われると、それはどうかなぁとも思うんだけど、とりあえず害はない、という感じ。
うーん、それなら。
もう少し、この幽霊さんのしたいようにするのを、見守ってても、いいのかなあ……。
◇◇◇
「あの件は。おまえの、好きなようにしろよ」
春臣が……『あの幽霊にはもう関わるな』って言ってた春臣が私に、そんなふうに言った。
睦也さんの突撃を受け、そして見送った、あの週末の話。
「あー、諦めとか投げやりで言ってるんじゃねぇからな。結局それがいちばんな気がした、そんだけだ。そのかわり、一切合切すべてを、逐一俺に報告しろ。これは、絶対だからな?」
「それは、うん、わかったけど。でも、ほんとに? ほんとに嫌じゃないの?」
「……最近、気付いたんだが。おまえが、御崎十緒子が御崎十緒子である以上、絶対に怪異に関わらないなんて生き方、出来るわけがねぇんだよな」
「っ、それは、」
そう、かもしれない。
だって私の周りには必ず、大好きなヘビのみんながいるのだ。
それに、家のこと……華緒ちゃん、おとーさん、おかあさんの、怪異に関するよろず相談な会社のこと……。
「で、それは俺も同じで。あのクソ忌々しいチカのことは置いといても、俺にも、その辺の人間より強い霊感があるから、それはもうしょうがねぇ。けどな、それでも……怪異なんぞに翻弄されんのは、まっぴらごめんなんだよ。そこは変わらねぇし譲らねぇ、だからおまえが怪異のせいでケガするとか、そういうのも認めねぇから」
「ええっと、それじゃあ……好きなように、っていうのは……」
「それは、」
春臣が私のほっぺを軽くつまみながら、言った。
「おまえ、『脱皮した』って言ってただろ? いまのおまえならその力で、最善を選べるんじゃねぇかな、って思った。それ信用してみても、いいんじゃねぇか、って」
最善を、選ぶ。
出来るのかな、でも。
とみちゃんの力、そしてヘビのみんなの力を借りれば。
意外と、出来ちゃうかもしれない……?
◇◇◇
はい、回想おしまい。
春臣はああ言ってくれたけど、やっぱり心配させたくないなって思ったから、こうやって、浄霊を頑張ってみたのだけど。
でも、それじゃなんか違う、そんな気がする。
……って結論に、私の中で、なってしまった。
これはもしかしたら、春臣の言う『最善』かもしれない、だから。
もうちょっと見守ってみる、ってことにしても、いいのか、な?
あ、そうだ。
そういえば春臣は、こうも言ってたんだよね。
祓えないときは……幽霊さんの名を訊き出して、名で縛るのもアリ、って。
縛る、ってのはなんだかな、と思うけれど。
最善とか最悪を考えたら、必要なことなのかな?
「幽霊さんの名前、か」
私がつぶやくと、ちゃーちゃんとむーちゃんの体が、ふわりと光った。
「むーちゃん、ちゃーちゃん。このヒトの名前、わかる?」
(…………)
(♪ カンタンだけど、それでいいのか? 十緒子っち ♪)
「いいのか、って?」
(♪ オレっちたちは、名を縛る。けど十緒子っちなら、どうなるよ ♪)
えっ……と? どうなるの?
……もしかして。
縛る、じゃなくて、ほかの方法があるのかな?
うーんと……そう、ヘビのみんなに頼らずに、私が直接、名を手に入れること。
それはすごく、大事なことなんだ。
……にしても、さっきから。
私のこの『どっかで全部わかってるはずなのに、その記憶をどっからか引っ張り出すのがタイヘン』みたいな感じが、すんごく、まどろっこしい……いや!
いまはそれ、置いといて!
幽霊さんとは、ちゃんとした会話なんか、したことがない。
一度だけ、無意識に「おはようございまーす」ってあいさつしたら、(おはよう)って返ってきたけど▼、そうやって返事を返してくれたのは、そのときだけだ。
なんだろう、イメージ的には、幽霊さんのほうが言いたいことを一方的に話してる、そんな感じで。
だから、普通に名前を訊いたって……。
「あの、名前。教えてもらえたりなんか、します、か?」
(…………)
ほらね。いつもの、首かしげたポーズのまんま。
…………。
違う。
だって、ちゃーちゃんとむーちゃんが、私はもう聴いてるんだ、って言ってた。
私にはもう、無意識に聴いちゃってる、それは。
このヒトの歌、声……音?
「この世に在る、すべてのものが歌う、歌……それは、波」
そうやって、私の口からポロリ、と転がり落ちたのは。
頭の中でバラバラになっていた紙片、その一部が集まって、形を成したもの。
……うん。
わかった、よ。
「むーちゃん」
むーちゃんを呼ぶと、むーちゃんがふわりと私に重なり、私の耳になる。
でも、それだけじゃ、ダメ。
「ちゃーちゃん」
ちゃーちゃんが、リズミカルに宙を移動してきて、私が広げた両手のひらの上にポン、と乗り、それから姿を消す。
これは。
ちゃーちゃんの力を借りた、両手。
私は、私の体は、『歌』を歌っている。
それは波のようにあたりを漂っていて、でもそれを、彼女のほうへ向ける。
手を広げて、腕を伸ばして……アンテナを、伸ばす。
彼女の『歌』の波を、受信するために。
ちゃーちゃんは、私の腕。
私が欲するものを引き寄せる力、引力。
私自身も『歌』を発すること、送信することで……彼女の『歌』の波に触れ、もっと深く気付くことが出来る……。
あなたのことが、知りたいんです。
(さがしている……)
なにを、探しているの?
(なくした、もの)
でも、それは……。
あなたはもう、見つからないんだって、わかってる。
それに彼、それをあなたにくれた彼だって、許してくれた。
『大丈夫、キヨのせいじゃない』、って。
(どうして、どうして……)
あきらめきれない。
こんな汚れた場所にあれを、放置するしかないだなんて。
彼がくれた、大切な物なのに。
ここはどうして、汚れ続けるのだろう。
どうしてワタシは、こんなところに落としてしまったの?
でも。
(わかった……わかった)
アナタがいれば。
ケガレが消えれば。
……私が、いれば?
キィ、と音がして。
私はビクリ、と身をすくませ……とっさに『歌』を遮断し、そうっと振り返る。
「あれー、御崎さん?」」
まん丸メガネ、ゆるふわボブカット、の……戸田先輩、だ。
「えっ、あっ……戸田さん、えっと、オハヨウゴザイマスッ」
「おはよう。早いねー、まさか先客がいるとは思わなかったよ」
「えーと、その。混んだ電車が苦手で、いっつも早めに来てるんです。戸田さんこそ、どうしたんですか?」
そうっと腕時計を確認したら、始業30分前。戸田さんはいつもギリギリ出社だったはず。
「あーなんかね、眠れなくてさー」
「ええ? 大丈夫ですか?」
「なんとかね。途中昼寝しに抜けるかもだけど、そのときは内緒でヨロシクー」
私はトイレを出ることにして、彼女……幽霊さんを背に、戸田さんとすれ違うようにして、通路へのドアを押す。と、そのとき。
(どうしよう……)
「……え?」
「ん? 御崎さん、どうかした?」
「あ……いえ。なんでもないです」
聴こえた声は、彼女の声じゃない。
つまり、戸田さんの声……。
はっ、もしかしてっ。
対・幽霊さんのために私、『とみちゃんモード』になっちゃってたから。
戸田さんの音も、拾っちゃった、みたいな?
いやいやいや……そんなの。
勝手に聞いちゃ、ダメだよね?!
<3>水野春臣は踊らされるか
(約4500字)
「このハンカチね。娘が父の日にボクにくれたんだけど、あ、娘は小学2年生なんだけどね」
「……はい」
俺は感情を殺し、合いの手を入れる。おそらく表情も死んでいるだろうが、そういうのを気にする相手ではないので、まぁいいか、と思う。
「いやね、娘がさ。ボクに毎日確認してくるんだよ。『パパ、ハンカチちゃんと持った?』ってさ」
目の前にいるのは、地域フランチャイズとして県内に十数店舗の飲食店を経営する企業の、事業部長。新しくオープンする店舗で導入予定の、弊社の機器に関する説明・日程の確認などは、すべて終了しているのだが……今回の打ち合わせも、本題以外の話が長い。わかっていたことだが。
「ええと。プレゼントのハンカチを使ってるかどうかの、確認ですか」
「え? ああ、まあ、それもあるだろうけど。いまはそれより、ほら、」
不思議そうな顔をされる、意味がわからない。おそらく怪訝そうな顔つきになっていた俺を見て、先方が言った。
「ええ、わかんない? ほらー、いまちょっと流行ってる、あの都市伝説だよ?」
「都市伝説、ですか?」
「本当に知らないの? 『あかないさん』、聞いたことない?」
「いえ、まったく」
ああ……知らねぇからには、教えてくるんだろうなぁ……。
都市伝説、ね。すっげー興味ねぇんだけど。
「しょうがないなぁ。『あかないさん』ってのはね、昔で言うところの『口裂け女』みたいな奴で。一人で夜道を歩いていると、いつの間にか現れるんだよ。白いエプロンを付けた女で、顔はよく見えないんだけど。『開かない、開かない……』って、その女が……つぶやいてるのが、聞こえてくるんだ……」
先方の口調が一瞬怪談めいたものになり、だがそれにはすぐ飽きたようだった。
「で、よく見ると、その女が手にケチャップの、こんくらいの小さな袋、弁当なんかに入ってるアレを持っていて。それの開け口のところで失敗して、自力で開けられなくて困っているとわかる」
「ああ、小袋のアレ。最近のは、あまり失敗しなさそうですけど」
「まあまあ、人それぞれ、事情があるんだよ。で、ここからが問題。さてどうしたら、この女から逃げることが出来るでしょうか?」
「いや、無視してダッシュすれば、」
「残念。包丁を持ったあかないさんに、背中から切られます」
先方のうれしそうな、ニヤリとした笑顔。いや、この部長のことは嫌いではない。なんでか俺を気に入ってくれて、しかも大きな契約をポンと寄こしてくれる。だからまぁ、とことん付き合うしかねぇんだけど……あ、そうか。
「ああ……ハンカチ、ですね」
「ちょっとー、水野くん? 流れをちゃんと読んでよ。ほらもっと、代わりに開けてあげるとか、ハサミ貸してあげるとかさ?」
「それ、どっちも切られるんですね」
「うん、まあ、そうなんだけどさ……あ、でも。どうしてハンカチなのか、わかんないでしょ?」
「まあ、そうですね」
「それは、ね」
先方は「ウフフ」と声に出して笑い。
俺はしょうがなく、その答えを待った。
◇◇◇
「えええ。開けてあげたのに、バッドエンド? なんて理不尽すぎる……」
十緒子が。例の都市伝説の動画を見て、ぶつぶつと言った。
十緒子から、例の幽霊の話、名前を訊き出せたことなんかを、聞いたあと。
ふと、今日耳にしたばかりの、あの都市伝説のことを思い出し、十緒子に知っているかを尋ね。十緒子の答えも『初めて聞いた。流行ってるんだ?』というものだったが、興味を持った十緒子はすかさず『あかないさん』で検索をかけ、見つけたのがこの動画だった。
十緒子の部屋のちゃぶ台には、味噌汁と白飯、ひき肉と野菜を足したレトルトの麻婆春雨、葉をちぎっただけのサラダ、缶ビール、そして十緒子のスマホが、所狭しと並んでいる。
「怪異なんて理不尽なモンだろ」
「そうだけど。世の中の『どこからでも切れます』に背を向けられてる身としてはさ、おお、仲間よ! って思ったのにさ?」
「大げさだな。そもそもおまえ、あの小袋、開けられなかったか?」
「最終的にはなんとか開けられる、けどいっつも飛び散っちゃう……あ、え、ハンカチ?」
『女は、渡したハンカチをじっと見つめる。女の手は、いつも冷たく湿っていて、女が小袋を開けられないのはそのせいだ。乾いたハンカチがあれば手が滑らないかも、と考え、ハンカチを見つめるのだ。しかしそこで、その成り行きをじっと観察し続けてはいけない。この瞬間が逃げられる最後のチャンスだからだ……』
動画の早口なナレーションを、十緒子は箸を止め画面を凝視しながら、俺は缶ビールをあおりながら聞く。ちゃぶ台にカン、と乾いた音を響かせて缶を置くと、十緒子に「あ、もう一本いる?」と訊かれ、俺は少し考える素振りを見せてから、言った。
「いや、やめとくわ。これから夜道を、一人で帰るからな」
俺としては。
なんの意図もない、軽い冗談だったのだが。
「……どうしよう。そんなことって、」
「あ?」
「私、いままで……普通に、家まで送ってもらってたけど。そうだよね、そういうことだって、あるかもしれないのに……」
「ハッ、おまえ。ただの冗談に、なに深刻になって……いや一応言うが、あれは都市伝説だからな? それにだな、俺が怪異対策で護符を身につけてるのは、おまえも知ってる、」
「っ、今日は! ウチに泊まってって!」
「……泊、まっ?! ……いや待て。いったん落ち着け、おまえも……俺も」
その後。俺はまず、俺自身の身の内に湧く誘惑を、どうにか抑え……クソ、思った以上にキツい、初めて言われたからって……なのに十緒子のヤツ、こっちの気も知らないで、ゴネやがって。あー、なんでまだ火曜日なんだよ、クソッタレ。
もういいから、口塞いでやろうか……いや。
それは、禁じ手になったばっかりだ。
「とにかく、俺は帰るからな」
「せめてタクシーなら、歩きじゃなきゃ、だいじょぶっぽいし、」
「もったいねぇだろ。ったく、いつも通り帰るだけ、いままでなんの問題もなかったろうが」
「それはそうなんだけど、でもでも、でも……あっ、わかった! これからは、私が家まで送ればいいんだ!」
「なっ、そんなん、意味ねぇだろ。おまえの帰りを、また俺が送んのかよ?」
「違うもん。いいこと思いついたんだ、私が幽体離脱して春臣を送れば、」
「っ、俺が! それを納得するわけねぇだろっ!」
視界の端に、紫の光と茶色の光。無意識に俺は、奴らを探していたようで……アホか、ヘビどもなら十緒子を止められる、とでも思ったのか?
紫ヘビは俺らをじっと見つめてはいるが、無言のまま、微動だにせず宙に浮いている。茶色いほうは鼻歌を歌いながら、リズミカルに天井近くを漂っていて……。
と。
ポンッ、という音がして、もう一匹ヘビが現れた。
(♪ いいタイミング、橙の ♪)
茶色の奴が歌うように言い、現れたオレンジ色が、ふらふらと茶色に向かって、宙を泳ぐように移動した。が、茶色は尾を振りかぶるようにして、バシン、とオレンジ色を弾き返した。
(タイムリー……それも運命……んふっ)
「あれっ、だいちゃん、お帰り!」
オレンジ色に気付いた十緒子が手を伸ばし、飛んできたオレンジ色を受け止める。身を起こして十緒子に頬ずりをするオレンジ色に、十緒子も頬ずりを返し、そこで「あっ」と声を上げた。
「なーんだ、そっか。私じゃダメなら、みんなに送ってもらえばいいよね?」
◇◇◇
オレンジ色を見た十緒子は、オレンジ色が少し前、俺の近くに湧いた邪を散らしたことを思い出したらしい。▼
おかげで俺は、やる気がなさそうに宙を飛ぶオレンジのヘビと、一時も落ち着かずに踊りっぱなしの茶色ヘビを従えて、夜道を歩く羽目になった。
まぁ当然、帰り道には何事もなく。
道中俺が考えていたのも……都市伝説のことなどではなく。
マンションの前に着いたところで、俺は奴らに「訊きたいことがある。上まで来てくれないか」と言った。
奴らがついて来るのを確認し、俺は無言でエレベーターホールを抜け、部屋の鍵を開けてまっすぐにリビングに向かい、ソファに腰を下ろし。
二匹はソファ前のローテーブルに身を立たせるようにして、浮いていた。
「訊きたかったのはオレンジ、おまえにだ。ちょっと待っててくれ」
そう言ってから俺は、リビングを出て玄関近くの、十緒子も中に入れたことのない、いつも鍵をかけっ放しの部屋の前でキーケースを取り出し、部屋の鍵を開ける。一冊の、和綴じされた古い本を手に取ってリビングに戻り、二匹の前で広げてみせた。
「なあ、これは。おまえに、関係のあるものなのか?」
チカのあの部屋から見つけ出し、パクってきた本。
チカが本に付けていたらしい追跡の符は、あのときの緑色が放った術のせいで消えたらしく、あとから探しても見つからなかった。
その古い本に書かれているのは、水野の家に代々伝わる、符の秘伝の数々だった。
「俺にはこの内容が、半分くらいしか理解出来ねぇんだが。おそらく俺が学ばなかった、退魔用の符の説明が書いてあるんだろうと思う。これは……おまえが口から出したあの文字、あれと同じもの、なんじゃないのか?」
二匹はそろって、本をしげしげとのぞきこみ、そして。
先に口を開いたのは、茶色のほうだった。
(♪ 引き寄せて。引き寄せられて、いまがある ♪)
「……は、あ?」
(♪ 歌歌うから響き合う、響き合っては引き寄せる ♪)
わけわかんねぇ、どうしろってんだ……いや。
十緒子に引き寄せられたのは、俺だ。
で、挙句に。
水野の家の秘伝が、十緒子のヘビどもに関係してる、とか……。
突然、オレンジ色の透明なヘビの体が、光を放つ。
オレンジは口をもごもごとさせ、それからなにかをぽいと吐き出し。本の、開いた紙の上に落ちたそれは生き物のように蠢き……書かれている文字に、取って代わった。
「……っ!」
(血の約束が、生きている……ソレガシ、たかぶる……)
「つまり、俺が考えた通りってことか? そう、なんだな?」
目の前で文字を書き換えてみせ、『血の約束』という言い方をする。
俺が考えた通り……水野の先祖に符と符の文字を伝授したのは、やはりこいつだったのか。
驚いては、いる……しかし、それよりも。
俺はオレンジ色に向かって、冷静に続けた。
「……なら、俺に教えてくれ。この本に書かれていること、それ以外のことも。俺が符を扱えるようにしてくれないか?」
(踊らなければ……次のステップは踏めない……んふっ)
ポンッ、という音とともに、オレンジ色のヘビの体が消え。
それを見た茶色ヘビが(♪ 今日は残念、また頑張って ♪)と歌いながら、やはりポンッと音を立てて、姿を消した。
……『次のステップ』?
そして『今日は』に、『また』?
なにを言っているのかわからねぇ。
俺は……奴らに、踊らされてる?
いや。
俺がこれから先も、十緒子といるのなら。
それこそが唯一、俺に出来ることかもしれない。
ったく。
上等じゃ、ねぇか。
つづく →<その22>執筆中です
あなたに首ったけ顛末記<その21>
◇◇ 歌い踊るは人の性 ◇◇・了
(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)
【2024.09.29.】up.
☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい
【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!
【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】
【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ
<その21> 歌い踊るは人の性
・『あなたに首ったけ顛末記・目次』
↑ サブタイトル込みの総目次を載せた記事です。
・マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
↑ 第一話から順番に並んでます。
・#あなたに首ったけ顛末記
↑ ”新着”タブで最新話順になります。
・マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
↑ <その14>のあとに書いたのでその辺でお読みいただくと楽しいかも?
#眠れない夜に #長編小説 #小説 #物語 #現代ファンタジー
#ラブコメ #ラノベ #駒井かや #あなたにニヤニヤしてほしい
#求愛給餌 が書けたので余は満足じゃ
#あかないさん やっと出せました奇しくも2年前の今日の記事
#周波数 にキョーミがあったりなんかする今日この頃
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ご来店ありがとうございます! それに何より、 最後までお読みいただき、ありがとうございます! アナタという読み手がいるから、 ワタシは生きて書けるのです。 ありがとう、アリガトウ、ありがとう! ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー➖ ー