あなたに首ったけ顛末記<その14・耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ>【小説】
あなたに首ったけ顛末記<その14>
◇◇ 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ ◇◇
(15900字)
<1>御崎十緒子は掃除する(1)
(3200字)
「んん、じゃあこの部屋はお願いしちゃうから。あとで見てあげるし、適当にやってみて~」
華緒ちゃんはそう言って、この部屋から出ていった。「ええ、ちょっ、待って華緒ちゃん、」と言いかけた私の目の前で、ドアが閉まる。間を置かずに、隣の部屋のドアが開く、きしんだ音が聞こえてきた。
築4、50年とかいう、年代物の二階建てアパート、すみよし荘。その201号室にひとり残された私は、玄関先でそうっと振り返り、なにも置かれていないカラッポの室内を見渡す。
「むーちゃん、あのさ。この部屋はその、なにかいる……の、かな?」
私は、すぐそばで宙に浮いている、紫色に光る小さなヘビ、むーちゃんに訊いた。
(…………)
「むーちゃん、あの? なにか言って、怖いからっ」
(…………いないこともない)
「ええっ、それって、どっち? やっぱり、いるの?」
(…………)
「むーちゃんっっ?!」
◇◇◇
私、御崎十緒子、26歳会社員。
どこにでもいる普通の女子のはずだったのだけど、ある日、首フェチという自分の性癖に目覚めてしまったことがきっかけで、普通とは言えない女子になってしまった。
電車で見初めていた首の持ち主のところに、生き霊になって押しかけてしまって。
でもその首の持ち主、水野さん(26歳男子・イケメン、濃い目)に、命の危機を救われ。
別の生き霊さんとの出会いがあったり、なんだかんだがあったりで、忘れていた過去を思い出し。
思い出したことによって、私に施されていた封印が解かれ、幼い頃一緒に過ごしていたヘビのみんなが、次々と姿を現した。
人のことばを話したり、消えたり現れたり宙に浮いたり、不思議な、魔法みたいな力を持っていたりなんかする、ちょっと普通じゃないヘビのみんなは、全部で十三匹。
私と一緒にいてくれるのはそのうちの十匹。
それは、ヘビのみんなと併せて封印されてしまっていた、私の記憶が少しずつ戻ってきて、思い出せたこと。
つい先日、十匹のみんなが揃って。
やっと私に戻った、私になれた、そんな気がした。
もちろん、私と付き合ってくれることになった水野さんの存在が、すっごく大きいのだけど。
水野さんがそばにいてくれなかったら、十匹のみんなは揃わなかったと思うし。
……んで。
なんだか腹が据わって、よし、って思えるようになった、いま。
私はさっそく、華緒ちゃんに、連絡することにしたのだ。
『ヘビ様たちのこと?』
「うん。ちゃんと知っておきたいなって。小さい頃の記憶、まだ全部思い出せてないし。あと、そう、華緒ちゃんのお仕事のことも、訊いてみたいから」
『そっかー、わかった。じゃあねえ……ああ、ここの土曜日の依頼、十緒子に手伝ってもらっちゃおっかな』
土曜日の朝早く。海藤さんの運転する車に小一時間ほど乗せられ、華緒ちゃんに連れていかれたのが、この取り壊し直前の、すでに住人のいないアパートで。
アパートの階段の下で華緒ちゃんが、片手を腰に当てながら言った。
「オーナーがおばあさまの、古くからのお知り合いでね。取り壊して新しいアパートを建てる前に、視てほしいそうなの。普段ならほかの人に回すレベルのお仕事なんだけど、特別待遇で、私がこの依頼を受けることになったわけ」
落ち着いた色合いなのに華やかな、そしてお値段の高そうなジャケットにパンツ、上品な光沢のあるヒールを履いた華緒ちゃんは今日も美しく、キレイなお姉サマに弱い私は、ついつい見惚れてしまう。その華緒ちゃんの肩の上、ゆるく巻く明るい色の髪をかき分けるように、金色ヘビのハナちゃんが顔を出した。
(なにもせずとも、なんの障りもなさそうだがの)
ハナちゃんがそう、音のない声で言うと、華緒ちゃんが、ハナちゃんを手の甲に乗せながら答える。
「んん、それならそれで、ラク出来ていいんじゃない?」
「あのー、華緒ちゃん。これからやるお仕事ってつまり、」
「お掃除、かな?」
「お掃除……」
「取り壊すとき、やっかいなことが起こったりしないように、ね。すっごく丁寧な方なのよ、こちらのオーナーさん。普通こんなことまでしないんじゃない? ま、ちょっとだけ? なにかあったっぽいけどね~」
「なにか、あった……お化けが、出た?」
「うふふ。十緒子ったら、そんなに怖がらなくっても大・丈・夫! それに私の仕事、知りたいんでしょ? まだ、なーんにも起こってないのにそんな、ふふふっ」
肩をすくめてちっちゃくなってる私を見て、華緒ちゃんが笑う。うう、ひどい。
ちゃんと知らなきゃ、と思って、覚悟はしてきたつもりなんだけど……いざとなると、やっぱり怖い。
そう。華緒ちゃん、私のお姉ちゃん(ほんとはハトコだけど)である御崎華緒子のお仕事は。
なんと、怪異・人外と呼ばれるものに関する、よろず相談承り、なのだそうだ。
『怪異に関するコンサルティング、ざっくり言えばそんな感じ? ああ会社、御崎コンサルティングはね、個人事業主な霊能者さんや風水師さんに、お仕事紹介もしてるのよ。登録料は無料、紹介料は少-し頂戴するけどね』
と、華緒ちゃんは車の中で説明してくれた。
しかもそれは、おばあさまも、私のお母さんも関わっているそうで……。
『ま、でも。十緒子はべつに、興味ないならそれでいいのよ? 私はたまたま性に合ってたから続けてるだけだし。私もね、よく叔母さまに『絶対に無理はしないで。嫌ならやめていいから』って言われてた。だから十緒子も、嫌なら嫌でいいんだから』
って、言ってたのに。
華緒ちゃんてば部屋に連れてくるなり、「それじゃ、お掃除はじめよっか? ヘビ様たちがいるから、平気よね? んん、じゃあこの部屋はお願いしちゃうから。あとで見てあげるし、適当にやってみて~」って、出てっちゃったんですけど?
説明とか、説明とか、説明とか!
ひとっつも、なかったんですけどっ、どういうことでしょうか!
『掃除する』ってことしか、わかんない、ってか『掃除』って、お化けを?!
◇◇◇
(なんにもいないよ、十緒子)
無言のむーちゃんの代わりに応えてくれたのは、黄色ヘビのきーちゃんだった。
今日、私と一緒について来てくれたのは、むーちゃん、きーちゃん、それから赤色ヘビのべにちゃん。べにちゃんは、ハナちゃんみたく私の肩の上、髪の中にいる。
きーちゃんは、きょろきょろと首を振って、それから首をかしげた。
(残り香くらいなもんだ、わかるだろう?)
「ノコリガって、残り香? なんか残ってるの? ってことはやっぱり、」
(なにビビってんのさ、やだね。ほれ紫の、とっとと十緒子に見せてやんな)
すると、むーちゃんが、ポンッと私の目の前に移動してきた。どんどん近づいて、視界が紫色の光でいっぱいになって、むーちゃんの姿が消える。
(十緒子、見えたかい?)
「……見えた」
見えちゃった。
部屋のすみっこに、もやもやしてる、なにか。
ゆらゆらと揺れているけれど、膝を抱えて座ってるような……気がする?
「きーちゃん、あれって、」
(だから残り香だよ。場に焼き付いちまった残留思念、生き霊の残りカスみたいなもんさ)
「い、生き霊っ?!」
(あれは生き霊じゃないよ、十緒子。まったく……ほれ、しゃんとしな!)
きーちゃんがヘビのしっぽで、私のおでこをペシリとはたいた。ピリピリッ、と頭から全身に痺れるような感覚がして、私は思わず背筋を伸ばす。
(アタシがいない間に、どれだけ甘やかされてたんだい? ちゃんと自分の目で見て、耳で聞いてごらん)
自分の目で見て、耳で聞く。
そのことばに私の胸が、きゅうっ、と小さな痛みを発する。
怖いからって、いつまでも目を閉じてはいられない。
覚悟してきたのに、私ってば。
まだ、目をつむってる、なんて。
<2>御崎十緒子は掃除する(2)
(2700字)
私は、ちゃんと見ていなかった。
いろんなことを。
だから、水野さんのことも。例えば、にらんでたわけじゃないのに、にらんでるって誤解して、勝手に怒ったりして。
「……怖いか?」
水野さんに、訊かれた。
ついさっきまで、口と口が触れあっていた、至近距離。私は彼の目を、ちゃんと見る。彼の気持ち、彼が欲しがっているものを、理解したいと思う。
怖くない、よ。
でも私は返事をせず、ただ彼を見つめていた。
「怖いんなら、目ぇ閉じとけば」
そっけない言い方は、わざとだ。
ほんとは、そんなこと望んでない。
俺から目をそらすな、と。
その目が、言ってる。
ちゃんと、見れば。
こんなにたくさん、わかるんだ……。
◇◇◇
(オレさー、十緒子のメガネ役、実は結構サボってたのさー)
青色ヘビのあおちゃんが言ってきたのは、ついこの前の話。
あおちゃんは、人から立ちのぼる陰の気由来の、あのイヤなもやもやを見たくない私のために、私のメガネになってくれていた。出掛けるときはいつも私の目に重なって、あおちゃんの力(水の力がどうとか)で、あのもやもやをごまかす、認識阻害をしてくれていたのだ。
「え、それって、」
(そーだよー、もう十緒子はオレがいなくってもー、出来てるのさー)
「そうだったの? でも私まだ、なんにもわかってないのに」
(だーいじょーぶー。なあ、紫の?)
(…………)
むーちゃんは黙ったまま、こっくりとうなずいた。
宙に浮いた二匹のヘビ。あおちゃんが、むーちゃんをつついた。
(紫のよぉー、あとは頼んだからなー)
(…………)
(これだからなー。まあいっかー)
そうやってあっさりと、あおちゃんが引継ぎを済ませてしまった。でもその理由も、私にはわかってる、最近少し思い出したこと。
むーちゃんは、むーちゃんこそが、私の目と耳なのだ。
(……十緒子)
黙ってたむーちゃんが、言った。
私は手を差し伸べ、むーちゃんにその手のひらに乗ってもらう。
(十緒子は。見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞けばいい)
むーちゃんが、私の目をじっと見つめる。
正直、いろいろとよくわからないのだけど、私はむーちゃんに返事をした。
「むーちゃん……うん、わかった、やってみるね」
だってもう、怖くない。
みんなが、そして水野さんが、そばにいてくれる。
だから。
たぶん、私にも出来るはず、なんだ。
◇◇◇
すみよし荘201号室で。
ポンッ、と音がして、むーちゃんが飛び出してきた。
(こら、紫の。まだ出てくるんじゃないよ)
(……十緒子、無理するな)
きーちゃんを無視して、むーちゃんが言った。
心配させちゃった、かな。
首元でべにちゃんも、すりすりと私を撫でてくれている。
「ありがと、むーちゃん。べにちゃんも、ありがと。でも、きーちゃんは、私が出来るってわかってるから、言ってくれてるんだよね?」
(もちろんさ)
「ふふっ、よっし。なんかね、怖いの、和らいだかも。きーちゃんのビリビリが、効いたのかな?」
それに、ちょっとわかった。むーちゃんのおかげで感覚、つかめたかも。
そう。むーちゃんが私の目からいなくなっても、私にはいま、そこにあるもやもやが見えている。
あおちゃんが、ほんとは認識阻害をしてないのに、してると思い込んでいたときも。
乗っていた電車でも、私はあのもやもやを見なくなっていたのだから、って、ことは。
いま。私は自分の意志で、アレを見ているのだ。
あれは、お化けじゃない。
きーちゃんの、言った通りのモノ。
生き霊にあるはずのコードがないし、なにより、なんというか……魂が、ない。
なんだ。うん、怖くない、かも。
ほかにもなにかいないか、探してみる。といっても、六畳間に小さなキッチンとトイレが付いているだけの狭いお部屋なので、あっという間。押入れの中も視たけれど、あの体育座りのもやもや以外、なにも見つからなかった。
「お掃除って。これを、お掃除しないといけないのかな?」
(建物がなくなりゃ、コイツもいなくなるだろう。放っておいても、どうにもなりゃしないよ。けど、十緒子は? どうしたい?)
きーちゃんが私を見る。
うーん、どうしたい、って言われても。
そうだなあ、でもこのままっていうのも、なんか。
なんでだろう、このもやもや、ちょっとツラそうなのだ。
「ツラそうにしてるのは、なんだかなって思うんだけど」
(そんなら、消してやればいいのさ)
「そっか! じゃあさっそく、ってどうやるのかわかんないや」
(自分でやらなくても。こんくらいなら、アタシらに命じればいいじゃないか)
ああ、そうだよね。華緒ちゃんでもないのに、なんで私に出来るって思っちゃったんだか……そっかそっか、この道のスペシャリスト、ヘビのみんなにお願いしちゃえばいいのか!
「じゃあ、お願い!」
(誰にする? アタシかい、それとも、)
きーちゃんが言い終わらないうちに、むーちゃんがあのもやもやのところにポンッ、と移動して、その小さなヘビの体がピカーッと紫色のキレイな光を発する。と同時に、同じ紫色の煙がどこからか出現し、その煙がもやもやに、するすると巻き付くかのように、渦巻いて。
次の瞬間。煙がもやもやと一緒に、ぼわんと消えた。
それを見ていた私は、おうっふ、と、思わずヘンな感嘆詞を漏らしそうになってしまった。
なにこれ、やだ、むーちゃんカッコイイ。
リアル魔法っぽい、特殊効果感、すごいなあ……。
(なんだい、抜け駆けかい)
(終わっちゃった)
きーちゃんがハッ、と息を吐いて言う。べにちゃんも、私の髪の中から飛び出していたようで、宙に浮いたまま首をかしげた。
「むーちゃん、ありがと! きーちゃんとべにちゃんも、やってくれようとしたんだよね。よっし、このお部屋のお掃除、おしまい、でいいよね。私、なーんにもしてないけど! 華緒ちゃんに見てもらお!」
スッキリした気持ちで、私は201号室から、みんなを連れて外に出た。
ん。
なんだろう、この。
キィキィ、って、声。
音? ううん、声だ、これ。
すっごくちっちゃい声なんだけど、耳障りな感じがする。
「むーちゃん、なんか声が聞こえない?」
(…………)
むーちゃんが、無言のまま、ポンッと音を立てて消える。
あ、なるほど、わかった。
私は両手のひらを耳に当て、目を閉じ、耳を澄ます。
つまり。『むーちゃんイヤーは地獄耳』作戦。
むーちゃんに私の耳になってもらい、私は音の発する元を探す。
……ああ、あそこ、かな?
私は、すみよし荘の急な外付け階段を、ゆっくりと降りていった。
<3>溺れる水野春臣は油断する
(3100字)
本当に、こいつは。
なんだってこう、素直に言うことを聞きやがるんだ。
俺がやれと言えばやるし、俺を疑いもしない。
信用されてる、それがわかり、それ故に。
からかうように無茶振りして、十緒子のその反応を愛でる。
クソかわいい……それはさておき。
一方で、たぶん俺は、十緒子を試している。
なぁ、ソレはどこまで許容できんの? という具合に。
まぁその勝負も、やっぱり俺が負けるわけで。
十緒子はそれを受け入れる度量、強さを見せてくるし、無茶すぎることは試す前に俺が、さすがにこれはこいつに許されないかもしれない、という恐怖に負けてしまう。
相反することを考えている、メチャクチャな心理状態。
俺はこんな、ウザいヤツだったのかよ。
ウザい、ってか、溺れてる。
しかも、溺れっぱなしとか、さぁ……。
バカじゃねぇの、俺。
いい加減、少しは泳げよ。
って、なんだよ、この思考も、意味わかんねぇよ。
◇◇◇
「悪いけど。先、シャワー浴びてくる」
そう言って、十緒子から身を離そうとして。十緒子が、俺の腕をつかんでいたその手に軽く力を込める。ベッドサイドランプの光に照らされた涙目が、俺と視線がぶつかった途端にピクリと震えた。
「ん? なんだよ」
「あ、の。水野さん、は? えっと、まだ、その……」
「へぇ、初心者のクセに、気になんのか? 見る?」
「っ、えっと……きょ、今日は、見ないでおく」
真っ赤にしているだろう顔をふいっとそらし、ぎゅっと目をつむる十緒子に、思わず口の端が上がってしまう。ふーん、『今日は』。
「おまえはまだ、そういう心配するレベルじゃねぇだろ。自分が泳ぐことだけ考えてろ」
「……泳ぐ?」
十緒子が、そうっと目を開けて、俺を見る。
……は? なんで、『泳ぐ』?
俺の口から勝手に飛び出した例えに、俺自身動揺したが、表情を崩さないようにして適当に続ける。
「っ、いや、泳ぐ、練習……まあ、あれだ、いまはまだ『水と親しむ』とか、そんなトコじゃねぇの」
「水と親しむ……あっ、小学校の、プールの時間? 『顔を水につけて、水の中で目を開けてみよう』、みたいな感じ?」
「フッ、だな。で、どうなんだよ、今日は出来たと思うか、それ?」
「ええっ、……う、わ、わかんない、けど、」
「けど?」
「水、は。もう、怖く、ない……」
「へぇ。なら、目を開けてみよう、は?」
「え、ええっと、わかんないけど、前より、は……?」
そういやあ……あれだけ俺の首を観たり触ったりしていたこいつも、こうなるとさすがに余裕がねぇんだな、と思っていたのだが、今日は俺の目をまっすぐ見返してきた。
何気にこいつも必死なんだよな……クソかわいい……の、だが。
俺は、容赦しない。
十緒子に『いいこと思いついた!』という前置き付きで言われたことを、かなり根に持っている。
「大体なあ……。そんなレベルの初心者が、『痛くなりそうなトコロは幽体離脱するので、心置きなく存分に』なんて、ふざけたこと言うなよな」
「だ、だって! 最初が痛いのはしょうがないってよく聞くし、じゃあそれならどうしよう、って、」
「魂抜けてんのとシて、楽しめるような男なのかよ、俺は」
「……あ、えっと、その……ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです、私はただ、うひゃっ」
十緒子の敬語な語尾に、反射的に耳を食んで、そのまま舐めてやる。
ったく。こっちだって、準備とか段階的にとか、様子見ながら、なけなしの理性働かせて考えてんのに、人の気も知らねぇで……。
「とにかく、そんなこと言われたんだ、俺にも意地があるからな。痛いなんて微塵も感じさせねぇ、そのための……なあ、今日はまだ余裕ありそうだな。なら、」
十緒子の手を取り、俺の首に回させてやりながら、そのまま耳元で続けた。
「少しレベルを上げて。つかまってバタ足の練習、か?」
……にしても、えっらそうに。
泳ぎ方を教える、って?
溺れてるヤツが、なにをほざいてんだろうな、マジで。
◇◇◇
「そうだ、今度の土曜日は、華緒ちゃんのお仕事について行くことになって」
「へぇ」
土曜日の午前、俺ん家のダイニングで向かい合って。十緒子の話に相槌を打ってから、俺はコーヒーをひと口飲んだ。
時刻はもう昼前だが、トースト、オムレツ、サラダ、スープと内容的にはモーニングなメシを食っている。
爆睡していた十緒子が起きてシャワーを済ませ、それまでに俺が適当に揃えたメシを見てまん丸な黒目をさらに見開いて、「わあ、きれいなオムレツ、すごい、お店のみたい、食べちゃうのもったいない」と言いながら腹を鳴らし、真っ赤になりながら「いただきます」と手を合わせて食べはじめてから、俺は飽きもせずその様子を眺めている。以前よりは食べる量が減ったとはいえ、その手にしているトーストは4枚目。十緒子のオムレツは、玉子4個分。
その割に腰はあの細さなんだもんな、いったいどうなってんだよ、と昨晩見たモノを反芻するなどもしており、頭の中が忙しい。
いま目の前にいる十緒子は、持参した部屋着ワンピースを身に着けているのだが。
「場所なんかは守秘義務があるから、教えちゃいけないんだけど。華緒ちゃんのお仕事はなんと、」
「ああ、特殊なコンサルティング、か? 例えば霊や怪奇現象なんかの」
「あれ? 知ってたんだ」
「まあ、な。で? おまえもそれ、やんの?」
「ついでに、教えてもらうだけで……ヘビのみんなのこと、もっと知りたいって言ったら、連れてってくれることになって」
オムレツの最後のひと口を満足そうに頬張り、飲み込んで、バターを滴らせたトーストをかじる。口の周りをペロリとひと舐めしてからスープを飲み干し、スープカップを置いてまたトーストに手を伸ばす。それも食べ終わり、「ごちそうさまでした!」と手を合わせた十緒子が、「でも」と言った。
「華緒ちゃんの、仕事。というか、おばあさまやお母さんのやってた仕事、小さい頃手伝いたくってしょうがなかったの、思い出して。だからちょっと興味あるかもしれない」
「幽霊とか、怖いんじゃねぇのか」
「怖いけど、すっごく怖いけどでも、じゃあヘビのみんなだって不思議現象といえばそうだし、とかいろいろ考えてたら、なんか……ええっと、みんなのこと知るのと、お化けや華緒ちゃんのお仕事のことを知るのは、同じような感じがして、だから。よし、とにかく勉強してみよう、怖いけど頑張ってみようかな、って」
時折眉根を寄せ、首をかしげながらそう言った十緒子を見ながら、俺はなんの返事も出来なかった。
「って、なに言ってんだか、自分でもよくわかんないや。あ、片付けるのと、洗い物! 私がやる、座ったままでいいから……へ? え? あの?」
俺が立ち上がると十緒子も立ち上がり、そう言いはじめたところで俺はそれをさえぎって、手を引いてソファへ連れていく。先に座ってから、十緒子を俺の上に座らせて抱えた。
なんだよ、この。
置いてかれるんじゃねぇか、っていう、焦りのような、なにか。
「……もう少し、ここにいろ」
「っ、ハイ、カシコマリマシタ?」
真っ赤になって固まる十緒子の首筋に顔を埋めると、背中と後頭部に、そっと手が回されたのを感じる。
水の中で。
目も開けられないで溺れてるのは、俺の意志で。
なのに、置いていくな、とも思う。
自信を取り戻し、前に進もうとする十緒子に、焦りを感じてんのか。
こっちは、そばにいる覚悟を決めたばかりだってのに。
まあ、でも。結局のところ。
俺は、溺れるのを楽しんでる、よな?
十緒子に甘えるのを、俺が俺に許してる。
まだもう少し、このままでも。
いい、よな……?
<4>御崎十緒子は掃除する(3)
(3000字)
すみよし荘の一階、各戸の玄関が並ぶ、廊下側。
歩道にアパートの側面を見せながら建つすみよし荘の、歩道とは反対側の奥のほう。
廊下と、隣家との境にあるブロック塀との間に土が見えていて、そこに、かつての住人が置いていったらしい植木鉢が並んでいる。ひょろひょろとしたなにかが植わっていたり、土しか入っていなかったり、割れたり転がったりしている鉢の並び、いちばん突き当りの奥には、葉の落ちていない背の低い木が何本か、鉢ではなく、直に植えられていて。
キィキィというあのヘンな声は、そこから聞こえてきた。
これはヒイラギ、こっちはええっと、アオキ、あとナンテン、だったかな?
濃い緑色の葉、アオキとナンテンは鮮やかな赤い実をつけている。
高校を卒業するまで住んでた、御崎本家のお庭にも植わってたっけ。
んで。
それぞれの葉っぱに、なんかキモチワルイのが、からまってるよね……。
ヒイラギやアオキまであと数歩、くらいのところで、私は足を止めた。
葉っぱにからんでる、キモチワルイ、黒いもやもや。
ぬらぬらと形を変えているのだけど、一瞬、人の髪の毛のように見えるときがあって、背筋がザワッとする。
(十緒子ちゃん、これ。なんとかしてほしいんだって)
そう言ったのは、べにちゃん。いつの間にか低木たちのそばの土の上にいて、木を見上げている。
(全部捕まえたかったけど、ここまでしか出来なかったって)
「べにちゃん、それって、誰とお話してるの?」
(うーんとね、地霊? 土地神様? みたいな感じだよ。あのね、これ、鬱陶しいんだって)
「ええっと……」
土地神様って、すごい単語出てきた。
うん、それは。ちょっと置いとこっか?
そんでもって……これ、この黒いのは、邪だ。
人に悪さをするモノ、そのカケラ。
生き霊になった冬芽さんにまとわりついてた、アレと同じ。
だから、つまり。
「これってやっぱり、『お掃除』しちゃったほうがいいよね?」
(うん。放っておくと悪さする奴だよ)
(本体は、移動してるね)
きーちゃんが、首を巡らせながら言う。
また、今度ははっきりと、キィキィ言う声が聞こえた。
うう、気持ち悪い、ぞわぞわする……嫌だ、これ。
(この木のおかげで、本体も本領を発揮できなかったようだね。十緒子、まずこいつらから、消してもいいかい?)
「うん、お願い!」
と、黒いもやもやが、突如出現した赤い炎に包まれ、シュワッと、一瞬にして消えて。
そして、キィキィというあのイヤな声が、止んだ。
おうっふ。いまのアクション、炎の呪文的なにかっぽい、カッコイイ……。
いまのは、べにちゃんがやったんだよね?
(またかい? 赤の、アンタまで抜け駆けとはね)
(ボク、十緒子ちゃんの役に立ちたかった、から)
きーちゃんに言われて、べにちゃんがもじもじと、ヒイラギの後ろにどんどん隠れていく。
「べにちゃん、ありがと!」
(さて、じゃあ本体は、)
急に、ぞわぞわぞわっ、と嫌な気配を感じて、私は、ばっと振り返った。
瞬間、二階の真ん中のあたりの部屋からパアッと、温かみのある光が溢れる。二階の廊下、つまり一階通路の屋根部分から、黒い液体のような邪が、粘るようにぽとり、と落ちてきた。
うげっ、キモチワルッ。
「んん、ハナったら、逃がさないでよ」
(思いのほか、すばしこいのう)
上から声がして、華緒ちゃんが手すりに身を乗り出して、こちらを見下ろした。
金色ヘビのハナちゃんも、その横で宙に浮いている。
「あら、十緒子? よかった~、それそっちでなんとかして?」
「えっ」
(やっとアタシの出番かい、だけど金のの尻ぬぐいとはねえ、チッ)
きーちゃんは舌打ちを響かせると、その黒い、ぬらぬらしながら形を変え続ける邪の近くに、すっと移動した。
あ、そうだった、きーちゃんは、と思い出した瞬間、きーちゃんの周りでパシッ、パシパシッ、と小さな稲光が走る。
っ、ちょっ、雷といえば! アレとかアレとか、アレとかっ。
心の中でコマンドや技名やなんかを唱えつつ、きーちゃんを見守る。
と、黒いもやもやが、あわてたように分裂をはじめ。
あれ、それはまずいんじゃない? と思ってる間に、もやもやが四散!
「きーちゃんっ!」
(ハッ、アタシから逃げようっての?)
ギラッ、という光と、パシパシッという音が、飛び交って。
まぶしく輝く稲妻の光に、からめとるように捉えられた黒いもやもやが、それぞれの場所で動きを止め、シュウッと蒸発するように消えた。
おうっふ。なにこれ、やだ、カッコイイ。
「きーちゃん、すごいっ!」
(ふふん、十緒子、惚れ直したかい?)
「うん! すっごくカッコよかった!」
手のひらに乗ってくれたきーちゃんを、もう片方の手でそっと撫でる。ポンッ、とすぐそばに移動してきたべにちゃん、それから私の中から出てきたむーちゃんが、すぐ横で浮かんでいる。きーちゃんから手を離して、べにちゃんとむーちゃんの頭を順番に撫でた。
「みんな、すごいんだもん、ふふふっ」
(あのね、十緒子ちゃん、)
べにちゃんが私の髪を少し咥えて、引っ張った。
(さっきの地霊さんがね、ありがとうって言ってる)
引っ張られるまま、ヒイラギ・アオキ・ナンテンのそばに行くと。
急に、足元からぶわっと吹き上がる、なにかを感じた。
(ちょっとだけお礼、だって。あとね、小さくてイヤな奴が横切っていった、気を付けて、だって)
「ええ、え? お礼? え?」
(お礼はね、ボクにまかせて)
言うなり、べにちゃんが消える。
ぽかんとしていると、きーちゃんが言った。
(地霊の礼とは、そんな大層なもんでもなかったろうに。本題はそっちだね)
(おそらくは、彼奴のことかの)
いつの間にか、ハナちゃんが、きーちゃんの横に並んでいた。
(金の、そんなに面倒な奴なのかい?)
(未だに尾もつかめぬとは、口惜しいものよのう)
小さくてイヤな奴、は、『彼奴』?
それって、もしかして。
カツンカツン、と靴音を立てて、華緒ちゃんが階段を降りてきた。
「十緒子、お疲れ様っ! 私の出る幕ないじゃない」
「私もなんにもしてないよ。みんながすごくて、見てただけ」
華緒ちゃんが微笑んで、私を見つめる。
なにか言われるのかな、と思ったけれど、数秒が経過して。
私のほうが先に、落ち着かなくなってしまった。
「えっと、華緒ちゃん? なに?」
「……十緒子。どう、一緒にこの仕事、やってみない?」
「え」
「ちょっと考えてみて? じゃ、残りのお部屋、お掃除済ませないとね! 終わったら、んん、やっぱりお寿司かなっ」
……どきどき、する。
はじめて目の当たりにした、華緒ちゃんのお仕事に。
すごいチカラを見せてくれる、ヘビのみんなに。
知らなかった、世界。
いままでのように、見えなかったし聞こえなかったから、そこにあるってわからなかった。
急に、いまいるこの場所、空間が、とんでもなく広がっていって。
私はいままで、目をつむって耳をふさいで、生きてたのかな。
いろいろと封印されてたのだから、そう言っても間違いじゃなさそう。
見えたり聞こえたりは怖いかも、って、思ってたけど。
華緒ちゃんやヘビのみんなと同じものが見えるのって、うれしい。
ほかの人には、見えないし聞こえない、世界。
なんか、すごい、よね。
……そんなふうに。
私はちょっと、浮かれ過ぎてしまったのだ。
<5>御崎十緒子・目が合ったならご注意を
(3900字)
しまった、なあ。
月曜日の朝。途中駅のホームにどうにか降りた私は、ホームの壁につかまるように寄りかかって、動けなくなっていた。
人から余計な心配をされないように、通話しているフリを続けつつ。
というか、通話が終わった状態から、動けない。
さっきまで聞こえていた彼の声を、耳に残すように。
ほかの余計ななにかを、聞いてしまわないように。
うん。だいじょぶ、もうすぐ、来てくれる。
腕が、震えてる。
動けないのに震えてるって、なんだろう、これ。
そして。
どれくらい、待ってただろう。
「……十緒子! おい!」
両肩をがしっとつかまれ、名を呼ばれ。
聞きたかった声が、また耳に届いて。
……すごく、ほっとして。
私は、ずっと閉じていた目を開け、声のするほうを見上げる。
でも、なにも見えない。
(十緒子。解除、する)
むーちゃんの、ちょっぴり沈んだ声が聞こえる。
ごめんね、むーちゃん。
むーちゃんのせいじゃない、調子に乗ってた私が悪いんだから。
私はもう一度、目を閉じ。
それから、ゆっくりと、まぶたを持ち上げる。
◇◇◇
「目が、合った?」
「うん、合っちゃって」
夕方。オフィスビルからすぐのところある、運河沿いのベンチで。
その運河には、帆をたたんだ大きな帆船が展示用に浮かんでいて、それを眺めるように、水野さんとふたり、並んで座る。
月曜日の夜というのもあってか、周辺にはほとんど人がいない。日はすっかり落ちていたけれど、街灯や船のライトアップ、なにより背後のビル群の明かりがあって、暗くはない。
水野さんが紙袋から、テイクアウトしたコーヒーを取り出して、私に差し出した。私はそれを受け取って両手で抱え、指先を温める。
今朝、あのあと。水野さんと一緒に、どうにか電車に乗って出勤し、でも時間がなくて、なんにも説明できなくて。お昼も、水野さんが社食に来れなくて。
帰り道、また電車に乗る前に話したかったし、なにがあったのか知りたかった水野さんも、それは同じだった。
「土曜日、華緒ちゃんのお仕事を少しだけ、手伝って。そのときに見えたもやもや……生き霊じゃないけど生き霊っぽい残り香とか、黒くて気持ち悪い邪、とかを、見て、聞いて、ちゃんとわかるようになって。意外とだいじょぶ、怖くないかも、って思っちゃって」
膝の上で、灰色ヘビ・はーちゃんと、紫ヘビ・むーちゃんが並んでいる。むーちゃんの、透明感のあるキレイな紫色がぼうっと光って、ほんの少し揺れて。私はコーヒーを片手に持ち替え、むーちゃんの胴体をそっと撫でた。
「調子に、乗っちゃった。電車に乗ってもだいじょぶ、ぜんぜん平気、って、油断してた。あのグレーのもやもやを見て、やっぱり気持ち悪いなあ、やだなあって思いながら、つい……じいっと見ちゃってて、でもそれに気付いたときには、もう遅かった」
ふう、と息をついた。
水野さんの大きな手が、私の肩を撫でるように置かれる。
「……で。そいつと目が合ったわけか」
「うん。なんでか、そのもやもやの持ち主が、私を見て……にらまれて。もやもやが急に私目がけて飛んできて、びっくりして。はーちゃんが風? でガードしてくれて、そのもやもやはすぐ消えたんだけど、なにか嫌な気配が全部、こっちを見てるような感覚になって……ちょうどあの駅に着いたから、逃げなきゃと思って降りたの」
私が降りて動けなくなったあの駅は、水野さんの最寄り駅の、二つ前だった。
「むーちゃんも、すぐ、もやもやが見えないようにしてくれたの。っていうか、視覚カットだったのかな、あれ。水野さん来たとき、目を開けてもなんにも見えなかったの、ちょっとびっくりした」
(十緒子、すまん)
「え、むーちゃん? 謝んないでよ、なんで?」
(やり過ぎた)
「あぁ、そういやこいつ、周囲に対して認識阻害もしてたんじゃねぇか? おまえの気配が、なんというか、薄くなってた気がするんだが。こいつが俺の前に姿を見せて、それがなくなった気がした」
水野さんのことばに、むーちゃんが、こっくりとうなずく。
「そっか、そうだったんだ……」
「その、飛んできたもやもや、ってのは。俺には視えねぇけど、人間、その持ち主の陰の気や悪意、念のようなものってことでいいんだよな?」
「ええっと……」
(そうね。少し先にいた死霊や邪に惹かれてしまったのかもしれないわ。ワタシの風で片付けてしまったから、持ち主はそれを忘れてしまったでしょうね)
はーちゃんが私の代わりに答えると、水野さんの手がビクリと強張った。
「っ、そっちの死霊は、どうなったんだよ」
(ワタシの風と紫のの煙で、多少はダメージを負ったはずよ。でも、最後までは見なかったわ)
それって。たぶん、私を優先してくれたんだ、だから。
はーちゃんの、透明な、それでいて金属っぽいキレイな光沢を放つ灰色の体が、ひゅるん、と私の目の前に飛んでくる。
(ごめんね、十緒子。いつもと違うこと、すぐに教えてあげたらよかった)
私はびっくりして、とっさにふるふると頭を振ってみせる。
はーちゃんにまで、謝らせちゃうなんて。
私、バカだ。
油断しまくってた、私がいけないのに。
それからみんな黙って、私も冷めかけのコーヒーを飲みはじめる。
そしてしばらくして、水野さんが口を開いた。
「おまえ、その。……死霊は、見たのか?」
(十緒子は、見てないわ)
はーちゃんがまた、私の代わりに答えた。
(見ない、と決めた十緒子に、ワタシも紫のも、見せないようにしたのだから)
「そう、か……」
私は、それまでぼんやりと運河と帆船にやっていた目を、水野さんに向けた。
いつものように、眉間にシワを寄せて。
口に手を当て、悩んでいるような、考え込んでいるような。
「水野さん?」
「……奴らを見る、能力? こんなもの。本当は、ないほうがいいのにな」
そうつぶやかれて、気付く。
ああ、そうだ、水野さんは。
水野さんのほうが先に、ずっと、霊感少年をやってきたんだった。
私にはこうやって、ヘビのみんながいてくれたけど。
たいへんなこと、いっぱいあったんじゃないかな……。
と、水野さんの目元が、ふっ、と緩んだ。
「まあでも。おまえにはこいつらがいるし? それに……どうせおまえはすぐ、どうにか出来るようになんだろ」
撫で撫で、撫で撫で撫で。
すっかりコーヒーを飲み終わってる水野さんの手に、頭を何往復もされて。
なんか、すっごくやさしい。
てっきりまた、おまえバカだろ、って。怒られるかも、って思ってたのに。
反省落ち込みモードな私に、沁みてくるようなやさしさだ。
ふと。
今朝のあのホームでのことを、ふわりと思い出して。
あのとき感じた、あたたかくて胸が詰まるような感覚に襲われる。
声が聞こえたとき、すっごく安心して。
目を開けたとき、真っ先に水野さんを見れたの、すっごくうれしくて。
それを水野さんに伝えようかと、思ったのだけど。
顔に急激に熱を感じてしまい、水野さんを見ていられなくなり、目が泳ぐ。
……なんで、どうしよう。
キスしてほしい、キスしたいって、急にそんなの浮かんできて、ええっ、なんで?
残っていたコーヒーを飲み干してそれをごまかすと、水野さんが私からカラのカップを取り上げて紙袋に入れた。
「にしても、今日はこいつら、紫と灰色だけか? うるさいのがいなくて、静かでいいけどな」
「え、ええっと、いるよ? 急きょ戻って来てくれたべにちゃんと、あと、もーちゃんがあとから来て、」
と、ポンッ、と音がして。
桃色ヘビ、もーちゃんが、私の体の中から飛び出してきた。
(呼んだっ? 十緒子ちゃん&番いちゃん、いま、もーちゃんのこと、呼んだよねっ)
「呼んでねぇし。んだよ、一気に騒がしくなったな」
(さみしかったくせに~。あっ、ねえねえっ、チュウしないの?)
「えっ、もーちゃんっ?!」
「は?」
(だって~、こーいうヒトケのないトコで、水辺で夜景でロマンチックでしょ? するでしょ、ねっ)
ふう、びっくりした。
もーちゃんに、心を読まれたのかと思った。
ほっ、と胸を撫で下ろしていると、水野さんに腕をつかまれた。
「どうする? リクエストにお応えしとこうか?」
「っっ! えっとその、ここはお外なので、あとヒトケはある、しっかりある、ダメ、お応えしない」
「フッ、だよなあ。じゃ、早く帰ろうぜ」
するするっと水野さんの指が、しっかりと私の手指に組まれ、引っ張られて立ち上がる。
「家まできっちり送るから。いまなら……奴らも、ヘビどもがいなくても、寄って来れねぇだろうな」
私がぽかんとしてる間に。持ち上げられた手の甲に、彼の唇がトン、と押し付けられ、それから。
耳元に口を寄せて、ぼそりとつぶやかれた。
「おまえも。キス、したいだろ?」
そして、顔を離した彼と、目が合って。
目を見れば、見られれば、たくさんわかっちゃうんだから。
やだ、もう……。
しまった、なあ。
……あのね、水野さん。
私は彼に聞こえないよう、心の中だけでつぶやく。
私はいつか、こんな力いらない、なにも視えなければよかった、って思うかもしれない。でも、それでも。
あのとき目を開けて、あなたの姿がそこにあって。
だからこの場所は、あなたのいる世界なんだ、とわかって。
ああ、よかった、って。
心から、思ったんだよ。
◇◇◇
土地神様が教えてくれた、『小さくてイヤな奴』。
それはやっぱり、華緒ちゃんの腕に傷を負わせた怪異だったのだけど。
それがわかって、ついにそれに遭遇するまで。
そこからさらにもう少し、時間がかかったのだ。
つづく →<その15>はこちら
あなたに首ったけ顛末記<その14>
◇◇ 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ ◇◇・了
(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)
【2023.04.25.】up.
【2023.08.22.】加筆修正
【2024.02.11.】加筆修正
【2024.10.14.】加筆修正
☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい
【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!
【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】
【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ
<その21> 歌い踊るは人の性
・『あなたに首ったけ顛末記・目次』
↑ サブタイトル込みの総目次を載せた記事です。
・マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
↑ 第一話から順番に並んでます。
・#あなたに首ったけ顛末記
↑ ”新着”タブで最新話順になります。
・マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
↑ <その14>のあとに書いたので、その辺でお読みいただくと後々楽しいかもです。
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