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あなたに首ったけ顛末記<その5・手は口ほどに物を言うし言われたがってる>【小説】

ご来店ありがとうございます。コチラは『異能もの現代ファンタジーラブコメ』女子向けライトノベルなお話の<その5>です。お口に合いそうでしたら、ひと口だけでもいかがでしょうか?

前回までのお話:
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル

ここまで読んでくださってるみなさま、本当にありがとうございます。
想定よりずいぶんと高いところからダイブしちゃって話の着地点が未だ見えず、落ちながら空中で手足バタバタさせてますが、諦めないでいられるのはみなさまのおかげです。もう地面に激突でもいい、とにかく着地に向かって頑張りますので、気が向きましたらお付き合いくださいませ。

それでは、ごゆっくりどうぞ~。



あなたに首ったけ顛末記<その5>

◇◇手は口ほどに物を言うし言われたがってる◇◇

(15400字)

御崎十緒子みさきとおこ:絵を描くのが好き、幽体離脱で生き霊になりがちな、首フェチ26歳会社員女子。黒髪ロングふっくら頬の和顔。
水野春臣みずのはるおみ:十緒子にナイスバディと認められた体の持ち主、顔立ち濃い目、口が悪く霊感体質の26歳会社員男子。ほっぺフェチ疑惑。
しーちゃん:人語を話す普通じゃない白ヘビ。十緒子の”従者”で彼女を守るようにふるまう。宙に浮く、金縛りをかける、瞬間移動などの能力を見せた。手のひらサイズ。

主任:春臣の所属する部署の上司、ショートカットのオトナ美人。
生き霊:十緒子の部屋に現れた。その正体は、主任かもしれない? 

<1>御崎十緒子は眼鏡をかける

(5300字)

十緒子とおこ様、あの女。魂のつなぎが、もうすぐ切れます。数多のじゃを、引き連れて)

 生き霊さんに警戒しながら、私、御崎十緒子みさきとおこのウチから水野さん、水野春臣みずのはるおみの住むマンションへ移動した土曜日、彼の部屋のリビングで。
 ソファのローテーブルの上、宙に浮かぶ白いヘビ……この世のものではない不思議なヘビ、しーちゃんが、ふわん、と白く光りながら、音のない声で私たちにそう告げた。

 しーちゃんの言った、あの女、魂のつなぎ、切れる、ということばが、私の頭の中で少しずつ意味を成してゆき……私ははっとして、水野さんを見た。
 ソファに並んで座っていた水野さんの、私の肩と頬にあった手がいつの間にかゆるんでいる。彼は眉根を寄せて、しーちゃんをにらんでいた。

「白、彼女は。あれからどうしてたんだ」
(お知り合いには、お会いになりませんでしたね。しばらくあたりを歩き回り、また車に乗って帰宅されましたが、ずいぶんと遠回りでお帰りでした)
「チッ、知り合いってのは、やっぱり嘘か」

 嘘? じゃああのヒトはやっぱり、水野さんのストーカーさん?
 それって、この前ウチに来た生き霊さんの正体って可能性、大なわけで。
 うーんでも、そんなことより……。

 私は水野さんの手から逃れ、すとん、とソファから床へ体をすべらせ、敷いてあったラグの上にぺたりと座る。ローテーブルに腕を載せしーちゃんに向かって手を伸ばすと、しーちゃんが手のひらに乗ってくれた。

「しーちゃん、魂のつなぎ、って。コード、生き霊さんになったときに見える、実体から伸びてるヒモのこと?」
(はい)
「それが、もうすぐ切れる、って。あの女性ヒト……死んじゃうかも、ってこと?」
(はい。いんの気が、余計な邪を引き寄せているのです。あの魂のズレを戻そうにも、邪なるものが、それこそ邪魔なのです。見たところつなぎが細くなっておりましたし、あのズレが最大限に達すれば、おのずとつなぎは切れるでしょう)

 あの女性ヒト、水野さんの職場の上司、主任さん。
 主任さんの魂が、ズレている?

「最大限のズレって、生き霊さんになるってこと?」
(そうです。あれはおそらく、何度か生き霊になっているのではないでしょうか? いままではどうにか肉体に戻れていたのでしょうが、そのときの反動や苦痛で、つなぎが細くなっていったのではないかと)
「戻るときの、苦痛?」
(邪魔が、苦痛を生むのです。その邪を呼び寄せているのは、他でもない本人なのですが)

 聞いてるだけでつらくなってくる……これ、どうにか、ならないのだろうか?
 そう、例えば。

「しーちゃん、じゃあ、陰の気をどうにかすれば、主任さんは助かる?」
(残念ながら、それほど単純なものではございません。でも、そうですね、邪を遠ざければ、つなぎが自己回復するだけの時間を、多少なりとも稼ぐことができるかと。ああちょうどワタクシ、十緒子様に害を為そうとしたモノがあの女かもしれないことを考慮しまして、一部の邪を蹴散らしてきたのです。あの女、運がよかったですね)

 頭上から、大きく息を吐く音が聞こえた。
 首をひねって振り仰ぐと、水野さんは口に拳を当てるようにしながら、なにか考え込んでいるようだった。

『……直属の上司で、信頼してたしいろいろと相談にも乗ってもらってた。まあ結構、気を許してた』

 ついさっきの、水野さんのことばを思い出す。
 ショック、なのだろう。
 ……それに。
 私が水野さんに教えてしまった、あの生き霊さんのつぶやき。

『(春臣サン……私ノモノ……渡サナイ。オマエ……消エテシマエ)』

 責任、感じちゃうんじゃないかな。
 だって彼は、見ず知らずの生き霊の私のことすら、助けてくれたのだし。
 お世話になっている知り合いならなおさら……。
 私はしーちゃんに向き直って、しーちゃんのちっちゃい目を見つめる。

「しーちゃん。しーちゃんなら、主任さんのこと、助けられるってことだよね?」
(先ほど申し上げました通り、時間稼ぎにしかなりませんが)

 それでも、なんにも出来ないより、マシだ。
 やれることがあるなら、やりながら考えればいいよね!

「じゃ、しーちゃん、おねが、」
「おまえがなにかする必要はないだろ」

 ことばをさえぎられて、その声音にビクリとする。いつもより、低い声。
 しーちゃんをローテーブルに下ろし、そうっと振り返る。

「これは俺のせいで、おまえは関係ねぇんだから」

 ムカ、と胸に生じた違和感を抑えるように、私は胸に手を当てた。
 見上げても、私と目を合わせてくれない。
 水野さん、なんで、怒ってるの?

「か、関係なくなんか、ないです。主任さんかもしれない生き霊さん、私のところに来たんですよ」
「そう、おまえは、ただの被害者。でも、コードが切れて? そのうち来なくなる、万事解決」
「それだと! 主任さん、死んじゃいます!」
「それはおまえには関係ねぇ」
「だって水野さん、生き霊になった私のこと、助けてくれたじゃないですか。それと同じです」
「っ、それとこれとは、違う」

 なんだろう、この冷たさは。
 私が知ってる水野さんじゃ、ない。

「……とにかく、ここで。俺の部屋に、しばらくいろ。例の結界を張り直したから、奴らはここには入れない。その間になんとかなんだろ。ああ、しばらくは会社も休んで、ここにいればいい」
「そんな……乱暴、すぎます!」

 そのとき突然、バチバチバチッと部屋に響き渡るような音がした。

「な……っ、まさか。結界が、破れた?!」
(十緒子様、此奴こやつの張ったとかいう結界、ワタクシ、作れるのですが)

 しーちゃんは、ローテーブルにいなかった。いつの間にか天井に近い高さでふわふわ浮かびながら、より強い光を放っている。叫んで立ち上がった水野さんは、それを呆然と見上げていた。

(人の子が作ったにしてはなかなか強力ですが、ワタクシには効きません。先程は一応、壊さないようにすり抜けてやりましたが。このように簡単に解呪できますし、反対に、)

 耳から頭の中に、キーンという音が入ってきた感覚。それから、空間の在り方、みたいなものが変わった気がした。
 なんとなく、だけど。

(はい、かけ直しました。ワタクシには呪符など、必要ありません。ああ、呪符ですが、解呪で一枚破ってしまいましたので、あしからず。それより、十緒子様。つまり、十緒子様がここにいる必要は、ないのです。ワタクシがおりますので)
「しーちゃん……」

 私は立ち上がって、水野さんの表情をうかがう。やっぱり目を合わせてくれない彼が私に背を向けようとしたので、とっさに彼の腕をつかんでしまった。

「……車の鍵、取ってくる。送ってやる」
「い、いいです! 水野さん、なんか……ダメです、それじゃ」

 自分のことばの意味がわからないまま、私は水野さんを、ぐい、と引っ張った。彼の体が、なんの抵抗もなくソファに落ちる。私、そんなに力入れてないのに。
 よくわからないけれど、いつもの水野さんじゃない、それじゃ、ダメ。

「なんか、なんか……違う、だから。ええと、そう……ちゃんと、休んでください! 私、電車で帰ります。あの、しーちゃんと相談して、またご連絡いたしますので。ちょっと休めば、なにかいい案が浮かぶかもしれませんし」

 彼の返事は、なかった。ソファに座ったまま、うつむいている。
 眉根に寄ったシワ、にらむような目。

「……じゃあ、帰ります。お邪魔しました」

 トートバッグを手に声をかけても、彼の返事はなかった。
 空間に、パキンという音が響いた。

(小僧、ワタクシの術は解除していきます)
「え、しーちゃん!」
「……べつに、問題ねぇ」

 あとに続くことばを待ったけれど、彼はそれ以上なにも言わなかった。


◇◇◇

「よーし、駅までの道、検索オッケイ。お待たせ、しーちゃん」

 水野さんの部屋から見下ろしていた公園で、操作していたスマホを片手に私は言った。
 彼のいる部屋がどこだかわからないままマンションを見上げ、ふう、と息を吐く。

(十緒子様、お声が大きいかと)

 しーちゃんにそんなことを言われ、首をかしげる。

(ワタクシの姿は、そこらの者にはえません。視えたとしても、それに話しかけるお姿をさらすのは、いかがなものかと)

 はっ、そうだった。
 私いま、ハタから見ると、でっかいひとり言つぶやいてる、ヘンな人状態?
 水野さんが、しーちゃんの姿を視て、声も聞いてたから、麻痺してた。
 霊感青年な水野さんだから、出来てたことなのだ、たぶん。
 一応、辺りをきょろきょろしてみる。ヤバ、と遠巻きにされてるような視線は、感じない。
 あ、でもスマホ持ってるから、ビデオ通話でもしてるのかな、って思ってくれるはず。希望的観測。そうね、こっちのほうがもっとわかりやすいかな、と、スマホを耳に当てる。

「しーちゃん、ありがと。すっかり忘れてた」
(ワタクシ、こちらに失礼いたします。まれに、ワタクシが視える者もおりますゆえ)

 しーちゃんはそう言うと、私のトートバッグの柄に、しゅるしゅると巻き付いた。
 バッグのチャームっぽい。ちょっとかわいい。

 駅までの道、そして電車に乗ってからも、私は結局、しーちゃんに話しかけなかった。訊きたいことがたくさんあったけれど、通話中のフリをしたとしても、話す内容が内容だけに、無理だと思ったのだ。
 いつも水野さんが乗ってくるホームではない、下り行きのホームから、私の乗った電車が走り出す。車内はそれほど混んでいない。座ろうと思えば座れたけれど、私はいつものように、ドアの手すりに寄りかかって立っていた。

 ふと。目をこする。
 なんだろう、電車の中って、こんなに暗かったっけ?
 なんか、もやっとしているような……。
 その、灰色がかったもやもやが、正面、私のもたれている側じゃないほうから伸びてきているような。
 あ、シートの端に座ってる、あのおじさんのあたり、から……?

(十緒子様、いけません)

 しーちゃんの声がしたのは、私がそのもやを鬱陶しく思って、無意識に振り払おうとした、そのときだった。ぴたり、と動きを止めた私の手に、しゅるり、と、しーちゃんが巻き付く。

(直に触れては、なりません。ワタクシに命じるか、ワタクシをお使いになってください)

 意味がわからないまま、それでも私はしーちゃんが巻き付いた手を、そのもやを追い払うように振る。すると、もやがその場で霧散するように消えた。
 が、すべてはなくならない。
 うう、なんか、気持ち悪い……。

(十緒子様、お気を確かに。メガネをお持ちでしたでしょう、あれをおかけになってください。いますぐに、です)

 メガネって……仕事用の、ブルーライトカットのアレのこと? 置いてきたはず、と思いつつバッグを漁ると、底の方からメガネケースが出てきた。取り出して、言われるがままかけてみる。
 ……あ。
 もやが、薄まったような、気がする。

 電車が駅に着いてホームに降りた私は、自販機の脇に、人の流れから外れるように立ち、スマホを耳に当てた。

「しーちゃん、いまの、なに?」
(十緒子様のお力が、戻りつつあるのです。あれは本来、唯人ただびとには見えないもの。いんの気やじゃが混ざっておりますので、人が直に触れると害を及ぼします)
「ええっ。でも普段電車に乗っても、なんともないよね?」
(認識しているか、いないか。その違いでございます。まあ認識しなくても、多少影響を受けてしまう者もおりますが)

 えええ、なにそれ、イヤなこと聞いた。
 でもあれ、あのおじさんから出てた、よね。

「あのおじさんは、だいじょぶなの?」
(あの程度でしたら、誰しもが帯びておりましょう。それより、十緒子様。十緒子様のほうから邪に手を伸ばしては、なりません。ワタクシがいるので、あれらが十緒子様に気付くことは不可能です。ですが、十緒子様が触れることで、あれらも十緒子様に気付いてしまう。それはたいへん、やっかいなことなのでございます)

 ああ、なんだっけ。
 闇とか深淵とかをのぞくと、そっちからも、こっちを見てくる。
 物語によく登場するあのことばを思い出し、ぞく、と鳥肌が立ったのを感じた。

 メガネはそのままかけ続けるようしーちゃんに言われ、私は早足で、なるべくもやもやを意識しないようにアパートまで急いだ。
 部屋に入ってドアを閉めると、はあーっ、と大きく息を吐き出す。マスクとメガネをはずして、まばたきをした。クリアな視界に、心底ほっとする。

「それにしても。メガネかけるだけで、見え方が変わるんだね。ブルーライトカットのメガネだから、ってわけじゃないよね?」
(メガネの性能は関係ありません。メガネという存在に、自らの認識を阻害させるのです。気休め程度ですが、いまの十緒子様には必要でしょう。いずれお力が安定すれば、必要なく、なりましょう)

 と、いうことは。
 しばらくこれ、かけっぱなしってこと、か。

「ねえ、しーちゃん。あのもや、って。人が多いところのほうが、多くなるのかな、やっぱり?」
(仰る通りにございます)

 今日の、さっきの混み具合、というか、空き具合であれだった、ということは。
 ええっと……月曜日の出勤、どうしよう……。



<2>御崎十緒子は眼鏡を外す

(5300字)

「このバカ! アホじゃねぇのか、おまえ。ふざけんじゃねぇ」

 せっかくの、至近距離でのスーツ姿な水野さん、なのだけど。
 もちろん、鑑賞どころではない。

 月曜日の午前中。
 水野さんに呼び出され、私はトイレのフリをして、デスクをそっと抜けてきた。
 ここは、私の勤め先が入っているオフィス棟と、水野さんの会社のあるオフィス棟をつなぐ、渡り廊下の端。うちの会社はここよりもっと下の階で、水野さんの会社はこの渡り廊下と同じ階にある。

「事前連絡なし、こっちの着信無視とか。マジでありえねぇからな。少しはこっちのこと考えろ、おまえ、バカすぎだろ?」
「ごめんなさいすみません、でもそんなにバカバカ言わなくっても、いいじゃないですかあ……」

 両手でメガネを直しながら、このまま耳もふさぎたくなる。
 たぶん、人目があるから、ってことで声は抑えめなのに。低音ボイスで、これでもか、っていうくらい増幅された威圧感がハンパなくて、ものすごく怖い。
 距離を取りたくなって後ずさると、また距離を縮められる。
 というより……これって、詰め寄られてる、よね。

「これからは絶対に、事前に! 連絡しろ」
「それでしたら。これからしばらくは、今朝と同じ、始発かそれに近い時間の電車で通うつもりなので。以上、連絡事項でしたっ」
「指摘されてから連絡とか、おせぇんだよ。言われる前にやれ、バカ」

 なんでこんなに怒られているのかと、いうと。
 
 今朝私は、水野さんが乗ってくるいつもの電車には乗らず、もっと早い時間の電車に乗った。あのもやもやを避けるためで、それはもう苦渋の決断だった。

 どうやら私は、あのもやもやを我慢するのが、とてもむずかしい……っぽい。
 なにしろ。
 水野さん鑑賞ともやもや回避を天秤にかけて、なんと水野さんが負けてしまったくらい、イヤなのだ。

 そして小さかった頃にも、こんなことがあったような気がするのだけど、いまのところ、それはさっぱり思い出せない。

 で、私がやらかしてしまったのは。
 水野さんに連絡するのを、結果的に、忘れてしまったこと。

 これまでも、それぞれの休日や出勤時間の変更なんかで顔を合わせない日もあって、いつからか、そんなときはスマホでメッセージをかわすようにはなっていた。
 ……なのだけど。

 時間ない、あとで連絡しよ→車内にもやもや少ないけど気抜けない、着いてから連絡しよ→着いたけど、おにぎり食べてからでいっか→うう眠い、ちょっとだけ眠ってから……と、オフィスビルの遊歩道のベンチで眠ってしまい。
 
 はっと気がついて見たスマホの時刻は、始業時間10分前を表示しており、あわてて立ち上がりビルのエレベーター目指して走り出したところでの着信、それはもちろん水野さんからで、寝ぼけた頭で応答して水野さんの罵声を聞き、ひたすらごめんなさいすみませんでも遅刻しちゃいますを繰り返しながらの小走りをして、どうにか遅刻はせずに済んだ。

 一方、水野さんは。

 いつもの、同じ時間の電車に乗っても、私がいない。
 スマホを確認しても、連絡はなかった。 
 まずメッセージを送ったけれど返信なし、電車を降りて電話をしても、私は出ない。

 まさか、なにかあったのか? となったわけで。

 寝坊という線も捨て切れず、迷いながら発信とメッセージ送信を繰り返し、これで出なかったら自宅に乗り込もう、というところで私が電話に出た、のだそうだ。

 ええ、おとといの今日、ですし。
 私のこと、心配してくれたんだと思う。
 きっと。
 たぶん。
 おそらく。
 ……自信なくなってきた、違うかもしれない。
 だって。ちょっとこれ、怖すぎじゃ、ありませんか……?

「クソ、なんで時間を変えたのか、問いただすヒマがねぇ。とりあえずおまえ、明日から毎朝、俺に顔見せに来い」
「え! いいんですか?」

 水野さんのそのことばに、一転して、怖さがふっとんでいった。
 公式から朝鑑賞のお許しが出るなんて、びっくりだ。
 土曜日も、それにいまだって、ものすごく怒ってたのに。

「いいんですか、って、おまえな」
「メッセージ入れろ、は言われるかなと思ったんですけど。ご面倒では、ないですか?」
「生存確認、だからな」
「お昼でもいいのでは?」
「昼メシは仕事の都合もある、毎日は無理だ。それじゃ生存確認にならねぇだろ」

 彼の目、長いまつ毛に縁取られた、その瞳と視線が合う。
 こちらを向いてくれなかった、土曜日のことを少し、思い出した。
 この水野さんは、私の知ってる水野さん、だ。

「……っ、なにニヤニヤしてんだ。異論ねぇだろ」
「はい! ありがとうございます!」

 水野さんがこちらに手を伸ばしてきて、もしかしてほっぺですか、と思い、反射的に目をつむる。心臓の上あたりを押さえ、ギブアンドテイク、ギブアンドテイク、ギブアンドテイク、と、3回唱えてみる。いやでもここ会社だよね、とかいろいろ考えながら、何事も起こらないので、目を開けてみた。
 彼は私のほうに手を伸ばしたまま、渡り廊下の向こう側を見ていた。

 あれ、あの女性、主任さん、だよね?
 荷物を載せた台車を止めて、こちらに顔を向けている。

「今日の昼メシは、行けない。定時には上がれるから、待っとけ。連絡する」

 わしゃ、と髪をつかむように頭を撫でられ、水野さんは主任さんの方に歩いていった。

 私はふと思い立って、メガネを外した。
 あ、やっぱり。
 あのもやもやが、主任さんを取り巻いている。
 電車で見たヤツより、幾分黒っぽい、ような……。

 水野さんが主任さんから台車を引き取って押し、ふたりが歩いていくのを見送ると私は、廊下を歩く他の人に聞こえないように、小さな声でつぶやいた。

「しーちゃん、あの主任さんのもやもや。消しといたほうが、いいよね? お願い、してもいい?」
(かしこまりました。ついでに、十緒子様をバカ呼ばわりしたあの小僧への嫌がらせは、いかがいたしますか? ご意向に沿って報復をこらえていたワタクシへの褒美も兼ねて、ぜひ)
「そ、それは……じゃなくて、そんなことはしなくていいよっ」

 手に提げていた会社で持ち歩き用ミニトートの柄から、そこに巻きついていたしーちゃんがしゅるりとほどけ、ふっと消えた。
 時間稼ぎ。出来ると、いいんだけど。

 祈るようにしーちゃんを見送ったこのときの私は、約2時間後にその確認が出来ちゃうなんてこと、もちろん思ってもみなかったのだ。


◇◇◇

 今日は水野さんが来ないとわかっている、ビルの共同社食で。私はいつもの、外の景色が見える窓際のカウンター席に、豪華昼食(チキン南蛮フライ定食ごはん大盛りタルタルたっぷり、エビフライ・小鉢・サラダ・デザート追加)を載せたトレーを置いた。
 まともに料理をしない私は、この毎日のお昼ごはんは、ケチらずがっつり食べることにしている。社割があるし、朝晩に摂れない栄養を、ここで一気にカバーしておきたいと思っているからだ。

 ちなみにこの社員食堂は、ウチの会社と同じオフィス棟内の下の階にはあるものの、エレベーターの位置関係で行きづらく、社割があるにもかかわらず、ウチの会社の人間はあまり訪れない。水野さんの会社からは、オフィス棟が異なることもあって、さらにアクセスしづらい。……はず、なんだけど。

「ミサキちゃ~ん、今日はひとりかい? カレシと一緒なんじゃないの~?」
「え、あ! お疲れ様です、社食なんてめずらしいです……ね?」

 突然、弊社部長に声を掛けられて、振り返って返事をしたとき。部長のスーツ越しに、トレーを持った水野さんの主任さんの姿が目に入って、私の語尾がおかしくなった。
 この事態に息を飲んでる私に気付くことなく、部長は空のどんぶりが載ったトレーを片手に、ウインクしてみせる。

「これからオフィス棟のこっち方面で、急ぎの用事、あんのよ。で、噂のカレシ、見たかったのにいないじゃん、どうしたのよ」
「え、あ、ええと、っていうか、ウワサ、ですか?」
「みんな、あまりにラブラブで、近寄りがたいってさ。あ、誰にも訊かれてない? しまったな、やさしく見守る方向だったかあ~」

 じゃあね~、と、私の答えも聞かず、風のように去っていく部長。いつもなら、よく言えば癒し系のオジサマ部長を微笑みで見送るところなのだけど。ウワサって、なに? それより、主任さん、なんでここにいるんだろ?
 情報量が多くて処理しきれないまま私は、固まった表情で反射的に、主任さんに会釈をする。
 と、彼女が、私の隣の席にトレーを置いた。それから椅子を引いて、私のほうを向いて優雅に腰掛ける。
 キレイなヒト、なんだよなあ……なんて、絵になる。

「さっきと、土曜日にも、お会いしたかしら」
「は、はい」
「それより。ねえ、さっきの失礼なオッサンは、あなたの上司?」

 無表情な彼女の口から急に飛び出した冷ややかな口調に、背筋が伸びた。
 意味をとらえ損ねて目を丸くしていると、彼女がそのまま続ける。

「部下の女性を、ちゃん付けで呼ぶなんて。いつの時代の上司なのかしら?」
「あ、ああ! 違うんです、あの」

 意味がわかった私は、トレーの向こう側に置いていた、戻ってきたしーちゃんが巻きついているミニトートに手を突っ込んで財布を取り出し、中に何枚か忍ばせていた名刺を、彼女に差し出した。

「ミサキ、は名字なんです。ミサキ、トオコです。あの、むしろあの方は、海外っぽく下の名前呼びにしようなんて意見に傾いてた会社のよくわからない方向性を、バキッと折ってくださった方なんです。あの、セクハラとかじゃないので、ご安心ください!」

 彼女は名刺を受け取り、そっとカウンターの上に置いた。それから、かたわらのポーチから名刺をすっと取り出し、私の手に取らせた。
 わあ、オトナ女子の、すらりとした手の曲線。手入れが行き届いた、美しい爪先。それに彼女からほんのりと漂ってくる、いい香り。
 名刺の『岡田冬芽』という名前。すぐ下の、ローマ字表記も確認しながら、私は思わず彼女の名前をつぶやいていた。

「おかだ、ふゆめ、さん」
「よろしく。これ、あなたの名刺、頂いてもいい?」
「はい、どうぞ。私も、頂戴しますね。汚したくないので、しまっちゃいます」
「そうね、仕事でもないんだし。……でも、ねえ。名字でもちゃん付けって、それもどうなのかしら?」
「部長は、その。社内のほぼ全員を名字にちゃん付けで呼んで、許されてます。そういうキャラ、と言いますか……」
「あのオッサンが、部長?」

 そのあとはお互い黙って食事を終えた。小さなサラダと小さなパン、という岡田さんの、私からするとそれは小鳥さんのですか、と言いたくなる量の昼食。それでも、私のほうが先に食べ終わるとか。同じ種族かな。

 そして、思い出して。さりげなく、メガネをずらして彼女を視る。
 うん、さっきの黒っぽいのは、見当たらない。さすがしーちゃん!
 ……うん? でも、肩のとこだけ、なんか、こう……。

 食べ終わった彼女の肩に、私は手を伸ばす。と、しーちゃんがあわてたように、その手に移動してきた。

(十緒子様!)
「……なに、かしら?」

 しーちゃんの声は、彼女には聞こえていないはず。私はどちらの声にも反応し、ビクリ、と背筋を正した。

「あ、ごめんなさい。肩、その……凝ってそう、かなって、つい」
「肩?」
「……揉んでもいい、ですか?」

 私は立ち上がり、返事を待たずに、彼女の肩に手をかけた。両手が、私を守るように、ふわりと光を帯びている。それは直前に、しーちゃんの体が溶けてゆくように手に重なったからで……しーちゃん、すごい。
 彼女の肩に触れると、ピリピリッと、少し痺れるような感覚があった。
 特に、右肩。
 うーん、なんだろ。なんかこれ、イヤだなあ。
 そう思いながら、しばらく揉んで。もういいかな、ってところで手を離し、椅子に座り直した。

「岡田、さん?」

 思わず声を掛けたのは、彼女がハンカチを目頭に当てていたからだった。
 あわわ、なんかイケないこと、しちゃったかな?

「いやだ、なんで……。違うの、ほっとして……気持ちよかったのよ。ごめんなさい」

 ああ、もしかして、そうか。
 これが、しーちゃんの言ってた、ズレ。
 実体と霊体が、なんだかしっくりこない、それってたぶん、すっごくつらいことなのだ。
 ズレを邪魔するモノ、邪は、私が揉んでる間にしーちゃんがなんとかしてくれたっぽい。
 それで気持ちの悪いズレが、かなり解消されて……。

「よかった。気になっちゃって、ええと……肩こり、が」
「ふふ、びっくりした。すごく気持ちよかった。またお願いしたいくらい」

 む、これって。
 時間稼ぎ作戦の、チャンスなのでは?

「あの、じゃあまたお昼、ご一緒したときに揉みますよ! 私、いつもここで食べてますので」
「うれしい。でも、なにかお礼をしないといけないわね」
「うーん、それは魅力的ですけど、まだまだ修行中ですし、いいですよ」
「ふふ、じゃあ考えておくわね」

 そう言った彼女の目は、やわらかく微笑んでいた。
 よっしゃ~、ナイス展開!
 私、そしてしーちゃん、グッジョブ!



<3>御崎十緒子は外せなかった

(4800字)

「……はぁ」

 また、ため息をついてる。
 水野さんのため息、ちょっと多すぎるんじゃないかと、最近思う。
 定番のアドバイスを、小声でつぶやいてみた。

「ため息つくと、幸せ、逃げちゃいますよ」
「……誰のせいだと思ってんだ、こら」

 ね。声を小さくしたところで、怒られるんだもんね。

 定時に上がってオフィス棟を出たところで、水野さんから連絡が入り、私たちは合流した。
 オフィスビルの下にあるショッピングモールの、駅から遠い位置にあるカフェで、コーヒーをテイクアウトした。ビル脇の遊歩道の街路樹を囲む、オブジェのような柵に水野さんと並んで座って、コーヒーをすする。
 たまに通り過ぎる通行人を見送りながら、私は水野さんにこれまでの状況を説明した。だいたいこれで全部話せたかな、というところでの、あのため息だ。

 説明した内容は、というと。

 ヘンなもやもやが、視えるようになった。
 私はその気持ち悪さに耐えられなくて、しょうがなく電車の時間を変えた。
 メガネをかけると、それを認識しづらくなって、気持ち悪さが軽くなる。
 主任さん、岡田さんの周囲にそのもやもやが視えたけど、しーちゃんがなんとかしてくれた。
 岡田さんと、ちょっと仲良くなった、かもしれない。

「水野さん私、岡田さんと仲良くなれたの、グッジョブ、じゃないですか?」
「……っ、はぁ……」
「あれ、期待したお返事が得られず、ため息が増えたのは、なぜなんでしょう?」
(説明したところで、この小僧は、結局なにも出来ないのです。息を吐くしか、することがないのでしょう)

 バッグのチャームに擬態しているしーちゃんの声に、水野さんが、チッと舌打ちした。

「現状では、図星すぎて、なにも言い返せねぇよ」
(ほう、やっと認めたのですね。先日の、弱い者が自身の弱さを認めない様は見苦しいものでしたから、そのほうがよろしいかと)
「チッ、土曜日のことまで。ひねくり出す嫌味に、いちいち感心するわ」
(一日二日で立ち直るなど、つまらないですね。しょぼくれ小僧のままでいれば、まだ可愛げがあったものを)

 ふたりはいったい、なにを話しているんだろう? でも、なんか……。

「よくわかんないけど、しーちゃんがちょっと、カンジ悪い気がする」

 私がそう告げると、巻き付いていたしーちゃんがバネのように、びょん、と私の目の前に飛び出してきた。

(十緒子様、そんな、)
「だって、水野さんも私も、ただの人間だよ? しーちゃんみたいなすんごい力、ないんだからね」
(いえ、十緒子様。十緒子様は、でも)

 しーちゃんがなにか言い淀んだのを見て、水野さんが言った。

「おまえは、ただの人間じゃなさそうだけどな。あれからほかに、なにか思い出したりは?」
「いえ、特には」
「そういやおまえ、霊感はどうなんだ? その、もやとかいうのは俺には視えないが、少し教われば感覚はつかめそうな気がする。それはおそらく、生者の念のようなもんだろ? だとしたら俺に見える死者の念、つまり幽霊なんか、簡単に見えるんじゃねぇのか?」

 とたんに、ぞぞぞ~、と悪寒が走った。

「なな、なんてこと、言うんですか。ヤです、怖いです、幽霊なんて、見たくありませんっ」
(十緒子様。ご安心ください、もうご覧になってます。邪の一部となって千切れてはいましたが)
「え、えええっ、しーちゃんひどい、やだ、なんでっ! 怖い、怖すぎるっ」

 空になった紙カップを握りつぶしながら、悪寒をやり過ごそうとしたけれど、無理だったし、事態が把握できない。ブルブルと、体が震えてしまう。
 すると水野さんが、そのカップをひょいと取り上げて持っていた袋に放り込み、そのかわりのように私の手の中に自身の手をすべりこませ、ぎゅう、と握った。

「落ち着け、同じだ。認識しなければいい、それだけの話だ。それと、」

 彼がそう言いながら、手をつなぎ直す。
 私の左手が、彼の右手に一瞬広げられた、そこに。
 彼の長い指が縫うように、私の指と指のあいだにするりと入り込んで、そのままギュッと力を込められる。

「うひゃうっ」

 思わずヘンな声を発した私にかまわず、彼は説明を続けた。

「……こっちの、魂や生の力が強ければ強いほど、ヤツらは近寄って来れない。だからこうして、このまま電車に乗れば、まあ大丈夫だろ。ああ、触っても、いいよな」

 このまま、電車に乗る? そんでもってイマサラなその問い合わせ、なんですか、それ。

「う、あの、もうすっかりがっつり、触ってますよね。れ、連絡、そう、事前連絡、遅くないですか?」
「連絡なんて、間に合えばいいだろ。特に指摘も、されてなかったし?」

 水野さんの、いつものニヤリとした悪い笑顔を見ながら、私は震えが止まってたことに気付いた。

 入れ替わるように、次第に指から伝わってくる、彼の手の、熱。
 私の体の内側に生じる、安心と動悸、この矛盾したふたつが入り混じった感覚。
 なんだろ、これ。
 胸が、ぎゅっとする。

(十緒子様、そんなことなさらなくてもワタクシ、お守りいたします)
「ヘビ、てめえはこいつを、甘やかしすぎなんだよ。思い出せるものも、思い出せねぇだろ」
(十緒子様のためです、まだその時期ではない、ワタクシはそう判断します)
「ならかわりに、おまえが全部説明しろ」
(このワタクシが、小僧ごときに、なんの説明を?)

 ふたりの声を少し遠くに聞きながら、そうこうしているうちに、安心より動悸が勝ってきた。
 だって。
 この手のつなぎかた、『恋人つなぎ』なんて名前ついちゃってる、アレですよね?
 いけない、私このままじゃ、またしーちゃんに無意識の、水野さんを遠ざけるようなお願いをしてしまうんじゃないの?
 それはもう、絶対、ダメ。
 この状況に、早急に慣れなくてはっ、がんばれ、私!

 はい、ええとこれは……『コイビトツナギ』だけれども、実は、そう、いんの一種。
 陰陽師さんや忍者さんなんかが、両手を組んでこういうカタチにする、アレ。
 マンガや小説でおなじみ、これも二次元好きの常識のひとつだよね。
 なあんだ、そっかー。アレはアレでも、そっちのアレかー。
 印とセットになってる九字だって……臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前! 覚えてるし、全部言えるし! どーだ、まいったか!

 ……うん、なんとか落ち着いてきた。
 こうしてこの有様をガン見しても、ほらね、大丈夫!
 
 水野さんの、右手。
 男の人の手、だなあ。
 女性のとはまったく違う、構造物。
 大きくて、ゴツゴツしていて。爪だって、私のとは違う材料から出来ているようだ。
 血管の隆起する青、動くたびに走る筋。
 そして、その先の、その。

 ……………………。

 そっと、彼の右手ごと、左手を持ち上げてみる。
 そうしますと、スーツとワイシャツの、そで部分が引かれて、ですね。
 はい。手首、出てきちゃいましたね。わーい。
 すごい。男の人の手首って、しっかりして、太いんだ。
 筋張ってるだろう内側も、たい……。

「おまえ、なあ」

 そのとき水野さんの、あきれたような声が聞こえてきて、私は我にかえった。
 見上げると、水野さんの顔が心なしか、赤い。

「動揺してたくせに逆にオカシテクル、ゴホッ、……ヘンタイぶりを発揮するって、なんなんだ、それ」
「はっ、そうですね。手の首、鑑賞しちゃうとか……あ、言っちゃった、じゃなくて、すみませんゴチソウサマですっ」

 あわてて手を離そうとして、でも出来なかった。
 すんごい力で、がっちりホールドされてる。

「……もういい、帰るぞ」
「は、はい」

 立ち上がり、歩き出した彼に引っ張られるように歩く。
 そのまま彼は、私と一緒に電車に乗って、さらに私の部屋の前まで送ってくれたのだけど。
 改札を通るとき以外ずっと、私の手は握られっぱなし、だった。
 ほとんどあの、『コイビトツナギ』のいんで。

「これは印、だから……かい、じん、れつ、ざい、」
「……なにブツブツ言ってんだ、おまえ?」


◇◇◇

 帰り道。「しょうがねぇから、おまえに付き合ってやることにした」と、水野さんは言ってくれた。
 私としーちゃんの、岡田さんと仲良くなって時間稼ぎしちゃうぞ作戦に。
 それから、私が、あのもやもやに慣れるのにも。

 私は毎朝、始発電車に乗って会社のある駅に着くと、オフィスビル脇にある遊歩道のベンチに座り、持参のおにぎりを頬張りながら、水野さんを待つようになった。
 早朝から開いてるカフェで、とも思ったけれど、毎日となると、出費がイタイ。
 それより、彼もいつもより早い時間の電車に乗ってくれるようになって、それがちょっと心苦しい。
 なるべく早く、あのもやもやに、慣れないと。
 少しずつ慣れて、徐々に電車の時間を遅くしていけば、元に戻れるかもしれない。
 それに、そうじゃないと。
 あの、ほぼ毎日の帰り道の『コイビトツナギ』も。回避できないままになってしまう。
 もうそんなに怖くないし、しーちゃんがいるからだいじょぶです、と言っても、ぜんぜん聞いてくれない……。

 岡田さんとは、頻繁にランチをご一緒するようになった。
 水野さんが来た日は、岡田さんは現れない。だから、岡田さんが私の隣に座ると、水野さん今日は来れないんだな、とわかる。
 おごった言い方かもしれないけど、岡田さんと私は、なかなか気が合うのではないだろうか。
 そんなにたくさんのことを話すわけではないのだけれど、ヘンな気を遣う必要がなくて、私は割と、そのままの私でいられる。
 もしかしたら岡田さんが、たくさん気を遣ってくださってるのかもしれないけど。
 観てるだけでも美しい冬芽お姉さま(心の中の呼称)に、私はすっかりなついてしまった。

 岡田さんのあのもやもやは、相変わらず、いる。
 そしてズレも、完全になくなってはいない。
 しーちゃんに散らしてもらったり、たまに肩揉みしたり。
 でも前より、あのイヤな黒っぽさが、少なくなった気がする。

 そうして、半月くらいが経過して。
 あれから私も水野さんも、生き霊さんに遭遇していない。
 やっぱりあれは、岡田さんの生き霊、だったのだろうか……。


「……あれ、しーちゃん、あの生き霊さんに会ったことない、って言ってたけど、違うよね?」

 なんの拍子にか思い出して、私はしーちゃんに尋ねた。

「最初の、私ひとりでこの部屋にいたとき。生き霊さんが来て、でもパーッと光があふれて生き霊さんが消えて。そのあと、わかんない間に私も生き霊になっちゃってて……あのときウチに来た生き霊さんをどうにかしてくれたの、しーちゃんだよね?」

 しーちゃんはちゃぶ台の上で、思いっきり首をかしげた。
 少ししてしーちゃんの体が、ひらめいたと言わんばかりに強く光り、それからピッと背筋を伸ばす。

(お待ちください、十緒子様。あの生き霊が現れたのは、あの小僧がいたときが、二度目なのですか?)

 しーちゃんの言ったことの意味が、よくわからなかった。

「え、だってあれ、しーちゃんが追い払ってくれたんだよね? 私に言わなかっただけで」
(いえ、ワタクシが封印から解かれたのは、小僧を縛ったあのときです。前にも申し上げましたがワタクシ、一度でも遭遇していれば追跡など、造作もなく出来ますので)
「え、じゃあ誰が、」
(それは。十緒子様ご自身でしょう。十緒子様ほどのお力があればそれこそ、息をするようにたやすいことですから)


◇◇◇

『(春臣サン、私ノモノ……春臣サンハ渡サナイ。オマエナンカ、消エテシマエバイイ……)』
『……やだ、あげない。だってあれは……。私ね、やっと見つけたの、だから、』

 あのとき。耳にしていた、もうひとつの声。
 空耳だ、と無意識下に閉じ込め、忘れていた声、それは。
 そう、他ならぬ私の声だった、私はそれを思い出した。
 あのとき感じた恐怖と、絶対的な優越感と、ともに。

『だから。おまえが、消えなさい』



つづく →<その6>はこちら

あなたに首ったけ顛末記<その5>
◇◇手は口ほどに物を言うし言われたがってる◇◇・了

(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)


【2022.11.26.】up.
【2023.01.18.】加筆
【2023.03.03.】章タイトル追加
【2023.07.16.】加筆修正
【2023.09.07.】加筆修正


☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆

<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です

【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!

【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ


マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 ↑ 第一話から順番に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
 
↑ ”新着”タブで最新話順になります。

マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
 
↑ <その14>のあとに書いたのでその辺でお読みいただくと楽しいかも? 


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