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あなたに首ったけ顛末記<その18・トラブルには頭から突っ込まないほうがいい>【小説】

ご来店ありがとうございます。コチラは『異能もの現代ファンタジーラブコメ』女子向けライトノベルなお話の<その18>です。お口に合いそうでしたら、ひと口だけでもいかがでしょうか?

最初のお話:
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
前回のお話:
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く

マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
:第一話から順に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
:”新着”タブで最新話順になります。
・全記事へのリンクが、この記事の最後にもあります。

・記事内 ▼ :過去記事の該当記事の、さらにサブタイトルへのリンクです。
(今回からのお試し導入、作者の備忘録的役割も有り)
(noteアプリの場合は該当記事表示のみ、サブタイトルまでは飛ばないです…)


2023年、今年も当店へのご来店誠にありがとうございました!
これからもお気の向くようでしたらぜひ、お立ち寄りくださいませ~♬

ではでは、ごゆっくりどうぞ~。


あなたに首ったけ顛末記<その18>

◇◇ トラブルには頭から突っ込まないほうがいい ◇◇

(25900字?キノセイ,キノセイ)

御崎十緒子みさきとおこ:絵を描くのが好き、幽体離脱で生き霊になりがちな、首フェチ27歳会社員女子。黒髪ロングふっくら頬の和顔。十匹の実体のないヘビを従者にしている。
水野春臣みずのはるおみ:十緒子にナイスバディと認められた体の持ち主、顔立ち濃い目、口が悪く霊感体質の27歳会社員男子。十緒子と付き合っている。
御崎玄みさきげん:十緒子の父。ひょろひょろした体型・長い前髪の見た目40代な50代。旧姓は安達。ヘビたちの封印と共にその存在を隠されていた。なぜか大量のオーブを引き連れている。
御崎高緒みさきたかお:御崎家当主、十緒子の祖母。銀色ヘビを従者に持つ。
御崎華緒子みさきかおこ:十緒子の姉(血縁上はハトコ)。明るい色の巻き髪ロング、おっとり系甘め美人、32歳。金色のヘビ、ハナを従者に持つ。高い所が好き。
岡田冬芽おかだふゆめ:春臣の上司、主任。ショートカットのオトナ美人、29歳。十緒子の部屋で生き霊になってしまったが元に戻った。
水野睦也みずのちかなり:春臣がチカと呼ぶ、春臣の従兄、36歳。
水野里香みずのりか:睦也の妻。十緒子が通うヘアサロンの店長。

十三匹のヘビ:人語を話す、手のひらサイズの実体のないヘビたち。それぞれ違う色の体を持つ。自身を蛇神に捧げた巫女(とみ)の選ばれた子孫の前に現れ、その子孫の”従者”となる。それぞれで様々な特殊能力を持っている。

・以下の十匹十色は十緒子の従者となっている。幼少時の十緒子がそれぞれの色に合わせて名付けた。登場順:白(しーちゃん)/紫(むーちゃん)/青(あおちゃん)/赤(べにちゃん)/灰(はーちゃん)/茶色(ちゃーちゃん)/桃(もーちゃん)/緑(みーちゃん)/黄色(きーちゃん)/橙(だいちゃん

・金色ヘビ:華緒子の従者でハナと名付けられている。
・銀色ヘビ:高緒の従者。
・黒のヘビ:真緒子の従者(詳しくは→ 『闇呼ぶ声のするほうへ』)。

<1>御崎十緒子は脱皮する

(5200字)

「やほー、十緒子とおこえてるぅー?」

 手をヒラヒラと振る彼女に合わせて白い着物、白衣びゃくえの袖が揺れる。巫女装束……赤い袴は、緋袴ひばかまっていうんだっけな? 袴の長い裾の下にのぞく白足袋と赤い鼻緒の草履が、こちらに一歩踏み出した。

 その足元、なんだけど。そこには床とか地面とか、そういったものが存在しない。
 なのだけど私ととみちゃんは、しっかりとここに立っている。

 そんな、訳のわからない場所で、でもそれがあんまり気になんないのは。
 ここがどういうところなのか、私にも一応、わかったからなんだと思う。

 一面、光にあふれた、不思議な空間。
 夢の中にいるかのように現実味のない、でも現実に存在する、どこか。

 ここは、とみちゃんがいる場所。
 とみちゃんは蛇神様の巫女で、蛇神様にその身を捧げ神様になってしまった、私のご先祖様だ。

 いまここには、私ととみちゃんしかいない。
 目の前に向かい合って立つ、とみちゃんの手がこちらにすっ、と伸びてきて、私の手を取った。

「久しぶり、だね」

 微笑む彼女に、ついつい見惚みとれてしまう。子供の頃も、きれいだなって思ってたけど……大人になったいまならわかる、これは、つやっぽい、ってヤツだ。
 陶器のような白い肌、切れ長の目、束ねないまま下ろしてる長い黒髪もつやつや、サラサラで……うわあ、純和風美女の巫女服姿っ、眼福がんぷく、眼福っ。

 ……ん、あれ?
 いまこうして、とみちゃんの姿がえちゃってる、ということは。
 なんだかんだ言っておいて、私は結局、目を開けちゃったんだな。

 でも……うん。そう、それよりも。
 とみちゃんに会えて、うれしいって思ってる私がいる。

「うん、とみちゃん、久しぶり! あのさ、とみちゃんって、私と同い年なの?」

 テンション上がり気味に、そう尋ねたんだけど、あれ?
 私、おバカな質問、したよね?
 だって、とみちゃんは神様なんだから、歳なんか取らないはずで。
 でも、ちっちゃかった頃のとみちゃんって私と同じ、子供の姿だったと思うんだよね。
 で、いま目の前にいるとみちゃんも、27歳の私と同じくらいの歳に見えて、だから……そう、幼なじみ、一緒に成長しておっきくなったんだよねって、そんな感覚なんだけど。

 とみちゃんに両手を取られたまま私が首をかしげると、とみちゃんが鏡のように、私の真似をして首をかしげてみせ、そして「フフフッ」と声に出して笑った。

「それはねー。十緒子がそう視たいから、そう視ているのだよ」
「私、が?」
「そ。ま、こんだけはっきり私の姿をイメージしてガン見してくるのも十緒子だけ、だけどね。大体ねぇ、私こういうの、着たことないからね?」
「え、そうなの? 巫女さんってこういうんじゃ、」
「あー、『さん』付けしない、私は巫女っていうかカンナギ、依り代なの。神職でもなんでもなくて、その集落に生まれたただの娘。だからね、みんなと同じ格好してたよ。普段はこれよりもっと質素な布地のもので、真っ白な着物なんてあの一度しか……っと、それはいいや。
 つまりね、これは十緒子のイメージなの。人それぞれ、そうだね、例えば高緒たかおには、私が蛇の姿に視えるんだって」

 高緒、と私のおばあさま、御崎みさき家当主の名を、とみちゃんはあっさりと呼び捨てにする。そうか、おばあさまは、そうなんだ。

「えーと、じゃあ……私が頑張ってイメージすれば、とみちゃんは違う服になるんだよね?」
「そういうことになるね、って、そういうハナシだっけ? ま、いいけど……結構楽しみだし? そうだね、今度は十緒子とお揃いで、なにか着てみたいかも」

 ん、そういえば、私って? と思い自分のカッコを見下ろすと、いつもの部屋着を着ていた。
 このまま外に出掛けられるような、カップ入りのカットソーにスウェットのロングスカート。これが私のパジャマ代わりなのは、いつ何時幽体離脱してしまって彼を呼ぶハメになってもだいじょぶなように、の名残なごりだったりするのだけど……あれ?

「とみちゃん。私、幽体離脱して、ここに来てるんだよね?」

 だから私は、幽体の姿じゃないとおかしいのだ。

「それも、十緒子のイメージだから。どっちにしても、幽体ってことには変わりないから、安心して? なんならいま、別の格好、イメージしてみれば? はい、どーぞ」

 へっ、イメージ? あわあわしている私を見て、とみちゃんが私から手を離して口を押さえ、クスクスと笑い出した。

「まーそんな余裕、今日はないよね? 次回、期待してる! あ、そうだ次回といえば……十緒子にはサイリシュウしてもらわなくちゃなんだよね」
「サイリシュウ?」

 漢字に変換できない私にかまわず、とみちゃんは説明を続けた。

「うん。あ、講習の内容は前と同じ、私の記憶のビデオ学習だから。あのときの十緒子はまだ、ちっちゃっかったし、しょうがなかったんだけど……十緒子、暴走モードで、やらかしちゃったじゃない?」
「う、はい……ごめんなさい」
「べつにね、使うべきときに力を使うのはいいんだけどさ。本人ぶっ倒れるまで、ってのはよくないかなー。まぁだからね、ちょっと初心に返って、再履修、しとこっか? 我が子孫よ、祝福と共にこの戒めをしかと受け取るのだ! さて、おっきくなった十緒子はアレを観て、どんな感想を言ってくれるのかな~」

 講習の再履修、なのかあ。
 にしても、その前回の講習? とみちゃんの記憶?
 うーん……覚えてない。ごめん。
 でも。だから私は、あんなことをしでかしてしまった……?

「それも次回でいいから。ヒマなとき、またここに来て? いつでもいいからさ」
「それって、いま受けちゃダメかな?」
「おや」

 だって。
 大広間にたくさんの人が倒れてる……思い出したばかりの、あの光景が、まぶたの裏にまだ焼き付いてる。
 私、ひどいことした。
 親戚の人たち、おとーさん、それにヘビのみんなにも、あんな……。

 とみちゃんがまた私に近寄って、私の頭を撫でた。

「そんな、泣きそうな顔しないの」
「だって人が……たくさん倒れてて、それに、ヘビのみんなのこと、あんなふうに、」
「うん、よしよし、怖かったね。そっかわかった、じゃあいまから一緒に観よっか? そんなに長くはないよ、ええっと4000字くらいだから、10分、15分くらいでいけるかな……途中似たようなフレーズの繰り返しで眠くなるかもだけど、頑張って! あ、十緒子の体感だと一時間くらいかな?」
「……えっと、とみちゃん? なにを言ってるのか、よくわかんないよ?」
「だよね! 十緒子、こっち、ここ座って?」

 空間に、忽然こつぜんと二人掛けのソファが現れ、ローテーブル、その上にはポテチとコーラ……。

「講習、なんだよね?」
「それはそうなんだけどさ、そこまで怖がらなくっても、って思うわけよ、私としては。どっちにしても十緒子はもう少し、リラックスしてもいいと思うの。……じゃ、いくよ?

 『ある巫女の昔話・とをまりみっつの蛇』、はじまりはじまり~」

 空間が暗くなり、目の前に巨大なスクリーンが現れ、まる3、まる2、まる1、とカウントダウンを始め。
 隣に座ったとみちゃんに手を握られ、途中ポテチを口に運ばれながら、私はそれを観たのだった……。


◇◇◇

 そして、今朝。
 私は、泣きながら目を覚ました。
 とみちゃんのトコで、とみちゃんの記憶を観たときは泣いてなかったのに、起きてみたら、体のほうが涙を流していた、という感じ。

 うう、だって。
 とみちゃん、あんなかわいい子供三人も遺して、死んじゃうんだよ?
 そうやって、とみちゃんがとみちゃん自身を蛇神様に捧げることで、ヘビのみんなが泉から生まれて。
 私が画面から目を離せないまま、とみちゃんの手をぎゅうっと握ると、とみちゃんは、やわらかく握り返してくれた。
 途中、子供たちが、侵略してきた武士から逃げのびるのに、ちょっと危ない場面なんかもあって……それは、もちろん助かるんだけど、でも。
 助かったのはよかったのだけど、子供たちは、とみちゃんの存在をカケラも覚えていない、とか。
 そんなのひどい、って思ったところで私は、おとーさんのことを思い出してしまい。
 私もずっと、おとーさんの記憶、おとーさんのこと、忘れちゃってた……。

 ねえ、それって。
 すっごく、すっごく悲しいこと、だよ。

 なのに、とみちゃんは。
 ……おとーさんは、それでも。
 それがわかっていて、でもその道を選んだ……そういうこと、なんだ。
 だけど、それは。それは、なんて……。

『やっぱり、キツかったかな? まぁでも、つらいときほど頑張る、荒療治ってのが必要なときもあるからね。だけど、呑み込むのはゆっくり、ひとつずつでいいんだよ。じゃあ十緒子、また会おうね』

 とみちゃんのそんな、別れ際の声を思い出しながら。
 私はどうにか起き上がって仕度をし、いつもの月曜日を始める。

 先週の、自分と春臣の誕生日から、いろんなことがあって……昨日おとーさんに再会して、それでたくさんのことを思い出して、こうして、とみちゃんとも会って話をして。

 歯を磨いても顔を洗っても、ずっとなにかを思い出したり考えたりし続けて、それでぼんやりしちゃったりもして。現実感ない感じ……いやダメ、しっかりしろ、自分。

 玄関で靴を履いてから、自分の頬をピシピシと手のひらではたいた私は、お留守番のヘビのみんなに「いってきます」と声をかけ、それからドアを開ける。
 ひと呼吸、外の空気を吸い込んで。
 ふと、なにかが……いつもと違う、と感じた。

 それは、嫌な感じとかではなく。以前、白ヘビのしーちゃんが、キーンという耳鳴りのような音と共に空間の在り方、みたいなのを変えた、あのときの感覚に近いような気がする。

 ……世界、って。
 こんな感じ、だったんだ?

 これはたぶん……どこかでまだ、とみちゃんと、とみちゃんがいるあの場所と、つながっているような、不思議な感覚のせい、で。
 でもそれは、6歳の頃の感じとは、少し違う。
 あの頃よりも、もっと、もっと深いところで、こう……理解していて、『知ってた』と感じる、感覚。

 私が、目を開けたから。
 視界がひらけて、世界が変わってしまった……?

 いつもの、駅までの道。
 曲がり角、カーブミラー、建物。その間から見える空、街路樹。
 通りを走る自転車や車、そして、行き交いすれ違う、人々の存在。
 ……人が帯びるいんようの気。
 それに、人ではない……じゃや幽霊などの、怪異。

 目に入ってくるものをひとつひとつ、新鮮な気持ちで眺めながら。
 私は生まれ変わったような、不思議な感覚を味わっていた。

 なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ?
 とみちゃん、これってどういうこと?
 私、たぶん知ってた、ぜんぶわかる、でも少し……怖い、よ。

 怖いけど……でも。
 私には、とみちゃんがいて。
 それに、ヘビのみんながいてくれる。

 バッグのショルダーのところに巻き付いてる、青ヘビのあおちゃん、桃ヘビのもーちゃん。
 その、透き通ってそれぞれの色に光る、きれいな体にそっと触れて、私はそれを確かめる。

(十緒子ぉー、どうしたー)
(十緒子ちゃんっ、なぁに?)

 二匹の音のない声を聴き、目が合って。
 うん……私は、だいじょぶ。
 そう、思えた。

 ……それに。

「おはよ」
「おう」

 いつもの車両で彼、水野春臣みずのはるおみと小声で声を交わした私は、背の高い彼を見上げ。
 いつものように、整った濃いめのご尊顔と、それを支える、太くてがっしりとした首筋を視界に入れ、ほっとして小さく息をついた。
 と、顔が近づいてきて、彼が目を細めるように私をにらむ。

「目、少し腫れてないか?」
「あっ、うん。今朝の……夢、が。でももしかして、昨日の今日だから、かも」

 そう。私は昨日、たくさん泣いちゃって。
 そしてそうやって、たくさんのいろんなことが私に押し寄せた日、彼は帰らないで、そこにいてくれた。
 私の、とても普通とは言えない話を、おとーさんから聞いたのに。
 それでも、ここにいる、よね?

 私は黙って彼の手を取り、握る。
 彼は驚いたのか手を一瞬強張こわばらせて、でも黙って握り返してくれた。

 そうして私の手が、いまここで感じている、圧迫感と熱に。
 私はすごく、すごく安心する。

 ……私は。
 だから、やっぱり。
 たぶん、だいじょぶ、だ。
 うん『生まれ変わり』は言い過ぎ、ヘビっぽく言うなら『脱皮』なんじゃないかな?

 脱皮しても、私は私。
 一枚ペロンって、皮脱いだだけ。
 だから、だいじょぶ……だよ、ね?



<2>御崎十緒子は挨拶する

(6900字)

「もうそんなには、腫れてないかな……」

 鏡に向かってそんな独り言を、そこそこの声量でつぶやいてしまった自分にびっくりした私はハッとして、ファンデーションのコンパクトを取り落としそうになった。

 お昼休み、職場のオフィスビルに入っている社員食堂に向かう途中の、トイレ併設のパウダールームなスペース。今朝、春臣に心配されちゃったのを思い出して、鏡が見たくなってしまった。
 今日のぼんやりな私は仕事中、大きなミスこそやらかさなかったものの、進行がものすごーく遅くて、それで逆にチーフに心配されてしまったりもして。

 うう、しっかりせねば、と思いつつ。
 でもまだ、ぼんやりしちゃってるな、私……。

 ポーチを社内移動用ミニトートにしまいながら、ため息をついて。そこでまた、「心配させちゃうなんて、ダメだな」なんて独り言が、自分の口からポンと出てしまい……うわっ、もうっ! ボケボケしすぎ、気をつけなきゃって思ったそばからこれって!
 でも、いまたぶん誰もいないし、とりあえずセーフ……ん?

 念のため、パウダールームなスペースから顔を出して奥の、個室トイレがあるほうを見てみる。パウダールーム側からは手洗い用の洗面台が並んでいるのが見えるのだけど……しまった、一人、しっかりいる。
 けどちょっと距離あるしきっと聞こえてない、セーフセーフ……ん、でもなんだろ、この違和感……あっ。

 まばたきして目を凝らそうとして、とっさにそれをやめる。
 と同時に背中、首筋のあたりに、すっとした寒気を感じて。
 私はくるり、とそれに背を向け、トイレとは反対の通路、出口に向かって足早に歩き出した。

 ……洗面台のいちばん奥、洗面台のボウルに向かって顔をうつむけ、たたずんでた女の人、あれって。
 生きてる人じゃ、なかったよね?
 生きてる人かって思っちゃったくらい、クリアな輪郭の幽霊さんだった……。

 ミニトートにも巻きついて一緒についてきてくれている、本日の私担当の二匹……あおちゃん、もーちゃんのほうに、さりげなく視線を送る。

(あれなー、大したヤツじゃないしー、まー大丈夫だろー)
(幽霊ちゃんねっ、十緒子ちゃんに気付いてなかったよっ)

 私の視線に気付いて、音のない声の返事が返ってくる。
 うん、目合わせないようにしたし、だいじょぶだよね。

 にしても。
 あんな、幽霊幽霊した幽霊さんに遭遇してるのに私、すっかり冷静だなあ……。

 今朝から私、幽霊とか邪とか、人が帯びてる陰の気も陽の気も、いつも以上にたくさん視えてしまっていて。
 それらが視えてしまうたんびに、私は……うんうん、世界ってそーいうもんだよねー、とかいう、ヘンに達観したような心持ちになっていた。

 お化けなんてヤダ、怖い、って思ってたのに。
 陰の気や邪の、もやもやが……あんなにイヤでイヤで、しょうがなかったのに。
 6歳の頃も、それについ最近だって、私はそれが気持ち悪くって、耐えられなかったのに。

 なのに。
 いまはどうしてか、それがそうでもない。

 とは言っても、以前と同じ違和感や寒気、場合によっては不快感を感じたりはするんだけど……それも、和らいだ、というか。
 それらがそこにあっても、まぁそういういうモノだよね、なんて思える。

 私は、それらを『知っている』、から……。

 これって、やっぱり。
 とみちゃんとつながって、『脱皮』しちゃったから、だよね?
 うん、きっとそうなんだろう、けど。

 ……うーん、しかし。
 私に、いったいなにが起こってるんだろう?
 記憶が戻ったのがきっかけなんだろうな、とは思うんだけど。
 でもね、今日のところはもう、キャパオーバー。だから、ま、いっか、ってことにしておきたい。

 それより、そう、おなかすいた!
 うん、そうだそうだ。悩むんなら、なにかおなかに入れてからのほうがいいって、誰かが言ってた気がする!
 今日は、べにちゃん、ちゃーちゃんも私と一緒にいてくれて、昨日から私の中で、精力的なモノを練ってくれてたりするので、そろそろ解放したげたいし。

 私は気を取り直して、社食に向かうことにした。


 社食はいつもより、少しだけ混んでいて。トイレに寄った分遅くなっちゃったのもあって、いつもはほとんど並ばない券売機でも並んだ。
 ミックスフライ定食その他諸々を載せたトレーを持って、いつものカウンター席のほうに顔を向けた私は、すぐに冬芽ふゆめさんの背中を見つけ……春臣は来れなかったんだな、と思いつつ、その隣の席、いつもの私の定位置に視線をずらすと、そこにはなんと、弊社部長が座っていた。
 え、どうしよ、とか思う間もなく、弊社部長が私に気付いて、「御崎ちゃ~ん」と手招きをしてきて。両隣の席も埋まってるけどな、と思いつつ近寄ったところで部長が、すっと立ち上がった。

「遅かったね~、席取っといてよかったよ~」
「お疲れ様です、え? 席を? 取ってくださってた?」
「そうゆうことにしといて~? じゃあ岡田さん、またね~」

 冬芽さんに声を掛け、そしてまた風のように去っていく部長をぽかん、と見送り、私は首をかしげつつトレーを置き、トートバッグを置きながら、冬芽さんに話しかけた。

「よくわかんないけど、混んでたからよかったです。あっ、なんかすみません、弊社部長、鬱陶しくなかったですか?」

 弊社部長、実は結構イケオジなんだけど、社内の評判通り、キャラ的にちょっと残念なイケオジだし。
 そもそも冬芽お姉さま、岡田冬芽さんは春臣の会社の主任さんで、顔見知ってるとはいえ他社の人間と、って、ちょっと気まずかったりするよね?
 と、椅子に座って冬芽さんのほうに顔を向けると、私の冬芽お姉さまの美しい横顔が見え……って、私のほう、ぜんぜん見てない。

「岡田さん?」
「え?」

 こちらを向いた冬芽さんは、ぱちり、と目を覚ましたように見開いた。

「ごめんなさい。私、ぼうっとしてたわね」
「やっぱり、弊社部長、めんどくさかったですか?」
「いえ大丈夫、食事に誘われただけで、」
「へっ」
「……あ」

 明らかに、うっかり口を滑らせちゃってどうしよう、という感じの声を発したのに、冬芽さんは顔色ひとつ変えず、さくっと話題を変えてきた。

「それより御崎さん、いつもより遅かったけど、なにかあったの?」
「あ……鏡見たくなって、トイレ寄ってました。ええっと、あんまりよく眠れなくって、まぶた腫れてないかなって」

 ぐう。もっと訊きたいのに、訊かないで、的な圧を感じる。
 冬芽お姉さまっ、私、めちゃくちゃ気になります、ううっ。

 にしても、ええ、弊社部長ってば……社交辞令とかじゃないっぽいよね、つまり、冬芽さん狙いってこと?
 あれ、いまさらなんだけど。
 いままでこの社食で私に話しかけてきてたのって、実は、そゆこと?
 そういえば、冬芽さんじゃなくて春臣といるときには、話しかけられたこと、ないもんね?
 あ、だいぶ前だけど、出張のおみやげ、とか言ってたマカロン。出張先でマカロンなんか買うのかなって不思議だったんだけど、あれって実は、冬芽さんのために、わざわざ?

 ……それで、冬芽さんは?
 そのお誘い、スパッと断った……感じでは、なかったかも。
 うわうわ、うわっ、それって、きゃあぁぁ……。
 うん、でも。弊社部長と冬芽さん、かあ。
 部長が口を閉じてれば、冬芽さんと並ばせても……包容力ある系イケオジ&ショートヘアーなクールビューティー、うん、身長差も申し分ない、アリ、全然アリ、部長が口を閉じてれば。

 なんて。
 食事を終え、冬芽さんと別れてからもそんな妄想を繰り広げていた私は、トイレの個室から出るときに、はた、と気付いた。

 しまった、このトイレって、さっき……。

 いっつも使うトイレというのもあって、すっかり油断してた。
 いや、入るときにはいなかったし……いたんなら、さすがの私でも気付いただろうし。

 そう思って個室のドアを開けて出、洗面台のほうを見ると。
 さっきも視た、幽霊さん……この世のモノじゃない、女の人が。
 おんなじ洗面台の前に、いた。


◇◇◇

 私が視てしまう、大抵の幽霊さんは。
 その大半が、もやもやと人の形を取らないもの、だったりする。
 と言うより、人の形を取れない、のかもしれない。
 それは死霊でも生き霊でもおんなじで、例えば、いつか視た冬芽さんの生き霊は、人の形を取っていなかった。
 でも、この女の人みたく……割合はっきりと、性別までわかる、というのは。
 性別どころか、どうもビルのお掃除の人の制服を着ている、なんてことまでわかるんですが。

 それって。
 この幽霊さん、レベル高い?
 それかもしかして、というかやっぱり、私のほうの霊能力レベルが上がってしまったから?
 ……うーん。
 まぁでもやっぱり、よくわかんないことは、考えたってしょうがない。

 そのトイレには洗面台が三つあって、幽霊さんがいるのは、トイレ側の端っこ。
 私は気が付かないフリをして、さりげなく出口側の端っこの洗面台を目指した……のだけど、個室から私とほぼ同時に出てきた別の人が、私を足早に抜き、その端っこを使い出して。
 うう、じゃあ真ん中……お隣り、お邪魔しますぅ……。
 さりげなく、さりげなーく、いつもの通り手を洗って。
 ハンカチタオルで手をふきながら、隣の様子をうかがう。

 と、私のあとに個室から出てきた女性が、その洗面台を使い出し、すっかり幽霊さんと重なってしまい……それを真横で視てしまった私は、ヒイッ、と内心で悲鳴を上げ、硬直する。

 幽霊さんは一瞬、ふわっと存在が薄くなって。
 で、そこを使った女性がそこから去ると、また姿をはっきりと見せ、そしてその顔が横、つまり私のほうを向いて。
 ばっちり、目が合ってしまった。

(十緒子ぉー、油断し過ぎだろー)

 あおちゃんの声がして瞬間、あたり一面が曇ったようになり、ミストに覆われる。
 私はハッとして、後ずさるように、幽霊さんから距離を取る。
 気がつけばまた、このトイレには私しかいない。
 あおちゃんはもーちゃんと一緒に、トートバッグのチャームに扮したままで、私はトートバッグに目を落としお礼を言った。

「あおちゃん、ありがと」
(まーでも、こいつは大丈夫だろー)

 このミストは、あおちゃんの必殺技のひとつで、霧隠れの術、みたいな感じ。普通の人には感じられないミストのおかげで、幽霊さんは私を見失ったようだ。そしてまたうつむいて……洗面ボウルを、見つめてる?
 おそるおそるもう一度近寄って、隣からその洗面ボウルに視線を向けると、黒っぽいなにかが横切ったような気がした。それと、ボウルに散らばる、大量の髪の毛……ぐえっ、汚いぃー。

 お掃除の人っぽい幽霊さん、この髪の毛に大注目してるみたい?
 それにしても、なんでこの洗面台だけ、こんなに汚いんだろう。

 いつの間にかトートバッグから外れた、あおちゃんともーちゃんが。
 私のそばで一緒に、洗面ボウルをのぞきこんでいる。

(悪い子がいるねっ)
(だなー。汚れ好きなヤツなー。んで、そいつらに引っ張られてー、髪が抜けて―、汚れるんだよなー)

 悪い子、やっぱりさっきの黒いのは、邪だったんだ。
 ってことは、その子に退場してもらえば、この洗面台もこんなに汚れなくなる?
 んで、もしかしてこの幽霊さんも、成仏的な方向を前向きに検討してくれるかも?

 私はそっとその場を離れ距離を取ってから、幽霊さんに気付かれないようゆっくりと振り返る。そして、あおちゃんともーちゃんに、小さな声で言った。

「あのさ。その悪い子のお片付け、お願い」
(了解ぃー)
(あっ、青のっ、待ってよっ)

 あおちゃんがさっきの洗面台に近寄ると、その青く透き通る体から、渦のような水流が起こる。
 そしてその渦が洗面台をウロウロしていた邪をすくい取り、そのまま回転を続けた渦が収束しながら邪を呑み込んで、押しつぶしてしまった。

 おうっふ。特殊効果の前の、心の準備を忘れてた。
 呼吸が乱れ、心の声がだだ漏れる。

「やだ、あおちゃん、かっこいい……」
(だろー?)
(ズルいよっ、もーちゃんの出番だったのにっ。プンプンっ)

 宙に浮きながら、胸を張るようなポーズをするあおちゃんを、もーちゃんが口でつんつんつついている向こう側、洗面台の前にいた幽霊さんの様子をそっとうかがうと、幽霊さんはまだ洗面ボウルを凝視していた。
 ほんの少し、驚いてるっぽい、かな?

 そして、次の日の朝も。
 始業前に寄ったトイレで、私はまた幽霊さんな彼女に遭遇した。

 そこは、昨日の社食に近いトイレではなく、弊社オフィスのフロアにある、弊社がほぼ専用で使っているトイレ。その二つ並んだ洗面台の、やっぱりトイレ側のほうに、あのお掃除の人な幽霊さんがたたずんでいる。
 ただ今度は佇み方がとっても特殊、というか……鏡の真ん前、鏡と洗面ボウルの間に下半身をめり込ませた状態で、その洗面ボウルを見下ろしている。
 もちろん、鏡にその姿は映っていない……。

 入口のドアを押しながらそれを目にした私は、後ずさりしつつドアを引き、くるりと方向転換して同じフロアの別のトイレで用を済ませた。
 けど結局、昼休みに、社食のほうのトイレで彼女に再会してしまい。
 出会ったときと同じあの洗面台、でも佇み方は下半身めり込ませ型で、首だけを不自然に深く曲げて見下ろしている。

(あんま気にすんなよー)
(だねっ。あれって残り香みたいな感じだからっ、たぶん大丈夫だよっ)

 なにか予感してたみたいで、私担当当番だったのは前日とおんなじ、あおちゃんともーちゃんだった。

「残り香、って?」
(うんとねっ、生きてたときの強い気持ち、みたいな感じっ。死んじゃっても残っちゃったんだねっ)

 きびすを返してトイレから遠ざかり、ヒトケの少ないフロアの端っこでスマホを耳に当て、通話のフリをしながら、あおちゃんともーちゃんに相談。なるほど、そんなことが……そういえば、華緒ちゃんに連れてかれたアパートでも、そんな感じのがいたっけ。

「それって、地縛霊じゃなくって? 成仏出来ないのって、つらくないのかな?」
(半分はそうでー、半分は違うなー)
(あれはねっ、魂のカケラだからっ、本体はたぶん成仏してるよっ)
「へ? カケラ? 本体? 魂ってひとつなんじゃ、……?」

 ふと、つながったような感覚がして。
 どこからか、『ひとつでもあるし、寄せ集めでもある』なんてことばが聴こえたような気がして、私は口をつぐんだ。わかったような感覚……なのに、むずかしくてよくわかんない。
 まあ……いいや。

「えっと。じゃあ、放っといていいんだよね? なんか、よくないことにはならない? トイレ使う人の迷惑になっちゃったりとか」
(とりあえずはなー、あいつがヤバい邪に喰われたりしなけりゃ、べつに大丈夫じゃねー?)
(でも、ちゃんとバイバイするのも出来るよっ。もーちゃんたちが、やったげるっ。十緒子ちゃんが望むならねっ)

 うーん。バイバイするって、さっきのあの邪みたく、まるごとすり潰しちゃう感じだよね、きっと。無害そうな霊に、それってどうなんだろ……それに。
 ヘビのみんなの力を使うときは、ちゃんと考えなくちゃいけない。必要のないことまでお願いするのは、ダメだから。
 どうしよう、かなあ……。

 はい、そんなときは、ですね!
 とりあえずこの問題は、保留&要経過観察! またの名を、問題の棚上げ&先送り!
 ……と、いうことに決めた私は。
 なるべく気にしないように幽霊さんを観察しつつ気付かないフリをして、トイレを使うことにした。
 最近、まあいっか、で片付けてばっかな気がするけど。
 でも無理なもんは無理、しょうがないよね、ま、いっか!

 幽霊さんは、いるときといないときがあって。
 慣れてくると、あ、今日は会えたな、なんて感覚になってくる。
 しばらくして、もしかして汚れてるから出てきちゃうのかな? という考えに至り、弊社フロアのほうのトイレはたまに、備え付けのペーパータオルを使って洗面台のゴミを取る、なんてこともするようになり。
 社食のほうのトイレでも、トートに入れておいたペーパータオルで髪の毛を拾って捨てたりなんかしはじめ。
 でも幽霊さんは消えるでもなく、そこにいて。すっかりそれに慣れ切った私がやらかしてしまったのは、ゴールデンウィーク明けのことだった。

 今朝、久々の出勤で久々に会った春臣のこと、ゴールデンウィーク中のことなんかを思い出していた私は、始業前の人のいないトイレで、いつものお掃除の人の制服が視界の端に入ったとたん、なにも考えずに挨拶を口にしていた。

「おはようございまーす」

 目こそ、合っていなかったものの。やらかした、と思った私は固まりつつ、そちらの様子をそっとうかがう。
 あおちゃんの青、もーちゃんのピンクの背中越し、下半身めり込ませ型で洗面ボウルを見下ろしていた幽霊さんが、ゆっくりと顔を上げた。

(……おはよう)

 彼女はそう、音のない声で私に言い。
 そしてこちらに向かって、大げさなくらい、首をかしげてみせた。



<3>水野春臣・ハウスキーパーは視た(1)

(4300字)

 一階の、エレベーターを降りてすぐにある、『美容室RIKA』の通用口の前で。
 俺はタッパーを詰めたレジ袋を持ち替え、エプロンのポケットに突っ込んでいた鍵を片手で探し当てる。そのまま鍵を開け、ゆっくりとドアを前に引きながら、「失礼します」と一応声を掛けた。
 中には誰もいない。その部屋は美容室のスタッフルーム兼倉庫となっており、棚とロッカ―収納に囲まれた真ん中に、二人掛けのテーブルが置かれている。

 二段重ねでレジ袋に詰めてきた、四つの大きめのタッパーはその上に、すぐには置けない。とりあえず袋を椅子に乗せ、業務用のヘア用品の空き箱、菓子の包装や紙くずなんかのゴミ、投げ置かれた文房具や業務に使われるらしい細々した道具をまとめ、片付ける。テーブルが空いたところで、近くにあるウェットシートでテーブルを拭き、それからタッパーを袋から出して置いた。
 タッパーの中身は、いなり寿司と唐揚げ。休憩にまとまった時間を取れない状況が続くので、ひと口ふた口で食べられるものがいい、というのが里香さんのリクエストだ。

 この部屋のもうひとつの扉の向こうから、かすかに里香さんやほかのスタッフの声が聞こえ、ドアベルの音がする。タッパーの横に小皿や箸を並べると、部屋を後にして鍵を閉め、再びエレベーターに乗って、階上の部屋へ戻った。


 このゴールデンウィーク。5月に入ってから俺は、里香さんからの電話で、ハウスキーパーを頼まれていた。

『いつものハウスキーパーさんが急病で来れなくなっちゃって。店のほうも、ヘルプの子がひとり手配出来なくって、バタバタなの。いま代理のキーパーさんとやり取りするなんて無理、あとちょっと死にそう。春くん、助けて』

 大型連休中、美容室はそこそこの混み具合になる。わかっていたから事前にヘルプを頼んでいたのだが、今回は行き違いのようなことがあったらしい。里香さんが多くの後輩女子に慕われているのは、昔から知っている。スタッフに事欠かないこの店にとって、だからこれは、まあまあ珍しい事態だ。

 昔、美容室がオープンして一年くらいまで、俺はこの家に出入りして、ハウスキーパーのようなことをしていた。というより、それまでチカと里香さんと三人で暮らしていた流れで、二人がこちらに引っ越してからも、しょうがなくふたりを手伝っていた、という感じだ。

 エレベーターを降り、生活力ゼロの夫婦の部屋に戻った俺は、またマスクを着け、掃除を再開する。俺が残って住んでいるマンションの部屋よりひどく狭く感じるのは、雑然と放置された物が無数にあるからで、俺はもうそんなことではイラつかない。元の位置へ戻す、という概念がない人間というのは存在するもので、それがふたり揃って、しかも夫婦になっただけのことだ。

 里香さんの夫で俺の兄、正確には従兄いとこであるチカ、水野睦也みずのちかなりは仕事で、ゴールデンウィーク中は戻らない。『この仕事って結局、便利屋なんだよね。怪異に関する』と、胡散臭く笑う奴の表情を、ふと思い出す。

 まあ、いい。
 里香さんを手伝う、ついでに……チカがこの家にいないうちに、調べたいことがある。

 だが、その前に。
 里香さんひとりでつくり上げてしまった、このカオスな空間を、俺はどうにかしなくてはならなかった。


◇◇◇

 この連休、十緒子とは見事に予定がすれ違うことになってしまった。
 連休前の十緒子は、先日再会を果たした父親の御崎玄、そして姉である華緒子の三人で食事に行くことになった、とか、華緒子の仕事を手伝う日が何日かあるのだとかを、『あらためて会うの、ちょっと緊張しちゃうな』などと言いながらも、うれしそうに話していた。

《高いお寿司! お店も高いトコにあって、緊張する~》

 食事の日にそんなメッセージと共に送られてきた画像の一枚目は、丸い光の玉、オーブしか写っておらず。二枚目、三枚目は、十緒子と華緒子、御崎玄の三人が、笑顔で並んでいた。

 ……父親、か。

 掃除を続ける俺の脳裏に時折、あの御崎玄の姿が浮かぶ。
 適当な曲をスマホで流しながら掃除の手も休めず、だがそのなにかの拍子にふと、彼のことを思い出してしまっている。さっき、いなり寿司を仕込んでいたときも、黙々と酢飯を詰め込みながら、ずっと考え続けていた。

 俺は少し前まで、十緒子と一緒に住むことを、目論んでいた。
 それは、十緒子に俺の部屋の鍵を渡したときからだ。

 毎週末俺の家に呼び、その帰りに十緒子の家の冷蔵庫の状況を思い出して、いくつかタッパーを持たせ、車で送り……というこの状況はよく考えりゃ、いろいろと二度手間で。
 どうせこんだけ一緒にいるんなら、同居したほうが手っ取り早くねぇ?
 冷蔵庫を二つも管理しなくてよくなる。
 俺んちのほうがお互いの職場に近い。
 メリットだらけ、しかも面倒が少なくなるよな?

 そういう、即物的なことしか考えていなかった俺は、十緒子の父親、というものの存在を目の当たりにしてからやっと、事はそう簡単にはいかねぇんだろう、ということに気がついた。
 改めて、ネットで情報を探すと。
 やはり同棲前に、親への挨拶は、したほうがよさそうだ。

 まぁ、そりゃそうか。娘の親にしてみりゃカレシなんざ赤の他人で、どっから湧いてきたかもわからない男、でしかないのだから。ウチと取引はじめたきゃ挨拶しろよ、ってのは当たり前で、よくわかる。
 で、いくつかの記事によると。
 ただ一緒に住みたい、と主張するだけでなく、『将来』を見据えた関係である、とアピールすることが望ましく……。

 俺はそこで、少々うろたえる。
 あぁ……俺らはそういや、いい年ではある。
 27歳。
 世間的には『将来』のことを、それなりに考えなきゃならねぇ年齢、らしい。

 チカと里香さんを見てきた俺にとって、『それ』はべつに、なんでもないことだ。
 あいつらでも出来たことだ。大したことじゃねぇし、それなりにやっていける自信は、ある。
 が。
 なんとなく……まだ、そういう話をする時期ではない、ような気がする。
 特に十緒子が、そこまで考えているとは思えない。
 まぁ、それより。
 ヘビどもが十匹揃ったとか、やっと記憶が戻ったとか、だから、それどころじゃねぇよな……。

 話を戻すと。
 同棲するんならまず、十緒子とその、『将来』の話をし……そこをどうすればクリア出来んのか、は置いといて……その上で、十緒子の家の人間にそれを、説明をする必要がある。

 自分たちは、将来のことを真剣に考えています。
 だから娘さんとの同居を、認めていただけますか。
 ……とか、なんとか。

 ってか、これ、このセリフ。
 『同居を』って言うより、もうすでに、『結婚を』なんじゃねぇか?
 違いが、俺にはよくわからねぇんだが。
 一緒に住みたいだけで、なんかオオゴトになっちまってる気がする。

 オオゴト、って……大したことじゃねぇ、とか言っておきながら、矛盾してんだろ、俺。

 ……しょうがねぇ。
 同棲を提案するのは、まだ先になりそうだし。
 とりあえず現状維持、だよな?

 一旦掃除の手を止め、コーヒーを淹れるための湯を沸かしながら。
 俺は里香さんの店に持っていかなかった、皮の破れたいなりを口に放り込む。
 雑念で指をめり込ませてしまったいなりの、そこそこの量を見、俺はチッ、と舌打ちする。夕メシもこれなら、塩気が欲しいな……浅漬けでも仕込んでおくか。


「春くん、おいなりさん、おいしかったー! みんなにも大好評だったよ」

 里香さんにそう言われたのは夕方、閉店後の店内で、俺は店の掃除を手伝っていた。
 あちこちにハンディ掃除機をかけて、ちょうど回り終えたところで。閉店作業にひと段落着いた里香さんのほうも、スタッフに順番に声を掛け、帰宅を促している。
 帰り際のスタッフが、「お昼ごちそうさまでした、これも、ありがとうございます!」と、使い捨て容器に詰めた、いなりと太巻きが入った袋を見せながら、俺にも挨拶をする。俺はそれに「いえ、お疲れ様です」と答えながら、彼女たちを見送った。

「まさか持ち帰り用にも包んでくれるなんて、至れり尽くせりだよ。さっすが、春くん」
「あれの中に入れたのと同じ太巻き、上にあるから。面倒くさがらないで、ちゃんと食えよ」
「うわぁ、春くんの太巻き久しぶり、頑張って終わらせなきゃ。春くんも、結構遅くなっちゃったね」
「初日はしょうがねぇし、わかってたことだから」

 このあとまた上階の部屋に戻って、乾燥機の洗濯物を片付けたら帰る手筈だ。
 ハウスキーパーが不在になって二日、というのは聞いていたから、大体の予想はついていた。チカがいないだけ……散らかす奴が一人なだけ、まだマシなほうだ。
 まぁチカがいりゃ、ハウスキーパーへの対応が出来たから、俺は必要なかったんだろうが。

「あっ、そうだ。御崎さんは、大丈夫? デートの予定とか、あったんじゃない?」
「あぁ……連休中、あっちはあっちで忙しいから」
「ふーん。ちょっとさみしそうだね?」
「うるせぇよ。とっとと仕事終わらせろよ」
「はーい。……あれ?」

 里香さんが、まだシャッターを下ろしていない店の外を見て、作業の手を止める。
 視線の先を追うと、女がひとり立っていて、店内をじっと見つめていた。

 ……嫌な感じがする。

 今日このビル内で俺は、認識阻害用のメガネをかけていなかったのだが。店のガラス越しでも、その薄気味悪さを感じ取れる。
 俺が敏感過ぎるのか、あっちがヤバいのか。どっちにしても里香さんに、外に出ないよう注意を……。

 が、俺が止める間もなく、里香さんは扉の鍵を開けドアベルを鳴らして外に出、「シノザキさん?」とその女に呼びかけた。あわてて俺も後を追い、店の外に出る。
 女はびくり、と体を硬直させるような反応を見せ、両手のこぶしを固く握りしめている。バッグなどを持たず手ぶら、つっかけ代わりにしてそうな合成樹脂製の靴。部屋着のような上下、ひとつに結んだラフな髪にメガネ……全体的に冴えない、疲れた印象。

 そして……そう。
 女を取り巻くように蠢いているのはいんの気と、それを喰らおうとする邪、だ。

「こんばんは、お久しぶりですね! ちょっと寄っていってください」

 里香さんが、あっという間に女の手を引き、店内に招き入れる。
 彼女は、怪異を視る目を持たないはずなのだが。
 たぶんまた……そういうことではないなにかを、察知したんだな。

 そうだった。そういう人だった、忘れてたわ。
 そうやって、トラブルに頭から突っ込んでいって、それを引き受ける。
 そんなん、面倒くせぇからやめろ、と俺が言っても聞かなかった……昔っから。



<4>水野春臣・ハウスキーパーは視た(2)

(4800字)

『チカにはね、私がお願いしたの。あんまり強力すぎるのはやめてね、って。て言ってもね、私には違いがよくわからないんだけどね』

 店がオープンしてしばらく経った頃だったか。
 明らかに怪異の影響で、里香さんが体調を崩したことがあった。

 チカの奴はまた仕事で不在で、俺は『テメェの嫁放って他人の怪異片しに行くとか、意味不明過ぎんだろ。結界くらい固めてから行けよ』と文句を言いながら、店に魔除けの符を貼ろうとしたら、里香さんに止められた。チカがすでに貼り終えているから、と。

『普通の、どこにでもある美容室をやりたいんだ。ま、ね、あんまり怖いのは来てほしくないし、ほかのお客様にも迷惑になるだろうから、弾いてくれていいんだけどさ。でも、お客さんを弾く、なんてのは論外。だから、このくらいでいいんだよ』

 言いながら里香さんは、チカから渡されていた、おそらく符の入ったお守りを握りしめる。中身を出して広げて貼ったところでそれは、術者と同等の効力を発揮するわけじゃない。そんな、大して役に立たないモン持たせて、あいつはバカじゃねぇのか?

 ただ、そばにいてやるだけでいいのに。
 そんなことも出来ねぇのかよ。

『だから僕がいなくてヤバそうなときは、春くん、頼むね』

 そう言ってまたヘラヘラと、胡散臭く微笑うチカに、俺は……。


 パチパチッ、と軽い音が、俺の耳に届く。
 その音で俺は目を凝らして、シノザキさん、と呼ばれた女を視た。
 纏わりついていた邪が、店の結界をくぐったことで、多少減ったようだ。虚ろな様子だった女はそこで、目を覚ましたかのようにまばたきをした。

「あの、私、」
「シャンプーしてもいい? お試しで業者さんが置いてったのがあるから」
「え、でもお金、持ってなくて、」
「大丈夫、お金はいらないです。ええっと、切らないからカットモデルじゃないんだけど、ね、そんな感じ」

 ニコニコと笑顔を絶やさないまま、シャンプー台の椅子に女を座らせた里香さんはそこで、すっと顔を近づけ、女の耳元に口を寄せた。

「だから安心して、私に少しだけ付き合って?」
「っ、は、い……」

 女はかろうじて返事を返し、顔を赤らめ、放心したように力を抜いた。

 ……里香さんのそれが、確信犯であることを、俺は知っている。

『私って、王子様なんだって。それっぽくするとさ、女の子はみんな、可愛い顔、するんだ。やめられない、フフッ』

 里香さんは、俺の10コ上のチカより4歳年上だってのに、いまだにその効果が衰えてないってのは……まぁ、世間のアラフォーと比べてもわけぇし美人だな、とは思うが。
 俺はその、大昔に聞いた里香さんの言い草を思い出しながらため息を吐き、入口扉の鍵をかけて戻ると、女の顔にはすでにシートがかけられていた。
 シャワー音が、店内に響く。営業中のBGMは、だいぶ前に切ったままだ。
 シャワーを止めた里香さんが、棚から二つ、ボトルを取り出した。

「シノザキさんは、どっちの香りが好き? はい、これはひとつめ。……こっち、が、ふたつめ」
「え……」
「もう一回、いくよ。これと……そして、これ。選んでくれる?」
「……じゃあ、ひとつめのほうで」
「了解。私もね、こっちの香りのほうが、シノザキさんに合ってるな、って思ってました」

 このまま上に引き上げて、二人きりにするわけにもいかねぇよな。
 俺はしばらく様子を見ることにして、スタッフがカットのときに使う、キャスター付きの丸椅子を出してきて、適当に座った。
 シャンプーを終え、手を引かれてカット台のチェアに座らされた女は、呆然としている。
 一度シャンプー台に戻った里香さんの手にはメガネがあり、「メガネ、ここに置きますね」と言って、それをカット台の鏡の前に置いた。

 またそこから離れ、棚からチューブを取り出し戻ってきた里香さんは、その中身を手に取って両手を擦り合わせ、それから彼女の前でパッ、と広げて見せた。

「さっきのシャンプーと同じシリーズのトリートメントなんです。ね、香り、いいでしょう? これつけてから、乾かしますね」
「……はい」

 彼女は目を閉じ、されるがままになっている。

 テキパキと作業を進める里香さんの姿を、こうして眺めるのは久しぶりだ。
 しかし、なんで……仕事用の道具はああやって、ちゃんと片付けられるのにな。『お高い道具を何度か失くして、結構痛い目見たからね』と、本人だけは納得してるようだが、それだけで、仕事ぶりとあの部屋の惨状との落差は説明は出来ねぇだろ、と俺はいつも思う。

 それにしても。
 シャンプーが終わって……邪が、いなくなった、よな?
 まぁ、チカの張った、ザルの目のデカい結界をくぐれるくらいの、ザコ霊だが。
 纏っている陰の気も、薄くなったように感じる。

 ドライヤーをかけ終え、里香さんは彼女の両肩に、ポン、と手を置いた。

「おしまい。どう、ですか?」

 促され、彼女がメガネに手を伸ばし、それをかける。そして鏡の中の自分を見、そのまま鏡の中の里香さんを見た。

「私の知ってるシノザキさんじゃ、なかった気がして。強引だったかな、ごめんね」

 肩を越す髪はまっすぐに整えられていて、それに何度も手を往復させていた彼女に、里香さんが、客用のハンドタオル差し出す。受け取ったそれを、どうやら涙の伝った頬に当てると、くぐもった声が聞こえてきた。

「……私、お夕飯のあとで耐えられなく、なってしまって。飛び出してきたんです」

 顔から離したタオルを握りしめる彼女はそのまま続け、里香さんはまた、両手を彼女の肩に置いていた。

「この連休でまた、夫の両親が揃ってうちに泊りに来てるんです、孫と遊ばせてくれ、って。でも夫はそれを面倒がって、私に丸投げで、仕事だとかですぐに出掛けてしまうし。それにたぶん、仕事じゃない、かも……」

 里香さんは「そう、なんですね」と言い、彼女の髪を指で梳いて撫でる。と、彼女が「いい香り。こんなの、久しぶりです」とつぶやき、続けた。

「お義父さんもお義母さんも、悪い人じゃないのはわかってるんです。でも家事とかいろんなこと、責められてるような気がして。夫も、たぶん私がなにかしてしまったから、ほかの人のところに、っ、」

 再び頬と、ずらしたメガネの下にタオルを当てる彼女の髪を、里香さんは撫で続ける。
 しばらくしてから里香さんは、彼女に向かって微笑んで、やわらかい声で言った。

「シノザキさんが飛び出してきてくれて、よかった」
「え……?」
「私は、こんなことしか出来ないけど。でも、いつでも飛び出して、ウチに来てくださいませんか? シノザキさん、お名前、ユリさん、でしたよね?」
「は、はい」
「ユリさんが、この香りが好きだって、わかったから。今度からこれ、仕入れてみようかな。上手く言えないんですけど……なんの用事もなくて構いませんから、飛び出したときはこうして、店に遊びにきてください。でも、飛び出せるのって、すごいことですよ?」

 里香さんは彼女の髪をさっとまとめ、ゴムで一つに束ねた。それから鏡の中の彼女に目を合わせ、言った。

「どうします、もう少しゆっくりしていかれます? ちょうど、ウチの弟が作った絶品おいなりさんと太巻きがあるんで、つまんでいきませんか?」
「え? ……あ。そう、ですね、私、リオが……帰らなくちゃ」

 彼女は鏡の中の自分を見つめ、立ち上がる。少しよろけたところを、里香さんに手を取られた。

「それなら、少し待ってくださいね」

 里香さんはさっきのトリートメントを持ってレジカウンターに回り込み、棚から物を取り出した。トリートメントを、取り出してきた小さな容器に出して蓋を閉め、ジッパー付きの小袋に入れる。そして引き出しを開けて封筒を取り出し、その二つを手にこちらに戻り、順番に彼女に手渡した。

「ひとつめは、これ、さっき使ったトリートメント。お風呂上り、タオルで水気をしっかり取ってから使ってくださいね。あとこっちは展望台の無料チケット、なんだけど……三枚に、しとこうか」

 封筒から一枚抜き出して、封筒のほうを彼女に渡した。

「三枚しかないから、明日あたりご両親に渡して、よかったらリオちゃんと三人、水入らずでどうぞ、なんていうのは、どうですか?」
「えっ、里香さん、こんな、」
「どっちもタダでもらったモノなんで。お裾分け、です」
「っ、ありがとう、ございます……」

 ドアベルを鳴らし、二人が揃って外に出たところで。
 俺はそれを追って、ドアを開け放して枠にもたれ腕を組み、二人が話すのを聞いていた。

「少し、冷静になってきました。私ったらさっきまで、SNSで見つけたおまじないをどうやって実行しようか、そんなことをぐるぐる考えてたんです。おかしいでしょ? なんでも、浮気によく効くおまじないだとかで、でも揃えるのが包丁と髪の毛と、なんて。ちょっと考えれば怪しいってすぐわかるはずなのに、なんで、私……」
「シノザキさん、それ。おまじないじゃなくて、呪い、っぽいですね」
「呪い?」
「よく言われる話なんですけど、おまじない、って漢字で書くと、呪いと同じなんですよ。ウチの相方がそういうのに少し詳しくて……でも、怪しいって気付けて、よかった。聞くだけで怖い、そんなの」
「そう、ですよね……」

 里香さんは彼女の髪をひと房すくい取り、顔を近づけて、言った。

「ユリさん。この香りが全部なくなる前に、また遊びに来てくださいね」
「っ、は、い……」

 顔を薄っすら赤らめ、何度も頭を下げながら遠ざかる彼女を見送り、里香さんを先に中に入れた俺は扉の鍵を回し、店内にある店の電動シャッターのスイッチを押した。

 シャッターが降り切ってから振り返ると、里香さんは、さっきまで俺がかけていたカット椅子に座り、ぼんやりとしていた。

「おい、大丈夫かよ」
「うん。あの人、シノザキさんね、ウチに頻繁に通ってくださってた頃は颯爽として、笑顔がキラキラしててね……でも、おせっかいだったかな。勝手におせっかいしといて、あんなふうに帰して、冷たかったかな」
「は? べつにどうでもいいだろ、そんなこと。それより、また当てられてんじゃねぇだろうな」

 里香さんが顔を上げて俺を見、「え? 怖いの、いたの?」と不思議そうな顔して、言う。俺はため息をついた。

「いた。里香さんそれ、自分でどうにかしたみてぇだけど」
「シャンプーとブローしかしてないけど……でも、じゃあ、いなくなったんだよね?」
「まぁな」
「よかった。……やだ私ったら、さすが祓い屋の嫁?」
「知るかよ。それで当てられて体調崩してんなら、意味ねぇからな」

 ぱっと視たところ、里香さんに纏わりつく邪は、いない。
 ただ、ぼんやりとした陰の気が、漂っているような気がした。

 俺はさらに歩み寄り、そのまま椅子にかけている里香さんの頭を軽く抱え、彼女の肩をポンポンと叩く。俺の体に施してある護符に近づければ、邪は散る。これが陰の気に効果があるのかは、そういえばわからなかったが……多少は、あるようだ。
 身を離すと、里香さんが立ち上がる。すらりとした背で、視線の位置は俺より少し下、その目が俺をわずかに見上げ、ニヤリ、と笑う。そして軽く、ハグを返してきた。

「ありがと。少しすっきりしたかな! ねえ、こういうことするのってお互い、浮気っぽいよね?」
「ハッ、ふざけんなよ。ほかの方法知らねぇから、したんだろうが。このクソ忙しいときに、また当てられて熱でも出したらどうなんのか、それわかって言ってんだろうな」
「ああっ、そうだね、ごめんね春くん! 感謝してます、ありがとう!」

 浮気、ね。
 全然そんな気には、なれねぇけどな……昔も、いまも。
 そして、里香さんの俺に対する態度、距離感も、そういうものではなく。
 俺にとって里香さんは、チカなんかより、よっぽど……。

 クソダセェことにならないよう、俺はそれを言語化しない。
 でも、ありがてぇとは、思っている。
 昔も、いまも。



<5>水野春臣は説教する

(4700字)

「あ。ごめん、ちょっと待ってて」

 ゴールデンウィーク明け、夕方。
 帰りの、いつもの待ち合わせ場所に着く前に十緒子とハチ合わせ、並んで少し歩いたところで、なぜかストップをかけられた。

 会社が入っているビル群の、低層階に広がるショッピングモール。その幅の広い通路の途中、店のない場所で十緒子が、通路の端に向かって歩いていく。

 ふと、その先に不穏な気配を感じ……俺は、メガネに手をかけた。
 怪異の認識阻害目的でかけていたそれは、すべてを遮るわけではない。
 メガネを外して、より輪郭をはっきりさせてそこに視えたのは、幽霊、で。
 ……って、おい。
 なんだって幽霊なんかに向かっていくんだよ、おまえは!

 その幽霊は、通路の端の床をじぃ、っと見つめるように、首だけを不自然なほど、深く曲げている。輪郭がぼやっとしてるが、たぶん年配の女。
 幽霊からある程度の距離を残してピタリと止まった十緒子は、女幽霊の視線の先を追っているようで……なんなんだよ、意味わかんねぇ。

「なにしてんだ、おまえ」
「うん、ちょっと。あ、ガム、かぁ」

 女幽霊がチラリ、と十緒子を見、また床に目を落とす。そこには、誰かが吐き捨てたであろうガムが落ちていて、瞬間、そのすぐ脇を黒い邪が横切った。
 十緒子を追ってすぐうしろにいた俺は、十緒子の腰に手を回し、体ごと引き寄せる。

「おい! なにやってんだよ」
「えっと、話せば長くなるけど、このヒト、知ってるヒトで」
「……は? なにを、」
「どうしてなのか、知りたくて。あ、このヒトは、だいじょぶだから。あおちゃん、もーちゃん、」
(おっけー)
(十緒子ちゃんっ、まっかせてっ)

 十緒子のバッグの持ち手に巻き付いていたヘビどもが、十緒子を背にして宙に浮く。
 十緒子に促され、渋々俺が手を離すと、十緒子はバッグの中からペーパータオルを出し、幽霊に近寄って床にしゃがんだ。と、同じタイミングで、女幽霊が十緒子から距離を取り、その姿がすうっ、と薄くなる。
 が、人毛がうごめくような、気色の悪い様相を見せる邪が、まだそこにいる。

「十緒子!」
(十緒子ぉー、いっくぞー)
「うん、お願い」

 青ヘビの体から水流、水の渦が起こり、渦がその邪をつまみ上げ、つぶしながら消える。
 それを見届けてから十緒子が、ペーパータオルでガムをつまんだ。

「むむ。ガム、床にくっついちゃって、取り切れない? どうしよ」
「……ガム、には……氷。冷やせば、取れる」

 起こった事態に、開いた口が文字通り塞がっていなかった俺は、そんなことばをかろうじてつなげ、口にする。昔、里香さんの店の前を掃除したとき得た知恵が、役に立っ……いや、そんなことはどうでもいい。

「そっかー、溶けちゃってネバネバするから、冷やして固めるんだね。それなら、ええっと、」
(冷えりゃいいのかー?)

 青ヘビの、音のない声が聞こえ。
 そこに、雪が……ひとかたまりほど、バサリ、と落ちる。これはさっきの水流と同じ、人の目には視えないもののようなのだが。

 おいおい、さっきから……よぉ。
 そんなんアリなのかよ?

 少しずつ思考が回復してきた俺をよそに、十緒子の「あっ、すごっ、きれいに取れた! 春臣すごい! あおちゃんも、ありがと!」なんてのん気な声が聞こえてくる。どうでもいいけどこの通路、連休明けとはいえ、そこそこの通行量あるからな?
 一応、こちらを怪訝にするような人間がいないかあたりの様子をうかがい、とりあえず問題はなさそうで、俺はフウ、と息をつく。ヘビ二匹がすぐそこで堂々と宙に浮いて、話なんぞしてるんだが……もう指摘するのも面倒だ。

(ズルいよっ、またもーちゃんの出番、なかったよっ。プンプンっ)
(桃のはよぉー、仕掛けが遅いんだよなー)

 立ち上がった十緒子は、存在の薄くなった幽霊を見やり、それからガムを包んだペーパータオルを丸めて持ったまま「手、洗ってくるね」と俺に言い、小走りで通路の先にあるトイレに向かった。
 残された俺は、いや、俺と、宙に浮く桃ヘビはゆっくりと、そのあとを追うように進む。
 青ヘビは、十緒子にくっついていったようだ。

「なんだよ、いまの」

 幽霊がそのまま消えたのを視た俺は、ずらしていたメガネをかけ直し、上着のポケットに入れていたマスクをかけてからつぶやいた。
 すると案の定、桃ヘビが(幽霊ちゃんのこと?)と返事を寄こし、まぁ背に腹は変えられねぇし、と思いながら「それ以外ねぇだろ」と返し、桃ヘビとの会話を続ける。周囲の人間に俺の声が聞こえないよう、注意しながら。

(十緒子ちゃんねっ、あの幽霊ちゃんに成仏してもらう方法を、探してるみたいだよっ)
「……成仏の、方法? おまえらがとっとと浄霊すりゃいいだけだろ?」
(もーちゃんもねっ、すぐバイバイ出来るよ、って十緒子ちゃんに言ったんだっ。でもねっ、それじゃダメなんだってっ)

 あいつ……ふざけんなよ、バカにもほどがあんだろ。
 まさかあの幽霊に、自力で成仏してもらいたい、とか、そんなアホなこと考えてんじゃねぇだろうな? ってか、あんな幽霊、この世にどんだけいると思ってんだ、そんなことはじめたら、キリねぇだろ?
 そもそも怪異ってモンを相手にして、そんな甘っちょろいこと言ってる場合か?

 ……よし。
 これは絶対、説教していい案件だよな?


◇◇◇

「……でね、私を認識しても、こっちを襲ってくるとかしないし、ぜんぜんだいじょぶで。そのあと、それがきっかけになったのか、はっきりした声が聞こえてくるようになったんだ」

 十緒子のアパートの部屋で。スーパーで買ってきた食材を片付けながら、十緒子が話し続ける。
 結局俺が十緒子にあの幽霊の話を振ったのは、最寄り駅のスーパーを出たところで。
 まぁ……久々に会えたのもあるし、いきなり説教ってのもナンだよな、事情くらいは聞いてやるか、と。
 俺も、大人になったもんだと思う。

「なんかね、『わかった、わかった』って繰り返したり、あとはね、『どうして、どうして』なんてつぶやいててさ」

 十緒子は、袋から出した缶ビールを俺に手渡しながら続けた。

「わかんないけど、たぶんだけどね。私のこと認識してからのあのヒト、私になにかしてほしいって思ってるっぽいんだよね。だから、しばらくあの幽霊さんに付き合えばそれ、わかるんじゃないかなあ」

 それぞれでプルタブを引き、「かんぱいっ」と十緒子が言うタイミングで軽く缶を合わせ、ビールを飲む。が、俺は頭の中でずっと、どう説教してやろうか、ということばかり考えていた。

 話を全部聞いてやっても、俺の理解を超えている。
 幽霊に挨拶したら、声が聞こえるようになって?
 で、幽霊に付き合う? 幽霊のご要望にお応えして?
 なんだ、それ。どう考えても、おかしいだろ。
 それに奴ら、ヘビどもも……。

「ほかのヘビは、出掛けてんのか?」
「え? うん。華緒かおちゃんに頼まれた探し物と、社会勉強だって。あ、べにちゃんとちゃーちゃんは、ここにいるよ」

 十緒子が自分を指さし、その紅色と茶色の二匹が十緒子の体内で、十緒子の精力を補っていることを知らせる。そのすぐ脇で宙に浮く青ヘビと桃ヘビが俺を見て首をかしげ、それを真似るように、十緒子も首をかしげた。

 確かに、俺が奴らを気にすることなんざ、ほとんどねぇからな。
 ……もう少し、話のわかりそうな奴がよかったんだが。
 仕方ねぇか。

「なぁ、おまえらは。こいつにこんなことさせてて、いいのかよ」

 俺は青ヘビと桃ヘビに向かって尋ね、だが、それを聞いてきょとんとする二匹とひとりを前に、盛大にため息をついた。

「おかしいだろ。幽霊なんてそんなもん、目障りならとっとと浄霊してやるか、無視して関わらないようにするか、どっちかしかねぇだろ、普通。で、それ以外のことを、こいつが望んだからって。おまえらが止めないで、どうすんだよ」
「え、待って、それは、」
(止めないだろー。十緒子の望みを叶えるためにいるのによぉー)
「それは、こいつが危険な目にあっても、か?」
(十緒子ちゃんはっ、もーちゃんたちが守るよっ。だから大丈夫だよっ)
「っ、だから、そうじゃねぇんだよ!」

 俺はイラついて、ビールを飲んでそれをなだめ、千切ったレタスの入った深皿を手に、リビングに移動する。スーパーの総菜がパックのまま置かれたちゃぶ台の上に、それらを除けるように無理矢理置き、あぐらをかいて座り、またビールを飲む。

 こいつら、十緒子のヘビどもが、並外れた力を持っているのは、俺にもよくわかっている。
 怪異から十緒子を守る自信、そりゃあるだろ、なんたって神の遣いなんだから。

 が、だからといって。
 厄介事に頭から突っ込んでくのは、違うだろ?

 俺には、こいつらが絶対だなんて、思えねぇ。
 この前の、御崎玄の話を聞いてるんだし、なおさらだ。

 十緒子、おまえも。
 なんでそれに、気がつかねぇんだよ?

 キッチンから缶ビールを持って、俺の横に座った十緒子に。
 俺は「あの幽霊に、もう関わるんじゃねぇ」と言ってやる。

「え……なんで、そんなこと、」
「なんででも、ダメなもんはダメだ。もう関わるな、以上」
「でもっ、だって、」
「そうやってヘビども使役して、精力の使い過ぎでまた腹鳴らすくせに。やりすぎてぶっ倒れたらどうすんだよ」
「そこまでしないもん、だから、」
「暴走しねぇ、って言い切れんのかよ」

 十緒子が顔をそらし、うつむいた。
 っ、……言い過ぎてる、か?
 そう思うのに、俺は少し清々してもいて、また追い打ちをかけるようなことばを口にしていた。

「大体、怪異と関わって無事に済むなんて考え、どうかしてる。こいつらがいるからって、油断し過ぎだろ? で、おまえは、俺に……黙って横で見てろ、ってのかよ。おまえと俺の立場が逆だったらおまえ、そんなん出来る?」
「……それは、っ、出来ない、かもだけど、」
「だろ? なら、」
「でも全部ダメってのは、なんか、……」

 十緒子がなにかことばを呑み込んで、黙る。
 納得がいかない、といったていの十緒子に……俺の中の苛立ちが抑えきれず、俺は十緒子の体ごと近寄せ、俺の膝に寝かせるようにしてから頭を押さえ、強引に上を向かせてキスをした。

「……! ……っ、はっ、ま、んっ」

 一瞬口を離したときに、なにか言いかけたのを。
 俺は即座に口でふさぐ。

 ……十緒子、おまえ。
 なんで俺の言うこと、聞かねぇんだよ。

 ……で? それで?
 こうすりゃ、十緒子は言うこと聞くのかよ?
 事情くらいは聞いてやるんじゃなかったのか、大人として?
 いや? 事情はちゃんと聞いたじゃねぇか。
 ……本当に?
 こんなキス、やらかしておいて。
 自分は冷静だ、とか、ほざくのか、俺は?

 身を離し、十緒子の顔を見た俺は。
 俺の口が「……わりい」と、情けねぇ声を発するのを、他人事のように聞いた。
 続けたことばも行動も、自分ではない、ほかの誰かのもののような気がする。

「頭、冷やす。おまえも、もう少し考えとけ」

 ちゃぶ台に置いていた缶ビールを取り上げ、玄関に向かう。外に出て、合鍵でしっかりと鍵を掛けてから俺は、危うく声を上げそうになった。

 あああああっ、もう……クソッ、なんだよ、このザマは!
 こうやって逃げたところで、なんの解決にもならねぇだろうが!

 一瞬で頭が冷えた俺は……だが、十緒子の部屋を後にして歩き出す。
 さっき見た十緒子の、戸惑ったような、泣く直前のような表情が、頭から消せない。

 だけど。
 俺は、間違ったことは言ってねぇ……はず、だ。
 はず、なんだが。
 じゃあなんで、腑に落ちねぇんだよ。
 クソッ……わかれよ、バカ十緒子。



つづく →<その19>はこちら


あなたに首ったけ顛末記<その18>
◇◇ トラブルには頭から突っ込まないほうがいい ◇◇・了

(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)


【2023.12.31.】up.
【2024.01.28.】加筆修正


☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆

<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です

【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!

【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ


マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 ↑ 第一話から順番に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
↑ ”新着”タブで最新話順になります。

マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
↑ <その14>のあとに書いたのでその辺でお読みいただくと楽しいかも? 


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