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あなたに首ったけ顛末記<その15・人生と誕生日は楽しんだもん勝ち>【小説】

ご来店ありがとうございます。コチラは『異能もの現代ファンタジーラブコメ』女子向けライトノベルなお話の<その15>です。お口に合いそうでしたら、ひと口だけでもいかがでしょうか?

最初のお話:
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
前回のお話:
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ

マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 
:第一話から順に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
 
:”新着”タブで最新話順になります。
・全記事へのリンクが、この記事の最後にもあります。


なんと、<その14>は4月の記事! 4か月も経ってしまいました。ほんっと~に遠回り遠回り……スピンオフ書いてみて、あーそんなことがあったのかーとわかったりなんだり、でもまだ終わりが見えないっていう。ちょっとずつ照らされて現れる道を、なんとかたどっているような感じ。よかったらご一緒に、終わりまで書けんのかよコイツ、とハラハラしてください☆

こんなにお待たせしたのに再訪してくださった、やさしくって奇特な、アナタ様!
毎度のご来店、誠にありがとうございます!

今回も、ちょっぴりでも、お口に合うところがあればいいなと願いつつ。
それでは、ごゆっくりどうぞ~。




あなたに首ったけ顛末記<その15>

◇◇ 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち ◇◇

(21100字)

御崎十緒子みさきとおこ:絵を描くのが好き、幽体離脱で生き霊になりがちな、首フェチ26歳会社員女子。黒髪ロングふっくら頬の和顔。十匹の実体のないヘビを”従者”にしている。
水野春臣みずのはるおみ:十緒子にナイスバディと認められた体の持ち主、顔立ち濃い目、口が悪く霊感体質の26歳会社員男子。十緒子と付き合っている。

御崎華緒子みさきかおこ:十緒子の姉(血縁上はハトコ)。明るい色の巻き髪ロング、おっとり系甘め美人、32歳。金色のヘビ、ハナを相棒と呼ぶ。高い所が好き。

十三匹のヘビ:人語を話す、手のひらサイズの実体のないヘビたち。それぞれ違う色の体を持つ。自身を蛇神に捧げた巫女(とみ)の選ばれた子孫の前に現れ、その子孫の”従者”となる。それぞれで様々な特殊能力を持っている。
・以下の十匹十色は十緒子の従者となっている。幼少時の十緒子がそれぞれの色に合わせて名付けた。登場順:白(しーちゃん)/紫(むーちゃん)/青(あおちゃん)/赤(べにちゃん)/灰(はーちゃん)/茶色(ちゃーちゃん)/桃(もーちゃん)/緑(みーちゃん)/黄色(きーちゃん)/橙(だいちゃん
・金色ヘビ:華緒子の従者でハナと名付けられている。
・銀色ヘビ、黒ヘビ:?( → 『闇呼ぶ声のするほうへ』

<1>御崎十緒子・負けたくない気持ちだけでは勝てない

(6600字)

「そういや、おまえ。誕生日、いつなんだよ」

 彼、水野春臣みずのはるおみにそんな質問をされたのは、彼の家のキッチンで、食後の片付けをしているときだった。

「誕生日? 4月20日、牡牛座だけど、みず……はっ、春臣、は?」

 そこでちょうどよく洗い物をすべてすすぎ終わった私は、水を止めて手を拭き、すぐ隣にいる彼を見上げて答える。
 すると、お皿を拭き上げていた彼が、私を見下ろしながらその手を止め、またいつものように、その眉間に深いタテジワを刻むのが見えた。

 私、御崎十緒子みさきとおこ26歳はイイ歳して、カレシの下の名前を呼ぶことにまだ抵抗があって……つっかえるたんびに、みず、じゃなかった、春臣サマにギン、とにらまれる。

 いやもう、自分でもどうなの、って思うんだけど。
 だって、これまでの人生、男のヒトの名前を呼び捨てにするなんて機会、なかったし?
 ましてやそれが、少し前まで敬語で話してた相手で……同い年だったから、ほんとはそんな必要なかったんだけど、でも喪女な私からすれば敬語が必須、みたいな、推し、というか……私の好きな造形をした雲上人? だったわけで。

 そもそも、そんなヒトが自分のカレシになって、そのカレシのおウチでお泊り、とかっていったい、なんていう事態……うん、でもね、そろそろ慣れたいとは思う。そうだ私よ、『お泊りおウチデート』なんていう甘々なイベントを現実に、こうしてもう何度も乗り越えてきたじゃないか。呼び名くらいなんだ、がんばれ私。

 でも、ねえ。そう思いつつ、これがなかなか、むずかしくて。
 心臓とか、顔面の毛細血管とか、持ち主の思い通りにいかなかったりして、ですね……。

 でもでも、あの眉間のタテジワには、だいぶ慣れた。
 濃いめの整ったお顔で、ただでさえ眼ヂカラが強い彼なのだけど、にらんでる、ってのは実は大半が誤解で、考え込んでいただけ、だったり、なんでだか笑うのをこらえているっぽい、ということが、最近ようやくわかってきた。

 んで、今回のこれは、やっぱり。
 呼び方。言い直したの、バレたかな?

 黙ったまま私を凝視する水野さん、じゃなくて春臣の表情をうかがいながら、私は改めて、言い直しをごまかすように、彼の名を口にした。

「は、春臣の誕生日は?」
「……4月。22日」
「え、近っ、二日違い?」
「おまえ……俺より年上、だったのか」
「年上、って。うん、まあそうだけど、そんな変わんないし……え、そのタテジワの理由って、」

 ええぇ……まさかの、年上、NG?

 そんなの、これっぽっちも予想してなかった、ええぇ……ここへ来て、それはないんじゃないかなあ。泣いていいかな、でもその前に、頑張って抗議してみる。

「うう、年上は、ダメってこと?」
「ダメ? っ、違う、そうじゃねぇ、ただ、」
「ただ……?」
「……俺が4月生まれだから、タメでも必然的に年下だと思い込んでた」
「思い込んでた、って、やっぱり年下がよかったんだ?」
「だから違うって、驚いただけだ」

 だよ、ね……いや、だいじょぶって、わかってたけどさ? でも、そっか、よかった。ほっ。
 けど、なんだろ。春臣サマが、なんか……。
 じいっ、と彼を見つめると、「っ、なんだよ」なんて口にしながら、ほんの少し後ずさる。
 あれ? 私、そんなに非難がましかったかな? いっつも詰め寄られる側の私が、春臣サマを追い詰めてる感じ?
 そんでその様子が、なんとゆーか……。
 むむ? なんだろう、この未知の感覚は。

 うずうずと頭をもたげてくるその感覚に衝き動かされた私は、次の瞬間には思わず、「そうかなー、ほんとかなー」なんて、わざと疑うような言い方をしていた。

「っ、なんで疑うんだよ」
「だって、あやしい。そう、誕生日聞いたときの表情かお、あれきっと、がっかりの、」
「驚いただけだって言ってんだろ」

 目をそらし、お皿を拭き上げる手を忙しなく動かす彼の横顔を見て……さらにこう、むくむくと湧き上がってきたんですが。

 かわいい、とか。
 ちょっとムキになってる春臣クンが、かわいい……ううっ、萌えそう、ってか、萌えるぅっ。

 これ。
 もしかして:年下フィルター?

 そういえば、彼には睦也ちかなりさんというお兄さんがいて、お兄さんの奥様である里香さん、義理のお姉さんには『春くん』って呼ばれてたっけ。

 つまり彼は、年下&弟、属性……。

 二日とはいえ、年下なんだ、って思っちゃったから?
 ほんと、私って……それってどうなの、でも萌えが止められないんですけどっ。

 それで、なんだろ、この……あわよくば、もうちょっとだけ春臣クンのあわてっぷりを堪能したい、とか。嗜虐心ヤバ、でもこんな、いっつも負け負けな私が勝てそうな機会なんて滅多にないし、かわいさに萌えゴコロがくすぐられるし、やだっ、どうしよっかなっ、クフフフフッ。

「驚いただけって、フッ、ほんとに?」
「なんだよ、ホントもウソもねぇよ」
「クフッ、でも。だって、ほっぺと耳、ちょっと赤くなってるもん」
「っ、なん、」
「ほんとはやっぱり、がっかりさせちゃったんだ、フッ、クフッ、なんか、先に生まれちゃってごめんなさいっ」
「っっ、おっまえ、なあっ!」

 と、拭き終わったお皿の上に、ふきんを投げ置いた彼が、こちらに向き直り。
 片方の手が私の肩から首、頭のうしろにすべらせている間に、もう片方の軽く湿った手が私のアゴをくいっ、と持ち上げた。

 気がついたときにはもう、お互いの顔はゼロ距離にあって。
 ……口封じ、とか。
 口から強制的に伝わる感覚に力が抜けて、彼のシャツをすがるようにつかむ。そんなのずるい、かわいくない、と思ったのも束の間、彼の低い声が私の耳に飛び込んできた。

「……で、どうする? オネエサマがそこまで言うなら、年上とかそういうの関係ねぇってすぐ証明したいんだけど。このままそっちに直行でもいいよな?」
「っっっ! おふっ、おふるろっ、」

 そっち、と言った彼の視線の先には寝室の扉があったりなんかして、想定外の反撃にあせりまくった私は逃げ道を探して、『お風呂に入らせてほしい』という返答を思いついたんだけど、見事にろれつが回らない。
 それでもちゃんと伝わったようで、私は彼の手がゆるんだところで、彼からどうにか身を離し、リビングの端っこに置いていたバッグにパタパタと駆け寄った。
 そこから着替えやポーチを取り出しながら息を整え、「おふりょっ、お借りしまふっ!」と叫んで、リビングを飛び出した。

 私のほうが年上だってわかったのに、勝てない……年下クンから、急にオトナ男子の色気とかって、もう、ずるすぎる。
 こんなの、永久に勝てるわけないじゃん……。


◇◇◇

 そうしてお互いの誕生日が発覚したのが、誕生日の前の月で。

 4月に入ってカレンダーを確認してみると、きたる4月20日は木曜日、春臣サマご生誕の22日は土曜日。
 20日、21日は平日で、どうしてもあわただしくなってしまうから、お互いの誕生日をしっかり祝うのは、22日にしよう、ということになって。

 当日は、彼がまた料理を用意してくれることになり、それっていつもの『お泊りおウチデート』と変わらないよね、いいのかな、と思ったのだけど、挑戦してみたい料理があるのだそうで。
 ええ、なに作る気なんだろ、楽しみだけど、怖い気もする。
 料理上手な春臣サマに、いっつも頼りっぱなし……ちょっといいお酒買ってくくらいしか出来ないけど、それじゃお返ししきれないよ、もう。どうしよう。

 ……だというのに。
 それよりも重大な問題が、大きな壁となって、私の前に立ち塞がっていた。

 それは……そう、誕生日プレゼント。

 20代男子が喜ぶ、カノジョからのプレゼントって、それって?
 『誕プレ 彼氏 20代』なんていう検索を繰り返しては、はあー、とため息をつき、ちゃぶ台に突っ伏して……いかん、めげるな、と自分を叱咤激励し、また検索を再開する。ネットで注文するにしても、お店に買いに行くにしても、まずは情報収集せねば。

(十緒子ちゃん、かわいいリボン持ってなーい?)

 そんなことを言い出したのは、桃色ヘビ・もーちゃんで。私の腕に乗っかって首をかしげ、ちっちゃな瞳をキラキラとさせている。
 さすがの私も、その先もーちゃんの言うことに、予想がついて。

「もーちゃん……それってたぶん、そのリボンは私に結ぶんだよね?」
(もっちろん! 『プレゼントはワ・タ・シ』、これで決まりでしょ!)

 もう、いったいどこで、そんなの学習するのかな……。
 私が大きなため息を吐いたところで、緑ヘビ・みーちゃんが、横からもーちゃんの頭をパシン、と尾ではたいた。

(十緒子が真剣に悩んでいるのに、茶化すな)
(茶化してないよっ、もーちゃん大真面目っ、)

 そこでみーちゃんが、もーちゃんをパカン、とひと蹴りし、もーちゃんの声が遠のいていく。

(ひどいよっ、緑のおぉぉぉぉ……)
(まったく、たちの悪い)

 もーちゃん……ま、いっか、だいじょぶだよね。
 で、大真面目にリボン、じゃなくて。

 ええっと、そう、ネクタイなんてどうだろう、とそれはもう真っ先に、思いついたのだけども。
 過去に『もうちょっとマシな格好をしろ』とのおことばをいただいた身としましては、服飾系を贈るなんてね、それってハードルじゃなくて、棒高跳びのバーでしかない。

(歌を歌って♪ 祝えばいいさ♪)
(あー、歌なー。オレらでさー、歌くらいは歌ってやるかー)

 茶色ヘビ・ちゃーちゃんが歌うように言うと、それに青ヘビ・あおちゃんが乗っかって。
 それを聞いて灰色ヘビ・はーちゃんが、宙に浮いているちゃーちゃんとあおちゃんの横に並び、赤色ヘビ・べにちゃん、紫ヘビ・むーちゃんもそれにならった。
 はーちゃんが、おっとりと首をかしげてみんなに尋ねた。

(人の子は、誕生日に歌を贈るのよね。それで、なにを歌うのかしら?)
(さてね。歌で祝福するんだろう? 祝詞のりとかなにかの類かい?)

 はーちゃんの問いに、遅れて並んだ黄色ヘビ・きーちゃんが答える。みーちゃん、それに遠くへ飛ばされてふよふよと戻って来たもーちゃんもそこに加わり、私の部屋の空中に、ヘビのみんなの円陣が出来上がった。

 みんなの体がそれぞれの色にピカピカ光ってきれいで、その円陣の輪をぼんやりと眺める。

 そう、検索で……プレゼントにアクセサリー、なんてご提案もいただくんですが。
 ペアなデザイン、とか。世の中のカップルさんは、そんなモノを身に着けているのかー。

 確かに、あの手首に、キラキラ光る輪っかなんかをくぐらせてみたい、とはちょっと思う。ちなみに首のほうは想像だけで鼻血吹きそうなので自主規制、でも、まだ付き合って日も浅いのにアクセってさ、なんか重っ、って思われちゃうのでは? それにやっぱり、センスの問題がここでも……。

 と、遅れて円陣に加わった白ヘビ・しーちゃんが、(安らかに、永遠の眠りにつける祝福でしょうか)などと物騒なことを言い出し、そのすぐ隣にいたきーちゃんが、しーちゃんをつついた。

(まあまあ、白の。それは十緒子が望まないってわかるだろう?)
(ワタクシのは、もちろん、ただの冗談ですので。黄色のでしたら、おわかりでしょうが)
(だが確かに、我らの歌は下手を打つと、ただの歌にはならぬよな)

 みーちゃんが言うと、(それなー)とあおちゃんが返した。

(これは頑張ってー、ふつーに歌を歌えるようにならないとだなー)
(あんまり歌ったことないけど、出来るかなボク)
(茶色のが普通に歌ってんだろー、赤のもオレらも、あれマネすりゃいいだけー)
(……出来ない。すまない)
(あっきらめんな、紫の♪ 歌うばかりが歌じゃない♪)

 みんなの会話をBGMに、あきらめずに検索を続けて。

 革小物。財布、は使ってるのあんまり見たことない、カードケースとキーケースは使い込んで革にいい味が出てるのお持ちだし。文具、時計、バッグ、え、下着? ……カップ、グラス、タンブラー、うん、このくらいならなんとかなるかな? でも水野さんちって、グラスも食器も、それ以外の調理器具や家電やなんかも、とにかくなんでもそろってるんだよなー。下手にカブると、ご迷惑になるよね……。

 そう、ほんとに、なんでもあって。この前なんか、たまたま開いてた洗面脱衣スペースの棚に、バスソルトの瓶や袋が何種類も並んでたのにはびっくりした。最初それがなんだかわかんなくて、手に取って見ちゃったし。
 ふと湧いた疑問を、そのまま春臣サマにぶつけちゃったし。

『このバスソルトってもしかして、その……前のカノジョさん、の、ご趣味、とか、』
『前のカノジョ? っ、ば……ったく、言っとくが、この部屋に女連れ込んだことなんか、おまえ以外一度もねぇからな。これは、チカに押し付けられたんだ』
『チカ、って睦也ちかなりさん、お兄さんが?』

 で、また眉間にシワ寄せて『使いたきゃ使え、なんなら持ってってもいい。そのうち捨てる』なんて言ってたけど。それにしても、お兄さんが? バスソルトをプレゼントに? 世間のお兄さんは、そういうものなのかな……。

 ……っていうか。

 私がこんなに悩んでるのにさ。
 ヘビのみんなは、なんか楽しそうでさ。

 ちゃぶ台にスマホを放り出し、ぶう、とむくれていると、はーちゃんがそれに気付いた。

(あらあら。十緒子、人の子はお祝いに、どんな歌を歌うのかしら?)
「そりゃやっぱり、」

 言いかけたところで、私のスマホから、荘厳なクラシック音楽の合唱が流れ出した。

 全員でそちらを見ると……ちゃぶ台の上、スマホの操作を終えたらしきだいだい色のヘビ、だいちゃんが、スマホの横で寝そべっている。
 え、あれ、気付かなかった、いつの間に?

 だいちゃんは、首を少しだけ起こし、ぼそり、とつぶやいた。

(『歓喜の歌』……天上の調べ……んふっ)
(むずかしそうだけどっ、もーちゃん、みんなと一緒に頑張るねっ)
(今日から特訓♪ やれば出来るさ♪)
「ええ、ほんとに? ……待って、なんか違う気がする」

 そう言ったところで私はみんなに、定番の『ハッピーバースデートゥーユー』の歌を教えるハメになり。
 ……もうっ、だから私は、それどころじゃないんだってば!


◇◇◇

 結局。
 春臣サマへのプレゼントが決まらないまま、4月20日になってしまった。
 自分の誕生日? そんなのどーでもいい、それどころじゃないぃぃ……。

 今日頑張って進捗なんとかすれば、明日は確実に定時上がり出来そう、だから明日の帰りにお店回りして、最悪でも22日の午前中に見つければだいじょぶ、などと朝の電車で悶々と考えていた私は。

 いつもの駅、ホームドアの向こうにいた彼の姿が目に入ったとたん、息を止めた。

 その思考からなにから、すべてが吹き飛んで。
 あまりのことに、声が出そうになった口を、両手でふさぐ。

 だって、そこにいたのは。

 メガネ着用の、春臣サマ……?

 フチなしに近い、細いフレーム。慣れない手つきで、正面から顔を隠すようにフレーム全体を持ち上げ、こちらをチラリと見た彼の目が、ちょっと照れているようにも見え、でもいつもの眼ヂカラゆえのSっ気も、メガネの存在によって助長されつつ……。

 ドアが開いて、メガネ春臣サマが至近距離に迫り、その背でドアが閉まって電車が走り出しても、私はそこから目が離せなかった。

「これは、だな、」
「ありがとう、ございます……」
「……は?」
「私、メガネ属性は、そこまでじゃなかったはずなのに。これ、開眼しちゃったかも」
「ゾクセイ? カイガン? なにを、」
「誕生日プレゼントにしてはもらいすぎっ、どうしよう、あとで画像、でもまず脳に焼き付けないと、」
「おい待て、プレゼントじゃねぇ、っておまえ、聞いてねぇだろ」

 誕生日だったからなのか、それともドン引きだったのか。始業前にふたりでひと休みする、いつものビル脇のベンチで、私がスマホでバシバシ写真を撮っても。彼はめずらしく、あまり文句を言わなかった。

 私、頑張れる……だってだって、お昼休みも社食に来るって言ってた、鑑賞時間の確約いただきました! もーこれ私、フル充電、どころじゃない! あーもうっ、メガネって……クフーッ、メガネ、ばんざーいっ!



<2>水野春臣・勝てないときほど冷静に

(5700字)

 俺が十緒子と付き合いはじめ、ようやくお互いの存在に慣れてきた、最近になって。
 過去に付き合ったカノジョらから、既視感を持つほどに散々言われたことが時折、頭をかすめるようになった。

『なんで返事してくれないの』
『言ったのに、忘れるなんてひどい』

 ……とか、そういう類のセリフ。

 付き合う、とは言っても。怪異除けのため、というこちらの勝手な思惑と打算もあり、いま思えば俺は、まったく真剣ではなかった。だから当時は適当に聞き流していたし、顔もよく覚えてねぇのに、なんでかそういうことばだけが耳に残っていて……いまさらなんだが、クズだったな、俺。

 まぁ、なんでいまになって思い出すのかは、わからなくはない。それは例えば、

『付き合って一か月記念日だったのに』

 とかいうのに対して、なんだそれ面倒くせぇ、と昔もいまも思うのだが……じゃあそれなら、あいつは? 十緒子はそのへん、どう考えてんだ? と、なるわけで。

 そもそも、俺らが付き合いはじめたのは、日付としては、どっちなんだ。
 はっきりことばにした日のほうか? って、そんなの改めて訊けるか? 訊いたとして、それが地雷だった場合はどうなんだよ?

 で、俺は黙って様子を見ていたのだが、十緒子が『付き合って一か月記念日』だのなんだので騒ぐことはなかった。

 内心安堵し、だが俺は、もっと大きな問題に気がついた。

「そういや、おまえ。誕生日、いつなんだよ」
「誕生日? 4月20日の牡牛座だけど、みず……はっ、春臣、は?」

 よかった、過ぎてねぇ。痛恨のミスをやらかすところだった……いや待て、4月20日?

「は、春臣の誕生日は?」
「……4月。22日」
「え、近っ、二日違いだ」
「おまえ……俺より年上、だったのか」

 なんだこれ。ショック、なのか?

「年上って。うん、まあそうだけど、そんな変わんないし……え、そのタテジワの理由って。
 …………。
 うう、年上は、ダメってこと?」

 そこで俺を見上げていた十緒子がうるっとした表情かおになり、なんでか焦る。

「ダメ? っ、違う、そうじゃねぇ、ただ、」
「ただ……?」

 十緒子が年上だとダメって、そんなわけねぇだろ。
 そうじゃなくて、俺はただ……。

 そう、また負けた、ここでも勝てねぇのかよ、と思った、それだけだ。
 年下だったから、負け? 二日ぽっちでこれって、俺にも意味わかんねぇし、でもどうしてかそう感じてしまったのだ。

 が、それをあいつに、そのまま言うわけにもいかず。

「……俺が4月生まれだから、タメでも必然的に年下だと思い込んでた」
「思い込んでた、って、やっぱり年下がよかったんだ?」
「だから違うって、驚いただけだ」

 じいっ、十緒子に見つめられた俺は、これもなんでだか、気圧けおされた感じがした。

「っ、なんだよ」
「……そうかなー、ほんとかなー」

 そこで十緒子の声音が変わる、とかいう想定外のことが起こり、俺は十緒子の視線から逃げた。
 なんだよ、急にマウント取ってきやがった。クソッ、そんな必要ねぇのに動揺しすぎだろ、俺。まさか自分が年下だっての、意識してんのか?

 でもまあ……そのあとは。

 まず、からかうような口調の十緒子の口を、物理的にふさぎ。
 そうして主導権を無理矢理奪い返してから、あいつが動揺するようなことばを、意図して耳に流し込んで。……卑怯? 俺のほうが年下でガキなんだし? たいして余裕もねぇし、んなの、しょうがねぇだろ。
 大体、俺が勝てる見込みなんかこれっぽっちもなくなったんだから、これくらいの仕返しは認めろよな。

 それにしても、あいつ。
 動揺して、とにかく逃げたかった、とかそんなトコだろうけど、な。
 つまり……直行じゃなくて、風呂経由すんのね? 了解了解。まあせいぜい、ごゆっくりどうぞ?


 ……とまあ、そんなふうに。
 お互いの都合が合えば、週末はほとんど、十緒子を俺の住むマンションに呼ぶようになっていた。
 俺が作ったメシ食って、サブスクの映画なんか観て、あとはただ、俺が十緒子を愛でて。

 俺らは、付き合うようになってから、どこにもふたりで出掛けていない。せいぜい、送り迎えの車で遠回りのドライブをするか、食料品の買い出しに行くくらいなもんで。

 つまり、外に出掛けるようなデートを、したことがない。
 俺が提案しないのもあるが、十緒子もそれを言い出さなかった。

 それは、お互いの霊感のせいで。

 特に、十緒子は。
 人の多い場所であればあるほど、霊だけじゃない、『気持ちの悪いもやもや』と十緒子が言う、人のよくない念のようなものまでも感知してしまう。以前は青ヘビに術をかけてもらい対処していたのだが、それはもうやめて、自力で慣らそうとしている。

 十緒子はたまに、姉の御崎華緒子みさきかおこの仕事に同行し、怪異に慣れるようにもしている。ヘビどもが十匹揃ったことで、なにか心境に変化があったようだ。

 だが、そう簡単にはいかない。
 十年以上、この霊感に四苦八苦してきた俺でも、慣れる、なんてことはない。

 この前の十緒子を、ふと思い出す。
 電車で目が合った怪異にあてられ、途中下車した駅のホームで、目を閉じ、震えながら俺を待っていた、十緒子。
 あのヘビどももそばにいたってのに、なにやってんだ。

 俺も……なにやってんだ。
 話聞いて、頭撫でて気休め言って、それだけかよ。
 チッ、マジで使えねぇな、俺。

 けど俺は、それでもあいつの隣に立つと決めた。
 使えねぇまんまでも、なんでも。だから、これでいい。

 ……とりあえず、いまは。
 けど、なにか方法があるはずだと、俺は考え続けている。

 そして。
 その決意、考えのせいなのか、なんなのか。
 俺の霊感にも最近、変化が起きていた。

 『気持ちの悪い、もやもや』、それは。
 人の発するいんの気や、それにまとわりつく、じゃと呼ばれる怪異。

 俺にはそれらが、えなかったのだが。
 ここへ来て、どうやら……視えるようになってしまった、ようだ。


◇◇◇

 やはり、見間違いや気のせい、なんかじゃねぇ、と。

 それにはっきり気がついたのは、年度末の慌ただしさが終わってすぐの、年度始めの別の忙しさで緊張感の漂うオフィス。
 ふと空気が淀んでいるように見えて、目を凝らしたときだった。

 この一週間ほど、仕事の忙しさや別件での睡眠不足もあって、あまり調子がよくはなかった。
 俺は調子が悪いと、霊感にも影響が出る。それは昔からで、疲れているときほど、怪異と目が合いやすくなり、憑かれやすくなる。いまは護符があるから、その心配はないのだが、それでも気は抜けない。
 だから、やけに怪異を視るようになってもそれは、疲れのせいだと思っていた。

 だが。どうやら、そうじゃない。
 確かに疲れもあるが、それと同時に……視力がよくなった、そんな感じだ。

 同じオフィス内の、俺とは別部門のチームリーダーの、周囲。
 雷雨をはらんだ雲のような、不穏なもやが彼を取り囲み、そこに真っ黒な邪が絡みついている。
 チームリーダーは数人の部下の報告を受けて指示を出しているようなのだが、そのピリピリした雰囲気がオフィス全体に伝わり、空気が重く感じる。
 こんなことは、いままでに何度もあった。ここが会社で仕事する場なのだから、当たり前だ。
 だがこうして、その原因を視覚情報としてはっきりとらえたのは、初めてだった。

 で、どうすんだよ、これ。
 わかったところで俺は、ここからひとり避難することしか、思いつかない。
 俺が扱える護符でもおそらく、あのもやのような怪異を退けることが出来るはずだ。が、護符には作用範囲が決まっていて、この場合、その条件に合わない。例えば、オフィス全体を結界に、というのは、まったく現実的ではない。内と外、という囲い分けが出来ないからだ。

 ここでこうして、観察を続けるのも得策ではない。怪異がこちらの視線に気付き、喰らう対象を変えるとも限らない。まあ、放っておいても、心持ち次第で消えるレベルの奴だろうし。
 俺は目をそらして立ち上がり、デスクを離れようとした。

 と、そこに。
 見覚えのあるオレンジ色が、目の端を横切った。

「……は?」

 横泳ぎのように移動してきたそいつは、俺の真ん前でピタリ、とその動きを止める。
 なんで、ここに……?

(めぐり逢い……合縁奇縁……)

 俺の目の高さ、水平に横たわるように宙に浮く、オレンジ色のヘビ。
 その体は透明で、だが色があって、光っている。デスク上のノートパソコンの幅に満たないくらいの長さのそいつは頭をもたげ、こっちに目を合わせてきた。

「なん、」

 声を上げかけて、気付いて口を閉じ、椅子に座り直すことにする。こいつの姿も声も、普通の奴には視えないし聞こえない。にらみつけていると、ヘビが俺に視線を合わせたまま、腰を下ろす俺と同時に降下してきた。

 こいつは。
 最後に十緒子の元に来た奴、十緒子が『だいちゃん』と呼ぶ、橙色のヘビだ。
 こいつとは、黄色のと同時に出現したあのとき以来、あまり顔を合わせていない。
 いったいなんだって、こんなところにいやがるんだよ?

(困惑……戸惑い……んふっ)

 イラッとしたが、過去の他のヘビとのやり取りで、それは無駄な抵抗だとすっかり学習している俺は、大きくため息をついた。
 そして、パソコンにパスワードを入れて起こし直し、メモアプリを立ち上げる。文字を入力してから、橙のヘビに向かって、それを指さした。
 橙は画面をのぞき込み、それからくるりと俺のほうを見上げた。

(偶然と必然……それは運命……)

 あ? それが《なんでここにいるんだ?》ってのに対する返事か? こぶしを握って耐えていると、奴がキーボードをつんつん、つん、つんと口でつついている。

 そこに表示されたのは、《血》、ひと文字。

 こんなの、どうしろってんだ。もう一度ため息をつき、放っておくべきだったか、と思ったところで、奴は急に俺の手の甲に頭を近づけた。すんすん、と匂いを嗅いでいるような仕草に見える。

(その血が……呼んだのだねぇ……)
《いいかげんにしろ、なんなんだおまえ》
(ソレガシ、正体不明……んふっ、否、ソレガシは、十緒子の従者……)

 橙がデスクをやんわりと尾で蹴って宙に浮きあがり、それと同時にまた、その音のない声が聞こえた。

(十緒子の許し……たかぶるねぇ……んふっ)

 見ていると奴が、例のチームリーダーに向かって、ふよふよと宙を泳ぎ。
 瞬間、奴の体がパアッと光り、そして大きく開けた口から、塊のようななにかを吐き出した。

 奴の体よりも大きなそれが、奴の体と同じ色で光っている。

 なんだ、あれ。なんかの実か? と見紛みまごうが、よく見ると線が絡み合った図形、いや……文字? 漢字でも梵字でもない、だがそれが、俺には文字だと思える。

 その文字がさらに光を増し、それからふいにほどけた。
 一本の紐状になったそれが、あのもやの怪異を縫うように進み、次の瞬間には、邪を含めてそれらを縛り上げている。
 キィキィという、耳障りな怪異の声を無視して、紐の結びは怪異を締め上げ、やがて千切れるかと思ったそれらは、その紐とともに消滅した。

「んな、っ……」

 なんだ、あの力は。
 あれを一瞬で、浄霊しやがった。

 これまで、白ヘビに意識を落とされたり青ヘビに眠らされたり、華緒子の金色のヘビに吹っ飛ばされたりしたことのある俺だが、こうして実際に、浄霊するヘビの力を目のあたりにするのは初めてだ。
 白が、俺の張った結界を破ったり張り直したりしたのを鑑みて、それなりに予想はしていたのだが……おい、デタラメ過ぎるにも、ほどがあんだろ。

 それに、あの文字。
 あの文字に俺は、見覚えがある……。


「え、お化けが出たの? 水野さんのところに?」

 その日帰り道、十緒子に「さっきオフィスにオレンジのヘビが来て、怪異を浄霊してったけど。おまえ、体は大丈夫なのか?」と尋ねたら、質問で返された。

「ああ。まあ、大した奴じゃなかったけど」
「でも、なにもされなかったんだよね?」
「その前にあのオレンジの奴が」
「よかった! だいちゃんお手柄、……って、どっか行っちゃってるや」
「で、おまえの体は?」
「あ、ちょっとおなかすいたかも、でもいつもとおんなじくらいかな」

 へへ、と笑う十緒子に、俺は念のため訊いてみる。

「……俺のこと。ヘビどもに頼んでたり、するのか?」
「ええっと、もし困ってたら助けてね、くらいのお願いだけど、うん。だって水野さんも、霊感のおかげで困ってるから、と思って。でもそんな機会、なかなかないと思ってた」

 すっかり、守られてたってことかよ……。
 いや……まあ、いい。それより。

 ヘビどもの、能力。
 オレンジのが浄霊したときの、あの文字。
 俺自身の霊能力のこと。
 そして、それに……。

 クソッ、処理能力が追いつかねぇ……ハッ、もうどうでもいいか? 考えたところでどうせ、すぐにわかるわけねぇだろうし?

 いや、落ち着け、冷静になれ。
 そう、目下最優先で考え、クリアすべき案件は。

 どう考えても……十緒子の誕プレ、だ。

 悩みすぎて睡眠時間削って検索して、挙句体調崩してんの、バカだろ、俺。
 それをプレゼントにするのはやりすぎじゃねえか、とか、付き合っていきなりでそれだと重いだろ、とか。
 考えれば考えるほど、俺のアホさ加減が露呈していくってのは、なんなんだ。

 そうやって、悩みまくって。
 プレゼントの目途が立ち、それの購入と準備を終え、だが、22日の料理のことでまた悩み、ある程度決めたところで20日、十緒子の誕生日当日となり。

 その頃には体調以前に、俺の霊感はすっかり強くなっていて……いつかの十緒子を見習って、怪異の認識阻害のために持ち歩いていたメガネを、その日は朝からかけることを決意した。

 で。
 十緒子が……アレだもんな。
 メガネ属性って、なんだよ、それ。
 いろいろ説明しなきゃなんねぇのかって、身構えてた俺は、なんなんだ。

 ……まぁ。
 メガネかけただけで喜ばせたんなら、それはそれで、いいのか?



<3>御崎十緒子・負け戦ほど楽しもう

(3400字)

 ぷしゅぅぅぅ……。

 4月20日。
 ワタクシ御崎十緒子はめでたく、27歳の誕生日を迎えたわけですが。
 ただいま、自室の居間のちゃぶ台の前で、茫然自失ぼーぜんじしつっております。

 よくわからないんですが、ワタクシのどこかしらの部分に穴が開きまして……そこから空気が抜けていくような、魂の抜けていくような、そんな心持ちとなっておりまして。

 だって、ちゃぶ台の上、目の前には。
 春臣サマからいただいた誕生日プレゼント、開封済み、がございまして。

 ええ、プレゼントは、あのメガネ姿だけでは、なかったのでございます……。


『ざけんな、んなわけねぇだろ。あと、いま開けんな、家帰ってからにしろ』

 昼休みの社食でそう言われ、持たされたプレゼント。仕事は順調に終わって定時上がり、今日は春臣サマの都合で一緒に帰れないから、プレゼント探しの大チャンスだったのに。
 小ぶりな紙袋とその中身、リボンのかけられた箱の存在が気になってしまって、結局どこにも寄らず、まっすぐ家に帰って来てしまった。

 仕事中は、うれしくってうれしくって。これどうにかなりそうヤバい、ってのが、それだけでぐるっと一周して、むしろ仕事に集中出来てしまったのだけど。
 帰り道はそわそわと、この紙袋を何度も見て、触って、そこにあるのを確かめずにはいられなくって。

 帰宅して手だけ洗って、袋を置いたちゃぶ台の前に正座してから、背筋を正して。
 ヘビのみんなも、すぐそばで、ちゃぶ台と私を取り囲むようにしていて。
 みんなも、なにも言わず黙ったまま、私とプレゼントに注目している。私の誕生日だから、と今日は誰も外に出掛けず、十匹のみんなが揃っていた。

 袋から、厳かに箱を取り出し、掛かっていたリボンをずらしながらはずし、包装紙を解き。
 ドキドキしながら、そうっと箱を開ける。

 すると中には……これは、革製のキーケース……?
 見覚えのあるデザイン、もしかしなくてもこれは、春臣サマご愛用品の、色違いなのでは?

 もうそれだけでも気を失いそう、震える手で、留めのスナップをプチン、とはずしてみると。
 そこにはすでに……鍵が一本、付いていたり、なんか、して……。

 この鍵……どこの、なんの鍵か、って?
 うん、わかってる。エントランスのオートロックは、ここのプラスチックのとこをかざすんだよね。何回か鍵渡されて、かわりに開けたことあるし。
 けど。それって、つまり。

 彼のおうちの鍵を、私に預けてくれるって、こと?

 あ、これ。もうダメ、頭真っ白……。
 ぷしゅぅぅぅ……。

 ……しばらくして。
 力や、その他いろんなモノが抜けきって起きていられなくなり、バタン、とラグに仰向けになった私を、ヘビのみんなが見下ろしてきた。

(フン、二段構えとは。あの小僧にしては攻めてますね)
(へえ、あのつがいの坊やの部屋の鍵、ってことかい?)
(初プレゼントが♪ 部屋の鍵♪)
(あの兄ちゃんもー、やるときゃやるよなー。十緒子ぉー、よかったなー)
(フフッ、十緒子ちゃん、ボクとおんなじくらい、真っ赤)
(もーちゃん知ってる! それ、番いちゃんと、おそろだよねっ)
(お揃い……絆と束縛……んふっ)
(あらあら。よかったわね、十緒子)
(…………歌うか)
(やる気だな、紫の。だがそうだな、我らの贈り物も、披露させてもらおうか)

 そこで十匹のみんなが、『ハッピーバースデートゥーユー』を、歌い出して。

 しばらく放心したまま、みんなが何度か繰り返すそれを聴いていた私は、歌に引き込まれて徐々に正気を取り戻し、知らぬ間に起き上がって手拍子、終いには立ち上がってスタンディングオベーションな状態になっていた。

 みんなが私を囲んで、口々に(おめでとう)(おめでとう、十緒子ちゃん)(めでたいなー)、なんて言ってくれて、なんだろうこの、湧き上がる自己肯定感と解放感……に、自然と笑みがこぼれてしまう。

「えへへっ、うれしい、ありがとっ! すごかった、練習、いつの間にしてたの? これって頼んだら、また歌ってくれる?」
(お安い御用♪ あさって披露♪)
「え、あさって? あ、」
(アタシらで、番いの坊やにも歌ってやるからね。喜んでくれてうれしいね、十緒子)

 あさって。
 そう、あさって、今度は彼の、誕生日。

「うぐぐ。プレゼント、どうしよ……」

 こんなすごいプレゼント、先にもらって、からの?
 ああ……私ってば、なんで。
 なんで先に、生まれちゃったんだろう……。

 ああもう、負け戦ってことは決定だけど。
 せめて、幻滅されないくらいのプレゼントにしないと。
 ええ、でもそれって、どんなプレゼント……?


◇◇◇

 21日金曜日の朝、電車の中で。
 乗り込んできたメガネ春臣サマは、無言で私を見つめていたのだけれど、それはきっと、私の顔が異常に赤くなっていたからだと思う。

「プレゼント。ありがとう、ございます」
「……ああ」
「……えっと。さっそく使ってる、よ」

 まだ視線を感じたので、バッグからキーケースを出して見せたら、「くっ」っという、くぐもった声が聞こえてきた。

「クソッ、なんで今日、平日なんだよ……なあ、おまえ、今夜からこっち来れば? 少し遅くなるけど、車出すし」

 それって、二泊? 初めての?
 ぐらりとする気持ちを抑え、「う、ちょっと用事があって、」とおことわりする。
 結局、彼の仕事が忙しいせいで、その日は朝のその時間しか会えず。
 私のほうはきっちり定時に上がり、そのままプレゼント探しの戦へと出陣する。

 職場周囲はおあつらえ向きに、ショッピングモールが点在している。ただ難点なのは、それぞれを巡るにはそこそこに距離があって……要するに私は、めちゃくちゃ歩かなくてはならなかった。
 閉店時間を気にしながら見て回り、だけど見つからなくて、途中あの困ったもやもやにも遭遇し、同行してくれたはーちゃんとむーちゃんになんとかしてもらいつつ、べにちゃんとちゃーちゃんに力をもらって、でも私は疲労困パイ、戦利品ナシで、帰りの電車に乗った。

「たぶん、考えすぎ、なんだよね……」

 これだとショボいかな、とか、もらった物に対してお値段的に釣り合わないよね、とか。
 なにより、気に入ってくれなかったらどうしよう、とか……。

 ベッドに横たわり、目覚まし時計をもう一度確認して、目を閉じる。でも眠れなくて、しばらくしてまた目を開けると、そこにぼうっ、とオレンジ色の光が浮かんだ。

「だいちゃん?」

 橙色のヘビ、だいちゃん。その透明な、見る角度によって濃淡が揺らぐ、ジューシーでおいしそうなオレンジ色の体が、私の枕元に降りてくる。手を布団から出してだいちゃんの頭を撫でると、だいちゃんが頭を、私の頬にすりすりとこすりつけてきた。

「だいちゃん。プレゼント、どうしたらいいかなあ」
(贈り物……サキミの力を発揮するとき……)
「サキミ?」

 聞き返すと、だいちゃんが口から、『先』、『見』、と宙に、オレンジ色のふたつの漢字を出した。それは、ほわん、と蒸発するように消える。
 先見さきみ。あ、未来を視るとか、予知とか、そういう意味だよね?

「そっか、そうだね。これなら絶対に喜んでくれる、って、そんな力があればわかるのになあ」
(先見は妄想……そして人の子は、その果実を手に入れる……んふっ)

 よくわかんない、けど妄想なら、得意なんだけどな……だいちゃんの言ったことをぐるぐる考えながらいつの間にか眠っていた私は次の日、目覚まし時計の力を借りずにばちん、と目を覚まし、ターミナル駅のデパートに出掛け、開店時間を待った。

 どうしてだろう、昨日より気が楽な気がする。そう思いながらいざ売り場に乗り込んで、並んでいるたくさんの物を見ているうちに、勝手な妄想が私の脳内を駆け回りはじめた。

 こっちの、フリフリなエプロン。フフッ、いやダメ似合わなすぎ。プレゼントにしたら「ざけんな」って怒られそう。それか、あきれ顔で使ってくれるかな。

 これっ、バスローブ! や、ダメダメっ……ぐはぁっ、妄想だけでも破壊力ありすぎっ。でもこっちの、子供用の耳付きのヤツ、かわいい……これ、もし大人用があったら……え、やだ、ケモ耳の春臣サマ?

 ……なんて具合に。
 むむ、これってちょっと楽しい、かも?

 そうだね、だいちゃん。
 この調子で、少し先の未来を、妄想してみようかな?
 もしかしたら、独りよがりな妄想になっちゃうかもだけど!



<4>水野春臣・プレゼントはもらったもん勝ち

(5400字)

 4月22日、土曜日。

 料理の下ごしらえ、片付けをあらかた終え。昼過ぎに十緒子にメッセージを送り、返信を確認する。着替えてから車を出して十緒子を迎えに行くと、いつものボストンバッグのほかにいくつか袋を持っていて、なかなかの大荷物だった。

「これはお酒、あとはバレバレだけど、プレゼント。実は、ついさっき買ってきたんだ」
「土曜日に、わざわざ混んでるトコ出掛けたのかよ?」

 紙袋で、ターミナル駅まで出掛けたのだとわかる。後部座席にそれらを丁寧に置いた十緒子は助手席に座り、えへへ、と笑った。

「早めの時間だったから、だいじょぶ。でもちょっとだけ、みんなにお願いしちゃったけど」

 お願い、というのは。例のもや、怪異を、ヘビの奴らに消してもらったということだ。

「じゃあ精力減ってんだろ、補充しとくか」
「っ、あのっ、んっ、……ウチの前だしっ、みんないるからっ」

 せっかくキスで、補充してやろうってのに。深いのは、寸前で却下された。

 俺、アホみたいに浮かれてんな。
 そりゃそうだろ、昨日もおとといもお預け状態で。いまはこうして手が届く場所にいて、浮かれないほうがどうかしてる。

「えっと、お誕生日おめでとう、春臣」
(おめでとう)
(おめでとー)
(おめでとう♪)
(おめでとっ)
(おめでとうございます、浮かれ小僧)

 とかなんとか、十緒子と、ダッシュボードに陣取ったヘビどもに言われ。かろうじて俺は「白、うるせぇぞ」と返し、外していたメガネをかけ直した。


◇◇◇

 十緒子の荷物をわざと両手に持った俺は、マンションのエントランスで十緒子に、渡した鍵を使わせて、そのはにかむ様子を楽しんだ。

 部屋に着いてリビングに荷物を置き、外したメガネをケースにしまってから振り返ると、「さっそくだけど。プレゼントその1と、その2です!」と、小さなカゴに花束のように生けられた花、そして紙袋を渡される。

 紙袋の中の箱には、ステンレス製の揃いの、ビール用のタンブラーが入っていて、「ありがとう」と礼を言ってからさっそく洗って拭き上げ、冷蔵庫にしまった。「これも」と渡されたのは、スパークリングワインと赤ワイン。それらも受け取って、冷蔵庫に入れる。

「タンブラー、気に入ってくれると、いいんだけどなあ」
「気に入ったけど?」
「ほんと?」
「ひと目で、好みって思った」
「よかった! 妄想力が、効いたかも」
「妄想力?」

 まだ日も高かったが、もうはじめよう、ということになり。

 十緒子が部屋着に着替えている間に、鍋に、温め直す程度に火を入れる。ツマミは数種類のピンチョスや生ハムなんかの前菜を盛り合わせた大皿を、冷蔵庫から出すだけ、鍋にはかたまり肉を煮込んであって、隣のフライパンには、魚介たっぷりのパエリアが仕込んである。足りなければ、あとは都度なんとかする予定。

 ダイニングテーブルに取り皿やカトラリーを準備してから、タンブラーの冷え具合を確認し、まあ無理だよなと思い、氷水で冷やすことにする。水気をしっかり取ったところで十緒子が隣に立ち、缶ビールをタンブラーに注いでくれた。

「ここでちょっと泡を立てるのがポイント……よしっ、ではでは、かんぱいっ」

 ふたりしてぐいっとあおってから、十緒子が「あ、しまった」と言った。

「つい、いつものノリで。キッチンで、立ったままだし!」
「泡がうまそうなうちに飲みてぇし、いいんじゃね?」
「ふふっ、そう、おいしそうにいじゃったのが、いけないよね!」

 ダイニングテーブルに前菜の大皿を出すと十緒子とヘビどもが「おおー」と歓声を上げ、十緒子はバシャバシャとスマホにそれらを納めた。座ってまた乾杯し食べはじめ、俺は飲み過ぎないようセーブしながら、パエリアに火を入れにキッチンに立つ。炊き上がりを出してやると、十緒子が目を文字通りキラキラさせた。
 大喰らいの前にこういう、ドカンとした料理を作って置いてやる、その達成感と充足感に、俺は非常に満足する。

 そして、十緒子がパエリアを大半たいらげたところで、ヘビどもが歌い出し……ああ? いっちょまえに、アカペラ? 俺は口を半開きにしたまま、それを見守る。

 どうやら、尾を振る橙のヘビが指揮を取っているらしく、高い声で目立つパートは、灰色のと桃色の奴だ。
 ドンとかボンとかいう低い声でボイパしてんのが紫、いろんな音のボイパでリズム取ってんのが茶色、始終チッ、チッ、と舌打ちのような音を出しているのが白。
 あとの奴はコーラスのように歌ってハモったりハモらなかったり……いったい、なにを目に、耳にしてんだ、俺は?


( ♪ はっぴばーすでー、とーおーこー)

 ……この歌は。

 霊感を持っていなければ、聴こえねぇ歌だな、と。
 そんな考えが、歌を聴いているうちに浮かんでくる。

( ♪ はっぴばーすでー、はーるおーみー)

 霊感を持っていなければ視えず、その存在を知ることのない、人でないモノども。

 俺はこの霊感のおかげで、十緒子と同じモン視ることが出来てるんだよな、とか。
 チッ。ガラにもなく、しみじみしてんなよ。

( ♪ はっぴばーすでー、つーゆー)


 歌い終えると十緒子が拍手し、俺もつられて数回、手を叩く。
 と、灰色ヘビが目の前に近寄ってきた。

(お誕生日おめでとう、春臣。これからも十緒子をよろしくね)
(さーて、オレらは退散しないとだなー。じゃあなー春臣ぃー)
(春臣ちゃん、またねっ。あ、そうだ)

 続けてそばに来た青ヘビと桃ヘビが言い、桃の奴は何故だか十緒子のバッグへポンと移動する。そしてバッグのファスナーを器用に開けてそこに頭をつっこみ、ごそごそとなにかを探しはじめた。

「えっ、もーちゃん?」
(あった、これこれっ!)

 瞬間、ポンッと十緒子の真ん前に移動してきた桃ヘビは、口に咥えていたなにかを、十緒子の手首に掛けた。

(十緒子ちゃんから、プレゼントだよっ)
「っ、もーちゃんてばっ! これ、いつの間に?!」

 十緒子の手首にはリボン、たぶん俺が贈ったヤツの箱にかかってた……。

(プレゼントは、ワ・タ、ふぎゃっ、ぐるじいぃ、じまるぅ……)
(すまぬな、春臣。では十緒子を頼んだぞ)
(十緒子様、春臣に飽きたらワタクシ、すぐお迎えに上がりますので)
(春臣くん、お誕生日おめでとう。十緒子ちゃんも、無理しないでね)
(春臣っちの♪ 生まれた日♪)
(…………おめでとう、春臣)
(アタシたちの十緒子を、ちゃんとかわいがっておくれよ、春臣)
(春臣……水野……んふっ)

 と、それぞれが言いたいことを言い、それから消えた。

 あとに残ったのは……手首にリボンを巻いた、十緒子。
 俺は立ち上がってテーブルを回り、十緒子のうしろからその手首を取った。

「フッ、これ。奴らからのプレゼントってことで、いいのか?」
「へっ? えっ、あ、そっ、そうだ、もういっこある、プレゼントその3、忘れてた!」

 顔を真っ赤にして俺の腕をすり抜けた十緒子は、ボストンバッグの横に置いていた紙袋からそれを取り出して、「はい」と俺に手渡した。


◇◇◇

 仕切り直して、ソファのローテーブルにツマミを移し、ソファに横並びに掛けてワインのボトルを開け、ワイングラスを軽く合わせてから、俺はその包みに手を掛けた。

「買い過ぎだろ」
「へへっ、これとお花は、なんか目に飛び込んできちゃって。衝動買いかも」

 平たく薄い箱から出てきたのは、フォトスタンドだった。4つの額が組み合わさっているようなデザインで、つまり4枚の写真をそこに納められる。

 俺は、ついさっきも感じたこそばゆさを押し殺すように、「ありがとう」ということばを、どうにか口に乗せた。

「フォトスタンドってのは、なんか意外だったな」
「妄想、想像でね、これがこの部屋にあったらいいな、って思ったんだ」

 十緒子が続けて、言った。

「タンブラーもそうで。一緒にね、あれを手に持って飲んでる絵、みたいなのが。こう、ふわっと浮かんできて……ヘンなこと、言ってるかな?」
「いや?」

 ローテーブルの料理の向こう、もらった花のカゴの横に、フォトスタンドを置く。
 十緒子はソファの上でひざを抱えて座り、とん、と俺の肩に寄りかかった。

「このフォトスタンド見て、思い出したんだけど……私、家族との写真って、ほとんど持ってなくって。実家には、私しか写ってないのばっかり、お母さんと一緒に写ったのって、卒業式か入学式のときくらいで、華緒ちゃんと一緒のも、たぶんあんまりない。おばあさまとも……それがなんかちょっと、さみしいかな、って」

 十緒子は、ヘビを封印されていたせいで、幼い頃の記憶がなかった。
 ヘビどもが十匹すべて戻って来て、封印は解けたはずなのに、まだ記憶が完全には戻っていないらしい。
 加えて、過去の写真も少ない、となると……。

 俺は十緒子の肩に手を回して。ふと、ひとつ疑問を覚えて、尋ねる。

「そういや、おまえから話聞かねぇんだけど、おまえの父親は?」
「いないです。私が小さいころに、離婚か死別か、したみたいで。でも、お母さんに直接訊いたことない。訊けなくって……いっつもお仕事大変そうだったし、それに、訊いちゃいけないような気がして……」
「……そうか」

 どうりで、いままで話に出てこなかったはずだ、と思う。
 肩を抱く手に軽く力を込めてから、俺は話を変えた。

「俺んとこも両方、写真撮る家じゃなかったな。親といたときの、小学生までのはぼちぼちあるけど、叔父さんとチカんとこに引っ越した中学以降なんて、卒アルくらいしかねぇかも」
「観てみたい、赤ちゃんから青春時代まで!」
「ああでも、写真も卒アルも、どこにあるんだかわかんねぇ。捨ててなけりゃ、どっかにあるはずだけどな」
「むう。ティーンの春臣クン、ぜひとも拝みたかったのに」
「おまえ。自分が年上ってわかってから、なんか違くないか?」
「そ、そんなことない、たぶん、自信ないけど」

 じゃあ中に入れる写真を撮ろう、ということになり。身を寄せ合ってスマホの画面に納まり、見直しては撮り直し。
 そのうちスマホがソファに転がり、そしてまずは、手首のリボンから外して、放る。

 プレゼント勝負……べつに勝負してたわけじゃないが、その4、ご本人サマがプレゼント、とか、そんなの勝てねぇだろ、と頭のスミで思い。
 負けてもオイシイ思いしかしてねぇし、まあいいか。


◇◇◇

「春臣の、ばか」
「だから悪かった、出来る限り急ぐから許せよ」

 23日、日曜日の午後。
 十緒子を送る車の中で、涙目の十緒子をなだめながら、でも俺の口角が上がる。

「笑ってるの、ひどい」
「フッ、わりぃな、ダメだ、抑えらんねぇ」

 十緒子が午前中に受けた、華緒子からのメッセージ。
 アパートの部屋の更新だとかで、御崎の家の使用人に書類を持たせて、そちらに行かせたから、というもので。

『たぶん二時過ぎに到着するだろうから、出来ればその頃に家にいてほしい、って』
『わかった、じゃあ間に合わせるようにするわ』

 とは言ったものの。名残惜しくてたまらなくなった俺は、まずベッドで十緒子を引き留め、仕度の時間を削られて半泣き状態になった十緒子に追い打ちを掛けるように、玄関でも引き留めてしまった……玄関では、少々長めのキスをしただけなのだが。

「いま、もう二時じゃん」
「間に合ったな」
「到着予定、一時半だったよね!」

 アパートの前に車を停め。ぶうぶう言いながら車を降りた十緒子の荷物を持ってやり、笑いながらその背を追うと、十緒子がピタリ、と止まった。

「十緒子?」

 その視線の先に。
 十緒子の部屋のドアに、背をもたせるように立つ男がいた。

 前髪の長い、ひょろっとした細身の男。襟の開いた黒シャツと黒のボトムに、ラフなグレーのジャケット。片手には、杖……だが年は、おそらく40代後半、もしかしたらもう少し上、か?
 杖のグリップに掛けた右手の指に、丸くてつやのある黒い石がはまったシルバーの指輪があり、足元には、よく磨かれた上質そうな黒靴を履いている。

 使用人、か……? そう思いながら俺は、妙な違和感を感じていた。
 そしてどうしてか、死神、という素っ頓狂なイメージが湧く。

 だが、そのイメージもすぐ崩れ、それというのも、その男の周りには。
 メルヘンかよ、とツッコみたくなるような、無数の光の玉がぷかぷかと浮かんでいて……あれは確か、オーブ、だよな?

 その男は十緒子に気付くと顔を上げ、「ああ、十緒子さん。お休みのところ、すみません」と言った。
 男の長い前髪で、男の目がこちらからはよく見えない。

「御崎家使用人の、アダチです。書類をお持ちしたので、署名と捺印をお願いしますね」
「はい、あの……お待たせしてしまって、そうじゃなくて、アダチ……さん?」
「はい」

 次の瞬間。

 十緒子が、その男に近寄ってその両腕をつかみ、男の顔を見上げる。
 それから十緒子は、抵抗せず自分を見下ろす男の、前髪を両手でかき上げた。

「っ、おい、十緒子?!」

 たまらず声を上げても、十緒子はそれをやめない。その腕を取るために、距離を縮めかけたところで、十緒子がぽつり、と言った。

「……おとーさん?」

 俺は、そこで足を止めた。

「おとーさん、だよね?」
「うん。十緒子、お父さんのこと、思い出してくれたんだね」

 十緒子がおとーさん、と呼んだその男が、手を伸ばして十緒子の頭を撫でた。
 それから十緒子の手を自身の前髪からそっとはずし、ゆっくりと顔を上げる。

「はじめまして。十緒子の父、アダチ……いや、ミサキゲン、です。水野春臣くん、だよね?」

 無数のオーブを背景に背負った男が、やわらかく微笑んで、言った。



つづく →<その16>はこちら

あなたに首ったけ顛末記<その15>
◇◇ 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち ◇◇・了

(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)

 

【2023.08.27.】up.
【2023.12.28.】修正、▼リンク導入
【2024.02.12.】修正、▼リンク追加


☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆

<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です

【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!

【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ


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マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
 
↑ <その14>のあとに書いたのでその辺でお読みいただくと楽しいかも? 


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