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あなたに首ったけ顛末記<その6・日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい>【小説】

ご来店ありがとうございます。コチラは『異能もの現代ファンタジーラブコメ』女子向けライトノベルなお話の<その6>です。お口に合いそうでしたら、ひと口だけでもいかがでしょうか?

最初のお話:
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
前回のお話:
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる

マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
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ひとつの記事がクッソ長いのに、さらにこんなトコまでお付き合いくださっているアナタ様へ、うれしすぎです! 願わくば、文字のひとカケラでも、読んでよかったと思ってもらえますように。

それでは、ごゆっくりどうぞ~。



あなたに首ったけ顛末記<その6>

◇◇日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい◇◇

(19100字)

御崎十緒子みさきとおこ:絵を描くのが好き、幽体離脱で生き霊になりがちな、首フェチ26歳会社員女子。黒髪ロングふっくら頬の和顔。
水野春臣みずのはるおみ:十緒子にナイスバディと認められた体の持ち主、顔立ち濃い目、口が悪く霊感体質の26歳会社員男子。ほっぺフェチ疑惑。
しーちゃん:人語を話す普通じゃない白ヘビ。十緒子の”従者”で彼女を守るようにふるまう。宙に浮く、金縛りをかける、瞬間移動などの能力を見せた。手のひらサイズ。

岡田冬芽おかだふゆめ:春臣の所属する部署の上司、主任。ショートカットのオトナ美人。
生き霊:体から離れてしまった霊体、体とはコードでつながっている。十緒子の部屋に現れた生き霊の正体は、岡田冬芽かもしれない?

<1>御崎十緒子の日曜日・回想を回想する朝

(3300字)

 ああ、そうだった。
 あのとき、私は……わざと、忘れることにしたんだ。


 私、御崎十緒子みさきとおこ宅で、水野さん、水野春臣みずのはるおみとギョーザを食べたあの金曜日の、日付が変わって土曜日になった、深夜。
 水野さんが帰って、後片付けを終えた私はすぐさまスケッチブックと鉛筆を手に取り、そのまま夜更かしして絵を描いていて。
 そして、眠気を感じて手を止め、スケッチブックをしまって、ベッドに入ろうとしたところで。

 ……あの生き霊さんが、姿を現した。

 確実にそこにいるのに、実体がない……その矛盾したなにかを理解しようとすると湧いてくる、胸の奥でザラつくような、イヤな感覚。鳥肌が立つのを抑えられず、体は、震えるばかりで自分の意志で動かせない。

 ……えっと、えているあれはコード、霊体と実体をつなぐヒモ、だからあれは生き霊さんで、たぶん……女のヒト、だ。
 そんなことを、回らない頭で考える。人のカタチを取ったり取らなかったり、形態が定まらない。もやもやしたなにかを帯び、そこに立っている……感じなんだけど、そう表現していいのか、よくわからない。

 彼女はブツブツ、ブツブツ、なにかをつぶやいていた。そしてそれが、だんだんと、聞き取れるようになって。

(春臣サン、私ノモノ……春臣サンハ渡サナイ。オマエナンカ、消エテシマエバイイ……)

 それまでの、気を紛らわすような思考……まだ楽観を残していた動揺が。
 そこで、はっきりと恐怖に変わった。

 ここは三帖の広さの狭いベッドルーム、明かり取り用の窓しかない。その唯一の出入り口に、彼女が陣取ってしまっている。だから逃げたくても、逃げ道がない。

 でもその前に……それよりも私、怖くて動けない、体が動かない……。

 どうしよう。

 どうしよう、どうしよう。
 すごく怖い、どうしたら、いい?

 震えながら、この感覚はいつまで続くのだろう、と思う。
 終わりの見えない、恐怖。
 そのことに、また恐怖心が増してしまう。

 怖い……水野さん。

 でも、いまここに、水野さんはいない。
 ……誰もいない、私しかいない。
 助けてくれる誰かは、いないんだ。

 ……そう、ずっと。
 私はあのときから、ずっとひとりぼっちだ。

 だって、あのとき。
 みんな、いなくなっちゃったから。

 私が、あんまりにも、弱いから……。

 でもいつか、強くなれたら。

 もっと、もっとおっきくなったら、そのころには、つよくなってる?
 そうしたら、そうしたら。

 ……ねえ、私は。
 もうじゅうぶん、おっきくなった、よね?


 パキン、パチン。
 バチバチバチッ。
 空間を裂くような音とともに、私は、呼吸が軽くなったような、身軽さを感じた。

 実体の体から出て、生き霊の姿になった、私。
 この霊体の体では、息なんかしてないのに。

 そう、水野さんに会いに行くとき。体がとっても、軽いのだ。
 これが、本当の私。
 重たい体を置いていろんなトコに行けるし、あの気持ち悪いモノも『おかたづけ』できる。

(春臣サン、私ノモノ……春臣サンハ渡サナイ。オマエナンカ、消エテシマエバイイ……)

 そうつぶやき続ける彼女の纏う、ぞっとするような、黒いもやのような、なにか。
 こみ上げてくる気持ち悪さに顔をしかめながら、私は浮かんできた想いとその衝動に、素直に従う。

『……やだ、あげない。だってあれは……。私ね、やっと見つけたの、だから、』

 そして感じる、彼女に対する、圧倒的な優越感。
 そう。私のこの力におまえが勝つことは……絶対に、ない。

『だから。おまえが、消えなさい』

 気持ち悪いのは、イヤ。
 だから、消えてしまえ。

 そして、あたり一面が光の中に埋もれ、彼女は消え。
 そこには、生き霊姿でふわふわと浮かぶ、私だけがいて。


 ……いま、ここにいたのは。
 生き霊さんにあんなことを言ったのは、誰?
 私の知らない誰か、じゃない。逆によく知っている……まさか私自身、なの?

 やだ。それはなんか、イヤ。
 違う、私じゃない、そうだよね?
 あんなふうに欲しがるなんて、ダメ。
 ダメだ、ダメなの。

 ……忘れたい。
 なかったことに、したい。
 いまの私にはきっと、それができる。
 だから……私はこれを、忘れることができる。


 気がつくと、私は。
 なんでだかわからないけれど、生き霊になっていた。
 でも、あの生き霊さんの記憶と、それに対する恐怖心は、そのまま残っていて。

『怖い……水野さん、どこ……?』

 そう思った次の瞬間には、水野さんの部屋に浮かんでいた。


◇◇◇

 がばーっと、掛け布団をつかみながら、私は上半身をベットから起こした。

「……夢、か……」

 念のため、そうつぶやいてみる。
 そしてまた、頭を枕にぼすん、と落とし、目をつむり、掛け布団をかぶる。

 ……少し、間をおいて。
 あのときのことを思い出し、再び掛け布団をつかむ。
 がばーっと、起き上がってみる。

「……夢、か……」

 またそのセリフを、つぶやいてみたけれど。
 ダメだ……あれ、夢じゃない。

(お気が済みましたでしょうか)

 すぐそばで。白ヘビのしーちゃんが、ふわふわと宙に浮かんで、心配そうに私を見ていた。
 何回も、同じことして同じことつぶやいてたら、そりゃ心配にもなるよね。

 私がしーちゃんの前で、そんなアホなことを繰り返していたのは、昨日の夜、寝る前のこと。

 そうやって何度やってみても……あの記憶は。
 夢オチには、なってくれなかった。
 当たり前だけど。

 私、あのときやったこととか気持ちとか、部分的にだけど、憶えてる。
 生き霊さんな彼女を追い払ったのは、私、だった。

 逆に、なんで忘れてたんだろう?
 違う、自己暗示っぽいから……なんで、忘れようとしたんだろう、かな。
 どうしてかその、肝心なところが思い出せない。

 しーちゃんに、それを訊くと。

(いずれすべて、ご自分でおわかりになるかと。十緒子様は、まだお時間を必要とされている。やはりワタクシは、そう判断いたします)
「いずれ、とか、時間、って。私……そのとき? が来たら、どうなっちゃうの?」
(いまの十緒子様は、お力が安定していないだけなのです。そのとき、というのは、十緒子様が本来の十緒子様になるときでございますので、どうぞご安心ください)

 って、しーちゃん。
 結局、なんにも教えてくれないし。
 ものすごく、ものすごく不安、なんだけどな……。

 だけど。しーちゃんが、絶対、そこにいてくれる。
 それも、すごく心強くて。
 だから私は、おとなしく『そのとき』を待つことにした。
 しーちゃんの言うことを信じて。
 いま、なにも出来ることがないので仕方なく、というのもあるけれど。

 あと。もしかして、なんだけど。
 私ってば結果的に、あの生き霊さんを追い払えちゃった、わけで。
 それなら……水野さんの主任さん、岡田さんを取り巻く、あのもやもやを。もっとなんとか出来たりするんじゃ、ないのかな?
 ……でもこっちも、考えても、わかるわけもなく。

 魂がズレて、コードが切れてしまいそうな、岡田さん。
 あんなキレイな女性が、そんなことで、死んでいいわけがない……。


「っふ、ふああああ……」

 布団の中で。
 ぐるぐると回想の回想を終えた私は、伸びをしながら思う存分、大あくびをし、枕元の目覚まし時計を見た。

 現在、午前9時。日曜日、休日の朝。
 いつも手首にかけっ放しにしている髪ゴムで髪をくくりながら、ゆっくりと起き上がる。

 わかんないことだらけだけど、いったん保留、ってことで。
 このあとの予定を思い出して、私はそこで、バシッと頭を切り替えることにした。

 今日は……はい、ドラムロール、どどどどどどるるるるるる……な、なな、なんと!
 じゃじゃん!
 岡田さん、私の冬芽お姉さまが、ウチに来てくれることになってます!
 ぱぱぱぱーんっ! ヒャッホウ、イエイ、ひゅーひゅー!

 昨日、『金曜日の話、突然だけど、明日の午後はどうかしら?』と冬芽お姉さまからお電話をいただき、ふたつ返事でOKした。ウチの最寄り駅に着く頃に、お迎えに行くことになっている。そうだ、だからいろいろ、やっておかなくちゃいけないんだった。

 ベッドルームから出て、リビングの掃き出し窓のカーテンを開ける。
 うん、天気も良さそうでよかった!
 テンション上がる! まずははりきって、お掃除するぞっ!



<2>水野春臣の日曜日(先月と先週)・しょぼくれ小僧の回想と決意

(5000字)

 日曜日の俺は、ひたすら考え続けていた。

 なにもやる気がせず、ワークアウトアプリの、適当に選んだ筋トレメニューに命じられるがまま、体を動かしながら。

 日曜日、つまり。
 昨日の土曜日……俺の部屋で、白ヘビに部屋の結界を破られ、十緒子をひとりで帰らせてしまった、次の日。

 あれから、頭の中がごちゃごちゃと、うるさくてしょうがない。
 
『(十緒子様、あの女。魂のつなぎが、もうすぐ切れます。数多のじゃを、引き連れて)』

 そう告げる白ヘビの声が、俺の脳内で、何度も繰り返される。

 ……で? だから、なんだよ?
 この事態を、どうしたらいいか?
 そんなん、わかりきってんだろ。

 ストーカーが、勝手に生き霊化して弱り……勝手に、死ぬ。
 ただ、それだけのことだ。
 いままでにも、俺の結界に阻まれて、弱って死んだヤツがいるかもしれない、知らねぇけど。
 ……つまり、それと同じ。
 だから? それで?
 俺の生活には、なんの支障もねぇだろ。

 俺の思考はこうして、さっきから同じ道筋をたどっている。
 結論まで行き着くと、また始めからそれをやり直し、だが、たどる道筋に変わりはない。

 思考を。
 やり直す必要は、ないはずだ。
 ……だが。

『だって水野さん、生き霊になった私のこと、助けてくれたじゃないですか。それと同じです』

 昨日の、十緒子の声が、刺さる。
 違う、俺は。
 おまえのことを……他の怪異同様、見殺しにするつもりだった。

 我が身を守ること。
 それを最優先に、部屋に結界を張り護符を身に着け、これまで生きてきた。
 結界に弾かれるヤツがなんであろうと、そしてどうなろうとも、それは俺にはまったく関係がない。
 先にそっちが手を出してきた、そういうことだろ?
 それがもし、俺の知り合いだったとして、だからなんだというのだろう。
 主任? だからなんだ。
 ……十緒子とは、違う。

 それより、そんなことよりも。

 いまの、この俺には。
 十緒子を守るすべが、ない。
 俺のせいで(正確には俺をストーキングするクソのせいで)、十緒子は危険な目に合ったというのに。出来ることといえばせいぜい、そのクソを見殺しにしてやり過ごす、それだけなのだ。

 そんなことは、わかってるつもりだった。だが。

『(十緒子様、あの女。魂のつなぎが、もうすぐ切れます。数多のじゃを、引き連れて)』

 じゃあなんで。
 白のこのセリフを、リピート再生してんだよ、俺は?

 俺は十緒子を守りたい、だがそれに、主任を見殺しにしてでも、と続けなきゃ、それを実現出来ない。クソなことに、それしか方法が思い浮かばねぇ、とか。

 俺が選ぶことの出来る、現実。
 それを白に突き付けられた俺は、ひどく無様だった。

 俺には、力がない。
 保身を優先してきた結果が、これだ。
 アホか。動揺なんか、してる場合じゃねぇのに。
 十緒子のまっすぐな視線から……逃げる、とか。

 挙句、白ヘビが俺の結界符を破ってみせたところでポッキリ折れて、十緒子を無視するとか、なあ?
 ……ダセぇ。
 どうしようもなく、自分にイラつく。
 この期に及んで、プライドを捨てられない、俺自身に。

『水野さん、なんか……ダメです、それじゃ』

 十緒子が俺に言った、ぼんやりとした指摘。
 何度舌打ちしても、消せない声。
 俺はスマホを手にしてアプリを中断し、連絡先リストから奴の名前を選んでタップする。
 つまらねぇ意地、張ってる場合じゃねぇだろ。


◇◇◇

『やあ春くん、久しぶりだね。キミからかけてくるなんて、めずらしい。なにか、あったのかい?』

 奴は、「俺だけど」としか告げなかった俺にかまわず、しゃべりはじめた。
 昔からよく知っている、俺よりやや高めの、張りのあるやわらかな声。
 意地を張っていたが故の気まずさを感じているのは、俺だけだ。
 それは、わかっていた。

『ちょっと待って、移動するから。あ、こっちのほうが電波いいの? わかった、ありがとね……よいしょ、っと。春くん、待たせてごめんね。いま山奥にいてね、まあそれはいっか。で、どうしたの?』
「……訊きたい、ことがある」

 俺は、冷静さを失わないよう、ゆっくりと言った。

『うん? なんだい?』
「生き霊、を。コードが切れそうな生き霊を、どうにかしたい。方法は、あるのか?」
『うーん、自力で体に帰ってもらうしか、ないよ。って、それは春くんも知ってるよね?』
「そいつは、視えるヤツの話だと、いんの気を纏いすぎてよくないものを引き寄せ、実体に戻りにくくなってるらしい。他の方法がないか、知りたい」

 少し間が開いて、奴が言った。

『……ふーん、なるほど、ねえ。そうだなあ、ひとまずその、よくないもの? それをどうにかしたいよねえ。ああ、春くんの結界符、その、よくないもの除けに使えば? そのかわり、その人が結界符に触れないようにしないとだけど』
「それは……無理だ」

 邪を、そいつから引き離す。
 白ヘビと、同じ結論かよ。
 俺と主任の関係性で、そんなん、出来るわけがねぇ。
 なら、その関係を変えればいいのか? いや、それは違うだろ、それに絶対やりたくねぇし。

 俺は舌打ちをぐっとこらえ、方法を模索していたが、チカの軽い口調にその思考を中断された。

『じゃあねえ、ようの気を補うってのは、どうかな?』
「陽の気を、補う?」

 俺がまんま復唱すると、スマホから奴の『ふふっ』という、それを小バカにしたような笑い声が聞こえる。
 イラつくが、これもこらえるしかない。

『そういう符が、あるんだよ。わかった、こっちから一枚、送ってあげるよ。見てお手本にすれば、春くんにも簡単に作れるんじゃないかな』
「画像じゃ、ダメなのか?」
『力加減とかそういうのが、伝わらないと思う。意外と難易度高いヤツだから。あ、でもすぐには送れないかな、なにせ山奥なんだよ、ここ。一週間くらい、かかるかも。でもなるべく急ぐよ』
「……わかった。頼む」

 その符をどう使うか……その方法もいまのところ思いつかない。だが、ないよりはマシ、ひとつでも多くの手札を持っておくに、越したことはない。
 そう、自分だけの思考に沈んで黙っていると、向こう側からまた、『ふふっ』という笑い声が聞こえた。

里香りかから、聞いたよ。里香のサロンに、お客さん、紹介してくれたんだって? それも女の子だっていうじゃないか。その子と、付き合ってるのかい?』
「いや、……」

 なんで急に、十緒子の話に? ことばを濁していると、チカが向こうで、なにかやり取りをした。

『え、ああうん、わかった、待って。ごめん春くん、ゆっくり聞きたいけど、時間切れみたい。あんまり力になれなくて、ごめんね。なにがあったかわからないけど、相談してくれて、うれしかったよ』
「ああ……悪かった、その、助かった。っ、じゃあ頼むからな」
『わかった。待ってて』

 通話を終え、俺はスマホをソファに放った。
 まだ俺に、出来ることがあった。
 奴、睦也ちかなりに、連絡した。ただそれだけのこと、だったのだが。

『春くん、チカのこと。もっと頼る……っていうか、なんなら使っちゃえば、利用しちゃえばいいんだよ? 私もチカも、春くんのこと頼りにしてるし、利用しちゃってるでしょ?』

 かつてそう、里香さんに言われたことを、俺は思い出した。


◇◇◇

 あの、月曜日の朝。
 いつもの電車に十緒子がいない……たったそれだけで、俺の目が覚めた。

 覚悟なのか、腹が据わった、と言えばいいのか。
 俺のやるべきことが、わかった気がした。
 具体的には、なにひとつ思い浮かばねぇのに。

『このバカ! アホじゃねぇのか、おまえ。ふざけんじゃねぇ』

 目が覚めて……あいつの行動にムカついて、それをそのまま吐き出して。
 だから俺は十緒子の目を、今度はまっすぐに見ることができた。

 で、それで。あいつは……笑うし。

『……っ、なにニヤニヤしてんだ。異論ねぇだろ』
『はい! ありがとうございます!』

 バカ、なんだな、おまえ。
 ……おまえも。こんな俺で、いいのかよ。

 本当は。
 十緒子の、封印だの記憶だの、いろいろとおかしいことも、問い正したかった。

 だが、あいつはのんびりしているし、白はどうやらそれに触れないようにしている。
 いまは、下手につっこまないほうがいい、と、あのヘビが判断したのだ。
 なんの力も持たない俺は、それに従うしかない。
 しょうがねぇ。
 なら俺は、俺に出来ることを、やるしかない。
 それも、思うままに。

 どうすればいいか、わからなくなったとき。
 俺は、俺のやりたいようにやるのだと、昔からそう決めていた。

 思えばそれは、両親を亡くしたときからかもしれない。
 人はいきなり死ぬ、それを知った。
 死んでからじゃ、遅い。
 その前にやれること、あんだろ?

『しょうがねぇから、おまえに付き合ってやることにした』
『……! ありがとう、ございますっ、よろしく、お願いします!』

 また、笑うし。
 俺がこうして、おまえの手を握るその理由を。
 おまえは……考えたこと、ねぇんだろうな。
 チッ。
 こうなったら、理解できるまで握ってやろうか。


◇◇◇

『荷物は届いたかい?』
「ああ」

 次の日曜日、睦也ちかなり、チカのほうから連絡が来た。
 2、3日前に受け取った小包の、大げさな梱包をほどいた中に、クリアホルダ―に挟まれた符が一枚、入っていた。

 チカに『今日は時間があるんだ。よかったら話を聞くよ』と言われ、俺は大まかに状況を説明することにした。
 十緒子と白ヘビのことはふせて、生き霊が現れてそれがおそらく職場の人間らしい、それだけを話した。
 ただ前回、白の説明を『視えるヤツ』の話として出してしまっている。
 それについては、聞かれても開き直り、「いまは話せない」と説明を拒んだ。

『うん、そっか、わかった。それより春くん、その生き霊の女性のことだけど。春くんはもしかして、自分の責任だと思ってる?』
「っ、それ以外ねぇだろ」
『違うよ。春くんがそこにいてくれたから、彼女はかろうじて彼女でいられたんだよ。春くんがいなかったら、彼女はもっと早くにダメになっていたかもしれない』

 チカの言うことの、意味がわからなかった。
 だが、意図していることくらいは、俺にもわかる。
 それでもチカは、それをはっきりとことばにした。

『だから、責任を感じる必要は、まったくない。たとえ彼女がそれで命を落としても、それは彼女の問題だからね』
「……ストーカーのことなんて、どうとも思ってねぇよ」
『そっか、うん』

 そのあと、符に関する説明や注意をチカから教わり、通話を終えた。

 おそらく結界符より、この符のほうが、なにか手立てを考えられそうだ。
 ……まだなんも、思いつかねぇけど。


◇◇◇

 ……実際、俺は。
 いまのところ、例えば、警察に通報しなければならないような被害には、あっていない。
 生き霊が、俺の名前を出して十緒子のところに現れた、それだけだ。

 パーキングで会って、追跡した白に言われなきゃ、主任を疑うこともなかったはずだ。

 だから当然、主任とは表面上、以前と変わりなく接している。
 主任があの生き霊だったとしても、その記憶は明確にはないだろうし、下手に態度を変えて、その矛先が十緒子に向かうのも避けたい。

 俺への主任の態度に、特に変わったところはない、と思う。
 前より注意深く、もちろん気取られないように観察しているつもりだが、自信がない。
 元々、なにを考えているのかわからない、無表情、と言うよりポーカーフェイスな女だ。
 十緒子や白ヘビの言う、陰の気や邪も、俺には感じられない。

 ……それよりも、それにしても。
 いったいなんだって主任と十緒子が、仲良く昼メシを食べているのか。

 向こうから接触してきた、本当は警戒すべき事態のはずなのだが。
 十緒子はどうやら、それをすっかりスルーしてしまったようだ。
 自分の、目的のために。

 自分の、といっても、それは主任のコード修復のための時間稼ぎで、だが十緒子の話を聞いていると、最近はそれですらなくなっているようで、わけがわからない。『私、きれいなお姉さまに弱いんです』って、なんだ、それは。

 あの女が、あの生き霊かもしれない、それを忘れているのか?
 それとも、わかった上での、アレなのか。
 幽霊を怖がるくせに、主任に恐怖を感じない、それはおかしくは、ないのか?



<3>御崎十緒子の日曜日・午後の女子会

(6500字)

「あ」
「御崎さん、どうかした?」

 最寄り駅から、本日もたいへん見目麗しい冬芽お姉さまと連れ立って歩く、ウチのアパートまでの道すがら。
 そうだ、おもてなしスイーツがない、とそのお店の立て看板を見て、思い出した。
 それにこのお店は、この前水野さんが買ってきてくれた、あの絶品ロールケーキのお店だ。

 小鳥さん食欲のお姉さまでも、気に入ってくれるのではなかろうか? いっつも顔色があまりよくないように見えるし、なんでもいいからもうちょっと食べてほしい。

「少しお待ちください、これ、買っていきます。おいしいんですよ、ここのロールケーキ」
「甘い物なら、持ってきたけれど……」

 そう言って冬芽お姉さまは、手提げの紙袋を掲げて見せた。

「わあ、そうだったんですね! 楽しみです~」
「……でも、そうね、御崎さんなら量は関係ないだろうし。本当にこれ、おいしそう。いいわ、私に買わせて」

 そう言うと彼女は、私が口を挟む間もなく、さっとお店のドアを開けて入っていった。
 ぱぱっとガラスケースの中を指さす様子を見て、我に返った私があわてて店内に入った頃には、スマホですっかりお会計を終えていた。
 は、早っ。

「あの、なんだかすみません」
「いいえ、楽しみが増えたわね。ハーフを2本にしたの。フルーツミックスと、ショコラ……食べたことある味、かしら?」
「あ、フルーツミックスは食べました。おいしさに間違いなしですよ!」
「……そう、なのね。楽しみね」

 思えば、このとき。
 ほんの少しだけ、違和感を感じたのに。
 私はそれを、よく考えたりすることはなかったのだ。


◇◇◇

 岡田さんがウチに来ることになった、そもそものきっかけは、私の描いている絵の話だった。

 一度絵を見てみたいという彼女のことばに、私はうーんと首をひねる。私は描いたものをSNSに上げたりなんかしていないから、物理的にお見せするしかないのだけど、さすがにスケッチブックやその類のものを持っての出社は無理。で、ポロリと口から飛び出した「いっそウチに見に来ちゃいます?」という半ば冗談のようなひと言が、現実になったのだ。

 同じ沿線ではあるけれど、私や水野さんとは反対方面からオフィスに通う彼女は、会社の駅を通り越して、ウチの最寄り駅まで来てくれることになって。
 車じゃないんだな、と思ったけれど、気分の問題なのだろうと、岡田さんに訊いたりはしなかった。

「これって女子会、ですね」

 ちゃぶ台にロールケーキと、焼き菓子がきゅうっと詰められた缶箱を置いて、岡田さんにクッションをおすすめする。これほんとに焼き菓子ですか、と問い合わせたくなるような、色の鮮やかな心躍る詰め合わせ。
 キッチンに戻り、昨日買ってきた安物のティーカップ2つに、紅茶のティーバッグを入れお湯を注ぐ。安物……いまごろ気付いた、これって、この女子会の残念ポイントかもしれない。

 出来上がった紅茶を持ってちゃぶ台に戻ると、岡田さんは部屋を見回していた。
 ああっ、この部屋も残念ポイントだった。節約生活で、インテリアをどうこうする余裕や意識、まるでないし。

「女子会の会場としては、殺風景で可愛げがないですよね……」
「清潔感があって、いいと思うけれど? ……ああ、ごめんなさい、じろじろ見るなんて、失礼だったわよね」
「いえ! むしろ見るモノがなさすぎて。このカップだって、昨日買ってきたばかりの安物ですし」
「気にしすぎよ。ふふ、昨日買ってきたなんて。……いただくわね」

 私の部屋にいる岡田さんの、なんという場違い感。
 彼女の所作のひとつひとつに見惚れ、ドキドキしながら、私も紅茶に口をつけた。

 スイーツをつまみつつ話をし、とうとう絵を見せてとせがまれて。
 ベッドルームから、いつもベッド下に収納しているキャスター付きのプラケースを、コロコロと引っ張り出してきた。
 中からいくつかのスケッチブックを出して、恥じらいつつ渡して。
 お姉さまの美しい手がそれをパラリ、とめくる音に、私は耳を澄ませる。
 こうして。ふたりだけの日曜の午後が、おだやかに過ぎてゆく……なんて、ナレーションを入れたくなる。

「この風景……やさしくて。色が、とてもきれい」
「わあ、そう言っていただけるとうれしいです。私、カラフルなのが好きみたいで。ついつい色塗りに没頭しちゃうんですよね」
「とてもきれいで、キラキラしていて……まぶしくて。まるで、御崎さんそのもの、だもの」
「へ……え、あの、私?」

 岡田さんの手が私の絵の表面を、そっとなぞる。
 それから、そのスケッチブックを、ゆっくりと閉じた。

「……『深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ』、というけれど、」

 独り言のようにつぶやく、彼女の視線が。
 半開きになっているベッドルームの引き戸に、向いていた。

 プラケースが半分、ベッドルームから、姿をのぞかせている。
 岡田さんが見つめているのは、その向こうの、奥にあるベッド……?

「深淵は、光に覗き込まれたら。いったい、どうなってしまうのかしらね」
「岡田さん……?」

 彼女は、私のほうに向き直って、言った。
 どうしてか、苦しそうな……泣き出しそうな、表情をしている。私はそれに、息を呑んだ。

「私は、御崎さんになりたかった。まぶしくてきれいで、澄んでいるような。でも私では、こんなきれいなものにはなれない……」

 と。なにか空気が変わった、そんな気がした。
 同じ瞬間、しーちゃんが、私の真ん前に現れる。

(十緒子様、お下がりください)
「え、しーちゃ、」

 あわてて自分の口を手でふさぎつつ、岡田さんを見る。
 部屋に戻ったときから、もやもや認識阻害のためのメガネは、外していたのだけど。
 さっきまでほとんどなかった、灰色のもやもやが、岡田さんの体から、吹き出している?!

 それに、あれ。
 体、実体の体と霊体がたぶん、ズレてしまっている……。

「ねえ、御崎さん。私、駅からこの部屋までの道、知っていたの。このロールケーキも……水野くんが、買っていったでしょう? 私が、あんなこと……水野くんのあとをつけていく、なんて。電車に乗ってカノジョの部屋へ向かう水野くんを、ずっと見て。そしてあなたの部屋を知って、次の日にも見に来てしまうなんて。どうかしてる……今日、ここに来たのだって……汚い、私、どういうつもりだったの?」

 黒いもやもや、じゃも目に見えて増え。
 岡田さんの苦しげな顔が、さらにゆがんていく。

(十緒子様、よろしいですか?)
「お願い、しーちゃん!」

 しーちゃんがふわっと光を放つと、邪が吹き飛んだ。が、しばらくすると元に戻ってしまう。
 岡田さんは苦しそうなままだ。
 な、なにこれ、なんで? どうしたらいいの?

「あの部屋と、ベッド。思い出したの。夢で見た部屋に、そっくり。水野くんがあなたに、キス、してた。……汚い、水野くんが汚れる、違う、私、汚いのは、私なの……」

 しーちゃんがもう一度光って。
 あの灰色のもやもやと邪が、吹き飛んでいった。
 岡田さんの、生き霊とともに。
 コードの根元……そこにある彼女の、実体の体が力を失って、その場にバタリと倒れた。


◇◇◇

(十緒子様、お気を確かに)

 しーちゃんに声を掛けられて。ぽかんとしていた私は、あわてて岡田さんに近寄った。もやもやがなくなって、でもぐったりしている岡田さんの体を、どうにか仰向けにする。
 手に感じる体温。けれど、岡田さんはいま、ここにはいない。

 目に入ってきた、キラキラと光るヒモ、魂のコード。
 これって、だいぶ……細くなってる、よね?
 コードの先をたどるとそれは、ベッドルームに入っていった。
 部屋の中が暗くて、よく見えない。

「しーちゃん……岡田さん、あそこに、いるの?」
(はい。邪が増幅しやすい場になってしまったようです。手加減をする必要がなければあのようなものを塵と化すのは容易たやすいのですが、あの生き霊も千切れましょうから)
「だ、ダメ、そんなの」

 震える手で、ちゃぶ台にあったスマホに手を伸ばす。タップして耳にあて、呼び出し音を無意識に、数えるように聞く。

『はい』

 ああ、よかった。
 水野さんの声、だ。

『十緒子? どうした?』
「あの、岡田さん、が。たいへん、なんです」
『一緒にいるのか?』
「ウチで、ふたりでお茶を、飲んでまして、そしたら、生き霊さんが、生き霊さんに、なっ……て、しまわれて……」
『っ、わかった。すぐ行くから、待ってろ。おまえは白に守ってもらえば、大丈夫だな』
「岡田さんの、コードが細くて!」
『……目え、閉じてろ。そんなん見てても、不安になるだけだ。おまえまで陰の気を増やしても、しょうがねぇだろ』

 電話が切れた。
 耳に、水野さんの声が、ぬくもりのように残る。

 私は気を取り直して、岡田さんのコードを見た。

「しーちゃん……ねえ、私なら、なにか出来るんじゃない? このまま水野さんを待ってるなんて、そんなの、」

 言いながら、私はふらりと立ち上がり、ベッドルームの引き戸に手をかけ、ゆっくりと全開にする。
 震える手をぐっと握りしめて胸に当て、まばたきをしてから、中をまっすぐに見た。

 窓からの光が射さない時間のほうが多い、この薄暗い部屋の中に、実体ではない彼女がゆらゆらと揺れている。
 グレーと黒のもやが、彼女を取り巻くように、それからこちらに手を伸ばすように、うごめいていて。

(春臣サン……汚イ、汚イ、汚イ、汚イ、汚イ……消エテ、シマエ)

 ……あ。わかった、気がする。
 彼女の、生き霊の姿を見て、唐突に理解する。

 理屈はわからないけど……この重さを、なくすんだ。そうすれば。

 パキン、となにかが鳴って、私の体がその場にドサッと崩れ落ち、でも私は、まっすぐに彼女を見る。
 生き霊の体。軽くなった私。

(十緒子様!)
「できた! あと、そう……お願い、助けて」

 いま、この姿になって。
 私が知っていた様々なこと、小さな紙片になってどこかに紛れていた、それらのいくつかが、急に頭の中でつながった。

 私は両手を祈るように組んで、背中に意識を向ける。
 するとポンポンッ、という音がして……。

(…………、十緒子)
(ふあーっ、十緒子ぉー、ひっさしぶりー)

 同時にしゃべりだした、音のない声。
 私は、ふたりのことをよく知っていた。

 しーちゃんのようにふわりと浮かんで、でもしーちゃんとは違う色の、小さなヘビ。

 ふたりはそれぞれ、紫と青の美しい光を纏い、差し出した私の、左右それぞれの手のひらの上に乗った。

「むーちゃん、あおちゃん! よかった、あのね、助けてほしいの!」
(うわー、なんだあれー。死にそうじゃんー)
「あおちゃん、それじゃダメなの、死んじゃうのはダメ、助けて!」
(十緒子様、あとはワタクシが)

 しーちゃんが言い、むーちゃんとあおちゃんが、しーちゃんを見た。

(おー、白のじゃん)
(黙ってワタクシに従うのです。十緒子様のために)
(りょうかーい)
(了解、した)

 三体のヘビの体が、それぞれの色に光りながら、ふわふわと飛び交う。

 細く長く伸びた青い筋が、もやもやをくぐり抜けて、生き霊さんに巻き付いた。
 紫の光が全体にぱあっと射し、もやと邪の動きが鈍くなる。
 それを散らすような、白い光の閃光。もやと邪、生き霊さんの距離が開き、その瞬間に生き霊さんを囲むようにして、白、紫、青のヘビの体が現れた。
 カキン、という音。

(十緒子様、ワタクシどもにつかまっていただけますか)

 手を伸ばすと、カゴのようななにかが手に触れた。生き霊さんを、三体で作ったカゴの中に、閉じ込めているようだ。

「これでたぶん、つかまれたと思う」
(それでは、まいります)

 次の瞬間。
 さっきの数倍の量の光が、一面にあふれた。

 わあ……キラキラして、すごく、きれい。
 それに、気持ちがいい。
 ああ、しーちゃんが『おかたづけ』、してくれたんだ……。

 そこから、どれくらいの時間が経ったのか。
 少しずつ、光で消えた視界が戻って来て。

 そこには、しーちゃんたちに囲まれた生き霊さんが、ふるふると震えていた。

 私より、少し色味を帯びた白、アイボリーかな?
 人のカタチになったり、ならなかったりしている。
 これが岡田さん、なのか。
 あとは、そう。

「岡田さん、どうすれば体に還れるのかな?」

 玄関のほうから、ガチャリと音がした。
 バタン、とドアが勢いよく閉まり、見るとそこには、水野さんがいた。

「十緒子! っ、生き霊?! なんで、」
「水野さん! 早かったですね!」
(十緒子ぉー、こいつ誰ー? あれー、おまえ、なに持ってんのー?)
「なっ、ヘビが……3匹?!」

 あおちゃんの視線の先に、水野さんの手。
 その手に持った白い和紙に、なにか書かれていて……。
 あれ、なんだろう。
 あの紙……あったかい、ような気がする。

「あとは、岡田さんに、体に戻ってもらうだけなんですけど」

 そう言いながら私は、囲んでいたカゴが消えるのを見届け、中にいた霊体を、彼女の実体に重ねた。
 むう、あと少し、なんだけど。
 すると水野さんが持っていた和紙を、岡田さんの首筋、右肩のあたりに当てた。お札、なのかな?
 ぼわん、と、もやが立ち、でもそれは、あのグレーのとは違うもやもやだった。白い、というより、光? でも、しーちゃんのとは、ちょっと違う……。

(陽の気を、感じます。小僧にしては、使えますね)
「なんとか、なりそうか?」
「ええと、もうちょっと。あとちょっとだけズレてて……はっ」

 待って。
 あとは、生への執着、を。増してやれば、オッケイ?
 それって、岡田さん、水野さんになにかしてもらえば、いいのかな?

「水野さん、あの、」
「言っとくが。俺には主任の望みなんてモン、わかんねぇからな」
「でも触れ……れば、もしかしたら、」

 先回りするように言われて、つい言い返したけれど、なぜだか胸が痛い。

(十緒子、耳を澄ませ)

 と、ずっと黙っていたむーちゃんが、言った。
 言われた通りにすると、岡田さんの霊体が、なにかをつぶやいている。
 私は意識して、それに集中する。

(……汚イ、汚イ、汚イ、汚イ、汚イ……私ナンカ、消エテシマエ……)
「っ、なんで? ……冬芽ふゆめ、さん……」

 こんなに、きれいなヒトが。
 どうしてそんなふうに、思っているの?

 冬芽さんの霊体が、私に向かって、両手を伸ばした。それにつられるように、実体の腕が上がる。
 冬芽さんの望みは、私?

『私は、御崎さんになりたかった。まぶしくてきれいで、澄んでいるような。でも私では、こんなきれいなものにはなれない……』

 さっき言われたことを、思い出す。

 冬芽さんが、私になりたい?
 わかんない、わかんない、けど。
 それは、違う。違うんだよ。

 ……ああ、そうか。

 私は冬芽さんの、霊体の手を取った。
 この、生き霊になった、体で。

(十緒子様、なりません!)

 しーちゃんの声を聞きながら、そのまま冬芽さんの手を握る。
 そして一度手を離すと、寝ている彼女の体を、正面から抱きしめるようにして、耳元に口を寄せる。
 ……う、あ。
 霊体が、重なって、しまう。お互いが溶け出してしまいそうな、危うい感覚。
 だけど。

 私は、私でいられる。その方法を、知っている。
 それを知っている場所から、私は声を発する。

「……冬芽。おまえの望みは、叶えない。彼も、私も、おまえにはあげない。おまえが消えることも、許さない」

 彼女の耳に、はっきりとそう告げたのは、私、だった。
 他人の声のようにも、夢の中の声のようにも。子供の声のようにも聞こえる。

「忘れることも、許さない。罪も後悔も、消すことを許さない。
 それでも、冬芽。
 おまえは、ここにいる。私とは、別の存在として」

 あのお札が塵になるように消え、冬芽さんの閉じられた目から、涙があふれる。
 ああ……霊体と実体、ピタリと重なった、ね。

(十緒子、ここまで)

 むーちゃんの声がして、冬芽さんの体の周りで、グレーと光のもやが、渦を巻いた。
 そして、冬芽さんの体に、パアンと弾かれて。
 霊体の私は気がつくと、アパートの屋根を見下ろしていた。



<4>十緒子と冬芽の日曜日・午後の女子会(未来)

(1300字)

「いまだから、話すけれど」

 少し先の未来、私と冬芽さんのふたりきりの女子会で。
 冬芽さんがもらったという、とびきり甘くてとろけるようにおいしいワインを飲みながら、ぽつりぽつりと教えてくれた。

「私……妻帯者と、付き合っていたことがあって」

 実は、私はそのことを知っていた。
 冬芽さんと重なってしまったあのとき。
 ちょっとだけ、覗けてしまったのだ。

「ちょうどそのころ、仕事も……以前の風通しの悪いやり方に固執する一部の上層部から、嫌がらせを受けたりしていて。現場の、部門のみんなは頑張ってくれているのに、私が上手く立ち回れないせいで、迷惑をかけてしまったりね。付き合っていた彼も、絶対に私を選ぶことはないとわかっていたから、つらかった」

 冬芽さんの部屋は、いつ訪れても美しかった。カーテンもソファも食器も、ひとつひとつ丁寧に、こだわって選んでる彼女が想像できる。でも最近、はじめのころよりインテリア全体の印象が、なんというか、甘くやわらかくなった。
 その、冬芽さんが作った居心地のいい空間で、ふかふかのクッションを抱えながら、私は彼女の話に耳をかたむけている。

「ほかにも実家のこととか、いろいろあって。めちゃくちゃになっていたのだけれど、私は仕事で頼られるのが、うれしかった。頼られて、それに応えられる自分に酔ってたのね。そう、だから、水野くん……の、ことを。好きだと、思ったりもしたの」

 冬芽さんは、髪を耳にかけ、目を細めてほんの少し笑う。

「主任がいてくれてよかった、とか言われてしまって。ああ、こんなコと付き合っていたなら、もっと違ったんじゃないか、って。年下の彼を、春臣さん、なんて呼ぶ妄想……痛い、わね。でもそうやって彼を見ているうちに、自分のあり方に耐えられなくなってきた。現実の私は暗くて、汚くて……そして、水野くんが選んだ、あなたの存在を知ったら、もっと……」

 こてん、と彼女が私の肩に頭をのせる。隣合ってソファを背もたれに、ラグに直座りしながら。
 冬芽さんのいい香りがして……すごく、かわいくて。

「不倫をしていること、水野くんのこと、そんなことをしている自分を許せなくて、自分でいることがとてもつらかった。でも、なぜだか急に目が覚めたみたいになって、わかった。彼も、そして水野くんも、違う。それに、もういいんだ、って思えた……汚くてズルい、私のままで」

 私は冬芽さんの左手、その美しく整えられた爪先と滑らかなお肌に見惚れながら、言った。

「邪……えっと、魔が差す、というか。半分はそっちのせいにしちゃいましょうよ。冬芽さんそのころ、すっごくツカレテたんです。だから汚くなんかないし、ズルいのは……私もいっぱいズルしてるので、それは女子として必要ななにかなんです、きっと」
「ふふ、そうなの、かしら?」
「これだって、ちょっとズルしたり、しませんでした?」

 冬芽さんの左薬指に光る指輪。私はそれを、つんつんとつつく。
 すると冬芽さんが、「ああ、もう!」なんて声をあげた。

「もう男なんかいらない、って思ってたのよ、それなのに……。都合よく考えを変えてズルい、でもこれは女の必要悪、そういうこと、かしら?」
「それもそのひとつですね、きっと。フフフッ」



<5>御崎十緒子の日曜日(夕方・イマココ・しまったシマッタ)

(3000字)

「バカにバカと言って、なにが悪い。結局おまえ、肝心な連絡、こっちにまわしてなかったじゃねぇか」
「だって、でも、」
「バカ十緒子。こんだけ言ったっておまえ、わかってねぇんだ……クソムカつく」

 キッチンのシンクに寄りかかり、水野さんとふたりで、マグカップ(紅茶用と一緒に昨日2つ購入、安物)に入ったインスタントなコーヒーをすする。
 水野さんはやっぱり、舌打ちをしながら飲んでいて。私は手にコーヒーの熱を感じながら、ちゃんと体に戻れたんだな、としみじみする。
 また、バカバカ言われちゃってるけど。

 と、リビングの、ちゃぶ台のそばで横たわる、冬芽さんの体が動いた。
 コーヒーをシンクの調理台に置き、冬芽さんに近寄る。

「嫌だ、私……眠って、いた?」

 冬芽さんは身を起こして枕に手をつき、ずり落ちた毛布を見て、呆然としている。

「おはようございます、あの、すっごくお疲れだったみたいで、私もさっきまで一緒に少し寝ちゃってて、その、起こさない方がいいかなと思ったのでそのままにしちゃったんですけど。体、痛いトコとか、ないですか?」

 しまった。つい、一気にまくしたてちゃって、嘘説明が嘘っぽくなっちゃったかもしれない。でも冬芽さんは、それには気付かないようだった。

「痛くは……ないわ。……ごめんなさい、眠ってしまうなんて。でも、とてもよく眠れた、気がするわ……久しぶりに」
「お疲れだったんですよ、すっごく。あとその、水野さん、を。車出してもらったほうがいいかな、と思って、呼んじゃったんです。えっと、私も一緒に乗るので、よかったらお家までお送りします」
「そう、水野くん……いえ、悪いけど、タクシーで帰らせてもらうわ。洗面所、お借りしていいかしら?」

 バッグを持ち上げた冬芽さんは、さっと髪を直しながら、キッチンにいる水野さんを見た。

「……悪かったわね、わざわざ」
「いえ、元々ここには来る予定だったので」

 水野さんの前を通り過ぎ、洗面所に入った冬芽さんの後ろで扉がパタンと閉まると、私は冬芽さんに聞こえないように、小さな声で言った。

「じゃあ、むーちゃん、しばらくお願いね」
(……了解した)
「しーちゃんと、あおちゃんも。もうちょっと、お願いするね」
(かしこまりました)
(オレにまかせといてー)

 ほっ、と息をつく。
 よかった、冬芽さんの体、だいじょぶそう。
 顔色も、来たときより、よくなってる気がする。

「ほんとに、よかった……」

 思わずそうつぶやいたら、水野さんのほうから盛大なため息が聞こえてきた。

「おまえ……本っ当に、バカだ」
「え、あの、それはどういう、」
「女の子にバカだなんて。最低ね、水野くん」

 洗面所から冬芽さんが出てきて、無表情に、ぴしゃり、と音がするような調子で言い放った。

「横になってるときから、バカバカ言う声が聞こえてたわよ。あなた、口が悪いのね。いつもは猫でも被ってるのかしら?」
「……ええ、まぁ」

 おお、水野さんの、しまったな、という表情。レアだし、フフフフフッ、ちょっとシテヤッタリ感、ある。ナイス冬芽さん!

「こんな、カノジョに暴言吐くクズだとは、思わなかった。御崎さん、こんな男、やめといたほうがいいわよ?」
「あ、でもカノジョというワケ、ふがっ」

 ワケではないんです、と続けたかったのだけれど、水野さんの手に口をふさがれた。

「なに? 今度は暴力?」
「ち、違います、水野さんはそんなことしません、だいじょぶですから! それより、タクシー、呼びますか?」

 無表情でブリザードを吹かせるような冬芽さんに焦りを感じて、水野さんの手を引きはがし、私は強引に話を変えた。

「大丈夫よ、もう手配したから。御崎さん、今日は……少し頭がはっきりしなくて、ごめんなさい。私、変なこと……言ったりしたんじゃ、ないかしら」
「いえ、そんなことは! 私……描いた絵を、褒めてくださって、すっごくうれしかったんです。また女子会したいです!」

 アパートの少し先まで3人で出て、冬芽さんを乗せたタクシーが走り去るのを、水野さんとふたりで見送った。アパートの私の部屋に戻り、水野さんが後ろ手に、ガチャリとカギをかける。

 靴を脱いで数歩、歩いたところで突然、後ろから抱きしめられた。


◇◇◇

 生き霊になった私が戻れたのは、やっぱり水野さんのおかげだった。

 冬芽さんの体に生き霊の体を弾かれて飛ばされた私は、アパートの屋根を見下ろしていたのだけれど。
 ほんの一瞬で、その屋根の上からの景色が消えた。

 実体の体の、感覚……おでこと両手に感じる、熱。

 そして、ゆっくり目を開けるとそこには、水野さんのゼロ距離なまつ毛があった。

 私のおでこには彼のおでこ、両手は彼の首に当てられていて。
 目を覚ました私に気付くと彼は、私を抱き起し、ぎゅう、と抱きしめた。

「バカ、ふざけんな」

 そんな声が、聞こえてきて。
 私は少し、泣きそうになってしまったり、とか。
 シマッタな、と思った。
 だってこの熱は、すごく気持ちがよくて。
 離れるのがさみしいとか、ダメじゃないかな。


 冬芽さんに枕と毛布をあてがってから、私は、やっぱり冬芽さんがあの生き霊さんだったと、水野さんに伝えた。
 それ以外のこと、冬芽さんが彼のあとをつけていたことは話さなかったけれど、水野さんは察してしまったようだ。

(とりあえず、この者の魂のズレは解消されております)

 しーちゃんは言い、それでももう少しアフターケアは必要だということで、3匹でそれぞれの分担を話し合っていた。
 そのあと、水野さんが車をコインパーキングに移動しに出ていった。戻ると、今までのことを夢オチってことにするための、ちょっとした打ち合わせをふたりでして。コーヒーを飲みながら、冬芽さんが起きるのを待った。

 ……それで、なんで、どうして、いま。

 後ろから、黙ったままの水野さんに、ぎゅうってされて。
 力が、抜けた。

 冬芽さんが無事に帰って、ほっとしたのも、あるかもしれない。
 でもそれ以上に、さっきも感じた彼の熱に、浮かされている。
 立ったままでいられなくて、膝をつく。彼も、その体勢のまま膝をついたようだ。
 つかまるところが欲しくて、前に回された彼の腕をつかんだところで。
 バランスがくずれて、ふたりして床に転がってしまう。

「ひゃっ……」

 彼の片腕を枕にするような格好になって、彼の顔を見た。
 いつもの、にらむような目に、見つめられる。
 そして、その瞳の奥にあるのは、なん……だろう。
 そこから目が離せなくなって、息が出来なくなった、そのとき。

(たっだいまー、十緒子ぉ、オレ頑張ってきたよー。先に帰ってきちゃったけど……ありゃりゃ、イチャイチャしてるしー、しまったー、やっちゃったかな、オレー? まあでも、白の言ってた通りってことね、で、オマエが十緒子のつがいかー。ごめんごめん、これからは邪魔しないようにするからさー。そんじゃ、続きをどうぞー)

 宙に浮かんで、青く淡く光るあおちゃんの、マシンガントークを。
 私と水野さんは、並んで仰向けになって、聞いた。

「続きを、って言うなら。どっかへ消えろ、このクソヘビ」

 悪態をつく低い声、それから、ものすごく大きなため息が、隣から聞こえてきた。



つづく →<その7>はこちら

あなたに首ったけ顛末記<その6>
◇◇日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい◇◇・了

(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)


【2022.12.04.】up.
【2023.01.19.】一部加筆修正
【2023.03.09.】加筆
【2023.07.20.】1600字加筆修正
【2023.09.09.】加筆修正
【2024.02.10.】▼リンク貼付


☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆

<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です

【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい

【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!

【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】

【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ


マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
 ↑ 第一話から順番に並んでます。
#あなたに首ったけ顛末記
 
↑ ”新着”タブで最新話順になります。

マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
 
↑ <その14>のあとに書いたので、その辺でお読みいただくと後々楽しいかもです。


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