就活編-人生いつだって上手くいくとは限らない。それでも転機は必ず訪れる

こんにちはmamekaです。このnoteは、以下の続編となっています。
思ったことをつらつらと書いてます。

mameka様
先日は、弊社の面接にお越し頂きまして、
誠に有難う御座いました。
慎重に検討をさせて頂きましたが、誠に残念ながら、
今回は貴意に添いかねる結果となりました。
不本意な結果となり大変恐縮ではございますが、
何卒ご了承いただければ幸いです。
末筆ながら、貴殿の今後益々のご活躍を
お祈り申し上げます。
××株式会社 採用担当

スマホを見た。これで、第一志望の会社の就活が全て終了した。
4畳半の狭い部屋が、真夏の蒸し暑さを一層、際立たせる。

薄壁の隣の部屋から、EDMが爆音で流れてくる。
「mamaka、今日昼一緒に作る?」寮の同期が、ノックもせずにドアを開けた。

「そうだね、作ろっか。」
こういうときに、同期と一緒にいるとクヨクヨ考えずにいられる。

———

思えば、私の大学4年間の活動に悔いはなかっただろうか?


外交官になることを目指して、受験では、第一志望の大学に落ちた。
そして、法律を勉強できる大学を選んだ。

〜大学に入ってもう1年になる。

外交官の方から実際に話を聞くと、官僚への道はとても厳しそうだった。
その方は、帰国子女で、小さい頃からずっと海外に住んでいたのだ。公務員試験も何だか難しそうだ。
「勉強を始めるなら、大学2年になった今から始めないといけない」周りの友達が話しているのが聞こえる。
今考えると、自分は、旅行も含めて、1回も海外にいったことがない。英語も並レベルである。
国際弁護士を目指して、法律を勉強するも、最初の1年で挫折した。記憶力には自信があったが、記憶力でどうにかできるレベルではないと感じた。どれも熱意がないと続かない。


講義とアルバイト、たまにサークルに顔を出す味気のない生活をしていた
特に心から打ち込みたいというサークルもなく、
次第に幽霊部員となった。飲食店でアルバイトを始めるも、続かず、1ヶ月でフェードアウトした。
先輩の紹介で始めたデパートのアルバイトは、人も良く、シフトも自由に決められるため、
ずっと続けられている。自分がこの1年でやったことって何だろう?というような危機感すら湧かない。

私は、完全に自分の目標を見失っていた。

その日、たまたま、寮のOBの先輩が、寮に来た。

『この前、メキシコ人とのテキーラ一気飲み対決で勝利して商談をもぎ取ってきた。空港から5時間かけて、イタリアにある薬草を買い付けてきた』

その先輩が話す内容はとても新鮮な内容だった。
「そういえば、俺って世界を股にかけるような仕事がしたかったんだっけ」昔の記憶が蘇る。

「おい、mameka!マージャンやるぞ」

幸か不幸か、私が住む寮には、麻雀卓がある。先輩からの誘いは断れない。
麻雀の打ち方は性格が影響するのか知らないが、私は、大負けはせずとも大勝ちはしなかった。

「なんか気乗りしないな」

周りはとても麻雀にハマっていたが、私は、何となく好きになれなかった。
呼ばれれば、打つというスタンスだ。特に他にやることがないからそれでもいい。

ある日、映画を一緒に見ようと同期の部屋を訪れた。何かコソコソと勉強している。

「それって、何?」「TOEICっていって就活には”重要”なんだぜ」

TOEICというものがあるのか。英語はやって損はなさそうだし。そうだ、TOEICを勉強しよう。
問題集と単語帳を買った。その日から、私にとって、TOEICを勉強することがルーティーンになった。

講義とバイト、映画、麻雀と繰り返す中で、TOEICを勉強した。

3ヶ月後の試験結果は、『840点。』

自分なりの勉強法を工夫したから、点数自体は特に嬉しくなかった。

私より勉強を早く始めていた同期と「一緒に受けよう」
といっていたが、どうやら彼は寝坊して試験を受けられなかったようだ。

「840点は、学生にしては中々やるね」

と周りに言われて、少し気分が上がった。


〜そして、2年後にむかえた面接試験。

「mameka君。国際的な仕事をやりたいっていっても具体的に何をやりたいの?」
「mameka君の強みは?」
「mameka君はどういうときやりがいを感じるの?」

当時、私は依然わからなかった。なぜ面接試験でこういうことを聞くのか
社会人になった今だからわかる。タイムマシンがあるなら当時の私に伝えてあげたい。OB・OGとの繋がり。コミュニティ内での連携。就活は、完全に、情報戦となっていた。


そして、私は、自分を振り返る”自己分析”が完全に不足していた。自信を打ち砕かれた。


〜私の考えをガラッと変えたのは、その後の多国籍のコミュニティでリーダーを務めた経験だ。

『日本人は、世界における日本の位置付けを全然理解していない。』

50カ国、200人の人たちに、しきりに言われた。他にも数名日本人はいたが、彼らの悩みに耳を傾け、面と向き合って話しているのはいつしか、私の役割となっていった。

「世界における日本」

これが、私の中でのテーマになっていった。


日本に遊びに来ている人たちもいたが、日本から学べることは学んで、自国に持ち帰ろうと必死に勉強している人たちと寝る間も惜しんで、たくさん議論した。

価値観だけでなく、それぞれの国のあり方や歴史も彼らからできるだけ多く学ぼうと意識した。

異なる価値観の人たちをまとめるのは非常に難しい。日本文化しか経験していない私にとって、彼らの信頼を得る方法は、しっかりと”傾聴すること”と”論理的に物事を考えること”、そして、”正しい”選択と行動をすることだった。

1年間彼らと生活をして、その生活が終わる頃には、とても名残惜しく感じた。今なら、SNSで繋がっていられるが、昔だったら、電話することすら難しいんだろうなと思った。

未だに悔しく思うのは、「日本が好きで、日本で働きたい」といっていた友人のほとんどが、いつしか、口数が少なくなり、出国してしまったことだ。「なぜ、彼らの話を聞いてあげられなかったのだろうか」「これから、どう手を打てばいいのだろうか」依然私の心に引っかかる。

これから自分は何をしようか。自分と向き合うことが自己分析だ。

つづく


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