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これで常識とか他人の目線が気にならなくなる

先ずはじめに、言っておくと僕は「常識を壊せ」とか「他人の目線を無視しろ」みたいな間違えた事をドヤ顔で言う人を見るとついつい笑ってしまうので、今回はそんな綺麗事なしで、常識とか他人の目線を機にする必要がない理由を話していこうと思います。



こんにちは、座右の銘は「満月は、雲で隠れたら見えない。」まひろです。



ということで本日もたわいもないお話をしていこうと思うのですが、皆さんはいじめられた事ってありますか?


最近テレビを見ていてもやたらめったらに「いじめ」「暴力」みたいなキーワードを目にすることが増えているのですが、それは見て僕は

「んなもん今更始まったことじゃないやんどうでもええねん」

とか思っているのですが(笑)


この「いじめられっ子達」って学校でどんな立場だと思いますか?


「弱者」とか「変わり者」とか色々あると思うのですが、そう言うのを総括して「マイノリティー」ですよね。

「マイノリティー」に属している人はいじめられるんですよ。

じゃあ「いじめる側」は何なのかと言うと「マジョリティー」です。


これは日本人に限らず、集団で生きているとどうしても人ってその群れからはぐれたくないし、はぐれさせないようにしたいんですよね。なんで人が集団で生きるのかと言うと、そっちの方が楽だからです。



例えば、ドラえもんを思い出していただけると分かりやすいのですが、スネ夫って普通に見た目だけではのび太よりも小柄で弱そうですよね。
それこそのび太とスネ夫が1対1で喧嘩をしたら「普通にのび太が勝つだろう」と思うぐらいに。


でもスネ夫は集団に属しています。それがどう言う集団なのかと言うと、学校で一番体格が大きいジャイアンがいたり、野球を一緒にやっているその他の仲間がいるわけですよね。

方や、のび太に仲の良い友達はそんなにいませんよね。

だからスネ夫自体の生物としての強さはのび太とそんなに変わらないのですが、こうやって集団に属していると一見自分が強くなれている気がするんですよ。


人が集団に属すのは自分が楽して強くなれる(ような気がする)からで、集団から浮いた人間を、集団はいじめるのです、が。



が、世の中の構造的に”成功者”ってどちらかと言うと集団から浮いている方ですよね。

と言うのも日本では多くの人が高校や大学を出て、どこかの企業に就職して人生を終わらせていくわけです。

まあこれが平凡な人生だと思うか、まっとうな人生だと思うかは人それぞれだと思うのですが、ただここで理解しておきたいのが、おそらく普通に企業に就職して何も考えずに生きていたら、ほとんどの人の人生はそのまま終わっていくことでしょう、世間一般で言われる成功者になる事はなく。


ここでふと疑問に思いませんか?

多くの人はマジョリティーサイドにつきたがります。そして学校では少数のマイノリティーになった人はマジョリティーにいじめられてきました。

ただ、社会に出ると、マジョリティーがこぞって憧れる”成功者”はマイノリティーの人間なのです。


なんか不思議ですよね。



ではなぜこんなことになるのかと言うと、人間がアホだからです。


例えば「地球という惑星が太陽という恒星の周りを回っている」のは今となっては誰もが知っている常識ですよね。

地球は太陽の周りを1年かけて回っている。だから日本には四季と言われる季節が存在していたり、時期によって見える星と見えない星が存在していたりします。


しかし、17世紀である今から400年前を生きていた人は「地球の周りを太陽が回っている」と思っていたんですよね。これが400年前の常識でした。


おかしいですよね、今を生きる人の知識からすりあわせればなんでそんな勘違いをするんだとついついバカにしていましたくなるぐらいに。

しかしその当時はそれが常識でした。


だから初めて「地球は太陽の周りを回っている」と16世紀に言い出したコペルニクスという天文学者は大批判を多くの人間から受けました。それこそ今の芸能人の炎上なんて比にならないぐらい。

なぜならそのコペルニクスが出した「地球は太陽の周りを回っている」という新たな意見は、当時のキリスト教の宇宙観(16世紀のキリストの宇宙の教え)である、「地球の周りを太陽や火星などの7つの星が回っていて、そのさらに外側の8つ目の星の天頂に神が存在している」という教えに反していたからです。


もう命が危ないレベルで批判を受けました。その当時はほとんどの人がキリスト教に入っていましたから、言ってしまえば国対1人の人間のようなものです。

今の時代に例えると、日本で「中国さんどうぞ尖閣諸島はあなたの国のものなので差し上げます!」と叫んでいるようなものです。コペルニクスは神の教えを否定したのですからね。


それからコペルニクスは故人となり宗教と科学の対立があり、ようやく現代の常識である「地球は太陽の周りを回っている」という意見が認められたのは、コペルニクスがその意見を発表した約157年も後である18世紀です。


どうですか?当時のキリスト教はこんな教えをしていたのですが、何のエビデンスがあってそんな教えを説いていたのか、そして人々は何の根拠を持ってそんな考えを信じていたのか。

正解は理論的な根拠などありません。ただ神がそう教えたから、それを信じただけなのです。

こうやって言うと昔の人間がさも現代の人間に劣っているかのように見えますよね。確かに成長した面もあるのですが、大して変わってなくて、時代が変わったからと言って人間が人間であることに変わりはありません。


なんでかって言うと、現代の人間も理屈のわかっていない科学を使ってますよね。


てな感じで、集団が「常識を守りなさい」とか「常識がある人になりなさい」とか「常識ぐらい知っておけ」と教える常識の正体って実はそんなに大したことないんですよ。


なんでかって言うと、その常識を支持している大体の人間も、同じようにアホだから。


まあだからこれらを通して何が言いたいのかと言うと、常識を意識したり周りの目線を気にしたりする人って割と特に日本には多いと思うのですが、それって理屈だけで考えると大したことじゃないんですよね。


常識じゃないからと言ってそれが間違えているとも正しいとも言う事もできないし、周りの人に指をさされてもそれが正しいとも間違えているとも言えないのです。


結局何が大切なのかと言うと、自分が正しいと思う事を行動に移す事

例えそれが常識の範疇であろうがなかろうが、他人に指をさされようがさされまいが、正しい事をした人には絶対にそれ相応の結果が出ます

なぜなら、世界は感情ではなく、論理で動いているから。


人によって、それは仕事であったり・趣味であったり・恋愛であったりと色々あると思うのですが、それで例え失敗したとしても「良いやん」って僕は思います。

一発で成功できる人なんてほとんどいませんよ。失敗するから次は失敗しないし、その先のステージに挑戦していけるようになるんですから。



おまけ まひろの学生時代


まひろ(筆者)の学生時代はどちらかと言うと集団には属していない、マイノリティーサイドでした。自分が話したいと思った人と話したし、やりたいと思ったことをやっていたので基本的に全員と仲良くて、やんちゃな人とも仲が良かったし、心理学のお話とか科学のお話とかもしたいので勉強ができる人とも仲が良かったのですが、基本は1人でした。

ただ、学生時代に自分がいじめるとかいじめられるとか特に考えた事はおそらくなかったと思うのですが、毎日記事を読んでくださっている方はわかると思うのですが、まひろは人の負の感情に「面白い」と思う感性の持ち主なので、どちらかと言うといじめる側でした、それも1人で。

皆んなでいじめられっ子を囲んでいじめるみたいなことはしたことがないし皆んなと仲良くしていたのですが、個人的にイジって楽しいなと思っていた人をいじくり倒していたらいつの間にかイジメになっていたみたいな(え悪魔やん)


ただ基本的にはいじめられる事もなく、いじめる事もあまりなく、学生時代を過ごしていました。多分多趣味なので、いろんな人といろんな話ができるってだけだと思いますが。



それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました。

もらったら社会貢献のためにユニセフに募金します。 ※こいつは嘘をついています。募金せずに帰り道でコンビニに寄ってたばこ買うに違いありません。