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「感性」に「完成形」はない

この間、久しぶりに「なるほど・・・!」と感心する出来事があった。
中田ヤスタカのドキュメンタリーを観たときのことだ。

画面の向こうで中田は「作品に“完成”はない」と言っていた。
「どっちが良いとか悪いではなく、そのときどきで気分が違うので、完成形は動いている」

作品は作るそばから絶えず変化するし、目指す完成形も常に変わっていく。
だから、比較するものでもない。ということなのだろう。

「さすがだな」と思う。

たしかに、作品はその時々の感情や感性に左右される部分が大きい。
自分を振り返ってみても、音質や完成度は別にして、デビューアルバムがいいなと感じる時もあれば、売れ線の曲に感動する時もある。これがいわゆる気分だ。

キャリアを積むと、経験値を頼りに感性を蔑ろにし、
わかりやすい“完成”を求めてしまうのだろうか。
だとしたら、自分の追い求めた完成形とはなんだったのだろう…?
数学のような方程式か??
たしかにウケそうなフォーマットを勝手に作っていた時はある。
でもそれは、「自分の好きな音楽」ではなく、
「リスナーにウケる音楽」なのだ。
感性より完成形、ニーズを優先していた。 

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ウケる音楽からウケない音楽へ成り下がり、
随分遅くなってしまったけれど、気づいたことがある。
私が本当にやりたかったのは、ウケる音楽を作ることではなく、
自分に正直である音楽を作ることに尽きるのだと。
いつしか一番大事なことを忘れてしまっていた。

ということで。
SoundCloudにアップしているデモ音源とボツ音源、
誰も聴いてくれてないから、聴いてください!笑
当時、このデモでインディーズデビューが決まりました。
(15年以上も前なのでお手柔らかに…!)
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