【患者の本音】禁句❗❓「信じれば治る」に本気で返信

オーストラリアの悪性黒色腫の第一人者のScolyer教授がご自身の脳のガンに世界初の免疫治療を施し、寛解延長を奇跡的に維持(記録更新)したという最高なニュースと文献を発表しましたね。

これを受けて、世界各国で今後この「奇跡の免疫治療」の治験が計画されることでしょう。

極めて予後不良のグリオブラストーマ患者さんにとって、きっとこの上ないほどの最高のニュースでしょう。


前置き

Scolyer教授のニュースを受けて、私も友人から「信じれば治るよ。君も信じれば奇跡が起こる。」とメッセージをもらいました。

距離を越えて想ってくれているなんて、本当にありがたいですね。

セリーヌ・ディオンさんの「戦士の復活劇」でも、「諦めなければ治るよ」と勇気づけようと送ってくれました。アハハ、その気持ちはとっても嬉しいです。(気持ちはね。)なので、この時はお礼だけ言いました。

ただ、直近の2回に限らず、あまりにも頻回に治ることが最も重要っぽいことを言われると、流石にそれはそれで辛いんですよね。

読者の皆さんの周りに病気の人がいたり、身近な誰かが病気になったならば、病気を忘れて普通に接してくれるのが一番ありがたいと思う人も多いことを知っていただきたいです。

必要以上に、気を遣って励ましや配慮をする必要もなければ、敢えて「そっとしておく」とか「相手が言うまで何も言わない」とかって必要も無いと思います。

病気があるからそれで生活が制限されていたとしても、いつも話題が「病気関係」に引っ張られる必要もないと思います。当然、「治る」でも「改善」でもね。

今までは、様々な場面で「治る」を主軸にした様々なメッセージや会話に、感謝するだけの返信をしてきました。しかし、色々と想いが積もってきたのと、メッセージが届いたタイミングもあったかと思います。今回は、内心の葛藤も打ち明けてみました。

正直、今まで死闘を生き抜いてきただけでも、実はもう沢山の奇跡が私にも起きていると思います。発病当時の文献(論文)を遡って読むと、生存報告がほぼ無いので、それをどう計算するかは分かりません。現代でも、未治療だと余命8ヶ月らしいです。その他にも罹患した疾患の生存率は、まぁ年齢によっても大きく変わります。なので、これらを省いて病歴から生存率を計算すると、0.0057%になるようです。

生存率(確率)を数字で語るならば、私が今生きている可能性は0%に限りなく近いんですよね。(繰り返しますが、これは元々の病気の生存率を除いた合併症だけで計算した場合です。)

けど、今私は生きています。

100%生きています。

なので、私がこの記事を書いているというのが死後の世界の夢でない限り、私は99.9943%の確率で起こり得ない状態を毎日笑って楽しく生きています。

これだけで、もう随分と素晴らしい奇跡じゃないですか。

普通に、それを喜べば良いと思いませんか?

わざわざ、人間が定義した「完治」だけが奇跡だと思考を凝り固めてしまって、今ある数々の恵みから目を背けて祈り続けることを、神様は本当に望むのでしょうか?

まぁね、治って走り回れるのであれば、それほど嬉しいこともそうそうないです。

けど、私はそれよりもプライオリティが高い願いが沢山あります。(えへへ…… 欲張り…… キャ〜😆)

私は結構、「信じれば治るから、奇跡を信じて祈りましょう」とよく声をかけてもらえます。(その気持ちは、本当にとっても嬉しいんですよ。)

けど、「絶対に治さなければいけない」という考えでは、私の日常があたかも「異常」みたいじゃないですか。

健康な人からしたら、きっと違いも多いでしょうし、大変そうなのでしょう。

病気、車椅子、治療、etc

そうは言っても、今の病気との共存が私の日常というのは、一朝一夕では変えられません。

変な話、

  • 地域が違えば、女というだけで新生児が殺されてしまうことがあります

  • 時代が違えば、近視は重い身体障害でした

  • 江戸時代の平均寿命は30代でした

  • ナチスの時代は、ユダヤ教徒というだけで大量虐殺されました。

時代や地域によって、人間の定義は変わります。

私は、今までずっとずーっと頑張ってきて、生存という勝ち星は取り続けても、「完治」とか「健康」という太鼓判は得られない状況です。

ならば、健康状態や障害を「変える対象」として注目しすぎず、価値観を変えれば良い話じゃないですか?

結局、自分と周囲が今楽しく生活できていれば、「健康」というお墨付きを病院でもらうか否かは大きな問題ではないように感じるんですよね。

きっと、病気の状態や種類、それとの共生期間や生活状況、その時々の気分によっても、「病気」や「完治」などに対する考えは大きく変わってくると思います。

いずれにせよ、「病気の人」や友人や家族が「病気」ということで、あまりそれを意識しなくても良いんじゃないかと思います。

まぁ、確かに「病気」というやつは、生活の至るところで顔を出して、自分の存在を刻印してきます。加えて、制限・制約は確かにあります。それが辛く感じることも当然あります。

だからこそ、友人と話す時くらい忘れたいと思うこともあります。

お互いの近況報告をする際に、ぶっちゃけ「病気」が邪魔をして、色々やりたいことができていない時でも、いや、そういう時こそ、友人だけでも楽しく生活している話を聞きたかったりもするんですよね。

以下は、実際に送った返信です。(和訳は文末に入れます。)
無遠慮ですが、長年の友人ですし、文化も違うので大丈夫だと思います😉。

返信原文(英語)

補足:神様が治るに値すると思うか否かとか、ALSほど大変な病気じゃないという主旨のことも以前言っていたので、色々とモヤッとしたことがないわけじゃないというのは、事前に開示しておきます。

友人からのメッセージ:

The doctor who diagnosed himself with agressive glioblastoma.

And developed the cure for himself.

And successfully cured himself. 😀

This is where faith can bring you ◯◯(name)

Thanks 😄

Guess what?

(Jesus already took away our burdens and illnesses.)
As long as one can enjoy life, a diagnosis doesn't need to be vanished.

Everyone has challenges. Some have near sidedness, some are short, some use wheelchairs. Or, it's past trauma, they're just old, or whatever else in life.

Maybe not everything needs a "cure" but we just need to live our lives.

I appreciate your encouragement.

But it's nice not to be constantly reminded that there's a problem......

Most patients died in the years when I was diagnosed with 〇〇. I am alive. I always fought for my life and became the first case in Japan, then the first case in the world when I was in Germany.

I just don’t have the human label of “a miracle cure.”

Still, I am alive because I believed and because countless miracles happened.

I really do know you mean well. I’m just VERY tired of fighting the good fight without a single soul ever noticing that there’s a battle and there’s a mountain of miracles. Well, people actually see and know if they’re by my side and see the battle every step of the way. Unfortunately, this is very rare. I can’t even breathe or text when I’m gravely ill, so I can’t contact people in such situations.

Life is what it is.

I want to believe that I have a purpose through something positive that comes out of my experience.

At the same time, I like forgetting about it when I’m with friends.

I really appreciate your support.

返信和訳

補足:神様が治るに値すると思うか否かとか、ALSほど大変な病気じゃないという主旨のことも以前言っていたので、色々とモヤッとしたことがないわけじゃないというのは、事前に開示しておきます。

友人からのメッセージ
「進行性グリオブラストーマと自身で診断した医師。

そして自ら治療法を開発し、見事に自分の開発した治療で完治させた。

これこそが、信仰がもたらす力だよ。
(君も信じれば治る)」

信じれば治せる!!

私の返信↓↓

ありがとう😄。

こうは思わない?

(イエスはすでに私たちの重荷や病気を取り除いてくださった)。
人生を楽しむことができる限り、診断が消える必要はないのかもよ。

誰にでも課題はある。近視の人もいれば、背の低い人もいるし、車椅子を使う人もいる。あるいは、過去のトラウマであったり、ただ年をとっただけであったり、人生において何であれ、誰でも色々あるもんだよ。

すべてに “完治” が必要なわけではないのかもしれない。

あなたの励ましに感謝している。

でも、問題があることを常に思い出されないのはありがたいことだ......。

私が〇〇と診断された数年の間に、ほとんどの患者が亡くなった。私は生きている。私は常に自分の命のために戦い、国Aで最初の症例となり、国Bにいたときには世界で最初の症例となった。

ただ、私には "奇跡の治癒 "という人間的なレッテルはない。

それでも私が生きているのは、私が信じたからであり、数え切れないほどの奇跡が起きたからだと思うんだよね。

あなたが善意で言ってくれていることは本当によく分かっている。

まあ、私の側にいて、戦いの一歩一歩を見ている人なら、実際に見て知ってくれる人もいる。残念ながら、これは非常にまれなことだ。重病のときは息もできないし、メールもできないから、そういうときは人に連絡できない。私はただただ、戦い続けて、奇跡の山があることにほとんど誰も気づくことなく、善戦することにとても疲れているんだ。

人生は色々あるものだ。
普通に、色々起きる道のりなんだよ。

自分の経験から生まれるポジティブな何かを通して、自分には目的があると信じたい。

それと同時に、友達といる時は病気を忘れるのが好きなんだ。

いつも、色々サポートしてくれることに本当に感謝している。

〜〜〜メッセージ完〜〜〜

どうすれば良いの?

読者の皆さんの周りに病気の人がいたり、身近な誰かが病気になったならば、病気を忘れて普通に接してくれるのが一番ありがたいと思う人も多いことを知っていただきたいです。

必要以上に、気を遣って配慮する必要もなければ、敢えて「そっとしておく」とか「相手が言うまで何も言わない」とかって必要も無いと思います。

今までと全く同じように、同じ話題を同じ雰囲気で、同じ頻度で会話すれば良いんじゃないですかね。

そして、随分と音沙汰なかったら、メッセージを送ったり、電話をしてみてください。

「今」を大切に生きよう!

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。