「大丈夫ですよね?」と聞いてしまう患者心理

いやね、「大丈夫ですよね?」と医師や看護師に聞いた時に、「大丈夫ですよ👍」などと答えてはいけないのは百も承知なんだけどね。

けどね、つい聞いちゃうんですよ。

もちろん、「大丈夫ですよ」という答えを期待しているわけではない。

そりゃ、大丈夫であって欲しい。

当然だよね。

けど、多分「大丈夫ですよね?」でも、他の分かりきっていることでも、ただ情報A、情報Bと口にしているにしても、背景の心理は似ているように思う。

実は、それは相手の回答に期待しているのではなく、自分の気持ちや思考の整理になってもいるんじゃないかな?

もう一つは、集団心理も欲しているのではないだろうか?

「赤信号、皆んなで渡れば怖くない」とも言われている。

病気や治療に限らず、色々未知で危険も潜んでいるかもしれない時、どうしたって感情は色々湧いてくる。

皆さんも、きっとこんな経験はあるのではないだろうか。

肝試しに、一人で夜中の森や墓地に飛び込むのは怖いこともあるだろう。それなのに、友達と一緒に行ったら皆でゲラゲラ笑って、なんともないどころかむしろ楽しい。

闘病において、むしろ楽しいという言葉が適しているかは置いておいても、周囲との関係性でその道のりの景色や感じ方は変わってくる。

だから、コンプライアンス的に医療関係者が「大丈夫です」と答えてはいけない現代においても、「大丈夫ですよ」と言えない医療関係者の立場を知っていたとしても、つい聞いてしまうのが患者心理なんじゃないかな?

だから、「大丈夫ですよね?」と聞いている患者が求めているのは、寄り添ってもらえることなのかもしれない。

そうすることで、実際に大丈夫か否かはさておき、その場ではなんとなく大丈夫な気がしてくる。

同時に、ちょっと落ち着くと、打開策や対抗策が見えてくるかもしれない。

また、寄り添ってもらった結果、少し冷静になって考えると、慌てずとも良いと気がつき、大丈夫に思えるということもあるかもしれない。

当事者心理としては、最悪の事態と最善の事態の両方が頭に浮かぶことはあろう。

そんな時、一歩下がって冷静に事実を整理することで、気持ちも落ち着くことがあるだろう。同時に、その中でいくつかのシナリオとその時の対処が頭に浮かべば、次の行動が見えてくる。

こうして、具体的な未来を想像できると、安心する。

だから、「大丈夫ですよね?」と聞く背景には、大丈夫だと思いたい、実は冷静さを欠いてる、「どうしよう?」、「最悪の事態は回避できると信じたい」、「あなたの意見を聞かせてください」、「情報整理が必要」などなど...... 言葉に上手くできない様々な思いがあるのかもしれない。

自分でも、「答えられないのは分かるのですが...... 大丈夫ですよね?」とつい口にすることがある。

自分でも、じゃぁ何故聞くのかなどは理解できない。

しかし、どうしても聞かずにはいられない。

これは、理屈じゃなくて感情なのではないだろうか?

もし、患者が「大丈夫ですよね?」でも、分かりきったことでも、何か "変なこと" を口にした時は、温かい気持ちで寄り添って欲しいです。

何か明確な解決策がなかったとしても、それだけで救われる人はいると思います。

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。