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発達障害グレーゾーンの中受 はじまりのキッカケ
発達障害グレーゾーンと診断され、小学校入学後も市の施設でのトレーニングや担任の先生による面談を定期的に受けていた息子。
2年生の終わりに差し掛かる頃になっても、学習への不安要素は全く消えていなかったが、その後不登校になっていく上の娘に比べ、友だち作りの要領は良いようで、放課後は毎日大勢の友だちとにぎやかに遊んでいた。
そんな息子の楽しく自由な毎日が暗転した。
新型コロナによる緊急事態宣言だ。
自己犠牲は善ではない
一つ前の記事に、「どうぞ」と「仲良く」は呪いの言葉?と書いた。
自我が育まれる前の子どもに、これらを多用し無理強いをすることの問題点について触れているが、言葉そのものには善悪は無い。
ただ、その言葉を繰り出す前提として、自己犠牲が伴うか否か?が問題だと思う。
自分が心から気持ちよく「どうぞ」って差し出せることなら何ら問題ない。
自ら仲良くしたい人となら、気持ち良く「仲良く」できるし、すれば良い
「どうぞ」と「仲良く」は呪いの言葉?
元不登校の上の娘と、就学前に発達障害グレーゾーンと診断された下の息子、6歳差の姉弟を抱えるワーママの話。
私が息子の発達に悩んでいた小学校入学前後、一方の娘はというと、都内の私立中高一貫の女子校に入学していた。
娘は人間関係に対しては繊細な面があり苦労していたが、お勉強を含む学校生活全般については、あまり困ったことがなかった。
性格はおとなしめな方だったが、小学校では概ね成績上位だったし、芸術
改めて、私と家族のこと
先週1週間だけnoteをやってみて、これまで経験したこと・考えてきたことを整理するツールとして優れていると感じた。
そして、他の人のnoteを読んでいて思ったことは、単なる個人記録として書き始めたけれど、もしかすると自分の経験のシェアによって、少しホッとしたり楽になったりする人がいるのかもしれないなぁ、ということ。
私自身、他の人のnoteが本当に興味深く、人の経験のシェアの貴重さを体感させて
うれしい”差分”を子どもと喜び合う
子育てへたっぴを自認しているだけあって、私は母親としての自己肯定感がかなり低かった方だ。
何せ娘は元不登校だし、息子は発達障害だと保育園から指摘を受けたぐらいなので、子育てが上手くいっているとは言い難く、一時は他人にこの状況を共有することも憚られるレベルだった。
悩みを相談するにも、夫や両親は近過ぎてセンシティブな話題になると意見がぶつかりあってしまう。
学生時代からの友人とは人生のフェーズが違
お星さまでいいじゃない!
子育てへたっぴのネタには、事欠かない我が家。今度は娘の不登校騒動以前の、息子が保育園時代の話。
「息子くんは発達に問題があると思います。申請しておくので、市の施設で診てもらってください。」
面談の場で保育園の担任・副担任の先生から、こう言われた。息子が5歳、娘が11歳の時だから、今から7年前ぐらいの前の話だ。
息子は未熟児ギリギリで生まれたし、早生まれでもあったので、同じ学年の4月生まれの
子育てに小説は不向き?
ワーママになる前、小説を読むことが好きだった。
学生時代は本屋さんでバイトしていたので、話題の新刊は社員価格で購入してたいてい読んでいたし、古典や海外のミステリーは古本屋さんで入手して、移動中や寝る前に読んでいた。
スマホが普及する前だから、やることの無い通学・通勤時間には必ず本を開いていたと思う。
小説だけでなく、マンガも。
あまりにも面白くて、下車駅を2駅も乗り過ごしたり、次が気になり過ぎて
家族だから・親子だから
都内の中高一貫校に通っていた娘の自主退学・山奥の学校への転校を受け入れるまでの話。
娘が不登校状態でよく口論をしていた頃、「家族だから・親子だからって私は特別扱いはしない。(他人も含め)分け隔てなく関わりたい。その上で特別だと思えたら、特別扱いする。」と言われたことがある。
どういう流れでそんな発言があったのか?すっかり忘れてしまったけれど、夫は「家族は、親子は特別なものだ。なんでそんな否定す
学校へ行く or die
都内の中高一貫校に通っていた娘の自主退学・山奥の学校への転校を受け入れるまでの話。
私は昭和50年代生まれ。小学校は皆勤賞。その後の進路も親の示す通りの学校を選んで進学した。
途中、疑問を持ち、少し反発したこともあったけれども、学費を出す親の意見を尊重するのは、ごく当たり前という価値観だった。
私はまぁまぁ真面目な家庭で育ち、学校は通うのが当たり前だった。
病気ですら、よほどの重病でないと休む