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家族だから・親子だから

都内の中高一貫校に通っていた娘の自主退学・山奥の学校への転校を受け入れるまでの話。

娘が不登校状態でよく口論をしていた頃、「家族だから・親子だからって私は特別扱いはしない。(他人も含め)分け隔てなく関わりたい。その上で特別だと思えたら、特別扱いする。」と言われたことがある。

どういう流れでそんな発言があったのか?すっかり忘れてしまったけれど、夫は「家族は、親子は特別なものだ。なんでそんな否定するような、小生意気なことをいうのか?」というような返しをし、ひどく憤慨していた。
たしか、「お前なんか、もう知らん!勝手にしろ!」みたいな突き放す言葉も続いたと思う。
私もその時は、この子は何を言っているのか?と怒りを感じたし、娘の薄情さになんとも情けないような気持ちになった。

その後、娘が何でそんなことを言ったのか?について、時々考えるようになった。
反芻するように、日々の彼女の言動を見ながら、何度も。
親子関係の書籍を読んだり、不登校のセミナーなどに参加しながらも、このことを考え続けた。

はたして、家族だから・親子だから、自動的に特別なのか?特別扱いすべき関係なのか?

世の中には毒親という言葉がある。子どもに対し悪影響を与える親。
表面的に成功を収めているように見える親子関係でも、子どもを所有物のように扱い、コントロールしている状態というのは、毒親かもしれない。
相互依存の状態になっていて、大人になってもそこから脱却できない人もたくさんいるように思う。

子どもなのだから、親の言うことを聞け。って言葉。
多かれ少なかれ似たような主旨の言葉を投げかけられた経験は、多くの人にあるだろう。
大きくなっても、子どもが何かをやらかしたら、親は責任を問われることがある。
親が年をとったら、子どもは親の面倒を見るのが当然だ、などと言われることもあるだろう。

家族って、親子って、デフォルトな関係。
だからと言って、自動的に相手を支配し・支配される、相互依存の利己的な関係になる。それが当然というのは、なんだか健全じゃない気がする。


お互いに別の人格、魂として存在していて、フラットに見つめ直した時も、無条件の愛と敬意を感じる。そんな家族関係や親子関係だったら、お互いに自然と特別に思うだろう。
逆に、相手が自分に対して同じように思っていなくても、見返りは求めず、一人の人間として認めていて、ただただ幸せを願う。エゴの無い、大きな愛。そういう特別扱い。

「もしかしてそういうこと?」って、件の口論から1年以上経ってから、山奥の学校にいる娘にLINEを送ったら、どうやら正解のようで。
うれしい返事が返ってきた。

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