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5言語、10言語話せる人は本当にスゴイの?英語だけでも恥じなくて良い理由

深さの無い5言語は、深さのある1言語には敵わない。

こんにちは、語学の裏設定のゆうです。

今日は、何言語も操る人に出くわしても、何一つ恥じたり、ペコペコする必要はないぞというお話をしていきます。

言語交換や国際交流の場に行くと、5%くらいの遭遇率で数ヶ国語を操る強者に出くわし、多くの人が恐れおののくはずです。そして自分の小ささ、非力さを感じて帰路につくという心寂しい経験をしたことはないですか?

何言語も操る人たちのことを多言語話者、通称「Polyglot (ポリグロット)」と呼びます。polyは「多くの」という意味です。ポリエステル(エステルがたくさん集まってできた物質)という単語にも含まれていますよね。glotは「カ国語」という意味です。

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かつては私も憧れました。

英会話の場でpolyglotが周りを圧倒する姿は、カッコいいと思いましたし、そうなりたい!と思ったものです。私のプロフィール記事を読んだことがある人ならご存知かもしれませんが、昔わたしは根っからの根暗で日本語で会話することすらままなりませんでした。英会話の場で皆がpolyglotに圧倒され恐れおののいている中で、私は密かにそうなりたいという願望を抱いたものです。

そして勉強を重ね、日本語・英語・中国語は話せるようになり、簡単なものであればちょっと別の言語も分かるようになってきました。

しかし現在polyglotに対して、
かつてのような羨望も尊敬も感じなくなりました。
なぜなら、

真に大事なのは話せる言語の数ではなく深さであると考えるようになったからです。そして無数の言語を話し、なおかつ深さが伴う人は1割が相場です。

この記事を読むと、
9割くらいの場合は、polyglotに出会っても劣等感に似た感情を抱かなくなるので精神衛生に良いと思います。

そして、深さとは何か?

について考察を進め、本稿を読んだ人全員に勇気が湧いてくるようにしたいと思います。


1.深い語学学習は世界観が伴い生き方が変わる

言語とは何か?
ずばり世界観です。
言語の数だけ世界観があることがこの図から見て取れます。

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詳しくは別の記事で説明いたしましたので、そちらを見ていただければと思います。

上の図のように、言語は世界観を決定する枠組みです。
そして、どの世界観を生きるかによって、生き方が変わることになります。


例えば、
「男性が女性に話しかける」という状況があったとしましょう。


イタリア語を話し、イタリア語の世界観を生きている人なら、一言目から口説き文句が放たれることでしょう。

日本語を話し、日本語の世界観を生きている人なら、最初は敬語、段々と丁寧語、カジュアルな言葉に切り替え、段階を踏んでアプローチすることでしょう。

このように、
同じ世界に存在しても、どの世界観を生きているかによって取る行動が変わってきます。

この歴然な差、よくも悪くも面白いものです。

と・こ・ろ・が、

日本語を流暢に扱えるようになったイタリア人でも、日本の世界観に沿わず、母国イタリア式のアプローチを掛ける人だっていますよね!?

これはおかしい。

日本語を手にしているならば、日本の世界観の中で行動するはず、、、、ところがそうではない!

なぜだろう?

それは、日本語に世界観がまだ乗っていないからです*
(*口説きやすくするために敢えて日本式を選ばない人も居ますね)


言語は世界観ですが、
・世界観が乗るような深いレベルの言語習得
・世界観が乗らない浅いレベルの言語習得

の2種類があると考えます。
これが語学学習を深くするか浅くするかの分かれ目であると思っています。


もしpolyglotsの話す多種多様な言語が、世界観を伴わず亡骸のような言語であれば、それは深い習得ではないのでは!?

そう思うのです。

仮にあなたが英語だけしか外国語が話せなくても、また外国語は一切できず母国語だけできなくても、確固とした世界観を築いており、自己を確立しているのであれば、それは中身のない多言語にまさる。

100行ほど薄っぺらい言葉を並べたラブレターよりも、3行でいいから重みのある文章の方が、より価値が高いと言いますよね。


そんなことからpolyglotに遭遇したら、
それぞれの言語に世界観が伴っているのかを確認してみれば、
簡単に深さの程度は見破ることができます。

具体的にどう深さを確認するのか?
深さが伴なうような語学の学習方法は何なのか?

残りの章で見ていきましょう。


2.世界観を作る4要素とは?

言語学習の深い・浅いの話がしやすいように、鉢植えに例えてみましょう。

言語は鉢という容器です。つまり入れ物の輪郭です。
文化は土です。つまり鉢の中に入れられた文化土壌です。
思想は根です。つまりその土で育つ植物です。
行動は実です。つまりそこに成る果実です。
4つ全てが揃って世界観だと言えます。

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最も浅い言語学習は、思想や行動を変えません。
なぜなら鉢の輪郭だけを作るからです。
文化土壌は入れないので、新しい思想や行動は育ちません。

最も深い言語学習は、思想や行動までを変えます。
なぜなら豊かな文化土壌に、強い思想の根が張り、行動の果実が成るからです。

そのような深い言語学習のことを、「実(ジツ)が伴う」語学学習と呼ぶものです。それが世界観を伴う語学学習であると。


文化・思想・行動が皆無で、話せる言語数だけを競うとしましょう。

それは空っぽの鉢の数を自慢し合っている滑稽な様子に見えます。

5個だろうが、10個だろうが、20個だろうが、空っぽなのには変わりありません。恥ずかしいですが、かつての私の憧れはその程度だったわけです。自分はとても浅かった。若かった。

何カ国語も話してやろう!という目標は虚栄レースで一位を取りたい、と同義だったわけです。

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不思議なことに、人は虚栄レースが好きな生き物です。
偏差値自慢、TOEICの点数自慢、年収自慢、彼氏彼女の可愛さ自慢、主婦の自慢。これら全ては虚栄レースに該当すると思うのです。

私たちは空っぽの見かけを競うために生まれてきたのか?

そのことを激しく問う丁度よい機会です。
わたしは、そんな語学学習はもう嫌だと思ったのでレースから外れることにしました。

しかし、
脱落ではありません。
解脱(げだつ)です。

ゆえにもし皆さんの語学学習が、鉢植えレベルではなく、果実レベルのものである限りは、polyglotに出会っても臆する必要性は1%もありません。

大体のPolyglotsは見せかけの鉢植えの数を増やすことに精一杯ですので、それ以上深いことに目が向くことが少ないです。ごくごく稀に、この辺りを完璧に理解し深く追求する人も居ますが、そのような方は真に尊敬に値する人物です、仰いで師にしたい人物です。それが、冒頭で書いた1割の方です。


3.深さを伴う語学学習にするには!?

ここまで来たらあとは話は早いです。

深さの正体は背景知識の量で決まると言えます。

・その国の歴史を知っているか?
・その国の宗教を知っているか?
・その国の文化を知っているか?

この辺りの理解がどうしても必須になります。

すると、例えば英語という科目はどうしても「歴史」や「倫理」という科目の領域と関わりを持つわけです。

そう考えると滑稽な現象に気づきます。

高校や大学で背景知識を疎かにし、
「話す能力」に全力を注ぐ教育は
「空っぽの鉢植え」の外見を整える行為に過ぎないということが。
これに関しては先日記事にしましたので是非あわせて御覧ください。

ゆえにこの記事を読んだ方だけでも、
語学の勉強をする時は背景知識を大切にしてください。

文法や単語という鉢植えだけにこだわるだなんて、もったいなさすぎます。
もし語学学習を通して、世界観を身に着けたら、「生きている内に生まれ変われる」のですから。先ほども一度紹介しましたが、もしまだお読みでありませんでしたら、一読を強くオススメしたいと思います。


背景知識の付け方に関してはコチラの記事が参考になるはずです。


その国の歴史・宗教・文化に加え、単語の成り立ちも背景知識に含まれます。

全ての単語には成り立ちが存在し、文化的背景を拠り所としています。

つまり、単語1つ1つの成り立ちを理解することは、文化的土壌を豊かにする肥料を1粒1粒鉢に入れるのと同じ意味合いを持つわけです。

当ブログの読者様には、表面的な語学学習ではなく、真の語学学習をしてほしいと願っています。

まとめ

・空っぽの鉢植えの数自慢には反応しなくても良い
・土壌が有り実がなっているpolyglotを見かけたら進んで弟子入りしよう
・背景知識の深さを身につけ、世界観を確立し、語学が秘めている「生きている内に生まれ変わる」片道切符を獲得しよう

本記事が皆さんの糧になったことを祈って、

それではまた!

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