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長編小説「ようこそ、妖崎あやかし法律事務所へ」第1話

 妖崎あやかし法律事務所――その小さな法律事務所には、人に交じり生きる人ならざるモノが助けを求めてやってくる。
 ある時は工務店を営む化け狸が、交通事故の弁護を依頼にしに。またある時は、円満な新婚生活を送っているはずの鬼の娘が、人間の夫との離婚を依頼しに。
 美咲優奈はパラリーガル(という名の雑用係)として、横暴で適当な事務所の主・妖崎新と共に、依頼者たちの悩みに向き合っていく。
 だが優奈は思い出す。巷で発生している連続殺人事件――通称『屍鬼事件』に自身が巻き込まれ、命を落としていたこと。そして、齢1000年を生きる吸血鬼・新の眷属として蘇っていたことを――

プロローグ 夜のまにまに


「永遠を生きる覚悟はあるか」

 と、その人は言った。


 月のような人だった。

 闇に溶けるような黒い髪に、真っ黒な着流しを着ていた。夜を切り取ったような出で立ちとは反対に、肌は陽を浴びていないかのように青白く、顔立ちは精悍ではないけれど端正で、路地の無機質な電灯の光が、佇むその細身を月のない夜にぼんやりと浮かび上がらせている。

 そんな美しい人を、優奈は血溜まりの中から見上げていた。

 そんな優奈を、二つの赤い瞳が見下ろしていた。

(永遠、って)

 なんだろう。

 漠然と、そんなことを考えた。けれど思考はそれ以上続いてくれなくて、疑問は声になることなく霧散する。大きく切られた首筋からは今も、真っ赤な液体が湧き水のようにこんこんと溢れ続けていた。

 五月だというのに、酷く寒かった。
 視界が霞んで、抗えない眠気が押し寄せてくる。遠くを行き交う車の音だけが、不思議と鮮明に聞こえている。

 けれど、ゆっくりと――ゆっくりと、震えながら。半ば無意識だったと思う。それでも確かに、優奈はその美しい人に向かって、手を伸ばした。

 彼が優奈の傍らに膝を突く。着物が血を吸って、黒よりも暗く澱んでいく。

 血溜まりの中に、沈んで。
 触れる。

 べたりと、震える指先が陶器のように白い頬を撫でて、まだ温かい血が、彼の美しい顔を汚した。

 彼は、笑った。

「――いいだろう」

 にやりと口の端を吊り上げて。半ば乱暴に優奈の手を掴むと、あんぐりと開けた口て、その手首に躊躇うことなくかぶりつく。

 牙が皮膚を割いて、その下の血管も突き破り、血が外側へ溢れ出る。けれどそれが地に向かって落ちるよりも早く、彼の口腔へと吸い込まれていく。

 ジュ、ジュ、と。暗い路地に、血を啜る音だけが生々しく響く。
 命の流れ出ていく感覚が加速した。

「あー……まっず。栄養不足にもほどがあるだろ」

 やがて彼はおもむろに唇を離し、綺麗な顔を歪めてぼやく。唇の周りには、まるで口紅のように真っ赤な血が付いていた。それを赤い舌でペロリと舐め取る。

 人の血を飲んでおいてその感想はなんだ、とか。
 いつもの優奈なら、文句の一つでも言っていたかもしれない。

 けれど今の優奈には、それを言うだけの力も、考え続けるだけの意識も残っていなかった。

 身体中から急に力が抜けて、かろうじて持ち上げていた右手が滑り落ちる。

 けれどその手を、彼はしっかりと掴んだ。

「大丈夫。お前は生きる」

 男が長く鋭利に伸ばした爪で、空いているもう片方の手――その手首をスッと掻き切る。

 優奈のものとは違う赤い液体が、ぼたぼたと滴り落ちた。

「大丈夫」

 もう一度そう言って、男が命の水が溢れる左手を、優奈の頭上に翳す。

「万が一の時は、俺が責任を持って殺してやる」

 言葉の意味は、よく分からなかった。

 ただ、その人が酷く優しく微笑んでいたのを、優奈は霞む視界の中でしっかりと見ていた。

「だから今は――眠っとけ」

 赤子をあやすようなその声を最後に、優奈の意識は暗闇に飲まれる。


 そうして美咲優奈は、死んだ。

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