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「ようこそ、妖崎あやかし法律事務所へ」第4話

 梛理なぎり市はC県北西部に位置する、都心にほど近い街だ。近年、新しい鉄道路線が通ったことをきっかけに再開発が進み、若い人がどんどんと越してきている人気の街でもある。ただしそれも、駅近郊での話。その一歩外に出れば、古い住宅や道路が建ち並び、それから田畑が広がる、ちょっと片田舎の地方都市といった様相を呈している。

 そんな街を、優奈と新は航が運転する初心者マークの車で進んでいく。

 ところどころ痛んだ道路に揺られながら三十分弱走ると、目的の綿貫工務店に到着する。広大な敷地内に、立派な家屋と工務店の事務所が併設している、昔からある老舗といった感じだ。

 優奈は後部座席から、新は助手席からそれぞれ降りる。

 新はくたびれた浴衣姿ではなく、黒のスキニーパンツに、カジュアル感のあるジャケット姿になっていた。インナーはただのTシャツだが、それはそれで堅苦しさが抜けた印象になっている。

(足細いなぁ……)

 こうして見ると本当に、モデルか何かのようにしか見えない。というか、法律事務所なんて営んでないでそっちの方が稼げそうな気がする。

 そんなことを思っていると、来客に気付いて事務所から一人の老人が出てくる。綿貫工務店の社長にして、立て続けに交通事故を起こした張本人――綿貫寛達きみたつだった。

「おおお新さま、わざわざこのような場所までご足労頂きありがとうございます……先週に引き続き、大変申し訳ありません……」
「まったくだ。お前もう免許返納しろ」
「ううむ息子や孫からもそう言われるのですが、何分この辺りは車がないと不便で不便で……」

 その言い分は、上京前は北関東に住んでいた優奈にもちょっと分かる。なんだかんだ言って、日本も車社会だ。車なしで生活できる場所はそう多くない。

「また派手にやったなぁ」

 新がガレージに近寄りながら呆れ返る。そこにはいくつかの車が横並びに並んでおり、一番端に事故車両であるボックス型の軽自動車が止まっていた。前方が大きく凹み、べったりと血が付いる。

 新はそのまま車の様子を調べたり、綿貫社長から話を聞いたりし始める。

 少し離れたところで優奈が手持ち無沙汰にその光景を眺めていると、一台のセダン車が敷地内に入ってくる。降りてきたのは、スーツ姿の若い男性だった。少しくたびれているように見えるのは、気のせいではないだろう。

「帆理さん。お久しぶりです」

 すかさず優奈は駆け寄る。すると男性――楠木くすのき帆理ほのりはそれまで漂わせていた沈んだ空気はどこへやら、爽やかな笑顔を優奈に向けた。

「やぁ優奈ちゃん。先週ぶり。変わりはない?」
「はい、相変わらず新さんにこき使われてます。あっ、最中ありがとうございました! 美味しかったです」
「それは良かっ……いや、よくはないな。まったくアイツは優奈ちゃんをなんだと思ってるんだか……いい? 優奈ちゃん。新に変なことされそうになったら、遠慮なく殴るんだよ。あいつ、刺しても死なないんだから」

 がしっと両手を優奈の肩において、心底心配そうに力説する帆理に、優奈は口の端を引き攣らせる。刺しても死なないからといって、刺していいというのは違うと思う。

「善処します」

 優奈が渇いた笑みを零していると、そこへ新が歩み寄ってくる。

「っと、ギリ一時間以内ってとこだな。お疲れ、帆理ちゃん」
「『ちゃん』はやめろ。……誰かと思った」

 いつも事務所で会うから、ちゃんとした服を着ている新は珍しいのだろう。新を頭のてっぺんから爪先まで見て、帆理は目を丸くした。

「嫌味か」
「いやいや、褒め言葉だよ。いつもそういう格好してればいいのに」
「面倒。今日はユウに無理矢理着替えさせられたんだよ」

 よくやったとばかりに、こちらを見てくる帆理に、優奈は苦笑するしかない。雇い主を着替えさせるのは、事務員の仕事じゃないと思うんだけどなぁ。

「ん」

 新が手を出して、資料を要求する。

 ハァと大きな溜息一つ付いて、帆理は小脇に挟んでいた茶封筒を手渡した。新は受け取るや否や、お礼の一つも言わずに中身を検分し始める。綿貫社長や航も、そこへ加わり色々と説明を付け足していく。

 その様子を見て、帆理はもう一度、今度は小さく嘆息した。

「まったく勘弁してほしいよ。こっちだって連続殺人事件の調査で忙しいんだから」
「連続殺人事件って……もしかして『屍鬼事件』ですか」
「捜査本部では『県境連続殺人事件』って呼んでるけどね」

 と言って、帆理は腕を組んで新たちの様子を眺める。帆理はC県警の警察本部刑事部に務める警察官――いわゆる刑事だった。

「三県で合同捜査本部が立ち上げられてるんだけど、未だこれといって核心に近づけてなくてね、お恥ずかしい限りだけど」

 そう困ったように苦笑する。その横顔は、刑事という肩書きには似つかわしくないあどけなさがあった。
 話題を探して、優奈はおずおずと口を開く。

「あの……あの噂って本当なんですか?」
「噂?」
「死体が動き出すって」

 少し空気が強張った気がした。

「優奈ちゃんはどう思う?」
「え、えー……」

 尋ね返され、優奈は一瞬答えに迷う。何やら言い合っている新や綿貫社長、航を眺め、

「本当かもしれない、とは思います」

 口を開く。

「でも、嘘だったらいいなって思います」

 そんな答えを返した優奈の頭に――

 ポンッと優しく、帆理の手が置かれた。

 隣を見上げれば、帆理が優奈を見下ろして優しく笑んでいる。
 優奈に兄弟はいないが、兄がいたらこんな感じなのだろうかと、少し思う。

 思わず優奈も微笑み返し、

「なぁ、カラスにでも当たったのか?」

 和やかな空気を破ったのは、新の唐突な声だった。

「カラス?」

 鸚鵡返しに尋ね、帆理が新の元へ駆け寄り、手元の資料を覗き込む。優奈もそれに続いた。

「ここに羽根があるだろ」

 新が示したのは、写真に映った車の足下。タイヤ付近だった。確かに、一枚、二枚、カラスの羽根が抜け落ちている。

 あぁそれか、と帆理は言った。

「それがよく分からないんだよな。夜目は聞くけど、基本的にカラスは昼行性――夜間は動かないだろ。事故の音に驚いて近くのカラスが暴れて、羽根が偶然落ちたんじゃないかって。バードストライクにしても、車の凹み具合と全然合わないし、カラスじゃぶつかった衝撃に耐えきれなくて即死してるだろ」
「血液検査はどうだったんだ」
「人の物だったよ」

 と即答。

「ただ警察のDNAデータベースと照合したけど一致はなかった」

 その回答に、新は口元に手を当て、考え込む。けれどそれも僅か数秒の出来事だった。

「ユウ、帰るぞ」
「えっ、もう帰るんですか?」
「被害者の目星はついたからな」

「「「えっ!?」」」

 新を除く、その場の全員の声が重なる。
 慌てる一同を無視して、新は帆理の車に乗り込んだ。

「目星がついただけで確証があるわけじゃない。帰ってから確かめる」

 わたわたと戸惑う優奈を余所に、帆理は慣れた様子で綿貫一家に挨拶して場を後にする。

「早くしろ。歩いて帰りたいなら別だけどな」
「何キロあると思ってるんですか!」
「それじゃ、すみません。また追ってご連絡いたしますね」

 ぺこりと一礼して後部座席に乗り込むと、滑るように車が走り出す。

「ね、ね、新さん。被害者は誰なんですか? どうして死体が勝手に消えちゃったんです?」

 前の助手席に手を掛けて、半ば乗り出すように尋ねる。
 尋ねると新は顔だけを後ろに向けて、胡乱げな視線を優奈に向けた。

「あぁ? そもそも死体が勝手に動いて消えるわけないだろ。ということは、跳ねられた相手は生きてて、自力でその場から立ち去ったんだよ」

「立ち去った? 事故に遭っておいて? それに、車の状態から受けた衝撃を考えると、到底動けるような状態ではないと思いますが……」

「動けるような状態だったってことだろ」

 にべもなく優奈の考えは棄却される。

「条件は三つだ」

 と言って新は右手の指を三本、人差し指、中指、薬指の順に立てた。

「一つ、車にぶつかっても動けるだけの頑強な肉体の持ち主。二つ、カラスの羽に縁がある人物。三つ、遺伝子的に人間と認識されるDNAを持っている」
「あぁ、なるほどね」

 相槌を打ったのは帆理だった。どうやら思い当たる節があるらしい。優奈は頭を捻ってみるものの、さっぱりと分からない。

「でも不思議だな。それだったら被害者として名乗り出てくるものだと思うけど。まさか無傷では済んでないだろうし」
「簡単な話だ。警察の世話になれない事情があるってことだよ」

 事務所兼自宅に到着するなり、新は玄関も開けず庭に回りこむ。

「あ、ちょっと新さん! 帆理さん、ありがとうございました! また気軽に遊びに来て下さいね!」

 慌てて後を追う優奈の背に、帆理がひらひらと手を振る。

 新はと言うと、庭の真ん中に立つと、頭上に広がる梛の木を見上げて、端的に呼びかけた。

「コロ、マロ。いるか」

 しばらくして、真っ白い狛犬二頭が塀の向こうからやってくる。ふわふわと虚空を跳ねるように駆け回って、新の目の高さでお座りをする。

 コロとマロ。事務所の隣にある神社を守る狛犬だった。『コマ』犬だから『コロ』と『マロ』。キリッとした顔つきの方が兄犬のコロで、少しぼんやりとした顔をしている方が弟犬マロ。名付けたのは神社の御祭神らしいが、なんとも安直だ。

「何用だ」
「だ~」
「ちょっと伝言に行ってくれ」
「自分で行けば良かろう」
「ろ~」
「やだよ、めんどくせぇ。つうか俺、そいつが今どこに住んでるかしらねぇし」

 耳を掻いて心底めんどくさそうにする新に、狛犬兄弟が半眼になる。

「それはつまり我らに」
「探せと言うことか~」
「ピンポーン」

 クイズ番組じゃないんだから、と言いたかったが、新は大変良い笑顔だった
 狛犬兄弟は可愛らしいお尻を向けると、顔を寄せて何やら相談事をし始める。

「兄者~、どうする」
「面倒であることには変わりない。しかし……」
「分かる、分かる~。これはまたとない機会」

 ごにょごにょと何かを画策している。ちょっと声を隠しきれてない。
 やがて狛犬兄弟はくるりと、振り向いたと思うと、

「……ちゅーる」
「あ?」

 ぼそり。呟いたコロに、新が眉根を寄せた。

「ちゅーる! それが貰えなければ行かぬ!」
「ちゅーる! ちゅーる!」
「ちゅーる! ちゅーる!」

 穏やかな木漏れ日差し込む庭に、ちゅーるコールが響き渡る。犬猫のみならず、狛犬まで虜にするなんて、なんて恐ろしい食べ物なんだ、ちゅーる。

「……だそうだ。ユウ」

 振り向きもせず命令してくる新に、優奈は「はいはい」と応える。経費で落とそう。

「分かりましたよ。あとで買ってきますよ」
「一本ずつだからの! 娘!」
「はぁい」

 やったーとばかりに狛犬兄弟が小躍りする。絶対経費で落とそう。

「して、誰になんと伝えればいいのだ?」

 尻尾をぶんぶんと振って、コロが尋ねる。喜びのあまりか、舌がはみ出ている。

「なに、お前らの『鼻』ならすぐに分かるさ」

 新は得意げに口の端を吊り上げた。

「――探す相手は、I県の朽葉山近辺に住む烏天狗の一族、その頭領。伝言は、そうだなぁ……」

 少し考える素振りを見せ、それから怪しく嗤う。

「こう言ってくれ。『月曜日、午後一時。妖崎あやかし法律事務所にて』ってな」

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