「ようこそ、妖崎あやかし法律事務所へ」第5話
三日後――六月十九日、月曜日。
「大変申し訳ありませんでした!」
天童純也と名乗った青年と、祖父・淳一郎は、謝罪の言葉と共に揃って深く頭を下げた。二人の背には、一対の立派な羽根が揃って生えている。
座卓を挟んだ向かい側には、綿貫社長と孫の航が座っている。優奈の斜め前――相変わらずの上座の新は、お客様が来るからとしつこく言ったにもかかわらず相変わらずの浴衣姿だ。諦めた。
祖父と孫が二組、そして新と優奈。男性が五人も入ると、さすがに六畳の客間も狭く感じるなと、優奈は思った。
新が事務所に呼んだのは、梛理市のあるC県の北の隣県、I県の烏天狗だった。
消えた交通事故被害者の謎。それは簡単な話で、車とぶつかったのは人間でも動物でもなく、空から落ちてきた妖――烏天狗だったのだ。
「……その日、祖父は都心まで飲みに行っていたんです」
どういう仕組みか、シュルシュルと翼を小さくし、最後には見えなくなるまで折り畳んだ純也は、そう切り出した。
「古い友人と久しぶりに会うとかで。ですが思いの外盛り上がったせいで終電がなくなってしまい……迎えに行くと言ったんですが聞かなくて……」
「ヒック」
「じーちゃん、いい加減羽しまって。邪魔だから」
純也の隣で、彼の祖父・淳一郎がしゃっくりを零す。その呼気が酒臭いのは、気のせいではないだろう。それでも孫の言葉は聞こえているようで、空間を圧迫していた羽根が消え去る。
「この通り、祖父は昼間から酒を浴びるほど飲むのが好きで……あの日も、飲酒してるにも関わらず飛んで帰ってきたのです」
「じゃああの日、事故現場から消えたのって……」
「飲酒飛行してたからです」
尋ねた優奈に、純也が申し訳なさそうに頷いた。
優奈は新を見る。
「ケースバイケースだが、妖の飛行事故は概ね軽車両扱いで処理されてる」
「歩行者ではなく?」
「羽が自転車代わりだと考えれば、そう違和感もないだろ。酒飲んでハンドリングもちゃんと出来ないのに乗る馬鹿がいるかって話だ」
「はぁそんな感じなんですね」
まぁ、そんな馬鹿がいたわけだが。
新の言い草が癪に障ったのか、淳一郎が片膝を立てて、臨戦態勢を取る。
「馬鹿とは何だ馬鹿とは! 儂は朽葉山の天狗の頭領、天童淳一ろ――」
「うっせぇ黙れガキンチョ」
言うと同時、新は羊羹に添えてあった黒文字を淳一郎の額に投擲した。一直線に飛んだ黒文字は淳一郎の眉間の真ん中に突き刺さり、何かツボを刺激したのか淳一郎はバタンと仰向けに倒れ込む。今日はお客様が来るのが分かっていたので、駅前の和菓子屋でお茶請けを買ってきておいたのだ。
気絶する淳一郎の隣で、孫の純也が肩身狭そうに頭を下げる。
「それで飛んで帰ってきていた途中、睡魔に負けて落下して……」
「そこに丁度ウチのじいちゃんの車が走ってきた、と……」
孫二人が揃って、項垂れる。
うーん。運が悪いにもほどがあるというか、なんというか。
「さすがにぶつかった衝撃で目が覚めたみたいで。ですが飲酒飛行はまずいと思ったのでしょう。血相を変えて帰ってきました。自分たちも動転してしまって……しかし飛行中に落ちて車とぶつかったなんて馬鹿正直に警察に言うわけにもいかず、更に飲酒飛行となればなおさら……」
それは確かに言いづらい。
「被害者が名乗り出なければ、動物か何かとぶつかったと処理されると思ったんです。まさか、警察が本格的な捜査に乗り出そうとしてるなんて知らなくて……」
大変申し訳ありませんでしたと、純也が再び座卓に額が付きそうなほど頭を下げる。
「それにしてもよく車とぶつかっていて無事でしたね」
「我々天狗は、妖の中でも身体が丈夫な方ですから。まぁそれでも鼻血は出たみたいですが」
たははと頬を掻いて、純也が苦笑する。
あれは鼻血だったのか。それにしては結構な量が出ていたみたいだが。
「で、どうする?」
尋ねたのは相変わらず、マイペースにコーヒーを啜る新だった。
「軽車両と四輪車の事故は四輪車の過失が重い場合がほとんどだが、今回の場合は天狗のジジイの方が飲酒してた。過失は五分……か? ただジジイは怪我をしてる。被害を訴えればまぁ治療費ぐらいは取れなくもないが、一方で現場から逃走してるからな。後出しジャンケンになるのは承知して貰わないといけなくなる」
「め、滅相もございません!」
端的に言えば、訴えるかどうか。新の説明に、純也は血相を変えて首を振った。
「元はと言えばウチの祖父が飲酒飛行なんて馬鹿な真似をしなければ起きなかった事故です! それにほら、とうの本人もけろっとしてますし……」
「いえ! うちのじいちゃんも広くない道なのに飛ばしていましたし、少なからず怪我はさせてしまいましたし……」
「なんじゃと!」
「儂が!」
「「悪いってのか!?」」
「そうだよ。酔っ払い老いぼれジジイ共」
いつの間に復活したのか。抗議の声を上げる事故を起こした天狗と狸に、新が容赦ない言葉を浴びせる。ガキンチョと呼んだりジジイと呼んだり、一体どっちなんだろう。
「「ぐ……」」
ド正論を浴びて、天狗&狸の祖父は黙り込む。
そのそれぞれ隣で、孫二人が居たたまれなさそうに身を縮める。
優奈としても、さすがにこれは、孫二人に同情せざるを得なかった。
「あっあの、これ……心ばかりですが、お詫びの品です」
重苦しい場の空気を払拭するかのように、純也が傍らから何かを差し出す。座卓の上に置かれたのは、風呂敷に包まれた縦長の箱だった。包みを解くと――なんとなく予想は付いていたが、現れたのは一升瓶。
――つまりは、お酒だ。
「飲酒飛行しておいてお詫びの品がお酒なのもどうかと思ったんですが……天狗の手土産と言えば酒だろと言って聞かなくて」
「いえ、そんな……あのそれを言ったら、うちも……」
航が同じく、おずおずと酒瓶の箱を取り出す。
純也と航は互いに顔を見合わせて渇いた笑いを零し、それから気恥ずかしげに、膝の上に手を置いて俯いてしまう。きっと穴があったら入りたい気分だろう。
食いついたのは、天狗&狸ジジイズだった。
「ほうほう!」
「酒とな!」
ジジイたちはジジイたちで顔を見合わせ――破顔した。
「なんじゃ、お主いける口か! 事故の日は飲まんかったと聞いたから、下戸かと思うたぞ!」
「いえいえ。このご時世、飲酒運転はさすがにマズイと思うて、必死に我慢しておっただけですじゃ」
「生真面目な奴じゃのう。――ならば今日は問題なかろう?」
あ、あ~なんだか嫌な予感がするな~。
なんて冷や汗を垂らす優奈の視線の先で、ジジイズは身を乗り出し、いそいそと箱から酒瓶を取り出し始める。
「折角じゃ、試し飲みといこうぞ! 主も行けるクチのようじゃしの!」
「いやいや、酒豪で有名な天狗さまの舌には敵いませぬ!」
「はっはっはっ!」
「ほっほっほっ!」
肩を組み合い、天狗ジジイと狸ジジイは完全に意気投合する。
「新、酒じゃ! 酒とつまみを持ってこい!」
「新さまもほらほら! 酒盛りですじゃぞ~!」
そんなジジイズを眺めて、新は心底めんどくさそうに一言。
「帰れ」
孫二人がひたすらに居たたまれなさそうにしていた。合掌。
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