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「ようこそ、妖崎あやかし法律事務所へ」第11話

「あなたに何が分かるんですか! 好きな相手を優先させたいと思うのが、そんなに悪いことなんですか!? 本音を言ったら僕だって……僕だって別れたくないに決まってるじゃないですか!」

 立ち上がって、新に掴みかからん勢いで慎吾が吠える。優奈は畳に座ったまま、ハラハラと二人の間で視線を行き来させた。

「彼女が僕を嫌いになったっていうならそれは仕方ないです。でもだったら、僕はちゃんとそのことを彼女の口から聞きたい! そうでないなら、どうして離婚なんて言い出したのか知りたいし、もし本当に病気だったら放ってなんておけない!」

 詰め寄って、自身より長身の新を真っ直ぐに見上げる。そこに、それまでの気弱そうな彼はいなかった。

「言えるじゃねーか」

 そんな慎吾に新はニッと、心底楽しげな笑みを浮かべた。
 優奈は内心で慎吾に同情する。新の言動は、慎吾の本音を引き出すためのただの挑発だ。

「だったら話は早いな」
「え、え、え?」

 ――一目瞭然のそれに、慎吾はまんまとハマってしまった。

 あまりの変貌ぶりに戸惑う慎吾を余所に、新は手の平を上に、右手を胸の高さに掲げた。その手の平から影か何か、あるいは黒い水のような――何かがズルリと中に浮かび上がり、一つの生物を形作った。

「な、な、な」
「こ、こうもり……?」
「そ、俺の能力の一つ。分身体だ」

 驚く慎吾と優奈など意に介さず、平然と新は答える。
 彼の右手の上に現れたのは、紛れもなく一匹のコウモリだった。

「へー……結構可愛い顔してるんですね」

 優奈も立ち上がって、その闇の用に真っ黒な生物をまじまじと眺める。コウモリは翼を閉じて、ちょこんと新の手の平に座っている。指で撫でると、意外とふわふわとした手触りで、優奈は思わず微笑んでしまう。

「そんなになで回されるとくすぐったいんだが」
「へっ?」

 思いも寄らぬ一言に、新を見上げる。
 ま、ま、ま、まさか――

「まさか……感触あるんですか?」
「あるに決まってるだろ。俺の分身体って言っただろ。まぁ意識も分離されるからあんまり好きじゃないんだが……」

 しかめっ面をして、空いてる手で首の後ろを押さえる。

 優奈はぴゃっと勢いよく指を引っ込めた。コウモリは新の分身、意識は新と繋がっている。つまり優奈は、新を撫で回していたことに――

 思わず顔に熱が集まる。

 しかし、優奈のそんな心情など知るよしもなく、新は続ける。

「相手は鬼だ。コロマロじゃ勘付かれるだろうしな」
「えっ?」
「『えっ?』じゃねーよ、えっ、じゃ。あの鬼娘が離婚を切り出した原因を突き止めるんだろ。あの鬼娘が旦那に隠れてこそこそどこに行ってるか、現状、一番の手がかりはそこだ。――コイツを鬼娘の傍につけておく」

 平然と明かされた新の策に、優奈は思わず半眼になる。

「……それってストー――」
「バレなきゃいいんだよ。ストーカーだって遠くから静かに見守ればいいのに、下手に干渉するから問題になるんだよ」

 そういう問題なのかなぁ?
 優奈はもげそうなほどに頭を捻る。

 確かに……確かに? 理屈は通っている気がするが……いや絶対に違う気がする。

「てなわけだ」

 新の手から飛び立ったコウモリは、開け放たれていた縁側のガラス戸を抜けて、空へと消えていく。きっと莉奈の元に向かったのだろう。

「何かあったら連絡するから、そしたらすっ飛んで来いよ。仕事中でも会議中でも」
「……会議中は、ちょっと……」
「あ? 結局は嫁より仕事かー」
「行きます行きます飛んででも行きます!」

 烏天狗でもコウモリでもないんだから、飛ぶのは無理だと思うけどなー。
 勢いよく返事をした慎吾に、新は満足げに頷く。それからやや思案して、優奈を見る。

「あとはそうだな……ユウ、お前は鬼娘が勤めてる会社に連絡して、最近の様子を調べとけ」
「会社、ですか」

 確かに勤務先の情報は貰っているが、それがどうしたのだろう。
 頭の上にハテナマークを浮かべる優奈に、新は悪戯っぽく目を細める。

「あくまで内密にな。それで大体のことは分かる」
「?」

 優奈はやっぱり意図が分からず、首を傾げた。

 動きがあったのは三日後の金曜日。奇しくも七月七日、端午の節句の日だった。

「鬼娘がでかけた」

 開口一番、新は端的に告げた。

「……あぁそうだ。一人でタクシーで……いや、遠出って感じじゃないな。まだ追跡中だが。というわけでとっとと追え。情報は随時教えてやる」
『い、今からですか!?』

 新のスマホから、慎吾の驚いた声が漏れ聞こえる。

 平日の午後ど真ん中。当然の如く慎吾は出勤しているし、日までもない時間だろう。しかし、

「嫁か仕事」

 ぐっと、電話の向こうで慎吾が押し黙る気配がする。
 その言い方はずるいんじゃないかなーと、優奈は慎吾が可哀想になってくる。

 だが、どうやら慎吾の気持ちに迷いはないらしい。

『わ、分かりました! 今すぐ会社を出ます! 新さん、よろしくお願いします!』

 返事はすぐに返ってきた。……半ばヤケクソ感がしなくもないが。

「おう、とっとと行け」

 そんな慎吾の尻を蹴飛ばして、新は電話を切る。相変わらずの傍若無人っぷりに、優奈は苦笑を零すしかなかった。

「莉奈さんの様子はどうです?」
「相変わらず青い顔はしてるが、まぁここ最近のいつも通りって感じだ

 その言い方に優奈はやっぱり、となる。となると行き先は、やはりあそこしかない。
 ふあ~あと大あくびをして、新は居間にごろりと横になる。

「あーこれでようやくゆっくり出来る。意識分けるのはやっぱ疲れんなぁ……っておいユウ、なにしてんだ」
「なにって出かける準備ですよ」

 その袖を掴んで、優奈は新をぐいぐいと引っ張った。

「慎吾さんだけに任せてはおけません。私たちも行きましょう」
「いやもういいだろ、あとは当事者同士で……おい引っ張るな」
「首を突っ込んだら最後まで突っ込む! そう言ったのは新さんです。弁護士は折り合いを付ける仕事なんでしょ?」
「いやあれはあのガキを説得するためで……やめろ伸びる破ける!」

 そうは言っても優奈の力は緩まない。
 とうとう根負けして、新が身を起こす。

「ほら、早く着替えて下さい! せめてタクシーは呼んであげますから!」
「えー……」

 めんどくさいのはそこじゃないとばかりに、新は心底めんどくさそうな顔をした。

「お、お待たせしませした」
「遅い」

 最初の電話から一時間後。最終的に莉奈の実家マンションから数駅離れた駅――から更に徒歩十分の喫茶店で、一行は落ち合った。

 ストローからアイスコーヒーを飲みながら、現れた慎吾を一刀両断する。足を組んでふんぞり返る姿は、認めたくないが様になっていた。客がまばらな店内からは、ちらちらとこちらを伺う女性客の視線が突き刺さる。同席している優奈は非常に肩身が狭い。きっと弁護士と助手というよりは、芸能人とそのマネージャーのように見えているだろう。

「こんなクソ暑い日に外に出させやがって……」
「す、すみません」

 慎吾さんが謝る必要ないですよ、とは思うのだが、もうこの力関係はどうしようもないだろう、

 窓から差し込む光は、暴力的な眩しさを放っている。梅雨の晴れ間だった。

 新曰く、吸血鬼といっても個体差があり、そう簡単に太陽の日差しで灰になることはないらしい。だがやはり日差しは苦手らしく、確かに優奈も、まだ夏本番でもないのに早くも照りつけるようなこの日差しには、苦手意識を覚える。

「ええと妖崎さん、ですよね? それで、莉奈さんは……」
「……ん」

 と言って新は、親指で喫茶店の向かい側の建物を指す。その建物を振り返って、

「えっ、あそこって……」

 予想通り、驚く慎吾に新はメニュー表を渡す。

「とりあえず何か頼め。一杯ぐらいなら奢ってやる」

 そうして、十分か二十分か。三人でテーブルを囲んで待っていると、しばらくして向かいの建物から莉奈が出てきた。すかさず新が立ち上がる。

「行くぞ。ユウ、払っとけ」
「え、え、ちょっと!」

 テーブルの伝票を優奈に押しつけ、新は颯爽と店を出て行ってしまう。慎吾が申し訳なさそうにその後に続く。

「もうおいてかないで下さいよ!」

 優奈が会計を済ませ外に出ると、目の前には閑散とした道路を挟んで対峙する、若い夫婦の姿があった。

「莉奈さん、もしかして、お腹に……」

 驚愕にか、それとも歓喜にか。声を震わせる慎吾の問いに莉奈は小さく、小さく――けれど確かに頷いた。

 莉奈が出てきた建物。
 そこは『産婦人科』だった。

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