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「ようこそ、妖崎あやかし法律事務所へ」第2話

第一章 被害者はどこへ?


「おはようございまーす」

 ピンポーンと。玄関脇の呼び鈴ボタンを押すと、昭和レトロな日本家屋に電子音が響き渡った。

 玄関脇の柱には『妖崎ふざきあやかし法律事務所』という、なんともあやしげな屋号が書かれた縦書きの木の看板が釘で打ち付けられている。

 しかし『事務所』は昔からある住宅街に似合う沈黙を返してくるばかりで、引き戸が開かれる気配はない。

「おはようございまーす」

 もう一度、ピンポーンとチャイムを鳴らす。けれどやはり返事はない。

 いつも通りの朝だった。
 溜息を零すことさえ、もうない。

 優奈は仕事用の肩掛けトートバッグからキーケースを取り出すと、慣れた手つきで引き戸の鍵を開けた。型ガラスに格子の嵌められた引き戸を、するりと横に滑らせる。途端、シンと冷えた屋内の空気が、足下に纏わり付いた。この時期は、家の外より中の方が案外涼しかったりする。

(相変わらず、内鍵をかけないんだから)

 内心でぼやき、少し高めの玄関框に上がる。しゃがんでたたきの隅にパンプスを揃えると、優奈はとうにワックスの取れた廊下を進んでいった。

 右手に階段、トイレ、お風呂。左手に客間を眺めながら、突き当たりのダイニングキッチンに辿り着く。雨戸が閉められているせいで薄暗いが、壁付けの流し台の上にある小窓から、直接ではないが太陽の光が差し込んでいる。

 優奈はダイニングテーブルの椅子に鞄を置くと、畳敷きの居間を抜けて縁側へと向かった。

 ちなみにこの家には、洋間が存在しない。長らく変えていないという畳は、少しチクチクする。

 ガラガラと音を立てながら、重い雨戸を開けていく。
 すると目の前に、小さな池付きの庭が現れた。

 日本庭園と称すほど豪華ではないが 集合住宅育ちの優奈からすれば、十分に豪勢な庭だ。

 ところどころに置かれた石に苔むした燈籠。四季を通じて装いを変える草木の数々。合間には敷石が敷かれ、玄関側からも直接入れるようになっている。

 見上げれば、頭上には巨大な梛の木の枝葉。隣の神社のご神木が、塀を越えて事務所の庭を半ば覆っていた。

 零れる梅雨の晴れ間の木漏れ日に目を細めながら、優奈はどんどんと雨戸を開けていった。居間と客間、縁側で繋がった二部屋分。もう慣れたものとはいえ、結構な労力だ。

 それから明るくなったダイニングキッチンに戻り、パンツスーツのジャケットを脱いで椅子の背に掛ける。

「さて」

 壁の時計は、八時十五分過ぎ。
 始業準備の開始だ。

 コンロに置きっぱなしにしていたヤカンに水を入れ、火にかける。その間に、流し台の網で渇かしてあった自分と家主、二つのマグカップも取り出す。続いて急須も回収して、お茶グッズ一式を置いている籠から茶筒を手に取り――

「あっ」

 と、そこで優奈は、インスタントコーヒーのビンが空になっていることに気付いた。
 優奈はコーヒーが苦くて嫌いなので、なくても問題ない。

 ――が、ここの家主は見た目に似合わずコーヒーばかり飲むのだ。

 ストックは――食器棚の上のダンボールの中。背を伸ばせば、届かなくも……ない。

 優奈はつま先立ちになると、目一杯背伸びしてダンボールに手を伸ばした。軽物ばかりが入っているダンボールは、その端が少し棚より前に出ていて、指先でつつくと少しずつ手前にずれてくる。

(あと、もう少し)

 そう思った時だった。

 ひょいと、誰かの手がダンボールを掬い上げた。振り返ればすぐ背後――優奈に覆い被さるように、漆黒色の浴衣を着た青年が立っていた。

「あ、あらたさん……!」
「ん」

 いつの間に二階の自室から降りてきたのか。青年――新は一音で返事をすると、ストンと優奈にダンボールを渡してくる。優奈は慌ててそれを受け取った。

「お、おはようございます。ありがとうございま――」
「小さいんだから無理しないで椅子を使え、椅子を」

 瞬間、抱いていた感謝の念が吹き飛んだ。
 くぁと欠伸をしながら居間に向かっていく背に吠える。

「ち、小さくないです! た、確かに日本人女性の平均身長よりは低いですが、普通の女性ぐらいは――」
「でもしょっちゅう大学生に間違えられてるだろが」
「それは若いんじゃなくて――」

 と言って口を噤む。そこから先を自分で言うのは、自認しているようで癪だった。

 美咲優奈、二十六歳、身長一五五センチメートル。コンプレックスは――童顔。

 社会人になって二年目。髪も茶色く染めているし、鞄も就活鞄から変えている。なのにいつまで経ってもスーツには着られているようにしか見えないし、お客さんには就活生かインターンシップに間違われる。こうなったらと一念発起してオフィスカジュアルに挑戦しても、キレイめカジュアルは何か違う。似合うのは結局全部可愛い系だし、どう足掻いても大学生が背伸びをしているようにしか見えない。

 ――分かっている。チビと童顔は別問題だ。小さくても大人っぽい人はいる。

 でももうちょっと身長があったら、きっとキレイめな格好も似合ってたはず――という願望は手放せなかった。

 ぐぎぎぎぎと悔しそうに詰め替え用コーヒーの袋を握る優奈を見て、新がフォローを入れる。

「まぁ若く見えるってのは良いことだ」
「……それ、新さんが言うと嫌味にしか聞こえないんですけど」

 溜息を零して、優奈は瓶を詰め替え始める。その背後で、ふあ~あと大きな欠伸を一つ。居間の向こうの縁側に、新はごろんと横たわる。

「ちょっと新さん。もうすぐ始業なんですから寝間着はやめて、着替えて下さいよ。せめて顔洗って、歯磨いて。お客様が来たらどうするんですか」

 苦言を呈す優奈に新はめんどくさそうに応える。

「あぁ? 別にいいだろ。どうせこんな廃れた法律事務所、誰も来やしねーよ」
「またそんなこと言って――」

 瞬間だった。

「新さまぁ!」
「ぐぇ!」

 庭から飛び込んできた人影が、いざ二度寝せんとばかりに目を閉じた新の胸元に、槍の如く突き刺さった――否、飛びつこうとして、頭突きを炸裂させた。

 まだ少年の面影のある青年だった。青年は仰向けに昏倒している新の胸にしがみついて、わんわんと泣いている。見覚えのある顔だった。

「おはようございます、わたるさん。そんなに慌ててどうしたんです?」
「ゆ、優奈さまぁ!」

 航はパタパタとダイニングから現れた優奈に気付くと、今度は優奈に飛びついた。上背のある青年に抱きつかれ、後ろに倒れそうになりながらも、なんとか踏みとどまる。

「お、落ち着いて下さい。何かあったんです?」
「じいちゃんが、じいちゃんが……!」

 肩を叩いて宥めるも、航は「じいちゃんが」と繰り返すばかりで話が進まない。

 どうしたものかと困惑していると、その泣き顔が突如として遠ざかる。

 見れば超絶不機嫌な顔をした新が、航の首根っこのシャツを掴んで、優奈からひっぺ剥がしていた。まるで小動物の如く摘まみ上げてられて、航は手足をバタつかせる。

 瞬間ポンッと。白い煙に包まれたと思うと、航はその姿を抱き抱えるのに丁度よさような小さな狸へと姿を変えていた。

 豆狸――古くから日本に伝わる、化け狸の一種だ。

「てめぇ、俺に頭突きとはいい度胸だな」
「ひぇっ、お許しを、お許しを……! でもじいちゃんが、じいちゃんが」
「とうとう死んだか」
「生きてますぅ!」

 ひえーんと、狸姿に戻った航はとうとう本気で泣き始める。ぬいぐるみが泣いているみたいでちょっと可愛い。なんて思っていると「はぁ」と盛大な溜息が朝の縁側に響き渡った。

「ユウ、コーヒー」
「優奈です。なんで一文字だけ省略するんですか」

 摘まみ上げていた航をそのままひょいと肩に担ぎ、縁側から客間に向かう。そんな新に言い返しながらも、優奈はコーヒーの用意を始めた。確か頂き物の最中が残っていたから、航さんには緑茶を入れよう。

 なんて、ちょっとイレギュラーはありつつも、今日も穏やかに一日が始まって――

「あっっっっっっつ!!」

 客間から悲鳴が聞こえてきたのは、三分後。

「ユウ、てめーまた熱湯コーヒー淹れやがって!」

 猫舌だという雇い主からの抗議の声を無視して、優奈は涼やかな顔でお茶を淹れていた。

 だって仕方ないじゃないですか。お湯沸かしたばかりなんですから。嫌なら適温で保温できる電気ポットを買ってくださいよ。経費があればですけど。

「嫌なら自分で淹れてくださーい」

 控えめに叫び返して、立ち上る緑茶の香りに、優奈はふふ、と頬を緩ませる。

 怪異、妖、物の怪、妖怪。

 呼び方は様々あれど、この世には『人ならざるモノ』が存在している。そしてその中には、人間社会の発展に伴い、人に化け、人として生きることを選んだ者たちが少なくない。

 ここはそんな、人に交じって生きる人ならざるモノがやってくる、人外専門の法律事務所。

 妖崎あやかし法律事務所の一日が、今日も始まる――

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