近藤 京
日記と書いてますが、思い出や思ったこと気づいたことを気ままに書きます。
1週間の中で【最も印象的で記録にしたい日】を書き綴ります。 ※毎週日曜日に更新
その日の学びを記録。「なるほど」「おもしろい」「興味深い」などなど、「覚えておきたいなあ」と思う学びを書くだけ。「これは覚えておくべきだよなあ」ってのもちょろっと。 真偽のほどは保証しないので悪しからず。
日常生活で役に立ちそうなライフハック、実際にやってみて効果のあったライフハックなどを記録
世界にいる【誰か】想定して思いや出来事を綴ったり綴らなかったり…。 自分に宛てたものだと思ってくれれば“ほっこり”とした気分になるかも…?
今日、死のうと思った。 「近いうちに死ぬ気がする」とただの一度でも思ってしまうと、死神の足音が常に聞こえるようになる。何かしら辛い事があると「今が死ぬ時なんじゃないか」とか「あの時に死が過ぎったのは、この瞬間の為なんじゃないか」と思えてしまう。 自殺 という言葉は遠いようで近く、近いようで遠い。波のようにこっちへ来ては離れていく。そして気付くといつの間にか足を囚われている。 ドラマとかで「何かが崩れる音がした」とか「私の中で何かが崩れた」というシーンはよくある。だか、実
あまり方々に言いふらすことではないが、友人が失恋した。長いこと付き合い、そろそろ結婚も視野に入れて動いていた矢先の出来事だった。 別れはいきなりやってくる。歳を取るにつれ、その事実は痛いほど身に染みる。 友人が急に飲みに行こうと誘ってきた。急な誘いの裏には何かがあったのだと相場は決まっている。つい数日前に彼女とうまくやっていると話は聞いていた。だから、ついに結婚するのか、そう考えていた。だが、彼から打ち明けられたの失恋だった。 僕は彼をどのように慰めるべきかわか
人は外面ではなく内面である。という御触書が世に出回ってから、どのくらいの月日が過ぎただろう。気づけばルッキズムという言葉はあまり耳にしなくなり、むしろ外面至上主義が蔓延している。ような気がする。 「ありのまま」と主張するくせに、誰もがお洒落な服を着ようとしているし、美男美女に見られるように化粧をしている。それが好きなら構わない。どうせ人生は自己満足でしか埋められない。 だが、そこに他者が媒介するのであれば話は変わる。他人が自分を満たしくれると思ってはいけない。 そ
どうも、僕です。 GWも最終日。明日から仕事かあー…と鬱々とした気分になっています。反転術式が使えれば、この負のエネルギーも正のエネルギーへ変換できるのに…! GW最後だからこそ、どこかへ行こうと意気込んでいました。が、悩んでいるうちにめんどうになっちゃいました…。あるあるです。 結局、夕風に巻かれながら近所を散歩するという当たり障りのない休日を過ごしました。でもね、意外にもこれが最高だったんですよ。 近所の山道を歩いていると、ふと「となりのトトロ」が聴きたく
久しぶりにnoteの方に書いてみるかということで筆を取りました。 どうも。僕です。 なんだかんだで文章は別媒体に書いていたのですが、たまにはnoteも使うかっつうことでカキカキ。 GWですが、今日は家でまったり本を読んだりしていました。どこかに遊びに行きたいんですけどね、一緒に行く友達いないんでね。一人で行ってもいいんですけど、連休行楽地に一人で行くのはちょっと寂しいよね。 そんなわけで日がな読書していたわけですが、せっかくの休みに一日中家にいるのも勿体無いなあと思いま
NOTEの意義をお忘れつつある今日の頃。 どうもお久しぶりです。 唐突ですが、何でもかんでも否定したりネガティブになる人と一緒にいると疲れません?もう本当に嫌になってきた・・・ この間この映画見たんだーと言うと、「え、あれ映画館で見るレベルじゃないよね」とか「邦画は映画館で見るクオリティじゃない」とか言ってくるんすよ・・・。 別にそう思うのはいいんですよ?多様性の時代ですし(最近じゃあ、この言葉も嫌いなってきた)でもさ、やっぱり最初の一言としてその発言はないよなー、と思
透明人間になりたいってよく言うけどさ、透明人間になったら目が見えなくなるんだよ? 人は目の網膜に光が当たることで世界を見ることができる。透明人間は光を透過するから網膜に光が当たらない。つまり目が見えないってことなんだ。 透明人間になんてなりたくないね。
明けない夜があったとしたら何をするだろう。 「明けない夜はない」とは良く言うけれど、個人的には明けない夜があっても良いと思っている。 夜は開放的な気分になれる。日中のしがらみから解き放たれた気分。 夜が来るとワクワクする。読めていない本を読みたくなるし、暗闇に沈んだ街を歩きたくなるし、ふいに旧友に連絡したくなるし、寝ずにベッドでごろごろしたくなる。 そんなドキドキワクワクする一夜の大半を眠って過ごすなんてもったいない、と思う。じゃあ眠らずにいようと言うわけにも
今の社会って、他人に対して色々と求め過ぎだと思う今日この頃。 「自分らしく」とか言いながら、他人の評価を気にしている人が多い気がする。 可愛い(orカッコイイ)、おもしろい、頭がいい、オシャレ、清潔感がある等々…。 多様性が溢れすぎた所為なのかな。 色々なものが飽和している時代。見渡せば贅沢。 急流渦巻く現代に、流され溺れ死んでゆく者たち。 ああ、比喩ね。 肉体的な疲れより、精神疲労がデカい。 仕事を辞めることは出来ないが、続けていく気もない
太宰の『走れメロス』自由に解釈したピースの又吉さんの動画を見て、めちゃくちゃ笑いました。 芸人だからでしょうか、ツッコミの着眼点と言語化がものすごく上手い。とても感心させられました。こういう風にも読めるのか、と。 僕は思い出しました。『僕らは奇跡でできている』というドラマで相河先生(高橋一生)が「物語の解釈は自由ですから」と言ったセリフを。 元々頭の堅い僕は何をやろうにも杓子定規で、基本に忠実。だからイレギュラーなことが起きると途端に混乱しちゃう。ようは応用がで
読書をしていると自分の気持ちを寸分違わず言語化してくれている文章に出会う時があります。その瞬間は痒い所に手が届いたようにすこぶる気持ちがいいものです。 でも、物足りない時もあります。言語化してくれているんだけど、もっといい表現がありそうって感じるとき。 最近は後者の方が増えてきました。 そこで考えました。自分の気持ちを表現する言葉がないのなら、自分で作ってしまおうと。 僕が文章を書くのは誰火に読んでもらうためではありません。日記なら、考えを外に吐き出すため、
また書くのを忘れてしまった。 いや怠けただけか。 とりあえず適当に書きます。 この間、『銀河鉄道の父』という映画を見ました。今年はなんでも宮沢賢治が亡くなってから九十年だそうで、それを記念して作られた映画だとか。 まあ元々長井慶喜さんって方が書かれた本が原作らしいんですけど、最近じゃ読みたい本が溜まりまくっている僕からしたら映像作品だとかなりありがたいんですよね。 主演が菅田将暉さんってことも一役買っているんですが。 多分、大方の人もそうなんだろうけど、宮沢賢治って
何も書くことがないけれど、とりあえず書き始める。 そういう態度が日記には大事らしい。 何も書くことがないっていうのは嘘だけど、明け透けに全てを綴るのはなんか違う気がする。 ましてや不特定多数に公開していることを考えると、自分の裸を見せているようで恥ずかしい。 「裸を見られている」ではなく、 「裸を見せている」という所がポイント。 ときどき何もせずにぼーっとしていたいときがある。今がそれ。 でも、ぼーっとできるほどの時間的な余裕は無い。そっちを優先させて仕舞えば日記
湯船に浸かりながら書いちょります。 こうでもしないと書く暇がない。 社会人になってから、 好きだった運動も読書も散歩もできなくなった。 大好きだったものたちが離れていくのを見て いったい何のために生きているのかと思ってしまう。 こういう人生のどん底みたいなシーンは定期的にやってくる。 僕の場合は1年〜2年周期くらい。 中学生のころに始まり、それを繰り返してる。 学生のころは不思議と回復してた。辛いことがあっても時間たくさんあったから、リカバリーする余裕があったから
久しぶりの投稿。 今日から日記形式でまたnoteをやっていこう。 やっぱり僕は書くことが好きなんだ。 ときどきサボっちゃうこともあるけれど、 結局、書くことに戻ってくる。 自分の内にある世界を言葉にするのは楽しい。 それだけじゃない。 言葉は無限大の力を持っている。 自分を奮い立たせることもできれば、 相手を助けることもできる。 言葉ってすごいです。 日本語って美しいです。 なんで分からないけど、 言葉を紡ぐたびに涙が流れます。 これまで何度も言葉
「コツコツ頑張るのが亀なんですか?」 「ええ、そうですよね?」 「物語の解釈は自由ですから」 「相河さんの亀はどういう解釈なんですか?」 「亀は全然頑張っていません。競争にも勝ち負けにも興味がないんです。亀は、ただ、道を前に進むこと自体が楽しいんです。 想像してみてください。地面を這いつくばって前に進む亀にしか見えない世界、地面から数センチの世界、その、素晴らしい世界を楽しむためだけに亀は、ただ前に進むんです。 亀の世界にもはや兎の存在はなく、寝ている兎に声をかけなかったのも