たとえ恋人でも、自分の空間に立ち入らせてはいけない

 あまり方々に言いふらすことではないが、友人が失恋した。二年半付き合い、そろそろ結婚も視野に入れていた矢先の出来事だった。

 別れはいきなりやってくる。歳を取るにつれ、その事実は痛いほど身に染みる。

 友人が急に飲みに行こうと誘ってきた。急な誘いの裏には何かがあると相場は決まっている。つい数日前に彼女とうまくやっていると話は聞いていた。だから、おっついに結婚するのか!と楽観的になっていた。だが、彼から打ち明けられたの失恋だった。

 僕は彼をどのように慰めるべきかわからなかった。前向きになれるような言葉をかけるべきか、ひたすらに話を聞いてあげるべきか。それとも別な話で忘れさせてやるべきか。

 あいにく、僕には失恋の経験が少ない。ない、と言って良いくらいに。もちろん人並みに恋愛はしてきた。だけどそれは僕の一方的な片思いが大変で、誰それと付き合うというような恋愛ではなかった。

 これまで誰からも言い寄られることはなかったし言い寄ることもなかった。好きな人は目で追いかけて満足するタイプ。付き合えたらいいなあ程度にしか思わなかった。そんな呑気に構えていたから、気づいたら好きな人には彼氏ができていた。そういう時は決まって、自転車に乗って見知らぬ町まで出かけた。

 恋愛偏差値の低い僕は彼に何をしてあげるべきなのか。どんな言葉をかけるべきなのか。いや、ただ話を聞いてやるべきなのか。

 きっと何か言うべきだったのだろう。でも「え!?マジ!?」と驚くことで精いっぱいだった。その後の言葉は脳がバグを起こしたのか、つっかえて出てこなかった。

 恋愛という不合理な営みを僕たちはどうしてするのだろう。そもそも、付き合うとは何なのか。友達関係とはどう違うのか。相手を所有しているという感覚が恋愛関係にはあるのだろうか。彼は私のもの、彼女は僕のもの、そういった関係性を公言するということが付き合うということなのだろうか。

 僕はあまり恋愛をしてこなかった。だからこれは想像でしかない。

 恋人との境界線は明確にそして常に持っておいた方がいいと常々思っている。別れたときに立ち直れないからだ。一人での楽しみ方を覚えておかないと別れたときに回復ができない。

 恋人がいることはとても素敵なことだ。なんだかそれだけで毎日が満ち足りたような気がする。日常が恋人で彩られる。見たことのない世界を歩ける。

 けれど、何もかもが恋人によって色付けされていると、いざ独り身になったとき何もかもが色褪せてしまう。

 だからこそ自分一人の楽しみ方を覚えておかなければならない。これは恋人を持つ人全員の義務だ。そして、自分一人の空間には決して恋人を立ち入らせてはいけない。どんなに愛していてもだ。立ち入らせたが最後、そこには恋人の香りが漂うことになる。そしてその香りで楽しかった過去を思い出し、現実に立ち返り虚無に襲われる。自分の好きなものが自分の好きな人によって壊されてしまう。

 断じて自分の空間に恋人を立ち入らせてはいけない。相手が無理にでも入ろうとしてきた時は毅然とした態度で追い返すべきだ。それが原因で関係が壊れるようなら壊れた方がいい。どうせその恋は長く続かない。

 僕は僕の楽しみをわかっている。落ち込んだときには遠くへ出掛けて黄昏る。サウナに行って汗を流してもいい。友人と岩盤浴に行ったりもする。一人でドライブに行ったりもするし、家から出たくない時は愛読書を読んだりひたすら筋トレしたりする。

 気分がいいときには、少しおしゃれをして横浜の街を歩く。本屋にふらっと立ち寄り面白そうな本を片っ端から読んでいく。何度も読みたい、じっくり読みたいと思ったら買って帰る。ラブラブなカップルを見て幸せを分けてもらう。おしゃれな人を観察して服装を真似てみたりする。

 そうやって僕は僕を楽しませている。それは僕が何をすればご機嫌になるのかを知っているからだ。そしてそれは長いこと僕が僕としか付き合ってこなかった証拠でもある。

 常に恋人がいる人は、いや、さにあらず、常に誰かと一緒にいる人は、自分と向き合ってきていない可能性がある。だから、自分の輪郭がわからない。いざ一人になったときどうしていいか途方にくれる。そしてその場合、立ち直るには大抵時間がかかる。

 自分一人だけで楽しめる何かを持っていた方がいい。そのほうが人は断然強く生きられる。

 失恋した彼は、あと一年は引きずるだろうな、と言っていた。僕は静かに酒を一杯、注いでやった。 

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