至高の小説はあなたの人生である。
太宰の『走れメロス』自由に解釈したピースの又吉さんの動画を見て、めちゃくちゃ笑いました。
芸人だからでしょうか、ツッコミの着眼点と言語化がものすごく上手い。とても感心させられました。こういう風にも読めるのか、と。
僕は思い出しました。『僕らは奇跡でできている』というドラマで相河先生(高橋一生)が「物語の解釈は自由ですから」と言ったセリフを。
元々頭の堅い僕は何をやろうにも杓子定規で、基本に忠実。だからイレギュラーなことが起きると途端に混乱しちゃう。ようは応用ができないんです。戦時の「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」ではないですが、読書に関しても同じで、どうしても作者が設定した通りの読み方をしてしまうんですよね。
今は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読み返しています。やっぱり「ここの文章はどういう意味だろう」とか「このジョバンニの心境はどうなんだろう」と答えを探してしまいます。
だから、物語を自由に解釈している又吉さんを見て「ああすごいなあ、こんな風に読めたら楽しいんだろうなあ」と思いました。
さて、人生はものがたりとよく言います。物語一つの解釈は人の数だけある。ならば、物語である自分の人生も解釈の仕様によってはとんでもないほど素晴らしい物語になるのでは?と不意に思いました。
ようは考えようです。壁にぶち当たった時に、「もうダメだ」と思うか「これからだ」と思うか。その壁を挫折と捉えるか乗り越えるべき挑戦と捉えるか、その解釈は自由なんです。
そう考えると、悩んでくよくよしていることが途端にバカらしく思えてきました。自分の現状をこうだと決めつけて勝手に落ち込む。でも視点を変えれば落ち込む必要のないことだったりする。
解釈は自由だししかも自分の人生なんだから、どう思おうが勝手です。そういえばエジソンも言っていましたね。「私は失敗したのではない。上手くいかない方法を見つけただけだ」って。
物事はやはり柔軟に考えたいものですね。でも柔らかく考えるって難しいよな。メタ的な視点を持ってないと…。
とりあえず、定期的に又吉さんの動画を見ることにします。彼の想像力は本当に素晴らしいです。
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