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無い言葉をつくる

 読書をしていると自分の気持ちを寸分違わず言語化してくれている文章に出会う時があります。その瞬間は痒い所に手が届いたようにすこぶる気持ちがいいものです。

 でも、物足りない時もあります。言語化してくれているんだけど、もっといい表現がありそうって感じるとき。

 最近は後者の方が増えてきました。

 そこで考えました。自分の気持ちを表現する言葉がないのなら、自分で作ってしまおうと。

 僕が文章を書くのは誰火に読んでもらうためではありません。日記なら、考えを外に吐き出すため、小説なら自分の世界に没頭するためです。

 何かを書いて投稿してその結果誰かが呼んでくれればいいなというのが本音です。そもそも僕に不特定多数を惹きつける文才なんてないのだから、誰かに読んでもらおうと思うこと自体烏滸がましいのです。

さて、誰かに読んでもらう必要がないなら、そこで書く文章は自分さえ意味が通じればいいということになります。つまりは、自分の気持ちを的確に表す造語なるものを無手勝流に生み出して仕舞えばいいのです。

 不安で胸が痛む時は、「心を猛禽類に鷲掴みされたよう」と表現する。もっと具体化するなら「心を猛禽類に鷲掴みされ、鋭く尖った爪で捩じ切られる痛さ」でしょうか。

 この表現はあくまで僕のイメージです。猛禽類の足で心を掴まれたらこういう痛みだろうなという想像のもと言語化するわけです。だから、この言葉はこのイメージと合致する印象を持つ人にしか意味は通じません。

 小説家や言葉で他人を惹きつけることのできる人はこの能力が優れているんじゃないのかなと思います。そしてそれが文才があるというんでしょうか。

僕には文才がないので、これからも人知れずこっそり日記とか小説を書くことにします。

ボンボヤージュ。

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