【帰るまでが遠足】に隠された意味を知っていますか?
梅雨の陰気な雰囲気を紫陽花が彩る素敵な季節になりましたね。
さて、この時期になると、学校では遠足やら修学旅行やらが多くなると思います。この間、電車に乗っていたらたくさんの小学生が乗っていて「もうそんな時期か」としみじみ思いました。
遠足や修学旅行などの校外学習では、必ずと言っていいほど「旅のしおり」的なツールが渡されます。学級委員が頑張って書いた渾身の一冊。まあ中身を見ることはありませんでしたけど。
その中で定番の決まり文句として書かれているのが【遠足は、帰るまでが遠足】という言葉です。先生からも口酸っぱく言われますよね。言われすぎて耳にタコができて、それでタコワサが作れるくらい。
で、あの当時は、「お前ら気をつけて帰れよ」くらいにしか思っていませんでした。ですが、よくよく吟味してみるとかなり深いことを言っているんですよ。
高校生や大学生ならともかく、小学生や中学生は未だ社会のことを知りません。限られた世界から出たことがありません。いわゆる閉鎖的な空間で生きているわけです。
そんな彼らが、ある日、非日常へ繰り出す。そこではむろん、数多の発見と驚き、学びがあるわけですよ。それは遠足の日の当日、朝起きた時から始まります。
いつもとは違う時間に起き、いつもとは違う準備をし、いつもとは違うルートで目的地へ向かう。それこそ現地集合なら、ふだん乗らない時間に電車やバスに乗ることでしょう。彼らは満員電車の恐るべき洗礼に遭うわけです。
そこでは数々の発見があるわけです。この時間のこの電車にはどんな人が乗っていて、どんな格好をしているのか。人が多ければ多いほど、その発見は多岐にわたります。身につけている物、読んでいる本、髪型、メイクなどなど。具に観察すればこそ、この先を有意義に過ごす何かがたくさん秘められているわけです。
帰りもまた同様です。遠足の疲労感の中、帰宅時間の電車で自分以外の人間が、いや、自分の世界の外にいる人がどのように過ごしているのか。それを知る絶好の機会となります。また、景色やその時々の雰囲気を味わえるタイミングでもあります。日中は一見パッとしないところでも夕日に照らされるとノスタルジーを感じさせるという場所は結構ありますからね。
校外学習は目が覚めた瞬間から眠りにつくまでの間、と言っても過言ではないほど貴重な時間だと思います。「帰るまでが遠足」という言葉にはおそらくこのような意味が込められているのだと思います。
だから、スマホなんかいじるのは勿体無いと強く思うのです。その時、その瞬間の発見があり雰囲気があるのですから、それをこぼれ落とさぬよう掬い上げたものはできる限り心に留めて置いてほしい。そんなふうに感じました。そうやって心に刻んだものが多ければ多いほど、この先の人生が実りあるものになると思います。
遠足へ向かう小学生を見ながらそんなことを考えていました。
この発見も一つの「遠足」と言っていいですかね(笑)
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