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三島由紀夫論2.0

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#芥川龍之介

近代文学2.0の中間報告

近代文学2.0の中間報告

読んでる人いる?

 一応そろそろこれまでやってきたこと、これからやることを整理しておきたいと思います。

 この記事で述べたように近代文学2.0では「丁寧に読む」という信条によってこれまで、

・谷崎潤一郎の初期作品が極めて政治的なもの、体制批判的なものであり、ドミナとは捏造されるものであること
・夏目漱石作品もまた明治政府・明治天皇制に批判的であり、その粗筋がほぼ読み誤られたまま多くの人々に論

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無象論 あるいは懐かしいメモ書き

無象論 あるいは懐かしいメモ書き

無象論

1 小説『関東大震災』が書かれなかった理由

 文学とは、ある種の洒落を受け止めることのできる気易い空間の中での一種のゲームであって、それ以上のものではない。屡私は自分自身にそう念を押す。トランプにゲームを感じられない人にとっては、トランプはゲームではない。またある種のゲームに熱中している最中にはそのゲームが全てであって、それ以外のことはどうでも良くなる心性が有り得る。同じ意味で、誰が

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作家にとって思想とは何か③

作家にとって思想とは何か③

 牛肉が安かったので今夜はすき焼きにしようと考えた。長ネギと、切れ目の入った椎茸は既に家にある。しらたきと焼き豆腐を買おうと豆腐専門店に行ったらそもそも焼き豆腐がなかった。コンビニにはない。スーパーにはある。そこでふと考えた。何故焼き豆腐は普通の木綿豆腐の三倍以上の値段で売られているのかと。
 グーグルに質問してみて驚いた。グーグルは音声として「焼き豆腐」を認識しないのだ。当然文字では認識する。つ

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ある死をめぐる考察 静子が殺されたことは明らかにおかしいのだ

ある死をめぐる考察 静子が殺されたことは明らかにおかしいのだ

 吉田和明の『太宰治はミステリアス』(社会評論社、2008年)は太宰治を聖化しようとする太宰ファンたちの神話を突き崩そうという試みであり、少なくともこれにより太宰の死に顔は微笑んでいたという神話は明らかに突き崩されているように思える。しかし太宰ファンではない、ただの太宰信奉者ではない、単なる浅はかな太宰作品の愛読者であるこの私にとって、太宰の死体がぶよぶよであったことなどはどうでもいい。ここから始

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夏目漱石作品と芥川龍之介の生活 夏目さんにしてもまだまだだ

夏目漱石作品と芥川龍之介の生活 夏目さんにしてもまだまだだ

 皆さん、あの『こころ』の「私」のところへ「芥川」を置いてみてください、と『芥川龍之介の文学』で佐古純一郎は書いている。これが近代文学1.0における根本的なミスの事例であることは指摘するまでもなかろうか。佐古純一郎は芥川龍之介は漱石文学を継承したというストーリーを持っていて、そのストーリーに芥川作品を無理やりはめ込むつもりなのだ。だから芥川が漱石に対して感じていた畏怖や圧迫感をすがすがしい敬愛に置

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芥川龍之介の論理・太宰治の意地・三島由紀夫の蟹

芥川龍之介の論理・太宰治の意地・三島由紀夫の蟹

人の悪い芥川「お父さんは相当な皮肉やさんだったけど、私や使用人にも荒いことばで何か言ったり怒ったことはない人でした」「お父さんは普段怒らないし、やさしい人だったけれど、皮肉やさんでしたね」(芥川瑠璃子『双影 芥川龍之介と夫比呂志』)これは文の言葉である。瑠璃子は「ちょっと人の悪いところもある龍之介」と書いている。

 私は既に芥川龍之介作品の核は「逆説」であると書いた。この『実感』では「死骸の幽霊

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三島の死と芥川の死

三島の死と芥川の死

 三島由紀夫の死について深沢七郎は大人の小説が書けない偽者の死だと書いている。そこにはあくまでも政治的に見せかけた三島の死を個人的な死だと切り捨てる視点がある。「シャンデリアの下でステーキを食って、なんでニホンが好きとか言うのよ」という指摘は鋭い。吉村真理ともペペロンチーノを食べていた。村上春樹ではないがどうも三島由紀夫には和食のイメージがない。

 そのことはきわめて個人的な死だとしか言われるこ

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漱石・芥川・太宰・三島のらっきょう

漱石・芥川・太宰・三島のらっきょう

 鞄に入る入らない問題、そして副知事室に4500万円トイレ設置で有名な作家猪瀬直樹は三島由紀夫について『ペルソナ 三島由紀夫伝』でこう述べている。

 らっきょう頭から生まれる絢爛たる文学といえば、やはり芥川龍之介のことを思い出さざるを得ない。芥川龍之介の小中学生時代のあだ名はやはり頭の形から「らっきょう」だった。このらっきょう頭、太宰では顔になり、精神になる。

 このらっきょう顔について、夏目

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三島由紀夫の死、あるいはサバイバーズ・ギルトのある風景

三島由紀夫の死、あるいはサバイバーズ・ギルトのある風景

 福田恆存の『人間とは何か』の冒頭では文芸評論家であることの矜持が語られる。曰く、小説家にもなれず学者になるほど豆でもないものが文芸評論家になるのだそうである。その福田恆存は本書において芥川龍之介の自殺を自然なことだと見做す。私はそうした作家のプレゼンスとアクティビティと作品をごっちゃにしたようなものが文芸批評であるとは思わないが、芥川龍之介が自然主義的な既成の「小説」というものに徹底的に抗しなが

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