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歌川国芳 / メトロポリタン美術館
夏目漱石作品と芥川龍之介の生活 夏目さんにしてもまだまだだ
皆さん、あの『こころ』の「私」のところへ「芥川」を置いてみてください、と『芥川龍之介の文学』で佐古純一郎は書いている。これが近代文学1.0における根本的なミスの事例であることは指摘するまでもなかろうか。佐古純一郎は芥川龍之介は漱石文学を継承したというストーリーを持っていて、そのストーリーに芥川作品を無理やりはめ込むつもりなのだ。だから芥川が漱石に対して感じていた畏怖や圧迫感をすがすがしい敬愛に置き換え、芥川は漱石文学を継承したという勝手な理屈をこねる。
芥川は「夏目さんにしてもまだまだだ」と言っており、漱石を常に先生と呼んでいたわけではない。『明暗』の続編も書かない。その点では『贋作 続吾輩は猫である』を書いた内田百閒の方が漱石文学に寄り添ったといってよかろう。
ただし別の意味で芥川の失恋に至る心境、境遇、未練などは『こころ』や『明暗』の設定にどこか似ていなくもない。『それから』の長井得の設定も芥川の実父に似ていなくもない。それは無論漱石が芥川のプライベートを取材したというような意味ではないが、『こころ』や『明暗』を読んだ芥川が、清子に振られる津田や、Kの存在によって静を強く意識する先生に対してどのような感情を抱いたのか、そこらあたりのことに私は興味がある。芥川の漱石作品に関する評論がどこかに残っていないものだろうか。
あるいは口頭でも意見を聞いた者が、さすがにもういないだろうか。
こうなるとイタコにでも頼むしかない。あるいは私がやつてしまおうか。
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