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#谷崎潤一郎
芥川龍之介の『地獄変』をどう読むか⑤ カメラを左右に振っている
一方では、
……などと書きながら、芥川龍之介のどこが近代文学なのか論じないのは、「無責任」のような気がするので、『地獄変』のどこが近代文学なのかということを少しだけ考えてみます。
これは『羅生門』や『鼻』、その他ほとんどの作品に共通しているポイントなのですが、案外解っていない人がいるみたいなので、念押ししますが、実は「元ネタ自体はたいしたことはない」んです。ここ ↓ に『鼻』のことは書き
谷崎潤一郎の『恐怖』を読む コント作家・谷崎潤一郎
※この作品は青空文庫で誰でも無料で、何の手続きもなく、特別なプログラムのインストールなしで読むことが出来ます。ほぼ安全です。『恐怖』はとても短いので個人差はありますが、大体五分もあれば読むことが出来ます。できれば今回はまずご自身で『恐怖』を先に読んで貰えませんか?
その上で私が書いているものを読んで、自分の「感想」と私の書いていることの、どこがどう違うのか確認していただければ、有難いです。そうすれ
夏目漱石はなぜ三角関係に拘ったのか?あるいは谷崎潤一郎の『神と人との間』を読む
案外タイトルの毒は気が付かれないと、そこを落ちにして書いてきたパターンが続いたので、今回は最初にやっつけてしまう。何が『神と人との間』だ。『肉塊』じゃないかと早速言いたくなる。この台詞でまた先を読まぬ内から、あの手の話かと確定してしまう。実際にあの手の話が始まり、延々と続いていく。延々と……。
途中で読むのを止めたくなり、何でこんなものを読んでいるのかなと思いながら読み、何でこんなものを谷崎は
シンプルな読みに向けて
これまで私は夏目漱石から谷崎潤一郎までのいくつかの作品について、何か書いてきた。それを「新解釈とは言えないまでも私なりの感想のようなものをまとめてみました」とでも書いてしまえばいささかでもお行儀が良かろうものを、私は「宇宙で初めての新解釈です」と云わんばかりに書いてきた。これはどう考えても私なりの感想のようなものではない。現に、『途上』のからくりにさえ、誰一人気が付いていなかったのではないか?
もっとみる「お話」とは何か 軸があるかないかだよ からあげくんが妖精だったなんて!
前回、私は谷崎の『泰淮の夜』について「お話」になっていると書いた。『蘇州紀行』は紀行文だが、『泰淮の夜』は「お話」だと。
実はこのあたりのシンプルな筈の事が案外伝わっていないのではないかと思い、少し補足説明しておきたい。紀行文はどこそこを観光した、何々を食べたの羅列でよい。筋ができてしまうとお話になる。『泰淮の夜』は支那料理を二ドルでたらふく食べ、三ドルで芸者が歌を歌うと聞かされる。では女は