夏目漱石はなぜ三角関係に拘ったのか?あるいは谷崎潤一郎の『神と人との間』を読む
案外タイトルの毒は気が付かれないと、そこを落ちにして書いてきたパターンが続いたので、今回は最初にやっつけてしまう。何が『神と人との間』だ。『肉塊』じゃないかと早速言いたくなる。この台詞でまた先を読まぬ内から、あの手の話かと確定してしまう。実際にあの手の話が始まり、延々と続いていく。延々と……。
途中で読むのを止めたくなり、何でこんなものを読んでいるのかなと思いながら読み、何でこんなものを谷崎は書き続けて居るのかと考えた時、やはり同じように考えた記憶がよみがえる。
森鴎外の『北条霞亭』に辟易としながら、やはりここには何か自分の理解しえない面白みがあるのではないかと再読した記憶、そして明らかに面白くて読むたびに新しい発見がある夏目漱石の『明暗』を読みながら、それでもあえて「それにしてもどうして夏目漱石は則天去私と云いながら昔の女を追いかける話を書いているのだろう。何故、夏目漱石は三角関係に拘ったのだろう」と考えた記憶。
私は嘗て『森鴎外論』において、石川淳の森鴎外擁護に対して、仮に『北条霞亭』を本気で称賛するなら石川に同じスタイルの傑作がなくてはならないと書いた。
しかし永井荷風には『断腸亭日乗』がある。何年何月何日の天気がどう、何を喰った、誰と会ったという淡々とした記録に挟まれるちょっとした出来事や風俗に関する記録が確かに面白い。何かの役に立つわけではないが知らなかった事実、目新しい事実が現れることが面白い。それは『北条霞亭』にはなかったものだ。『北条霞亭』には私の興味を引く情報は殆どなかった。『神と人との間』にも。
いや、いやな情報があった。
そう、そうした作品を私は何作読まされてきただろうか。「いろいろ形を變へてはあるが」とあるが、漱石の三角関係に比べても設定に工夫がないように思われる。敢えて言えば、どんな迂闊な人間でもこれはあのことだとわかるように、設定を固定している。その理由が私には実に不快であり、不思議でもあるのだ。無論こんな自己戯画化の中に、ちょっとした遊びの面白さがないではない。例えば、このさらりとした総括には、
……この『肉塊』の結びも、柴山と民子とが疑われる「気配」だけがこっそりと仕掛けられていたが、それをあらためて「いろいろ形を變へてはあるが、きつと自分と彼女との情事から來た着想でないものはなかつた」と云われてみると、女優に夢中になった吉之助が女房を取られる話として読めなくもない。そういう小さな面白さがないではないが、やはり起伏がなさすぎる。
正直私は『愛なき人々』が芝居にかけられたことが信じられない。しかもこんなものが拍手喝采されたとは信じられない。信じられないがそれは事実で、「大向う」は喝采したのだ。
しかしよく考えてみるとこれは本当に不思議な話ではなかろうか。いや、本当に私は谷崎ならではの別のパターンの小説を読みたいと思って居る。「大向う」は本当に同じパターンで満足していたのだろうか? あるいはここで「大向う」とされている人々は『水戸黄門』的なワンパターンしかみとめない頑なな人々なのだろうか?
そしてまた日本文学史を顧みれば、谷崎のこうしたふるまい、それに対する世間の評価は、どうも「取扱いとして変」なのである。
もしも谷崎のふるまいが「大向う」に喝采されていたのであれば、『川端康成へ』という作品はあり得なかったはずである。川端康成が谷崎的なものを嫌っていたとしても谷崎的なふるまいが喝采されていたことを知らないわけもない者が、作家の私生活に「厭な雲」を指摘することなど、やはりかなり頓珍漢な発言なのではなかろうか。
また太宰を思い出してみれば、太宰がまた「心中または心中未遂」という自身のアクティビティを作品に活かしながら、実にさまざまな設定の工夫によって話を面白く拵えていたのに対して、谷崎ならばできたはずのところを敢てしなかったことが、まるで森鴎外の『北条霞亭』のような「抑制」に思えてくる。
永井荷風の『断腸亭日記』は淡々を装いながら、「抑制」はない。断腸亭は悩み、苦しみ、怒り、非難する。その淡々でないところが面白いのだ。太宰治の心中物は、心中そのものが面白いのではない。その周りにあることが面白いのだ。しかし谷崎は「大向う」の喝采を得るためにあえて自分と彼女との情事を事細かく書いた。
ここで「大向う」の犠牲となった谷崎の代わりに「大向う」を批判する事には意味がなかろう。おそらく谷崎はしぶしぶこんなものを書いたのではなく、自ら進んで書いたのだろう。こうしたものを書こうとする意志のうちに何割かは佐藤春夫を揶揄う遊びの楽しみも加味されていたのかも知れないが、恐らく谷崎は自身の芸術家としての自恃に恥じぬよう、真剣にこんなものを書いたのだ。
よくよく考えてみれば、この遊びは谷崎潤一郎の一方的な嫌がらせですらないのだ。どうしても佐藤春夫との共同作業であることを認めざるを得ないのだ。
実際谷崎潤一郎と佐藤春夫の間でこの通りの会話がなされたかどうかはどうでもいい。事実として佐藤春夫も確かに自分と彼女との情事を書いたのだ。谷崎潤一郎の小説だけを読んでいると、どうも谷崎が自分を悪人に仕立て上げたがっているだけではなく、佐藤春夫についても高潔な人物ではないように仕立て上げたがっているように思えるのだ。しかしその谷崎作品を読んでなお、佐藤春夫はこう書いている。
この逆説は悪魔派を掲げた谷崎文学に対する全否定であり、けして書いてはならぬ暴露なのではなかろうか。
谷崎は『神と人との間』において「何しろ君は超人だからね」と穂積(モデル:佐藤春夫)に言わせ、「超人は少し分からないな」と添田(モデル:谷崎潤一郎)に答えさせている。ただの肉塊でしかないものを神と人間の間に置こうと、佐藤春夫が皮肉の意味でしかけして言わないだろうという台詞を拵える。
穂積の云う超人の意味は、散々悪いことをしてそれを堂々と小説にして、悪魔だ悪魔だと拍手喝采される不思議な存在だ。穂積は、
……とまで言い出す。他人の女房を欲しがっていいようにこき使われて超人になれると聞けば、ニーチェ先生は腰を抜かすだろうが、添田はそんな穂積を従順な下僕であり道具と見ている。『神と人との間』にはまた「劇中劇中劇」が挿入され、添田の悪魔ぶりに非難が集まるというくだりがある。妻を殺すという小説の目的が、妻を脅かす手段とみなされたのだ。
その批評について穂積と朝子(穂積の妻)が話し合うのだから、もう何でもありだ。結果として穂積は西班牙の蠅の精力剤を添田に盛り、腎臓炎にして殺そうと計画する。その計画は穂積にとっては神の意志なのだ。人間のために悪魔を滅ぼすことなのだ。
果たして添田は腎臓炎になる。症状は次第に悪化し、苦しみながら結局添田は死んでしまう。世間は添田の功績を認める。その「兎に角何物か」を認める。朝子は故郷の信州に引っ込み、穂積は筆を断つ。幹子(添田の愛人)は別の男優と浮名を流す。が、あれこれあって結局三十六歳になった穂積と二十八歳になった朝子は結ばれる。が、穂積は半年もたたないうちにコカインを飲んで自殺してしまう。添田を恨みながら。
このどうでもいいような話が「婦人公論」に発表されたのは大正十二年の一月號から十二月號にかけてのことであり、九月に関東大震災が起きている。しかし『神と人との間』を読んでいると、まるでそんなことがない世界で書かれた作品のように感じられてしまう。一ミリも動揺することなく、頑として谷崎潤一郎と佐藤春夫の醜聞ネタに徹している。高くも低くもならない。ただ内輪ネタで攻める。政治も哲学もない。ただ男と女の世界がある……。
そこで答えの出ない問いに戻ろう。そもそも何故『明暗』は昔の女を追いかける話なのか。それはアルベルチーヌさんはお立ちになりました、で片付く話ではなかろう。
ざっくりした話でいえばまずは『行人』『こころ』『道草』で、夏目漱石はある地点に到達した手応えはあったのだと思う。三作ともパズルを組み立てるような作品で、「あること」に気が付いてみると「ああ、なるほど」と妙に腑に落ちる。そのことは、
この本で説明してきた。漱石の「書きすぎない」という態度は次第に「何かを隠しながら書く」という作法の形をとる。従って、まだ「落ち」のない『明暗』にはたくさんの謎が仕掛けられている。その謎の中でもやはり一番分からないのが、何故津田が清子を追いかけ、「別れた理由」を確かめようとするのか、ということだろう。
たとえば『こころ』の先生が働かない理由は分かった。『道草』の健三が実父から苛酷に取り扱われる理由も何となく分かった。しかし津田が清子を追いかけ、「別れた理由」を確かめようとする理由は分からない。そこには非決定論とか自由意志の問題など哲学的な背景があることまでは解る。
谷崎がああでなければこう、相手がこう打てばこちらはこう打ち返す、と囲碁か将棋のように話を進めたことも解る。谷崎は関東大震災くらいではびくともしない。それだけ気合を入れて書いていたのだ。そういう人なのだ。
だから「別れた理由」などを追いかけることにどんな意味があったのだろうか、と問う時、「そういう人だから」と考えてみるのもありかも知れない。つまり『こころ』の先生が真砂町事件の嫉妬心を生涯消せない理由について考えると、「そういう人だから」という以上の答えがないように思われる。
谷崎の「女房と佐藤春夫」のことを小説に書きたい、書かずにはいられないという態度は、もはや悪戯の域を超えて病的である。漱石も蒟蒻閻魔、頑固な天邪鬼では負けていない。生活するには十分な遺産を貰い受けながら、なお遺産を掠め取られたと叔父に対する恨みを生涯消せない先生も随分蒟蒻閻魔である。お延というよくできた嫁を貰いながら、津田に清子を追いかけさせるのはいかにも頑固な天邪鬼的性格、つまり理屈ではなく人の性質、「そういう人のありよう」なのではなかろうか。いい加減にしろと言っても出来ないのが「そういう人のありよう」である。止めたくても止められない。抑えきれない。これでもか、これでもか、参ったか、どうだ、と繰り返される「女房と佐藤春夫」の小説を読んでいくうち、「そういう人のありよう」でさえも「兎に角何物か」であるかのように思えて来た。穂積と添田は作中では文学談義すらしない。その不自然な徹底ぶりは「兎に角何物か」であることを思わせる一因である。
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