見出し画像

夏目漱石と谷崎潤一郎②

「君も知つてるやうに、僕の親父は死んだ夏目さんの友達だつた。で。僕によく夏目さんを例に引いて話したが、藝術家として夏目漱石を世間が認めるやうになつたのは、言ふ迄もなく其の小說で文名を馳せたからだ。けれども小說家としての夏目さんは實はそんなにえらくはない。夏目さんが若し、支那に生まれて詩人か畫家として立つことが出來たら、たとへ今日ほど有名にはならないにしても、もつと優れた藝術の境地を開拓することが出來たらうし、夏目さん自身も今の日本に生まれるよりは遙かに幸福だつたらうと思ふ(と、親父は云ふのだ。)夏目さんは英學者の癖に英文學よりは漢文學が好きだつた。それから、小說家の癖に小說よりは漢詩を作つたり書畫を書いたりする方が、どんなに感興が湧くか知れないと云つて居た。
(谷崎潤一郎『鮫人』)

 この夏目さんが夏目漱石であることには少々驚いた。これまで谷崎潤一郎の作中で夏目漱石の名前を見た記憶もない。芥川との接点はあるが、谷崎には夏目漱石との直接のつながりはないと思い込んでいたから意外だ。同時代に生きながら、何故か交わらなかった天才二人というイメージだったが、少し軌道修正が必要だろうか。

で、親父は夏目さんの小說よりは其の漢詩や書畫に現はれた悠悠自適の氣分、夏目さんが晩年になつて口にした『私を去つて天に則る』と云ふ氣分、あの方が藝術的にずつと貴い物だと云つて居る。夏目さんほどの英文學者が結局ああ云ふ境地に這入つて行つたことは、いかに東洋思想の傳統がわれわれ日本人の頭に深く沁み込んで居るかを、證據立てる事實だと云つて居る。
一體小說と云ふものは西洋から輸入された新らしい藝術の形式で、明治以前には日本にはなかつたもの、有つても本當の意味での小說とは云はれないものばかりだ。本當の意味での小說は、── 無論日本人でも二流三流の地位に行くことは出來るだらうが、ユーゴーとかバルザックとかトルストイとかに比べても劣らないやうな偉大な小說は、西洋の土でなければ育つ筈がない。
(谷崎潤一郎『鮫人』)

 作家が作中で登場人物に芸術論、小説論、あるいは哲学、認識論を語らせることは珍しくない。優れた小説はすべからく「小説とは何か」という問いをサブテーマとして持っていると云っても良いだろう。実際に書かれた小説は「何を書くか」「どう書くか」という作者の意匠の表れであり、そこには芸術論、小説論、あるいは哲学、認識論といったものが間接的に見えてくるものだが、時に作家は具体を示す代わりに抽象的な説明を入れる。夏目漱石の『坑人』などはそうしたものの代表例だろう。しかしこのように夏目漱石と名指しして、谷崎が漱石の芸術論を説くとは思わなかった。
 ここで云われている内容をそのまま谷崎の漱石批判とみなすのはいかがなものかとは思うが、谷崎の中に全くなかった見立てという訳でもなかろう。しかしこのことは、日本の近代文学が西洋からの大量の文學の輸入と、井原西鶴など近代以前の日本文学との融合によってもたらされたものであるという私の見立てとは少々異なる。また、(なかなか辿り着く感じがしないが)
谷崎自身がやがて源氏物語に回帰するという屈折を見せる事との関係が興味深い。

なぜかと云ふと、(親父の考へでは、)東洋の藝術と西洋の藝術とは形式が違ふばかりでなく、根本の精神が違つて居るから。一と口に云へば、西洋では次ぎから次ぎへと常に新らしい美をクリエートして行く、自分で自分獨得の美の世界を建設する、有らゆる方面へ美を分化させ發達させる、其處に藝術の目的があり藝術家の生命がある。ところが東洋の藝術は美をクリエートするのでなく美を暗示すればいいのだ。東洋人の考へて居る美は、暗示するより外に形で現はしやうのないものなのだ。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 漱石を引き合いにして始められた議論としてはここはやはり飛躍があるように思われる。漱石はリチャード・ブローティガンのように意図して、あえて様々なスタイルの小説を書いた。『アメリカの鱒釣り』と『ソンブレロ落下す―ある日本小説』くらい『永日小品』と『こころ』はスタイルが異なる。「クリエートではなく暗示に留まる美」というような形式は、例えば村上春樹作品には当てはまるかもしれないが、村上龍作品には当てはまらない。そして例えば『こころ』は、おそらくユーゴーとかバルザックとかトルストイとかに比べても劣らないやうな偉大な小說である。

西洋人は月の光りが溪川に映るところや、庭の木の葉を照らすところや、都會の電信柱に光つて居るところや、そんな景色を摑まへて其れを一つ一つ美だと思つて居る。さうして藝術家でも餘程えらい人でなければ、その光りの本が大空の月であることを知らない。のみならず、そんな景色を一つ一つ寫すよりも、直ちに大空の月を見た方が近道であることを知らない。其處へ行くと東洋人は初めから大空の月を見て居る、見ない迄も感じて居る。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 ここで一転東洋人擁護になる。これまでは日本人の小説は駄目だという流れだったはずが、認識論としては東洋人が優位になっている。

藝術家の、いや藝術家ばかりではない、宗教家でも哲學者でも『永違の生命』を欲する總べての人間の終極の目的が、大空の月にあるのだとすれば、月の存在を信ずる事にあるのだとすれば、東洋の藝術の力が西洋のそれよりも端的だと云へないだらうか。だから東洋では水滸傳や紅樓夢よりも李太白の五言絕句の方が貴い。李太白は僅か二十字の詩でもつて、ダンテやゲエテの領域へ一と息に行き着くことが出來る。さうしてダンテやゲエテと共に今も尙ほ人類の中に生きて居る。或ひはダンテやゲエテよりももつとomnipresentだと云へるかも知れない。なぜなら、われわれはファウストや神曲を暗記することは出來ないけれども、李太白の五言絕句ならいつでも心に繰り返すことが出來るのだから。(谷崎潤一郎『鮫人』)

 話は認識論から、漢詩の優位性へと転ずる。なるほどだから漢詩好きな漱石が持ち出されたという訳だ。

 言うまでもないことだが、詩や俳句では食えないから、小説家は小説を書くのではあろうが、その一方で小説だけが「詩でも歌でも何でも詰め込んでよく」「なんでもあり」の「ふきだまり」という性質によって、読者に「長さ」の「体験」を与えるものなのだということを谷崎自身がこの『鮫人』で証明しようとしているのだろう。

不擇南州尉
高堂有老親
樓臺重蜃氣
邑里雜鮫人
海暗三山雨
花明五嶺春
此郷多寶玉
愼勿厭清貧(岑參)

 この小説はこんな漢詩の引用に始まり、さまざまな歌が挿入される。こうした芸術論が交わされ、実在の作家の名前がそのまま使われる。そんなことも許されるのが小説なのだ。そして長い。

 おそらくこの『鮫人』は中断された『眞夏の夜の戀』に書かれるべき内容をそのまま飲み込み、さらに肥大させたものだ。かなり長い。ユーゴーとかバルザックとかトルストイという名前を持ち出した辺りから察するに、ここらでひとつ長いものを書いてやろうという狙いも見える。だからこそ李太白の五言絕句が貴いなどとふるのだ。
 やはりこの谷﨑潤一郎という男は信用できない。


 天然のたいやきが実在することも信用できない。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?