私と料理の関係の成り立ち


はじめての一人暮らしはいきなり海外で、中華料理が好きという理由だけで、中国に来たわけだけれど、

実際に来てみると、私の想像していた、中華料理とローカルな中華料理は少々味が異なるわけで、

日本のスーパーやコンビニのようなお惣菜コーナー(ほとんどない)も、よくわからない料理しかないし、

カップラーメンは驚くくらい美味しくないし、冷凍食品なんかもとても食べられるようなモノではない。

美味しそう~と思って買ったものが美味しかった試しがない。


そんなこんなで、私は毎日自炊せざるをえない状況となり、それまで壊滅的になかった料理のスキルが脅威のスピードで上がってしまった。

とは言っても、調理の腕前まだまだであるし、食材の下処理の仕方も勉強中ではあるが。



料理に関して、最近自分のある特徴を発見した。

それは、食材を余すことなく使おうとすることである。(貧乏くさい?)


例えば、大根の煮物を作った時に、厚くむいた皮は、きんぴら大根にして、

使用しただしパックの中身は、適当な具材と一緒に炒めて食べる。


かぼちゃの煮物を作った時に、切り落とした皮は、火を通しながら砂糖と絡めて、おやつとして食べる。


それから、サバの味噌煮缶

サバの味噌煮缶をトマトとオリーブオイルで和えて食べたのは、正直いまいちだったけど、その時に余った汁を、野菜炒めの味付けとして使用したのは、かなりいい出来だった。



食材を無駄にしたくない、というより、自分で何かアレンジして作ることが楽しくてしょうがないのだろう。


以前までは、少し怖くて手を出せずにいた、中国ならではの食材も、中国人に調理法を聞いてから、味付けを和風にしてみたり、中国人には余り馴染みがないらしいマヨネーズで和えてみたり。

中国人もうなるほどの、料理が作れた時は、ここで店でも開こうかなという気持ちにもなる。


食べる事も好きだけれど、料理が本当に好きだと感じるのは、おかずをあまりにも作りすぎる時や(おかずをつくりすぎるため、白いごはんを食べるのやめた。)夕飯を食べ終わった後に、何か閃いて、なぜかまた、台所で調理をし始める時だ。



食べ物の好き嫌いが全くないのだが、よく、あまりにも好き嫌いが多い人を見ると、『お母さん料理あまり上手じゃなかったのかな…。』と思ってしまう。

(かなり偏った見解ですごめんなさい。)


私の母は、調理師免許を持っていて、某有名な○BCクッキングスタジオなんかで教えたりなんかもしていたわけで、いつでも美味しい料理が食べられていた。

おかげで舌の肥えた私は、料理をしている時に、味を想像することができるようになった。


味を想像するとは何ぞや。


私は基本めんどくさがりなので、調味料も目分量である。

(つまり計量が必要不可欠なお菓子作りは全く出来ない。)


味を調整しようと味見をしたときに、

「何かが足りない」と思う時がある。

その時に”味を想像する”のだ。

これに何を足すと、どんな味になるだろうか。というようなことである。

何が正解かは分からないけれど、結果自分の選択が正しいと自分で判断した時は、

「あ、料理楽しい♡」

と感じる。


適当にやっても、何とかなる料理。

洋風にしようと思っていたのに、途中で気が変わって、和風の味付けになる事もある。

それでも何とかなる料理は、かなり気まぐれ女な私にとって有難い。


料理はフィーリングだから。

と開き直って、今日も自分のためだけに楽しんで料理をする。















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