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シネマちっく天国

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南伊豆好きの中年ポップスおたくが垣間見た映画の隙間
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普通に生きてもいいとバラしてしまった「すばらしき世界」

普通に生きてもいいとバラしてしまった「すばらしき世界」

時代の変化をこれほど痛切に感じたのは久しぶりかもしれません。
映画「すばらしき世界」。

地味な映画でしたが、受けた衝撃は決して小さくありませんでした。
なぜって「ヤクザが普通に、平凡に生きるのを選ぶ」映画だったからです。

個人的にはヤクザ映画=任侠映画といえば、「かたぎじゃいられない美学」を描いているという印象を持ってまして。

ささやかな幸福をつかむために、平凡で普通なカタギの世界に居場所を

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寅さんの「最高のふられ方」を見るべし、「男はつらいよ 寅次郎恋歌」

寅さんの「最高のふられ方」を見るべし、「男はつらいよ 寅次郎恋歌」

 「男はつらいよ」シリーズには毎回のお約束というかお作法がありまして。
そこが見どころになってるわけです。
 それこそ「水戸黄門」における印籠みたいなもので。

 主人公の寅さんが妹さくらや叔父叔母のいる団子屋の敷居のくぐり方。
 団子屋に隣接する印刷工場の通称「たこ社長」が団子屋に入ってくる時の間の外し方。
 おいちゃんやたこ社長と寅さんの喧嘩のし方。

 毎回、このお約束を楽しみにしてるわけで

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「予期せぬ訪問の決まり悪さ」を描いていたポランスキー監督の「水の中のナイフ」

「予期せぬ訪問の決まり悪さ」を描いていたポランスキー監督の「水の中のナイフ」

 なるほど、「予期せぬ訪問の決まり悪さ」を描いていたのか――。
ロマン・ポランスキー監督の処女作「水の中のナイフ」(1962年公開)を見てそう思ったわけです。

 ずっと「間借り人の居心地悪さ」を描くのがポランスキー監督の特徴だと思っていたわけです。
 アカデミー監督賞など3部門を受賞した「戦場のピアニスト」もそう。オカルト映画に分類される「ローズマリーの赤ちゃん」も、カトリーヌ・ドヌーブ主演の「

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フリークスVSキャメロン・ディアス! 境界線ギリギリの怪作『メリーに首ったけ』

フリークスVSキャメロン・ディアス! 境界線ギリギリの怪作『メリーに首ったけ』

 これにはたまげた!今や大スター、キャメロン・ディアスの出世作っていうから、それなりに面白いんだろうと思って観たのだが、これがフリークスだらけ、タブーを犯すギリギリまで迫った怪作だった。キャメロン・ディアスのチャーミングなイメージだけで判断すると、良くも悪くも裏切られるに違いない。

 なんせオープニングから凄い。脱力系米国ロックスター、相当マイナーなジョナサン・リッチマンが木の上で歌ってる場面か

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パパのいないアメリカ映画

パパのいないアメリカ映画

 「なぜアメリカ映画にパパはいないのだろう?」

 映画『グラディエーター』を観てそう思いました。いつもアメリカ映画の主人公にはパパがいない。そしてパパを探し、愛し、憎んでいるのでは、と。

  基本的に手に汗握る大活劇なんですが、話の軸は、皇帝マルクスに愛されぬ息子コモドゥスの悲しみと憎しみなんです。息子の非力さ、邪悪さに気付いているマルクスはその権力を委譲しようとせず、一介の農民だったマキシマ

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ポランスキーが描く、間借人の居心地悪さ

ポランスキーが描く、間借人の居心地悪さ

 例えばこの映画に、ユダヤ人ピアニストとナチス将校の心の交流を期待していたら、がっかりすることは間違いない。
 美談でも、感動的な物語でもない。涙を流す場面なんてほとんどない。
 映画『戦場のピアニスト』は、徹底的に「居心地の悪さ」を描いた、ロマン・ポランスキー流サスペンス映画だと思う。

 物語は、主人公であるピアニスト、W・シュピルマンが、ラジオ放送のためにピアノ演奏している場面から始まる。突

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「アメリカ人じゃなくて良かった」と思うとき(2005-05-06)

「アメリカ人じゃなくて良かった」と思うとき(2005-05-06)

 「アメリカ人じゃなくて良かった」
 と思う瞬間がある。1つは滞在経験のある人から、食生活の貧しさを聞かされるとき。
 もう1つは「プロム」を舞台にした映画を見たときだ。

 「行進」を意味する「promenade」を語源とするらしい「プロム」は、言ってみれば「卒業パーティ」だ。その年の卒業生から男女の代表的人気者を選ぶ。各自パートナーを見つけ、男女カップルで出席するのがベスト。1人でも出席資格は

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ためらう男が踊りに至る決意(2005-05-12)

ためらう男が踊りに至る決意(2005-05-12)

 男だけで踊る映画がある。

 『フル・モンティ』?そう、炭坑の失業者が一念発起してストリップに挑戦する英国産コメディだ。
 『プリシラ』?いいとこついてるよ。ゲイダンサーが興業のために大陸を横断するオーストラリア産ロードムービーね。
 えっ『ウオーターボーイズ』?シンクロナイズドスイミングを文化祭で披露するために奮闘する高校生を描いた日本映画ね。あれもダンスの一種と考えれば確かにそうだ。

 で

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夢をあきらめる覚悟を描いた「水もれ甲介」

夢をあきらめる覚悟を描いた「水もれ甲介」

「味噌汁」は「おみおつけ」。
「トイレ」は「便所」。
ビールや焼酎より、日本酒をとっくりで飲むのが普通。

と、1974年放映当時の風俗がうかがわれるのも興味深いテレビドラマ「水もれ甲介」ですが。
東京・雑司ヶ谷の下町を舞台にした人情劇でして。
映像には撮影場所の住所もばっちり写ってるし。

何より興味深かったのは主人公2人が「夢をあきらめている」ことでして。

「夢を追いかけている」んじゃないん

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「コーダ」と「エール」で「フランスはエロい」と思った

「コーダ」と「エール」で「フランスはエロい」と思った

「フランスはエロい」と思ったわけでして。

米国とカナダ、フランスの共同制作となる映画「コーダ 愛のうた」とその元ねたのフランス映画「エール!」を見比べたわけですが。

物語の構成はほぼ同じでして。

聾唖者の家族に囲まれて、ただ1人聾唖ではなかった女子高生が主人公です。
成り行きで入部した合唱部で音楽教師に才能を見出され、発表会で男子生徒とデュエットすると決まったものの、ひょんなことでその男子生

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ボブ・ディランが残した70年代の悪あがき

ボブ・ディランが残した70年代の悪あがき

 なんとなく、かつ無責任な印象を言えば、60年代に拳を振り上げた「若者たち」は、70年代は拳の下ろしどころに困って悪あがきし、80年代は決まりの悪い心地良さに溺れてしまったように見えるわけです。
 
 ネットフリックスで公開されたボブ・ディランのドキュメンタリー映画「ローリングサンダーレビュー」は、さしづめそんな「若者たち」の悪あがきの記録ではないかと感じました。

 1975年にボブ・ディランが

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「世界の中心で、愛を叫ぶ」で脚本を考える

「世界の中心で、愛を叫ぶ」で脚本を考える

 「世界の中心で、愛を叫ぶ」で、映画とテレビドラマ、原作の関係について考えさせられました。

 遅ればせながら小説「世界の中心で、愛を叫ぶ」を読みました。武者小路実篤の「愛と死」などと同じく「愛した人が死ぬ」ことをてらいもなく描いた悲劇。愚直なぐらいストレートな「愛と死」などとは違って、恋人アキを白血病で失った主人公、朔太郎の回想と現在を交互に描く構成上の工夫がありました。

映画版は祖父のエピソ

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パパのいないスタートレック 『スタートレック』

パパのいないスタートレック 『スタートレック』

続編『スタートレック イントゥ・ダークネス』を先に見たのは失敗だった。なるほど。そもそも『スタートレック』はパパなし映画だったんだ。

【ネタバレ注意です】

なんとカーク船長は、父親と死別していたことが明らかになる。
そうだったのか。
トレッキアン(熱狂的な「スタートレック」ファン)ではないどころか、『イントゥ・ダークネス』で初めて『スタートレック』を観た私にとっては衝撃だった。

そして、やは

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元祖いじめられっ子映画 映画『マイ・ボディガード』

元祖いじめられっ子映画 映画『マイ・ボディガード』

 マッチョな正義の味方が悪を打ち倒す。最近の米国映画の傾向だが、米国が常にマッチョだったわけじゃない。

 ロバート・オルドリッチやジョン・フランケンハイマーのようにダメダメな弱者を描き続けた監督だっているし、『がんばれベアーズ!』や『真夜中のカーボーイ』(ママ)のように、ダメ人間を描いた大ヒット作もある。
 過去だけじゃない。
 『ダイハード』や『ランボー』のようなマッチョ映画の陰で、ずっと米国

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