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元祖いじめられっ子映画 映画『マイ・ボディガード』

 マッチョな正義の味方が悪を打ち倒す。最近の米国映画の傾向だが、米国が常にマッチョだったわけじゃない。

 ロバート・オルドリッチやジョン・フランケンハイマーのようにダメダメな弱者を描き続けた監督だっているし、『がんばれベアーズ!』や『真夜中のカーボーイ』(ママ)のように、ダメ人間を描いた大ヒット作もある。
 過去だけじゃない。
 『ダイハード』や『ランボー』のようなマッチョ映画の陰で、ずっと米国映画は悲鳴を上げてきた。
 B級青春映画というジャンルで、弱者の叫びをすくい上げてきた。

 『マイ・ボディガード』はその典型だ。

 転入生の主人公クリフォードが、マット・ディロン演じるいじめっ子の恨みを買う。
 たまりかねたクリフォードは、同級生のリンダーマンにボディガードを頼む。
 心を閉ざしていたリンダーマンは、クリフォードの真っ直ぐさに心を開く。しかしリンダーマンには、銃の暴発で弟を死なせてしまったという暗い過去があった。

 その後、パトリック・デンプシー演じるおたくが、人気者のチアリーダーを恋人として雇う『キャント・バイ・ミー・ラブ』というB級青春映画の名作があった。
 『マイボディガード』は、そのプロットの原型と言ってもいいか。まっ、この手のいじめられっ子映画のプロットは、だいたい似たようなもんなんだが。

 舞台は高校。主人公は自転車に乗っている(車に乗っていない)スポーツの苦手な優男だ。
 友達はチビやメガネ。恋人はおらず、フットボール選手やバスケ選手といった学校のマッチョな男たちに嫌われる。
 どういったわけかとてつもない美女か、恐ろしく強い男と仲良くなり、いじめっ子と立場が逆転するが、美女と別れかかったり、強い男と仲違いしたりして、窮地に陥る。
 が、最後はよりを戻したり、友情を取り戻してめでたしめでたし。

  米国の人口のほとんどを占めるいじめられっ子が溜飲を下げるのだろう。この手のいじめられっ子映画は、80年代からほぼ毎年公開されている。

 『マイボディガード』はそんないじめられっ子映画の初期に当たるものだと思う。そして、同種のB級映画にはないA級感がある。
 
 まず『天国から来たチャンピオン』や『卒業』で知られるデイブ・グルーシンの叙情的な音楽だ。 
 『突然炎のごとく』や『リトル・ロマンス』で知られるジョルジュ・ドルリューばりの流麗なBGMは、その後のB級青春映画がロックやシンセサイザーのチープな音楽をBGMにしたのと、大きく異なる。音楽の重要性を再認識できる。

 『プリティ・イン・ピンク』や『25年目のキス』とは違って(どちらも大好きだが)、脚本や演出がマンガチックではない。
 同種の映画が通常、「プロム(卒業パーティ)で辛い思いをした」程度の可愛い苦しみしか描いていないのに対して、『マイボディガード』では銃の暴発で弟を亡くし、しかも保身のために嘘をついたリンダーマンの悲しみと葛藤が描かれている。
 このシリアスさが物語に奥行きを与える。

 そしてもう1つ。ルース・ゴードンの出演だ。
 映画『少年は虹を渡る/ハロルドとモード』で主演。自殺壁のある少年と恋に落ちる老婆モード役で映画ファンの記憶に残る。

 『マイボディガード』では、主人公クリフォードの祖母役を演じている。これがまんまモードなのだ。
 老いてなお盛ん。クリフォードの父が支配人を務めるホテルのバーで、妻同伴の男性を口説く。視察に訪れたホテルの総支配人にまで誘いをかける。既成概念にとらわれず、自由に人生を楽しむ。暗くなりがちないじめられっ子映画に、コケティッシュな希望を与える。
 恐らくはモードへのオマージュ。『少年は虹を渡る』ファンは涙腺が緩むのを禁じ得ないだろう。

 『アウトサイダー』でブレイクし、二枚目役で知られるマット・ディロンが、意外にも最後に鼻の骨を折られてコテンパンにやられるダメ役を演じる。後に『メリーに首ったけ』で披露する怪演の萌芽を感じる。

 ついでに言うと、後に大ヒットした『フラッシュダンス』の主演女優ジェニファー・ビールスがちらっと映る。

 そんなわけで見所満載。爆発も銃撃も、異常犯罪も発生しない、素晴らしい佳作がいっぱいあったなあ。

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