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「世界の中心で、愛を叫ぶ」で脚本を考える

 「世界の中心で、愛を叫ぶ」で、映画とテレビドラマ、原作の関係について考えさせられました。

 遅ればせながら小説「世界の中心で、愛を叫ぶ」を読みました。武者小路実篤の「愛と死」などと同じく「愛した人が死ぬ」ことをてらいもなく描いた悲劇。愚直なぐらいストレートな「愛と死」などとは違って、恋人アキを白血病で失った主人公、朔太郎の回想と現在を交互に描く構成上の工夫がありました。

映画版は祖父のエピソードをカット
 行定勲さんが脚色・演出した映画版は、基本的にこの原作の構成を踏襲。そのうえで朔太郎の祖父が戦中に愛した女性のエピソードをばっさりカットするなど物語をシンプルにしつつ、朔太郎と現在の恋人とのちょっと意外なエピソードを織り込んで、物語に起伏を付けてました。

 ただ祖父のエピソードをカットしたので、朔太郎とアキがどうやってオーストラリア行きのチケットを購入したのかわからなかったり、腑に落ちない部分が生じてました。いくらアキがどうしても行きたいと考えていた場所だからといって、高校生の2人が買える金額とは思えない。小説では、朔太郎の想いの強さに心打たれた祖父が提供することになってたんですよね。

 小説も映画版も、個人的に腑に落ちなかったのが、2人の想いの強さなんです。
 一緒に学級委員になったからって、学年のマドンナ的存在だったアキが、なぜこれほどまでに平凡な朔太郎に恋い焦がれるのか。これがよく分からない。

アキに朔太郎を救わせたドラマ版

その点、ドラマ版は解決してます。急逝した教師に弔辞を述べるアキに、朔太郎が傘をさしてあげる。この場面を印象的に描き、アキが朔太郎に心を寄せるきっかけにしている。小説でも映画でも、朔太郎はアキに傘を差してあげていません。

 映画版ではカットしていた祖父とのエピソードを通して、朔太郎が人を愛する姿の真摯さに、アキが惹かれていく気持ちが伝わってきます。尺の長いドラマならではの創作ですね。

 それからドラマ版では、朔太郎の祖父が亡くなるんです。その時に傷ついた朔太郎を、アキが救ってあげる。白血病で衰弱しているアキを病院から連れ出してオーストラリア行きの飛行機に乗せようとする無謀な行動も、魂を救われた朔太郎が、逆にアキの魂を救おうとしているように見える。

救ってくれた女に男が振り回される姉妹作「白夜行」

 同じ森下佳子さんが脚本を書いた姉妹作「白夜行」も原作、映画版ともに、なぜ主人公のリョウが悪女雪穂を、人生を捨ててまでして助けるのかが分からない。

 森下さんのドラマ版では、この点も解決してます。
 実父を殺害してしまったリョウの罪を、雪穂が隠すんです。自分の母に責任を被せ、殺害しています。これを負い目に感じ、また雪穂を愛しているリョウが、殺人や窃盗を犯してまでして雪穂を助ける。

 同じ森下佳子さんが脚本、綾瀬はるかと山田孝之が主演、音楽は河野伸とスタッフやキャストが共通するこの2作。救われた男が救ってくれた女に振り回される点まで共通してます。

家族のキャラが立ってるドラマ版

 「世界の中心で、愛を叫ぶ」はこのほかに、白血病で亡くなるアキの家族と、アキの死から立ち直れない朔太郎を救うシングルマザー演のエピソードを加えてます。これがさらに物語を膨らませる。

 特に三浦友和演じるアキの父がいい。実直な堅物で愛情表現が下手。厳しく律することでしか愛を示せない父が、娘の白血病発病を機に変わっていく。未来に生きるだけでなく、今を生きる重要性を認識する。そして、過去にこだわり苦しみ続けた朔太郎に、「もう十分だ」と不器用に慰めるとき、嗚咽点は頂点に達しました。

 ドラマ「高校教師」でも薄幸ぶりをはっきしていた桜井幸子が、これまた苦労多いシングルマザー演役で薄幸オーラを存分に発してました。この母子との交流が、朔太郎の心を救うんです。自動車に轢かれかけた演の息子を、演が助けて瀕死の重傷を負う。そのとき朔太郎は、今生きている人を助けてほしいと感じる。そこでやっと、既に亡くなったアキとの関係に区切りを付ける。

 映画版が拡大していた朔太郎の魂の救済を、セリフではなく、他者を救いたいという状況を丁寧に描くことで説得力をもたせてました。

 ウィキで調べたところ、森下佳子さんはこのほか「仁」や「ごちそうさん」の脚本も書いているようです。
 見てみようっと。

 

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