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忘れられない恐怖の体験

僕が小学6年生の2010年5月に父方のおじいちゃんがガンによってこの世を去った。

おじいちゃんは遠方の方でおばあちゃんと二人で
暮らしていたため、年に一回里帰りをして会いに
行くぐらいの関係性だったけど僕は小さい時から
そのたった一回会える日を楽しみにしていた。


僕はサッカーが好きでおじいちゃんと会ったら必ず
一緒にボールを蹴っていた。

「年に一回会いに行くからその時までにもっと上手くなって褒めてもらいたい」と毎回会うたびに僕は
思っていた。

しかし、

2009年からガンを患ってしまいだんだんと体力が
落ちてしまい外で一緒にサッカーをすることも
ままならいぐらいの状態だった。

それでもたまにおばあちゃんから僕の母や父に連絡
が来ることはあった。

ある日、

「そろそろ危ないかも知れないから」と連絡が入って2010年のゴールデンウィーク会いに行った。

病院に入院していることは知っていたし実際に
おじいちゃんの姿を見るのは久しぶりのことだった。
僕の記憶では以前会った時は、少しだけ痩せていた
けど元気だった。

しかし、
久しぶりに見たおじいちゃんの姿に僕は体験したことないよく分からない恐怖を体験した。

おじいちゃんの姿は、骨が浮き出るほどガリガリに
痩せ細っていて顔に生気もなく意識も朦朧とした 
状態の姿だった。

今まで元気に生きていた人間がここまで死に近づいていることに驚いたし実際に自分の目で見たことが
なかった。

おばあちゃんや父が「孫の〇〇が来てくれたよー」とぐったりしたおじいちゃんに話しかけていた。

でも、
ほとんど声も出せないぐらい弱っていたからゆっくりと顔を僕の方に目をむけじっと僕を見てきた。

父に「おじいちゃんの手を握って話してあげな」と
言われたけど、僕はおじいちゃんの変わり果てた姿が怖くて何も言えずただ立ちすくんでいた。

すると、
父が少し怒って僕にさっき言ったことを促され
やっと手を握って少し話をすることができた。
話した内容は未知の恐怖で頭が一杯で全く覚えて
いない。

病院を後にしておじいちゃん家の近くのお蕎麦屋さんでお昼を食べた後、父が運転7時間ほどかけて自宅に帰った。

長い時間の移動だったからその日はすぐに家族全員が眠りについた。

次の日の朝におじいちゃんが亡くなったとおばあちゃんから連絡が入った。

え?嘘だろと僕は率直に思った。

だって昨日会ったばかりでまさか次の日に亡くなる
なんて全く想像もしなかった。

いや、出来なかったんだと今考えたら思う。

当日の朝に出発し夕方にまた父の実家に帰った。 
居間の隣の座敷の部屋にはおじいちゃんが眠っていた。

座敷にいるおじいちゃんの遺体はそれほど怖くなくて
昨日あった時の方が怖くて僕は不思議な気持ちになったことを覚えている。

おそらく、
死に最も近い状態の人と接することによって自分自身の死や恐怖を無意識に感じていたからだと思う。 

人は体験したことないことや普段から接することが
ないことに対して恐怖を感じる。

特に“死“なんて元気に生きている人からしたら1番
疎いものだから余計怖い。

今だから言えるけど、
怖くても死に向き合っておじいちゃんに話しかけて
おけば良かった。

今度は後悔しない為に、
次に死に近くなる可能性が高い両親の死が近くなったときにはいっぱい話したいな。








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