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「介護時間」の光景(55)。「電話台」。4.28.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年4月28日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。


 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。

 介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、2014年には、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けることが出来ています。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。


 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。


 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年4月28日」のことです。終盤に、今日、2021年4月28日のことを書いています。

2007年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあり、そのことも原因で私自身が心房細動の発作を起こし、これ以上無理すると死にますよ、などと医師に言われ、毎日、心臓の薬を飲み続けていましたが、まだ時々、めまいを起こすようなこともありました。

 そのせいもあって、うつむき加減で、なかなか、次の病院に移っても、医療関係者を信じることができませんでした。


 それでも時間が重なるごとに、病院のスタッフの方々が、母を大事にしていただいていることがわかり、私も信頼するようになりましたし、母の症状も安定してきましたが、2004年には、母の肝臓にガンが見つかり、手術をして、いったんは抑えられていたのですが、2005年に再発し、それからは、年齢のこともあり、積極的な治療が出来なくなりました。


 実家へ外泊したり、箱根や熱海に旅行もしましたが、2007年の4月の頃は、本当に状態が悪くなっていました。

 その時の記録です。


2007年4月28日

「昨日も、母はぐったりしていたそうだ。
 午前中の、病院の中での集まりも、欠席したという。

 病院のスタッフと、エレベーターで会うと、万が一の時の話をするようになっている。

 それだけ悪くなっていると思うと、仕方がないとは思いながらも、暗くなる。

  いつものバスで夕方に病院に着く。
  母は、ぐったりと寝ていて、本当に死んでいるように見えた。

 それから、昔の話をしたら、少し元気が出てきて、ホッとしていたら、夕食は25分をかけて、本当に少ししか食べない。一割とか、二割くらい。

 歩き出しがしんどい、と言うようになった。

 覚悟なのか、面倒くさいのか。よく分からない言い方だった。

 大きく出たお腹。それは、腹水が溜まっているらしく、今は、何かの手術をできるようなこともなく、なるべく苦痛を減らす、ということしかできない。

 そんな話は、医師から聞いている。

 それでも、今日はなんとなく元気に見えて、よかった、と思うようにしている。

 午後7時に病院を出る。

 エレベーターで、ずっとお世話になっている介護スタッフの人と一緒になる。
 食べないねえ。
 という話になる」。

電話台

 ホームの上のコンビニの壁際に、緑の公衆電話がある。

 その下に、カバン。おそらく黒い大きなボストンバックが置いてある。その横には赤いビニール袋。袋が、異様に細かく、生きているような動き方をしていると思っていたら、隣の黒いカバンが、もっと生き物のように動き始める。

 それは、バックと同じように見える素材のジャンパーを着た子供が電話台の下に座っているだけだった。だけど、その素材がホントによく似ていた。

                    (2007年4月28日)


 2007年の5月に、母は病院で亡くなった。それからは、義母の介護が続いたが、それも2018年の12月に終わった。


2021年4月28日

 起きたら、妻が出かけていた。
 土手に行きます、とメモがあった。
 いい天気だった。

 妻が、ホコホコした顔で戻ってきた。
 ご近所の用事を済ませてから、話を聞いた。

妻の話

「去年も、見に行った、その、土手の傾斜のところが、シロツメクサの草原になっているところがあって、今年も、草原になっていた。久しぶりに見に行ったら。

 一面、シロツメクサになっていて、緑の中に、ボンボンみたいな花がわーって、広がっている感じが、よかった。

 ちょっとこんもりした、低い山並みのように生えていて、その山並みがいくつもあって、その自然のレイアウトが良くて、全体が草原みたいになっていた。

 それを目の当たりにすると、欲が出ちゃって、他の花も咲いているといいな、と思って、さらに先へ探しに行った。

 そしたら、シロツメクサに混じって、いろんな花が咲いてて、わーって思って」。

 話のリズムが、楽しさを伝えてくれている。

いろいろな植物

 ここからは、図鑑のような本を見せてくれながら、話が続いた。

「まずね、コメツブツメクサ、すごい細かい黄色の花。
 それから、マツバウンラン。こういう、ヒューン、ヒューン、って細くて、上に向かって、生えてる。
 あとは、えーと、アカツメクサとか、あと、あの、ナヨクサフジ。紫色の小さい花がフサのようになってる。

 あと、あれだ。イモカタバミ。濃いピンクの花。根が芋みたいになっているから、イモカタバミ。

 それから、アカバナユウゲショウ。それは、ピンク。

 あと、タンポポっぽい…ブタナも咲いてた。

 それだけ見れたし、少しつんで帰ってきたから、すごく満足だった」。

 植物のそれぞれの魅力を伝えようという熱意が優先されていて、聞いているだけで、河川敷の光景が、少し見えるような気もした。

(見出しの写真は、妻が撮影してくれました)。

外出できない日々、身近な自然

 その花を、妻が、小さな花瓶に生けて飾ってくれた。

 そんな様々な植物たちが、河川敷にあることを、たぶん、私だけが歩いていたら、気がつかないと思うけれど、出かけられなくても、こんなそばにも自然の豊かさがあるんだと思わせてくれた。

 少しでも、明るい気持ちになれる時間だった。



他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしく思います)。



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