「介護時間」の光景㊷「影」。1.19.
古い話で申し訳ないのですが、前半は、2001年1月19日のことです。
(終盤に、2021年1月19日のことを書いています)。
2001年には、私は、自分自身の病気もあり、介護に専念するために仕事を辞めざるを得なくなり、母親が入院する病院に通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に妻の母親を介護する毎日が続いていました。
当時は、限られた場所だけで生きていて、家族以外と話すのは、母の入院先の病院のスタッフくらいでした。全く先のことが分からず、ただ土の中に生きているような気持ちになっていました。
(それまでと、それからについては、このマガジン↓にまとめてありますので、よかったら、読んでいただけると、うれしいです)
それでも、今よりも、周囲の小さな変化や違和感に関して、敏感だったように思います。そうした毎日の記録や書いていたことを、日付けを合わせることに、そんなに意味がないのかもしれませんが、同じ日付けの時に、こうして伝えていこうと思っています。
さらに、介護に専念していた頃は、毎日のように、何かしら書いていました。それは、あまり意識していませんでしたが、書くことで、少しでも気持ちの負担を軽くしようとしていたのかもしれません(リンクあり)。
その頃の記録です。
2001年1月19日
「午後2時過ぎに家を出て、ファーストフードで昼食を食べる。
電車に乗って、外を見ると、走っている線路の景色までキレイに見える。
自分が死んじゃうのか。
それでも、何かツキモノが落ちたような気持ちにはなっていて、それは、心臓の発作が少し落ち着いて、そして、少し体重を落として、筋トレを始めたせいかもしれない。
とてもささやかなことだけど、ほんの少しでも変わってきたのかもしれない」。
影
川崎駅。いつも通っている階段。ホームにしか通じていない乗り換え専用の階段。
そこをいつものように歩いていたら、窓に斜めの太い線の影。
たぶん、鉄柱だと思う。だけど、すりガラスに映った、そのちょうどいい明るさ具合というか、暗さ具合が、何かで描いた線のように見え、キレイといっていい影になっていた。たぶん、この時間だけ。
(2001年1月19日)。
「電車を乗り換えて、さらに遠くへ行き、目的の駅に着く。
午後3時45分発のバスに乗る。
ここから、病院まで30分くらいかかる。
午後4時30分前に病院に着いた。
母は、ベッドに横になって、テレビの大岡越前を見ている。
昨日来たことを、全く覚えていなかった。
記憶がないらしい。
午後4時30分からの、母のトイレの回数を、「正」の文字で数えていたら、午後8時に帰るまでに、ちょうど5回になった。
それでも、何日か前に、小窓から見えた夜中の三日月の話をしてくれたけれど、その三日月のことは覚えていた。
ノートを置いてあるが、そこに書かれた日記の日付と曜日は、何回も消され、書き直され、だけど、1日ずれてしまっていて、曜日もおかしくなっている。
部屋の外にいる、ごめんなさいを繰り返す患者さんと、どこに帰るの?422号室、と繰り返す患者さんの声が聞こえてきて、そのうちのお一人の反応は、以前より良くなっているように感じた。
母の症状は、悪くはないけど、ゆるさがましていて、なんだかかわいそうな気持ちにもなったりするけれど、それは、こちらが、そんなことを思えるほど、変な余裕が出てきたせいもあるかもしれない。
かといって、これ以上、どうしようもできない。
午後8時前に帰る。
またね。と母は言ってくれたけれど、なんとなく悲しそうに見えた。
病棟では、オルゴールのディズニーの曲が流れ続けていた。壁に、喜寿が4人で「おめでとうございます」という紙が貼ってあった。
この記憶もなくなったりするんだろうから、と思うと、よく分からなくなる」。
2007年には母が亡くなり、2018年には、義母も亡くなり、介護は19年でとつぜん終わった。
そして、今日は、2021年1月19日だから、2001年からは、もう20年たっている。
静かで、天気がいい。
洗濯をして、干すときに少し外へ出ただけで、風が冷たく硬めに感じ、冬だと感じる。
空は青く、寒くても気持ちはいい。
4階建のマンションの少し上を鳥が翼を大きく広げて、飛んでいる。
カラスかと思ったけれど、もしかしたら、違うかもしれない。
漂うように飛んでいるように見えた時、風が吹いたらしく、翼を少しだけ動かし、急に方向を変えた。
それは自在な感じがして、ちょっとうらやましく見えた。
午前中は、静かなままだった。
妻が、「もしコロナにかかったかもしれない時、どこへ連絡すればいいかを知っておきたい」と言うので、検索し、いくつかピックアップして、それを妻にマジックで書いてもらって、その紙を、固定電話のそばに貼った。
午後も淡々と過ぎていく。
午後3時。
外を見たら、真っ直ぐに向こうへ続く細い路地を、二人の、おそらくは、まだ小学校低学年の女子が並んで、手をつないで、歩いていく。
ほぼ同じ背格好。茶系のランドセルの色。
足並みは揃っているけれど、時々、すごく隅っこに寄ったり、また、真ん中へ戻ったり、ゆっくりしたジグザグを描きながら、途中で手もはなしたけれど、体はくっつけながら、時々、押し合うように揺れながら、その姿は、だんだん小さくなっていく。
路地を抜けたら、陽の光をいっぱいにうけて、二人揃って、右に曲がって、姿が見えなくなった。
それから10分ぐらいたったら、今度は家のまえの道を授業が終わったらしい高校生が何人かずつグループになって歩いて、帰っていく。知らない単語が聞こえる会話も耳に入る。
平和な光景だった。
午後5時を過ぎたら、今度は、おそらくは部活帰りの高校生が何人かで話をしながら、道路を歩いて行った。
家にいる分には、静かな1日だった。
(他にも介護について、いろいろと書いています↓。読んでいただければ、ありがたく思います)。
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