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「介護booksセレクト」㉓『よみがえる変態』 星野源

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護books セレクト」

 当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、「介護books」として、毎回、書籍を複数冊、紹介させていただいていました。

 その後、自分の能力や情報力の不足を感じ、毎回、複数冊の書籍の紹介ができないと思い、いったんは終了しました。

 それでも、広く紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活し、継続することにしました。

 今回は、今では国民的スターのようになったミュージシャン・星野源のエッセイです。介護とは全く関係ないように感じられるかもしれませんし、いわゆる「エロい話題」も率直に取り上げているので、抵抗感がある方もいらっしゃる可能性があります。

 ただ、このエッセイの後半、「生きる」から始まる部分(文庫本で128pから)からは、2度にわたって倒れ、命の危険にさらされながら、回復してきた過程を丁寧に描いた闘病記でもあるのは、このタイトルからは、わかりにくいかもしれません。

 この「変態」というのは、人間よりも長い歴史を持つ動物たちから見れば、服を着て着飾ったりなど、人間というのは「変態」と言われるような存在でもあるので、「どこにでもいる人間が、死の淵から戻ってきた」という意味合いを込めた、ということのようです。

 この書籍は、病気という自分ではどうしようもできない困難な状況に陥った当事者からの視点が、細やかに表現されているという意味で、とても貴重な記録でもあると思いましたので、紹介しようと考えました。

闘病記

 様々な人が、自分が病気になった時の事を書いています。それは、その当事者にしかわからないことを記録してくれています。

 多くは病気の体験でもあり、その体験の時の気持ちの状況もつづられたものでもあり、もしくは、その病気への対応であるとか、もしくは早期発見や、その人の推薦する医療機関などが明かされることがあるので、実用的な意味合いもあります。

 そこには、日常から非日常になり、さらに再び日常に戻ってくるまでが記され、そして、人によって、たとえ同じ病気であっても、かなり違った印象になったりしますが、それぞれ貴重な記録であることは間違いありません。

 同時に、周囲の対応も含めて描写されていることも少なくなく、支援者や医療者にとっては、いいところも悪い部分も含めて、参考になることも少なくありません。

 もちろん認知症であっても、当事者の記録はとても重要なものであることに変わりはありません。

『よみがえる変態』 星野源

 本人が記録している場合は、少なくとも、いったんは記録を残せるほどの回復状況になっていないと、書けないはずです。ですから、重い症状の方ほど、回復できないことも少なくないでしょうから、かなり重篤な状況の記録を残したという意味でも貴重な記録だと思いました。

 その「闘病記」は、文庫本でも黒い2ページをはさみ、「ありのままを書こうと思う」という著者の一文から始まります。

 己が設定したハードルを越えたいがために、様々な仕事と並行しながら作詞作曲作業を進めていた。睡眠時間はなくなり、ハードな工程を進めていくうちに、いつの間にか圧倒的な孤独感の中にいた。 

(『よみがえる変態』より)

 ここに至るまでもエッセイを連載しているのですが、その描写は、そのままでは過労死してしまうのではないか、という危うさまで現れているようでした。

 それでも、音楽家である著者は、なんとか仕事を進めていきます。

 なんとか詞を書き上げ、急いでスタジオに入ってサイドギターを録音し、歌を歌っていると、いきなり「ズキン」と後頭部から首にかけて痛みを感じた。

 深夜2時。ボーカルとコーラスの収録を終えた。これですべてのレコーディングが終了した。苦境を乗り越えた達成感と共にスタッフ皆で「お疲れさま!」と拍手すると、急に目の前がぐにゃっと曲がった。
 あれ?
 猛烈な勢いで変な気分になり、誤魔化そうと携帯電話を手に取り「メール見てくる」とスタジオの外に出ると、金属バットで思い切り頭を殴られたような痛みとともに、立っていられなくなり、地面にへたり込んだ。  
 痛い。頭の中が超痛い。歩けない。 

(『よみがえる変態』より)

 当事者は、こうした苦しさと、なんだかわからない不安の中にいることが、かなり正確に書かれているように思います。本人以外には分からない感覚をきちんと覚えていて、伝えてくれているようにも感じます。

周囲の反応

 15分後救急車が到着し、担架に乗せられ乗車したが、年末の日曜深夜に脳神経外科の救急を受け入れてくれる病院はなかなか見つからない。(中略)
 どの病院に電話しても「患者がいっぱい」「脳外科の医者がいない」等の答えしか返ってこなかった。ぶっきらぼうに「内科でもいい?」と訊く救急隊員に「脳外科、これは絶対脳外科」と答えたが、その後20分が経ち、あまりにも埒があかないので、気付けば他の病院に電話をかけようとする救急隊員に「内科ああああ!」と叫んでいた。

(『よみがえる変態』より)

 本人は、これまでにない頭痛と、気持ち悪さの中で、おそらくは脳の出血ではないか、という恐怖の中で必死なのは間違いなく、そして、救急隊員は多忙で疲労もあり、そこに苦しんで横たわる人間に対してできることは、何しろ早く病院に連れていくことに集中しているのだと想像できます。でも、そこで「ぶっきらぼう」な対応自体が、より苦痛を招くことは避けられないのだと感じます。

 私自身も、強いめまいと嘔吐感で救急車を呼んでもらい、その車内で向かう病院を探してもらうときに、「寒い、寒い」とうなされていたらしいのですが、そのときに、何人かの救急隊員が「脳ですね」と声を揃えているのを聞いて、死ぬのかなと思ったのですが(病院では異常がなく、原因不明と言われました)、後で考えると、周囲の反応に対して、かなり敏感だったことを思い出しました。

 支援と医療とは違うとは思うのですが、苦しんでいる方に対して、そのときにでも、かなり周りの声や音が聞こえていることを考えた上で対応することが、その本人の苦痛に関係することを、このエッセイによって改めて教えてもらったように思いました。

 さらに病院に運ばれてからも、すぐに検査、入院にはつながらなかったようでした。

 とある総合病院の救急センターに運び込まれると、呆れた顔の女性医師と目があった。「痛い」というと「はいはい」といなされた。その内科医はしばらくカルテに何かを書き込んでおり、特に動かなかったのでこれはテキトーな検査をされるパターンだと怖くなりアピールしようと思った。
「絶対なんか脳がおかしいです」と言うと「うーん、骨髄炎じゃないですか?」と内科医。さらに訴えると「寝てると思うけど……」と脳外科の先生に電話してくれた。しかしつながらず、交渉の末、結局CTスキャンを撮ってもらうことになった。運び込まれる時、内科医の方向に結構な勢いで嘔吐してしまい、「もう!」とツンな態度をよけいプンスカさせてしまったので吐きながら誤った。
 CTスキャンの中に入り、頭の痛みと強烈な吐き気に、ここで吐いたら全部自分にかかると必死に耐えた。スキャンが終わると、女医さんが慌てて走ってきて言った。
「星野さん!脳、出血してます!」
「やっぱりいいい」
 そう呻きながらストレッチャーで運ばれた。俺死ぬのかな、と感じると共に、やっと内科医がデレてくれた、と妙にホッとした。
 その後すぐ、別の脳外科の先生に連絡が繋がった。深夜にもかかわらず駆け付けてくださり、精密検査を受けることができた。くも膜下出血という診断が下った。脳の動脈に慢性的で大きな動脈瘤があり、そこからの出血だと言われた。現在患部はかさぶたができて塞がり、血はひとまず止まったが、なるべく早く手術をしなければいけないらしい。

(『よみがえる変態』より)

 年末の日曜日の深夜に運ばれる急患は、思った以上に、重症者が少ないのかもしれません。ですので、最初に対応した医師が間違っているわけではないのでしょう。

 それでも、この状態で病院に運び込まれても、交渉しないと検査も受けられないことを想像すると、その場で、著者が、どれだけ怖かったのかと思うと、こちらまで気持ちが寒くなるような感じがします。

 同時に、肉体的にだけでなく、精神的に追い込まれている人への対応ほど、わずかな違いでも、とても大きい影響があるのではないかと、改めて考えさせられました。

不安への向き合い方

 その一方で、患者の不安に対して、適切な向き合い方をしている医療者がいることも、同時にきちんと伝えてくれています。

 日が明けて翌日。朝7時に、動脈に管を通して行うカテーテル手術(コイル塞栓術)をすることになった。担当医の先生は「絶対に助かります」と目を見ていってくれた。それを聞いて、素直に「そうなんだ」と思った。自分以外の親や、付き添ってくれていたスタッフ達には、後遺症の可能性も含め全快の可能性は低いと言っていたことは後日知る。あの一言がなかったら私は完全に不安に押しつぶされていただろう。その判断をして下さった先生には、感謝してもしきれない。

(『よみがえる変態』より)

 この医師は、自分の強い意志で、こうした対応を選択しているのでしょうし、そのことで、患者の不安を少しでも減らす努力をしているのはわかる気がします。それは、不安を抱える方に対して、どのように対応すればいいのかを、やはり考えさせてくれます。

 そして、著者は、最初の手術でとても苦しい時間を経て回復し、仕事にも復帰してから定期検診を受け、大丈夫という思いもあったのに、再発を告げられます。
 しかも、2度目は、さらに難しい手術であることも知ります。その上で、限られた医師しかできない手術のため、その医師を探すことから始めなくはいけない状況で、その医師に初めて会ったときのことも、詳細に記録されています。

真面目でシビアな話の間に下ネタや世間話を挟み込まれ、あっという間に時間が過ぎた。
 (中略)希望も少なくリスクの高いシビアな状況を説明され、ふっと気持ちが落ち込んだその時、K先生は私の目をじっと見て言った。
「でも私、治しますから」
 予想外の言葉だった。
「最後の最後まで、何があっても絶対に諦めません。見捨てたりしません。だから一緒に頑張りましょう」
 そう言われて診察室を出た。
 
 こんなことあるのか。診察が楽しかった。20分の診察のうち、15分弱は冗談だった。K先生の元には、全国から手術を断られた人が押し寄せる。きっとみんな重い絶望を背負って診察に訪れるはずだ。それを笑い飛ばし、シビアな現実を伝え、かつ希望を与える。診察の長さには理由があった。

 K先生の診察を終えた時、「この人になら殺されていいな」と思った。もちろん、それは冗談ではなく、死というものを猛烈に身近に感じている状況での、真剣な想いだ。この先生ならどんな結果になっても後悔しないだろう、そしてこんなに絶望している人間をたくさん笑わせてくれて、心を軽くしてくれて、真っすぐ目を見て、「治す」と言ってくれた人を信じないで誰を信じるのか。

(『よみがえる変態』より)

 この「K先生」のやり方は、とても真似ができる気がしませんが、ただ、困難な状況にいる方に対してさえ、やはり、できる限り不安を減らす努力や工夫を重ねることは、医療者だけではなく、支援職であれば必ず取り組んでいることでもあり、同時に難しいことでもあるのですが、それでも、やはりとても重要なことであるのは、再確認できたように思います。

入院の苦痛

 そして、介護をする方々にとっても、こうした脳に関わる病気で入院されるご家族というのは、それほど遠い話ではないと思います。同時に、入院した方々が、どのような気持ちでいるのかは、あまり動けず、しゃべれず、といった状態にあるだけに、はっきりと分からないことが多いかと思います。

 ですので、この著者が、これだけ覚えていて、しかも率直に書いてくれたことで、入院する苦痛が、どういうことなのか、を教えてくれたように思います。

ここからが勝負だと言う。術後1週間が一番、合併症が起きる可能性が高く、そこで後遺症が残るかどうかが決まってくる。安心はできない。   
 術前にあった高いテンションは時間が経つにつれ低くなっていき、随分と冷静になっていった。それと同時に今まであまり感じなかった頭の痛みが圧倒的に強くなっていく。
 食べ物も食べられず、水も飲めず、片時の休まずに続く頭の痛み。それは片頭痛の比じゃない、爆発的な痛み、それがただ続く。痛み止めを打ってもらっても痛みは変わらず、胃が拒絶反応を起こして吐き気をもよおし、真っ黒い水を嘔吐する。
「こ、れは血ですか?」
 メガネをかけていないから、吐いたものが血に見えた。しかし看護師は答えてくれなかった。恐らく点滴から流れた水分が体内の不純物と一緒に溜まっていたんだろうと気持ちを立て直す。

(『よみがえる変態』より)

 こうしたとき、あまり話を理解できないように見える患者に対しても、周囲の医療者にとってはとても難しいとも想像しつつ、でも、少しでも何か情報を伝えることで、精神的な苦痛が少しでも和らぐ可能性も考えられました。

 そして、それまでの31年間ひっきりなしに動かしてきた身体が急に動かせなくなるというストレスからみるみる神経が苛立ち、同じく集中治療室にいるであろう他の重篤な患者さんのうめき声、息づかい、機械によっておそらく人体から聞こえているであろう不思議な音、それが気になってまったく眠れない。嗅覚も聴覚も恐ろしく過敏になり、時には集中治療室の外で誰かが食べているであろうクッキーらしきものの匂いで嘔吐する時もあった。遠くの方で聴こえている看護師たちの話し声に発狂しそうになった。24時間、不眠不休で痛みと神経過敏に耐え続ける。それが3日間続いた。
 それまでに抱いていた希望ややる気、人生の中で何度も苦境を乗り越えることで生まれた、なけなしの忍耐力や誇りは、そこで、そのたった3日間で、すべてなくなった。キレイにゼロになった。今すぐにでもベッドの頭上にある窓から飛び降りたい。早く死んでしまいたい。こんな拷問のような苦しみはもうたくさんだと思った。
 お見舞いに来てくれる親やスタッフたちとの時間だけが救いだった。自分が何者なのかを自覚させてくれる唯一の時間。みんなが集中治療室から出た瞬間、ひとり、行かないでくれと声を殺して泣いた。

(『よみがえる変態』より)

 いったん命の危機を乗り越えたという状況であれば、周囲の人たちは、やはり一安心になるのだと思います。ただ、回復のために、体を固定されたような状態になっていて、コミュニケーションもとれないような人も、著者と同様に、このような苦しみにいるのかもしれない、と思えました。

 こんな状態にいたとしても、著者のように若くなく、高齢で体力もあまりなくなっているとすれば、それが、結果として、夜間せん妄という状態になることも、失礼な言い方かもしれませんが、自然ではないかと思えました。

 そうなってしまうほど、想像も難しい苦痛の中にい続けていることは、少しだけですが理解できたようにも思いました。

 こうして、思い出すのも辛いことだと想像できるのに、それでも当事者でなければ分からない苦しさについて描写してくれたことは、とてもありがたい思いにもなりました。

 同時に、苦難にいる方にとって、何か小さいことでも助けになる可能性も、考えさせられました。

 家族を介護している方や、支援に関わる方にとっては、手にとって読んでいただきたい書籍だと思いました。


(こちら↓は、電子書籍版です)。



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