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「介護について、思ったこと」⑳「周辺症状」への対応について。

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 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

介護について、思ったこと

 このnoteは、家族介護者に向けて、もしくは介護の専門家に対して、少しでも役に立つようにと考えて、始めました。

 もし、よろしければ、他の記事にも目を通していただければ、ありがたいのですが、基本的には、現在、話題になっていることよりも、もう少し一般的な内容を伝えたいと思って、書いてきました。

 ただ、その時々で、改めて気になることがあると、もしかしたら差し出がましいことかもしれませんが、それについて考えたことを、お伝えしようと思いました。

 よろしかったら、読んでいただければ、幸いです。

周辺症状

 認知症には、中核症状と、周辺症状がある、というのは、かなり「常識」として定着してきたように思います。

周辺症状には幻覚、妄想(物取られ妄想が典型的)、抑うつ、意欲低下などの精神症状と徘徊、興奮などの行動異常があり、最近ではBPSD(Behavior and Psychological Symptoms of Dementia)と呼ばれるようになっています。

 さらには、こうした冷静な描写もあります。

 認知症の時間的経過の中で特定の周辺症状が出現しやすい時期があります
 
 抑うつや不安感は比較的早期に出現しやすく、幻覚妄想や徘徊は中期に多く見られる傾向があります。ただし物取られ妄想は初期から認められることが多いようです。

 異食(食物以外のものを食べてしまう状態)、うなり声などは認知機能が著しく低下した末期に見られるようになります。

徘徊

 この周辺症状の中でも、「徘徊」に関しては、その言葉自体が議論になることがあります。

 もちろん、周囲からみたら、その意味がわからなくても、どこかへ歩こうとすることは、本人から考えたら、動機があるはずだから、徘徊ではなく、散歩といった方がいいのでは、という主張もあり、それも、同意できる部分はあると思います。

 ただ、実際に、昼夜関係なく、気がついたら外出してしまい、しかも、どこへ行こうとしているのか分からないという状況は、介護をする家族にしてみたら、散歩などという名称で表現するには、抵抗感もあるのではないでしょうか。

 この行動は、やっぱり徘徊と名付けた方が、その大変さも伝わりやすいし、周囲に対して、支援を求めやすい、という傾向はあると思います。

 ただ、その一方で、以前は、問題行動、という言い方をしていましたし(私も使っていた時期があります)、それが、周辺症状という呼び方が一般的になったのは、適切な変化ではないかとも考えています。

 それは、こうした行動が、介護をする人にとって、負担になっているのは事実ですが、認知症の当事者である方も、周囲の負担になろうとして行動しているわけではないので、その行動全般に対して、なるべくニュートラルな表現にするのも、納得がいくことではないでしょうか。

周辺症状と中核症状 

 それでも、気をつけなくてはいけないと思うのは、中核症状(認知機能障害)は、認知症になると、必ず進行する一方、周辺症状は、必ず出現するとは限らない、という言い方です。

 もちろん、これは医学的にも事実だと思われるのですが、環境がよければ、周辺症状は出現しにくい傾向はあるとは考えられますが、いくら適切な介護をしていても、周辺症状が出てしまうこともありえます。

 ですので、周辺症状は、必ず出現するとは限らない、と強調しすぎると、周辺症状が出現した場合に、介護に関わる方が、自分を責めることにつながりかねない、といった点は、十分に考えられていいのでは、とも思います。

周辺症状の負担

グループ1
(厄介で対処が難しい症状)

「心理症状」 妄想、不眠、幻覚、不安、抑うつ
「行動症状」 身体的攻撃性、徘徊、不穏

グループ2
(やや処置に悩まされる症状)

「心理症状」 誤認
「行動症状」 焦燥、社会通念上の不適当な行動と性的脱抑制、部屋の中を行った
       り来たりする、わめき声

グループ3
(比較的対処しやすい症状)

「行動症状」 泣き叫ぶ、ののしる、無気力、繰り返し尋ねる、シャドーイング
      (人につきまとう)

国際老年精神医学会が対処の困難さの観点から分類した周辺症状を挙げました 

 こうして、3段階に分ける意味合いに関して、それほどの納得感がないのは、どれも、対応が大変そうだからで、実際に毎日介護をしている方にとっては、これほどの明確な分類のようなことに対しては、抵抗感があるのでは、と勝手ながら推測してしまうのですが、いかがでしょうか。

 そして、特に、対処しやすいと思われ過ぎているのが、「繰り返し尋ねる」ではないか、という印象があります。

 認知症は、記憶障害を伴うので、1分前に聞いたことでも記憶に残らず、だけど、何かしらの不安があると、何度でも尋ねることがあります。それは、尋ねる方も大変だと思うのですが、介護をしているご家族にとっては、想像以上に気持ちの負担になっていることもあるのでは、と想像できます。

 それは、あまりにも回数が多くなると、特に1対1での介護で、室内で、他に誰もいない場合、自分の方が間違っているのでは、とふと思ってしまい、どこか恐怖感に近い感情に襲われることはないでしょうか。

 しかも、自分が答えたことが、まるでなかったことのように、何度でも尋ねられると、相手にそのつもりがないのはわかっていたとしても、自分の存在そのものを否定されているようになり、知らないうちに怒りが募ってきたりするので、短い時間でしたら対応が可能であっても、生活を共にしながらの介護の場合は、かなりの精神的な負担になることは、改めて考えた方がいいのかもしれません。

 これは、ごく一例ですが、周辺症状も、実は個別性が高く、微妙に違っていると思われます。

 言葉として、「ののしる」「無気力」「焦燥」「不穏」などと、短く表現するのは、診察や介護認定の際には、必要なことだとは思うのですが、介護負担や負担感を考えるときは、もう少し具体的な言葉を尽くしていかないと、その大変さが伝わりにくいのではないかと思うようになりました。

周辺症状への対応

 薬物療法は精神症状に対しては比較的効果がありますが、徘徊、性的脱抑制などの行動異常には効果が乏しく、対応に苦慮させられることが多いものです。
 非薬物的対応は環境への介入、心理的介入を個々の症例に応じて選択します。
 環境への介入としては認知症患者にとってストレスの少ない物理的環境を作り、時間的環境として睡眠覚醒リズムの維持が大切です。
 心理療法的アプローチとしては音楽療法、絵画療法などがあり一定の効果が期待できます。いずれにしても症状が激しい場合は専門病院への入院が必要となります。

(「健康長寿ネット」より)

 周辺症状への対応としては、医学的には薬物療法が考えられるようですが、「症状が激しい場合は、専門病院への入院が必要」で、それは確かにそうとしか思えないのですが、その入院するまでが、とても困難なことが少なくありません。

 特に、本人がとても強く拒絶する場合に、どうすればいいのか。については、いつも、決定的な方法がなく、もっと研究が進んでほしい、と思うことが多いですが、それでも、専門家の一人として、個別な事例に対して、少しでも有効な方法を、その都度、介護者や関係者の方々と考えるしかないのですが、今でも力不足を感じる場面でもあります。

 当然かもしれませんが、介護の現場では、日々、その対応方法の更新が行われているようです。

 サービス時の利用者の徘徊の対応について悩んでいます。
 対応方法については、徘徊が始まったら、一緒について歩くことや、散歩に出かける等ある程度スタッフ全員でマニュアル化し同じ対応が出来るように共有しているのですが、業務上個別の徘徊の対応ばかりではなく他の利用者のケアもあることからストレスになってきています。どうしたらよいでしょうか?

 この質問に対しては、こうした回答があります。

徘徊について毎日の対応をマニュアル化されているとのことですが、徘徊は目的なく歩きまわっているのでは無く、「ここがどこかわからない」という見当識障害や「家に帰りたい」、「居心地が悪い」等の意味があると言われています。その理由は人により様々ですが、背景には不安感があるとも考えられます。徘徊を止めるにはどうしたらいいのかという対処療法ではなく、環境を見直したり、声かけを見直すこと、不安な要因が何かを再度アセスメントを行い、その不安感を軽減する事がゆくゆく徘徊の軽減に繋がると思われます。また、認知症の治療薬を内服している場合は、 薬剤を見直したり調整することで行動が落ち着くことがよくあります。状態を主治医やケアマネジャーに伝えて対応を相談してみましょう。


 物取られ妄想への対処法も、色々と検討され、今もさまざまな場所で試みられていると思います。

認知症の家族に物盗られ妄想が見られても、決して本人を否定してはいけません。「そんなわけがない」「あなたの思い違いだ」と否定しても多くは理解が得られないうえ、「信じてもらえない」という負の感情を抱かせ、本人の自尊心を傷つけてしまいます。

物盗られ妄想に限らず、認知症の方の妄想には、本人に対して「共感」を示すことが重要です。「共感」といっても、「この家に泥棒が入った、大変だ!」など、妄想を助長するような発言は良くありません。「財布が見当たらず不安ですよね」「心配ですよね」など、妄想の内容ではなく本人の気持ちに共感を示す声かけを心がけましょう。「見つかるまで一緒に探しますよ」など、本人が安心できるような言葉を選ぶことが大切です。

こういった声かけも耳に入らないほど怒ったり興奮している場合には、一度その場を離れて距離を取ることも必要です。ただし、逃げるよう無言で立ち去ってはいけません。「ちょっとトイレに行かせて」とお願いするのが良いでしょう。

 こうした「周辺症状への対応」を考えるたびに、介護をする側に、いろいろな意味での力や余裕が必要で、とても大変ではないかと改めて思いますが、こうして、日々、個別な方法の蓄積も行われているはずなので、そうした情報の更新も必要だとも思います。

 それでも、認知症の当事者の方の気持ち(それは、想像するしかないので、本当の意味でわかるわけはないのですが)は、基本的には、周囲の人の思いに対して、より敏感で繊細に受け取るようになっている印象はあります。

 ですので、こうした「周辺症状への対応」に対して、さまざまな方法があるのを知っていることは、介護をする側が、その状況になっても、慌てないこと、怒らないこと、怖がらないことに、つながりやすいと思います
 
気持ちが、なるべく安定することは、そのような行動をしてしまっている当事者に対して、なるべく不安を増進させないために必要ではないかと思います。

 ただ、基本的には、当然ですが、人によって対応の方法は違いますし、この方法で、いつでも誰でも大丈夫、ということはないように思います。

 それに、こうした「症状」(と一言でいってもいいのだろうか、とは年数が経つほど思うようになりますが)に対応することは、基本的には、とても難しいこと、という意識の共有は、改めて必要ではないかとも思います。

「物取られ妄想」への対応

 以前も紹介した書籍の中に、「物取られ妄想」への対応について、個人的には、知らなくて、新鮮な方法がありました。少し長いのですが、引用します。

 私の方法が誰にも当てはまるかどうかはわかりません。声の調子が重要な要素かもしれません。しかし、私はかなり辛抱づよく話を聞いてから(四時間という記録もあります。話は繰り返しが多かったけれども------)「ふーん、お宅にはブラックホールがたくさんあるのだね。でも、どの家にもブラックホールはたくさんあるもののようですよ。私の家なんかも、いろんなものがブラックホールにはいっています。お宅でもホワイトホールも時々あって、思わないところに出ていることがあるでしょう」「だからふしぎなんです」「ふしぎですねえ。でも、ふしぎなことって他にいろいろありませんか」(あります)「ふしぎですねえ。ブラックホールだけじゃありませんねえ」とブラックホール問答をしばらくします。また一戸建ての家だと必ず軋み、屋鳴りがするものですから「ポルターガイストみたいな音もしませんか」ともいいます。「いくらなんでもそこまで」とドクターのほうがクレイジーだと思っていただくぐらいがよいのです。実際、記憶の消失、具体的にはものの在り処がわからなくなるのは、「盗まれる」よりも「ブラックホールに消える」ほうが実感に近いのです。誰それさんのせいにするより、ブラックホールのせいにするほうが一般によいのです。その後、超心理学の信者になった人は私の知る限りありません。もっとも私は少しだけ、ユーモアと面白がる口調とを隠し味として混ぜているのかもしれません。家族同士でも、「あ、またブラックホールにいっちゃった」というようになります。「ブラックホール」は家族の隠語になります。

 ところで「盗まれた」といわずに「なくなったの」「どこかへ行ってしまったの」という人も少なくありません。これは、ほんとうに悲しそうで、悼まれているのは記憶の喪失だという感じがそくそくと感じられます。しかし、探して「ほら」と出してみると、「あったあ」とすぐ別人のようになります。そして感謝されます。自然な表情を表す人が多い感じがいたします。もっとも、感謝された当の事件がすぐ忘れられるのは止むを得ません。

 個人的には、こうした表現には、当事者の気持ちに対して、深い想像力を働かせようとしている気がしました。

 特に、後半の「なくなったの」「どこかへ行ってしまったの」という言葉に関しての描写は、説得力があるように思いました。

 現実的には、「周辺症状」という言葉にまとめられてしまうかもしれませんが、その出来事に対して、これからも、個別な経験の蓄積が必要で、そのことで、認知症の人の思いや、介護者の気持ちに対しての理解も深まっていくように考えています。

「認知症」への知識

 ところで、こうした「周辺症状」の情報に接するようになったのは、自分が家族の介護に関わるようになってからでした。それまでは、恥ずかしながら、自分に関係あることとして、考えることができませんでした。

 そして、それは20年以上前のことだったのですが、特に「物取られ妄想」(ここに、妄想という言葉を使うよりも、幻想、といった表現の方がいいかもしれませんが)については、一番、介護に関わっている家族が、その「犯人」になりがちということも含めて、かなり厳しい出来事だと思っていました。

 ただ、ここからは、あまり心理学的な裏付けがあることでもないので申し訳ないのですが、「周辺症状」をめぐる状況が、もしかしたら、変化しているのかしれない、と思うことがあります。

 例えば、この「物取られ妄想」という言葉が、広く言われ始めてからでも、随分と年月が経っています。ここ20年では、かなり知っている人が多くなっている印象があります。

 そう考えると、そうした情報に接していた人が、自分自身が認知症になり、身の回りのものがなくなった、と感じる状況になったとき、「あ、これが物取られ妄想になるときなのかも」と、古い記憶が蘇り、そのために、自分自身の不安を少しでも減らすことができたり、その上で、「盗られた」といった発言が減ったりすることはないでしょうか。

 私の能力では、こうしたことを検討するのは難しいので、どなたかが調査、研究していただけたりすると、ありがたいのですが、それは、あまりにも唐突で無理な要望かもしれません。

 それでも、さまざまな経験や、研究などが、認知症のご本人だけでなく、介護をする専門家や、介護をする家族介護者の負担や不安が減るために役立つことが、これからも増えていくのではないか、と思っています。



他にも、介護に関して、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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