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『「介護時間」の光景』(190)。「窓」。1.22。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2002年1月22日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年1月22日」のことです。終盤に、今日「2023年1月22日」のことを書いています。


(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2002年冬の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、1年が経つころでも、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。2002年になってからも、同じような状況が、まだ続いていました。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。

2002年1月22日。

『訪問介護員3級----いわゆる「ホームヘルパー」の講義を受け始めた。

 地元の社会福祉協議会での講義は、受講料も安いし、何度かハガキで申し込んだけど、何度も落選し、今年から、やっとホームペルパーの資格をとるための講義を受けることができた。

 何ヶ月か受けると、資格をとれて、その先には、希望すれば2級も取得できる講義もあるのだけど、まずは、今、家族の介護をしているときの役に立つかも、という思いで講義を受け始めた。

 もちろん、ずっと母のいる病院には通っているし、家では義母の介護もあるので、そのすきまを縫うように講義を受講していているので、少しずつしんどさが増えてきたような気もしたのだけど、まだ、どうなるか分からない。

 教室には40人くらいの受講生。男性は、私の他には2人くらい。それも、40代の私が一番若い男性になっている。

 他は、全部女性で、ほとんどが私よりも年代が上の方々だった。

 古いコンクリート造りの建物の中は、かなり寒い。今どき、あまり見ない石油ストーブで暖房をしている。

 そのうちに、一日使ったら、帰りに石油を入れてください、ということを、この講義全体のことを説明してくれたスタッフの人が言っていた。

 私が座っている席は、そのストーブのすぐそばなので、講義が終わってから、石油を、ポンプを使って給油した。これから、その機会が多くなっていくように感じていた。

 昨日は、病院に行った。今日は、ちょっと疲れて、講義のあとは、母のいる病院へ行くのはやめたけれど、だから、明日は行くことになる。

 これから、講義を休まず受けられるかどうかの不安もある』

 ホームヘルパー。

 本当は訪問介護員というのを、講義を受け始めて初めて知ったけれど、その講義を受けている古いコンクリートの建物の窓から、空が見える。

 空港がわりと近いせいか、飛行機もひんぱんに見える。

 遠くに、工事中のビルが白っぽいシートでおおわれている。風がふいて、細かく波打つ。その細かさが、水面の波紋というより、次々と押し寄せるさざ波に思える。天気もいいせいか、その動きがキレイに思える。

                   (2002年1月22日)


 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。
 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年1月22日

 昨日まで、雨が降っていたり、雪の予報が出ていたりして、不安定な天候だったけれど、今日は晴れた。

 勝手なものだけど、青空は気持ちが良かった。

 たまった洗濯物を、洗濯機に入れる。

 一度で詰め込もうとしたけれど、ちょっと無理だったので、2回に分けて、洗濯をする。

 洗濯物を干すと、気持ちがいい。

図書館

 今日は図書館に出かけた。

 2週間に一度は自転車に乗って、本を返して、本を借りる。

 その繰り返しをずっと続けているのは、心理士(師)になってから、特に、毎日、一つでも新しいことを覚えたい、という気持ちになっているせいもある。そんなようなことを、どこかで読んで続けている。

 最初は、その意味がわからなかったのだけど、そのうちに、知っていることが多いほど、カウンセリングやクライエントの方が、いろいろな話をしたとき、驚かずに済むのではないか、と思うようになった。

 どれだけわずかでも、自分の言っていることに驚くということは、どこかで変だ、というようなことを感じている可能性があるのだから、そういう相手に、自分の大事な話をする可能性は低くなるのではないか。と考えるようになり、だから、毎日、一つでも新しいことを学ぶようにしている。

 今週は、とても寒いらしい。



(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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