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『「40歳を過ぎてから、大学院に通う」ということ』⑧「2度目の大学院入試」

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「2度目の入試前日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います。

 また、今回、長い記事になってしまったのですが、受験方法に関して役に立つような具体的な描写はほぼないかもしれません。そうした部分を期待されている方には、申し訳ありません)。

大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 
 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

 よろしくお願いいたします。


(※ところで、今回は、病気で体調が悪いときの描写もあるので、そうしたことが苦手な方は、読むのを気をつけていただければ、幸いです)。



2度目の入試前日

 妻がカゼをひき、1日、ほとんど寝ていました。

 普段は在宅介護を続けている義母を、入試の日程に合わせてショートステイに入ってもらったのですが、こうした時に、妻は、普段の疲れが出たのだと思います。

 私には、定番のリンゴをすって食べさせる以外は、スーパーやコンビニで買ったおかゆのレトルトや、冷凍食品のうどんを用意するぐらいしかできません。それでも、妻は、ちょっとしか食べられず、それも食後しばらく座っていて、動くと吐きそうに見えます。

 それもあって、時間があるのに、勉強をしませんでした。だけど、ここのところ、ずっと同じようにほとんど勉強をしていません。気持ちのどこかで今年受かるより来年受かった方がいい、みたいなぬるい気持ちもあるせいだと思いますし、今だに「本番に強い」と言ってくれる妻には申し訳ないのですが、きちんとした知識が固まってないと正解が出ない試験だから、私のように、問題が分からなくても出題者の意図をよむ、みたいな事で選択問題をきりぬけてきた人間には、まだ合格は正直いって遠いと思っていました。

 2年半、心理学の勉強をしてきたけど、模擬試験をうけても、いつも、よくて半分くらいしか出来なくて、判定だと、この前の模擬試験で、志望校C判定(それも、DよりのCだと、わざわざ書いてあった)ぐらいなので、勉強量が圧倒的に足りないのは分かっていて、それでいて、暗記力はもともとないので、わざわざ社会人になってから大学院へ行こうとする人たちは学力に自信があるはずで、そんなことを考えると、時々永遠に受からないような気までしています。

 妻が調子が悪いままだったので、デイサービスにいる義母の様子を見にいきました。思ったよりは顔色もよかったです。今回、担当だった人をちらっと見て、勝手ながら、その緊張感の高い雰囲気が気になりました。

入試当日

 夜中には、よく眠れませんでした。ほとんど起きていました。

 妻も調子が悪そうで、セキをしています。ふわっと、こんなんで受かるわけがない。邪魔ばっかりされて。というような言葉が浮かんだのですが、妻を責めるのではなく、いつも自分の不運が嫌になることが多いのですが、それ以上、黒い気持ちが大きくなる事はなく、こういう事を含めてなんとかしていかないと、これから先もないよな、と思い直し、やっぱり妻は疲れていて、大変だと思いました。

 午前4時。ああ、もう2時間半しかない、と思っていたら、少し寝ていたようで、目覚ましで午前6時40分に起きることができました。それで、妻も起こしてしまいました。

 カロリーメイトを食べ、牛乳をあたため、インスタントコーヒーを飲んで、この前買った暖かいダウンジャケットを初めて着て、出かけます。とても暖かく、外気からガードされている気がしました。ちょっと大げさと思えるほどでしたが、安心感があります。

 午前7時30分に家を出発します。妻は見送ってくれました。

 電車は混んでいました。途中の駅でいったん降りたら、再び、乗れない感じになり、思いっきり押してやっと乗れました。通勤ラッシュの時間は久しぶりでした。

 直接、試験に出ないかもしれないのですが、放送大学のテキストを読みました。こういう知識のまとまりの方が、記憶に残りそうだったからです。少しでも安心感を得たかったのかもしれません。

 目指す大学の最寄りの駅には、午前9時前には着きました。携帯を持っていないので、コンビニの前の公衆電話で妻と話し、頭脳の働きをよくすると言われているカカオのことも考えて、ちょっといいチョコとコーヒーとドリンクを買い、大学の校門前で、ビラを配っているのを受け取らずに、校舎へ向かいます。

 去年も同じ大学院の入試を受けたのですが、今年は、より新しいビルの校舎にある教室でした。

大学院入試

 誰もしゃべらない教室。

 部屋のすみに坊主頭ばかりが並んでいると思ったら、仏教学専攻の人たちのようだ。

 教室の前に貼られた表を見ると、私が受験する臨床心理学だけではなく、様々な専攻の受験生がいるみたいです。この教室は、全部が社会人での受験のはずです。

 教室の前の方には派手なかっこうの、おそらく同世代の中年女性。通路をはさんだところには定年すぎくらいの男性。あとは、20代から、もう少し上でも、30代くらいの人ばかりでした。

 それは去年と変わらない光景です。

 独特の緊張感が、ずっと続いています。

 試験監督が入ってきます。坊主頭の背広姿が二人、スーツの若い女性が2人。

 ずっと黙ったままだったのですが、試験開始20分前になると、スイッチが入ったように急にしゃべりだします。原稿を読むように決められた注意事項を並べています。それは、どの会場でも、公平に情報が伝わるように、という配慮だと思いました。

 机の上にはシャープペンシル、色のえんぴつ(これの理由が分からなかったが)けしごむ以外はペンケースも仕舞ってください、と言われ、仕舞いました。

試験開始

 開始の午前10時までが長い。この時間に何か出来るのに、と思うのは、時間の貧乏性になったせいでしょう。

 始まりの合図。

 問題用紙と解答用紙をめくる。

 並んだ言葉のほとんどが知っているけれど、200字を使って、専門用語を正しく使って書けない、と瞬間的に思いました。

 応用問題は、読んだ本の事。

 そして、クライエントが外で食事をしませんか?と誘われたら、どうするか?それも、このクライエントの主訴が、人に拒否される恐れで、それを克服するために誘った、という時にどうしますか?という問い。

 この人の意志を、どう大事にし、同時に倫理を守りながら、答えをまとめていくか。

 難しいけれど、相手がいることなのだから、考えがいがあることでもあると感じていました。

 時間が、思ったよりも早く過ぎていきます。

トイレ

 試験が始まって、45分くらいの時にトイレに行きたくなりました。もともと頻尿で、今日は寒いので、もちろん試験前にもトイレに行ったのですが、だけど、このあと、まだ同じくらいの時間があるから、持たないように思いました。

 これも当然ですが、まだ問題は途中。

 がまんしながら書ける気はしません。教室の後方だったので、すぐうしろに女性の係がいて、手をあげると、すぐに来てくれました。

「トイレに行きたいんですが」と言うと、教室の前の人に歩いていき、少し話をして、一人の坊主頭の男性スタッフがついてきてくれることになりました。

 そっと立ち上がり、教室を出て、廊下を歩いて、トイレに向かいます。

 ドアを開けて、中に入ると、その付き添いのスタッフの人は、トイレの入り口で待ってくれています。不正のことを考えたら、中まで来た方がいいのでは?などと思っていたら、また一人が、トイレに入ってきて、それは受験生みたいでした。自分と年齢が近いように見えます。

 外からは、『2人いるんです』と言った声が聞こえてくるので、同じ教室の人のようでした。それぞれにスタッフの付き添いが必要なので、そして、同時に2人もトイレに向かう受験生が出るのは想定していないようで、他の教室から、スタッフを呼び寄せ、少し混乱しているようで、申し訳ない気持ちになりました。

 それでも、後から来た人も、ある程度の年齢の人だったから、私がトイレに行くのを見て、自分も、と思ったのかもしれません。

落胆

 教室に戻って、気持ちは、落ち着いたのですが、正確な知識のなさを改めて思い知る時間が続きました。それでも、とにかく答えを書いて、文章を書いて、ああ、無理だと思いつつ、最後に試験終了と言われるまで、とにかく1文字でも多く書きました。

 いつもお世話になっているケアマネージャーにお願いして、ショートステイも試験日程に合わせて、とってもらったりしたのに、しょぼい現実でした。

 まだ先が遠いし、こんなぬるい事ではダメだと思い、買った本の中に『勉強はやればやっただけ力がつく』と筋トレみたいな事を書いてあったので、とにかく物理的に勉強時間を増やそうと思い、放送大学を聞き始めて、まだ半年もたっていなかった事を思い、これで、2度目の受験が終わりました。
 ここまで準備の時間は、2年以上はあったのに、たった1時間半だけで、受験が終わりました。

 試験が終わって、校舎から外へ出て、また、朝と同じように、コンビニのところで家に公衆電話をかけました。妻に「おつかれさま」と言われました。ありがたく思い、同時に、なんだか申し訳ない気もしていました。

 勉強が足りないのは明らかでした。だけど、去年よりは回答に愚かさが減っていると思っていました。

 また今日から勉強を続けよう、と改めて決意するような気持ちになりました。

 でも、間違いなくホッとはしました。現時点での、ベストはつくしたのは間違いありません。また、ダメだと感じていて、また来年と思っていたのですが、どちらにしても、今は、まだ、単純に力が足りないだけでした。

病気

 昨日、試験が終わったのですが、なんとなく気分がのらないと思っていたら、夕食のあと、なんとなく気持ちが悪くなり、それがひどくなっていき、午後8時に夕食で、それから4時間くらいたっているのに、まだおなかのあたりがごよごよしていて、気持ち悪くて、嘔吐感も出てきました。

 さらに、お腹も壊したようで、下痢をしてしまいました。

 このところ、カゼすらひかない日が続いていて、思うことは、試験の前なのに、やる事をやらなかった、という気持ちばかりだったので、こんなに調子が悪いと、やるべき事、うんぬんの前にちゃんと休養をとらないと、それこそ、ショートステイから、義母が帰ってくるのに、久々に寝込むような事になってしまうから、気をつけないといけない、と思いました。

 自分の中では、気持ちとしては、もう、病気をするのは、やめたはずでした。

 調子が悪いと、いつも調子がいいといいな、と思うのですが、調子がいいときにも、最近は特にいろいろな努力が足りないと思っていました。

 自分で、自分を少し追い込んでいたのかもしれません。

 
 今は調子が悪く、気持ちが悪く、なんだか眠いような眠くないような、嘔吐感があるような、下痢をしそうな、そういう状態がまだ続いています。やっぱり病気はつらい。自分の体のコントールが難しくなり、気持ちが楽しいことを考えにくくなります。

 それでも、あした義母がショートステイから、帰ってくることは変わりません。

 妻の調子が、今日あたりよくなってきて、それはよかったと思いますが、そのかわりに私が病気になったら、意味がないので、なんとか今日寝て、そして起きたら調子がよくなっているといいな、と思います。

 それは、勝手な願いなのは、わかっているのですが。

不調

 今日は、義母がショートステイから戻ってきます。

 いつもショートステイは、少しでも休むためにとるのですが、今回は、とにかく大学院入試のために使わせてもらった、という気持ちが強く、そのうえ、まだ、調子がよくありません。

 昨日の夜から、ずっと気持ちが悪く、下痢もしたのですが、ずっと胃の中に何かがたまっている感じがして、気持ちが悪い、というどちらかといえば中途半端な状況で、ずっといるというのは、やっぱりつらい状態でした。

 妻は、3日前に、こんな状態だったんだ、と思うと、大変だったんだと改めて感じつつも、こんなにいつまでもずっと気持ちが悪いと、このまま微妙に少しずつ弱って、死んでしまうのではないか。でも、ここで先に死んでは、義母が残っているし、迷惑をかけるから、そうもいかないと思い直しました。

 ただ、ずっと布団にいて、横になっていて、気持ちが悪いのが少しおさまると、眠れました。

 ひきずりこまれるような睡眠。午前中、10時頃、トイレに行こうと思って、はこうと思って、はけず、台所で座って妻と少し話していたら、うっときた。
 便器を前にして、うえーっというような声をだし、出ない、と思ったら、ちょっとしたタイミングというか、力のこめかたが変わったら、ウソみたいに嘔吐してしまいました。

 もう出ない、と思ったら、また出てきました。もうほぼ消化さているはずなのに、吐き出されたから、よっぽど体が食物を拒否してるんだ、と思えました。その後、妻がトイレを掃除してくれたみたいで申し訳なかったのですが、何しろ、少しせいせいした気持ちになって、ちょっとフラフラしつつ、また少し眠れました。

 昼も、何も食べたくありません。まだおなかの中に、何かがつまっているようでした。もう一度くらい下痢になってもよかったのに、もう下痢もしません。

日常

 今日は、義母がショートステイから帰ってくるので、夕方までに少しは元気になって、片付けに少しでも協力しないと、と思っていて、しばらく寝ていたら、妻が「今日は一人でやるから」と言われ、それでももう少し元気になったら行こうと思っていて、ただ、その時間になっても目がさめなかったので、申し訳ないのですが、妻に任せました。

 テレビもあるから、荷物を運ぶのに、妻は、2往復はしたはずで、義母の大きい声で目がさめました。

 少しホッとしました。

 またいつもの日常に戻ってきたからだと思うのですが、でも、これだけ体調が悪い時って、この10年で初めてかもしれません。いろいろ考えている事なんて、体調が悪かったら、何にも出来ないというのはよく分かりました。

 夕方から夜までまた眠って、気持ちが悪いのは変わらなかったのですが、おなかがはりつくような感じだったので、中につまってるのか、空になりすぎて変な感じなのか分からなくて、だから、午後10時過ぎになって少し起きました。

 そのついでに少し何か食べようと思い、ヨーグルトを持って、2階へ行って、ヨーグルトを食べました。一口食べて、もう食べられないと思ったのですが、もう一口食べられて、それで一応、1カップ全部食べられました。

 1日ぶりの食事で、食べてから、また気持ち悪くなるかも、などと思っていましたが、今のところは食べられてよかった、と思いました。妻は、「わたしはヨーグルトはダメでおかゆだったけど」と言われたのですが、私が、食べることができて、喜んでくれました。

 それでも、今日も、夜中の介護は変わらずにしなくてはいけないのですが、明日は、もう少し元気になれたら、いいな、と思いました。

腰痛

 入試が終わってから4日が経ちました。

 義母もショートステイから戻ってきて、いつもの毎日で、変わらずに介護を続ける日々になりました。

 カゼで調子が悪く、その上で腰も痛かったのですが、カゼのほうは、調子が少し良くなったので、近所の整形外科に行きました。

 レントゲンをとり、背骨のある部分が狭くなっていて、腰痛になりやすいと言われた事。そういえば、何年かに1回くらいの割合で、その医者のお世話になっていたり、大腰筋を鍛えるのはいいけど、ちゃんとストレッチをしないとひっぱられて骨盤が少し曲がり腰痛につながりやすい、とか。いろいろな事が至らないせいだったんだ、と思いました。だから、ストレッチなどもきちんとしないと、と考えました。

 そのあと、カゼの方はかなりよくなり、夕食は相変わらず軽めですが、食後にアイスクリームを食べたくなり、食べても気持ちが悪くなくなりました。

 今日は、日曜日で、少し前までは、母が入院している時から、その病院でおこなっていたボランティアも休ませてもらおうとばかり考えていたのですが、この調子ならもしかしたらもっと回復して行けるかも、という考えになっていました。

 夜になり、母が病気になったのは、父が亡くなって3回忌を終えた後の冬で、ちょうどこういうタイミングだったのを思い出しました。
 疲れ、というようにしか言えませんが、そういうものが忘れた頃に襲ってくるような時期なのかもしれません。

 そんなことを思うと、ちょっと怖くなりました。

 夜中に、「なるべく横を向いてひざを丸めるように」と妻が教えてくれたせいもあって、そういう姿勢をとるようにしていたのですが、寝ているといつの間にかヒザをたてていたみたいで、それが崩れる時に明らかに腰が痛いので、夢の中なのか目がさめているか分からなかったのですが、ああよくなっていないんだ、というのだけはハッキリと感じました。

 夢の中で誰かを両手で押さえつけて、何かを言わせようとしているような場面があって、目がさめたら、布団の中で斜めになって寝ていて、自分の両手が手のひらを上にむけて、どちらも握っているような形のままで、そこに確かに向こう側から来ている手のひらが存在する感じがしばらくあって、そんなはずはないと思っていたら、少しずつ消えていきました。

 朝になったら、やっぱり腰の痛さが戻っていました。2日前のように、体が左ななめ後ろに自然に傾いてしまうような痛さはなかったのですが、昨日のように、「お、治ってきたぞ」と感じるような軽さはなくなっていました。

 今日も妻に、いつもは自分がしている、いろいろな事を全部やってもらう事になりました。食器の洗い物も、中腰で腰に悪いから、と妻に止められました。
 昼間の、義母をトイレに連れていくのも、同じ理由でやってもらいました。昨日の夜中も、2回ほど連れていったのですが、確かに一気に衣服を下げるときに、力が入ってちょっとつらかったのを思い出しました。

 この時期に腰を痛めるなんて、自分の中でもまったく予定に入ってなくて(当たり前だけど)今の時期は、受験も終わり、結果も良くなかったので、また勉強を始めようと考えていたので、かなり焦りもありますが、それでもまずは体を治さなくてはいけない、と思いました。

 こういう時期って、ホントは一番つらいのかもしれません。

半合格

 また、何日か過ぎました。

 午前中遅く寝ていると、チャイムが鳴りました。先週の受験の結果が来たようです。去年とまったく同じ、2月3日に試験、今日、2月11日に通知が来る、というパターンです。

 封筒の中には1枚だけのプリント。
 
 今回もダメだと思っていたのですが、1次試験が受かっていました。

 あれ?今年は、もうダメで完全に来年に気持ちが向いていて、十分な力をつけてから来年受かるのがベストだと思い、今年の予備校の模擬試験では最低でもBランクの判定を出し、出来ればAランクという安定した成績を出したのちにちゃんと受かる、みたいなことをするのが目標だったのに、とちょっととまどっていました。

 何しろ、筆記で受かって面接で落ちる、というパターンは最悪だと自分でも思っていて、もし、そうなったら、どんな努力をすればいいか分からないし、何より、その学校からは拒否されているのだから、どうしよう、ともう思っていました。

 以前、読んでいた本の中で「筆記は受かるのですが、いつも面接で落とされます」という質問をしていた初老の男性の事を思い出し、そうなったら、ホントにやばいな、みたいな気持ちがそれからもずっとあったので、筆記が合格としても、喜べなかったし、何しろ、次が受からなければあんまり意味がないな、とすぐに思っていました。

成果

 でも、午後になって、義理の姉(妻のお姉さん)から電話があり、わたしが受かった、という話をしていたので、あわてて、「でもまだ面接があるから分からないよ」と横から言葉をはさんだのですが、でも、妻は、その筆記で受かった事を、「今日はうれしいことがあったから」と言ってくれている言葉を聞いて、なんだかホントにありがたい気持ちになりました。

 考えたら、成果は出ていました。

 最終的に、合格にならないとしても、去年は筆記も受からなかったわけですから、一歩は前進している、と言えます。それに、合格、というようなポジティブな結果を知らせてくれる通知や知らせをもらったのは、20年くらい前、結婚当初に公募の原稿が入選した時以来でしたし、その前は、就職の時の合格通知の手紙でした。

 ホントに久しぶりでした。

 妻は、電話がかかってきた方でない姉にも、「電話しなくちゃ」と言っていて、それは、「今は受かったわけでもないし、申し訳ないから」という言い方で止めていたのですが、妻が、ただ素直に喜んでくれていたのが、すごくうれしくて、考えたら、一応、今なら喜べることに気がつきました。

 今度、面接で落ちたら、喜ぶ機会そのものが、今年はないかもしれません。

 そう思ったら、妻に、まだ知らせていないお姉さんは、「心配もしてくれているから電話をしてくれないか」という話をしました。「え?気がかわったの?」と言われたのですが、妻と比べると、自分のけちくささが情けない気持ちになりました。

 これから、もし受かったら、学校に通うわけなので、妻の負担は絶対に増えるのに、すごく素直に喜んでくれたのを見て、ありがたく、そして、自分が恥ずかしくなりました。

 気がついたら、カレンダーの今日のところに、「試験合格」とピンクのさくらのイラストとともに、もう書いてありました。それに気がついて、すごくうれしい気持ちになりました。

 妻が眠りについてから、夜中の介護の時間が始まるのですが、今日のことを、改めて思い起こしていました。

 わたしが、まだ半分の合格なのに、妻が喜んでくれました。

「これまでずっと日があたらない場所にいるような気がする」と言っていた私に、「光があたったように思えて、うれしかった」と言ってくれました。さらには「これから、社会復帰への一歩だもん」と明るく言ってくれました。

 ありがとう。ベストをつくします。

 そんな気持ちになり、あと5日後の、今度の火曜日の面接に向けてプランをたてようと思いました。まず、その大学の教授の事を少し調べて、いろいろな経歴の人がいるのを知りました。

 まだ、いろいろと、うっとうしいことがあったり、腰の不安もあるし、でも、チャンスが来たからちゃんとやろうと思っていました。妻が言ってくれた通り、ホントに久しぶりの「表の世界」からの手紙、ではあるのですから。

 その中で、自分がやろうと思うことは進めて、もちろん、まだ結果はどうなるか分からないので、どちらにしても勉強は続けるし、もちろん介護もちゃんとやり、妻の負担を出来る限り増やさないようにして、毎日を送ろう、と思いました。


 夜中に、義母を何度かポータブルトイレに連れて行きました。それから、いつものように午前4時すぎになってから、ふとんに入って、眠りました。




(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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