介護の言葉㉛人質
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私は、臨床心理士・公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護の言葉」
この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。
時には、介護について直接関係ないと思われるような言葉でも、これから介護のことを考える場合に、必要であれば、その言葉について考えていきたいとも思っています。
今回は、ある場所では多く使われていながら、他の人たちは知らない可能性がある言葉について、改めて考えてみようと思いました。
入院
とても個人的な狭い経験かもしれませんが、私自身が家族介護者だった頃、母親に療養型の病院に入院してもらい、そこに「通い介護」をし、妻の母である義母を在宅で介護する生活が7年続いたことがありました。
そして、病院に通うだけではなく、入院患者の方々(自分の母親もそうでしたが)に誕生日カードを渡すために、そのカードを制作するボランティアを始め、そこで、私と同様に在宅で介護をしていて、色々と事情が重なり、入院してもらうことになりながら、やはり病院に、週に何回も通う方も少なくないことを知りました。
そうした人たちと知り合ってから、私自身は、通わなくなると、母親の症状が悪くなり、もう2度とコミュニケーションが取れない状態に逆戻りするのではないか、といった恐怖心もあって、病院に来ていたのですが、決してわかってもらえないと思っていたそんな気持ち自体も、自分だけじゃないんだと思えるような貴重な時間でもありました。
その場所で知り合った方々には、介護で辛い時も、随分と支えられたので、今でもとても感謝する思いがあります。
伝わらないのでは。もしくは、誤解されるのではないか。話したところで逆に説教のような状況になるのではないか。そこには、他の場面ではよく感じる、そんな恐れがなくて、とても安心して話せる場所でした。
話題
そこで話していると、介護の専門家などに対して、助けられたりすることはもちろんあるのですが、どうしても理解されないようなことも少なくないのに、改めて気づかされました。
そのときには、誰が言うでもなく、ため息や諦めや疲労感とともに「介護しないとわからないかも」という言葉が発せられることも少なくありませんでした。
それに関しては、私も思い当たることが多く、同時に、わかるように説明する気力のようなものも、日々介護していると、とても持てる気がしませんでした。それに伝えたところで、ベテランの介護の専門家が相手だと、こちらがまだ介護をわかっていない人間のように、説教のような状況になる可能性もありましたから、それを思うと、説明する気持ちにもなれないことは、私も介護を始めて、何年も経つと、わかるようになりました。
そこでは、お互いに介護をしていて、了解できることが多いからこそ、話されることもあったように思いますし、話すことが理解されることが、どれだけ気持ちの支えになったのかは、後になって、より強く思うようになりました。
そして、やはり、このボランティアをしているのは病院内のことですし、そこには病院のスタッフもいるのですが、そんな中でも、病院の関係者に対して、話すのを遠慮してしまう。本当に思ったことはなかなか言いにくい、という話題に触れることもありました。
そのときに出てきた言葉が「人質」でした。
人質
それは、病院に入院している家族がいる場合、その入院環境など、細かいことも含めて、何か要望があるとしても、なかなか言えませんよね、という話題の中で自然に出てきた言葉でした。
なにしろ、人質を取られていますからね。
その表現は、人によってはちょっと不適切というか、不謹慎に感じる場合もあるかもしれませんが、私は聞いたときに、本当にそうだと思えました。
在宅で介護をして、それが無理になり、家族を病院に預けたり、施設に入所させる場合でも、どうやら多くの場合は、最初の病院や施設で落ち着くことは少なく、私もそうでしたが、時によっては、その病院や施設で、簡単に言えば「ひどい目」にあって、さらに言えば、いくつも移って、現在に至っている家族介護者も少なくないことも知りました。
そういう場合でも、きちんと正当な抗議として病院側や施設側に訴えるのが難しいのは、まずは、介護によってほぼ全ての体力や気力を使っているので、それ以外に、誰かに意見などを言うことなど負担が大きすぎて無理という理由と思われます。
その上、家族を病院やり施設に預かってもらっている場合には、とてもひどいことがあった場合には、やむをえず別の場所を探すしかないのですが、そこまで行かなくて、何か細かいことを言おうとする場合でも、ちょうちょしてしまうのは、やはり、家族は、その病院や施設にいるからです。
このnoteでも、繰り返し書いてきているように、施設や病院に預けたからといって「介護」が終わるわけではありません。もちろん全員ではありませんが、かなり頻繁に通うことによって「介護」を続ける人も少なくないことを、自分も同じように病院に通うことによって知りました。
それは「通い介護」と名づけられるべき行為だと思いました。
そういう人たちでも、というよりも、そうした人たちの方が、病院や施設に、何か言うことができないようでした。
それは、もし施設や病院を信頼していたとしても、介護が必要な家族が1日の大部分を過ごすのは、その場所であって、どれだけ心配していたとしても、24時間一緒にいられるわけでもなく、それが不可能になったから、預けたとしても、自分と同様に施設や病院が介護をしてくれるわけではありません。
そして、大丈夫と思っていても、これまでの施設や病院で嫌なことがあった人ほど、現在の場所に、何か言うことによって、預けた家族に、ほとんど何か目に見えないほどの不利益が降りかかることがあるかもしれない。そんなことはないと分かっていても、そんなイメージが気持ちの中で回って、やっぱり言えなくなる。
そういった気持ちに至るのを、「人質に取られているから」と言う表現をするのは、かなり正確ではないかと思います。
変わらないこと
そうした会話を頻繁にしていたのは、私自身も「通い介護」をして、同じように通っている方々と話をする機会が多かった20年ほど前のことでしたが、比較的、最近になって、同じような状況で、そうした「人質」といった表現に出会いました。
やはり、今でも、施設や病院に要介護者である家族を預けている、家族介護者の思いは、変わらない部分があるのだと思いました。
医療関係者の方や、介護の専門家の方でも、もしかしたら、そんな表現をしていることを知らないかもしれません。
ただ、そうだとしても、そして、言いたいことがあれば言ってくれれば、という気持ちになったとしても、ひとたび、家族介護者として、家族を病院や施設に預けたとしたら、どれだけ思ったことや感じたことを言えないか。
もちろん、それは全員に当てはまるわけではありませんが、そのことは医療関係者や介護の専門家にほど、少しでも理解して欲しいと思っていますし、そうした気持ちや状態を表す言葉として「人質」という表現は、それほど大っぴらではないとしても、ずっと使われ続けていると思っています。
今回は、以上です。
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