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『「40歳を過ぎて、大学院に行く」ということ』⑳「秋の新学期」と「発表」。

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「秋の新学期」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのが2010年です。介護に専念して10年が過ぎた頃でした。
 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。

(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。

 さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。
 よろしくお願いいたします。

 今回は、40代後半になってから、介護を続けながらも、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、秋の新学期が始まった、9月の下旬の話です。

 もしかしたら、同じような環境の方に、わずかでも参考になるかもしれません。もし、よろしかったら読んでもらえたら、うれしく思います。

秋の新学期

 9月16日。木曜日。

 雨が降っています。春の一番最初の講義の時も雨が降っていたから、誰かが降らしているような気もするし、自分のせいのような気もします。

 レポートも進まず、夏休みが1ヶ月以上あったのにゼミの課題というか、研究方法も進まず、実習の逐語録はほぼ終わったものの、明日の講義のテキストも買っていないし、介護は変わらずに続けていますが、何もしていないまま新しい学期を迎えてしまったように思えます。

 体が軽くだるくて、だから風邪薬をこっそり飲もうとしたら妻に見られて「大丈夫」と心配されました。それでも、一応、今できる限りのいろいろと支度をして、大学へ出かけました。地下鉄に乗り、でも、この前も集中講義があったので、あんまり久々ではないのですが、でも新しい学期が始まる感じは勝手にしています。

 あんなに暑いばかりだったのに、気がついたら少し涼しく、どころかかなり涼しくなってしまい、秋になった感じがして、そのうちにまた寒くなってくるのだろう、という気持ちに先走るのは、何度も季節が変っていくのを50回近く繰り返してきたせいで、どこかで記憶が積み重なっているからだと思います。

 もしかして、その蓄積がトシを追うごとに厚くなり、だから、もっと先走るようになり、その予測がまた当たっていることが多くなるだろうから、すべての事が「だろ?」みたいな気持ちになり、一つ一つを、当たり前だけど、絶対あるはずの小さい違いにあまり気がつかなくなっていき、だから、毎年をなぞるように過ぎさせてしまうせいで、どんどん時間がたつのが早くなっていくのかもしれない、というような事を思いました。

 電車を降りたら、講義までは、わりと早い時間だったので、駅を降りて、トイレに行き、学食へ行ったら、同期の5人がテーブルにいました。いつもの光景、といっても、そうなったのはここ何ヶ月かくらいで、でも、そうやって一緒に食事をするだけでやっぱり何だか楽しい気持ちにはなりました。

 そこにいる同期の人が、わざわざ自分の荷物をどけてくれたので、一緒のテーブルに座れました。久々の学食。前にも厨房にいた白人らしきスタッフ。今日はソースカツ丼みたいなものだったが、カツ(もしかしたらメンチかも)の上にソースとマヨネーズみたいなものをかけて、その下にはキャベツがひいてあり、もしかすると、この休みの間に開発した新作?みたいな味のような気がしたのですが、他の人は誰も同じものを食べていないし、はっきりとは分かりませんでした。

 でもおいしかった。夏休みに入る前から、全く会ってなかった人にも会えて、あいさつも出来て、なんだかなつかしい気持ちになれました。まだ何ヶ月しかたってないのに、けっこう古くから知っているような気になれるなんて幸せな状況なような気がします。

 講義は査定で、これからいくつか心理検査をやる、というような話でした。この前、履修申請をしそこなったと言っていた同期の人もまあまあ元気で、だけど、心理検査の結果をしきりに恐れていました。向いているかどうか?をやたらと気にしていたのですが、それには理由もあったので、なんだか勝手に少し心配にはなりました。 

 事情があって、長く実習を休んでいる人も来ていました。いつもと変らない様子で、少しやせたかもしれないけれど、その態度は落ち着いていて、秘かに敬意を持つようなものでした。私も出来るだけ今までと変らないようにあいさつをしたが、ちゃんと笑顔でかえしてくれました。

 講義は1時間半で終わり、風景構成法というので、絵を描いて時間が過ぎるのはラッキーだと思いました。自己開示、というものは原稿をずっと書いてきていたから、ある意味では恥知らずなくらい平気になってしまっているのかもしれない、と思いました。

 それから、次の講義もとっている人が大部分で、みんなは慌てて次へ向かっていきました。

 私は履修していないので、学食へ行ってコーヒーを飲んでアイスを食べてから、一人で過ごしていました。少し前は一人だと寂しい気がしたけど、わりと大丈夫になったような気がしながら、それから図書館へ向かったら、その途中で次の講義に出ているはずの、何人かの同期と会いました。

 その講義は、履修申請をしないで、内容を聞くだけの生徒を認めないみたいです、と言われ、みんなでどこか行くのか?と思ったら、「図書館ですか?」と言われ、そうです、と答えても、「おつかれさまです」と声をかけあって、私だけが図書館へ行きました。

 必要な本は他大学へ頼まないとないし、取り寄せても図書館の中でしか読めない、とも言われ、買おうかな、とも思いました。本代もかかるから、早く銀行へ行ってお金を下ろしてこないと、などと思っていました。静かに図書館を出て、一人で駅まで歩いて、帰りの電車の中で寝ました。初日は静かにスタートしたようです。

 帰ってからは、いつものように夜中まで介護をして、眠るのは午前5時頃の予定です。

ロールシャッハ・テスト。

 9月17日。金曜日。

 昨日の講義ではロールシャッハテストをお互いに取り合うことが課題になったので、そのペアをどうするか?というメールが回って来ました。くじ引きは?という意見のあと、話し合って適度な距離を持った人を探すべき、という見方などが回って来ました。

 私は今日は朝起きて掃除をして、ケアマネージャーの人が来て、その後に歯医者へ行き、帰ってきてから、そのロテスト(と略すそうで、なんだか専門家っぽくなった気までしますが)の事でメールを回しました。

 ペアを組みたい人や、もう組んだ人はそのままで、それ以外の人はくじ引きでどうでしょう?みたいな話を送ってから、あとは、同期の中のベテラングループの人に、ロテストを取り合う、という約束をしていたので、今も、それが出来てない事をわび、今回は流れに沿いたいので、という話をし,出来たら、その後に、でもまたロテストを取り合いませんか?というメールも送ってから、出かけました。

 本屋街と言われる街の本屋へ寄って、それから学校へ予定よりも早く着いて、課題の続きに取り組み、学食で食事でもして、という個人的には夢のようなプランを立てていたのに、結局は、ぎりぎりになってしまい、本屋へ寄ったら、あとは学食でカロリーメイトを食べるくらいの時間しかなくなってしまい、ぎりぎりでばたばたしていたら、今度はどこの教室か分からなくなって、さらに、焦ってはいたのですが、それは他のみんなと一緒だったから、勝手に楽しくもありました。

 それから講義になって、学生として生意気にも、こういう人が精神科医として主流になったらいいのに、と思うことはありましたが、でも、ほぼ一方的に話すので、そして、知識膨大すぎて、なんだか戸惑うことも多かったのですが、だけど、なんだか刺激にはなり、そして、途中に、こうした講義を受ける人間であれば、知るべきなのに、恥ずかしながら、まったく知らない名前が出て来てとまどったりもしました。

 講義の途中で、中年の男性が教室に入ってきて、声にならないざわめきが生まれ、だけど、その人は別の専攻で、福祉のことを学んでいる人で、という事をあとで知り、働きながら学び、しかも自身の専攻以外ともいえる講義まで聴講するのは、失礼な言い方なのですが凄いと思い、同時に、自分と同世代に見える、その人との社会的な蓄積の圧倒的な違いみたいなものに、自己嫌悪のような気持ちにもなったのですが、久々に講義!というものを受けた感じがして、それは新鮮でした。

 その講義が終わってから、何となく数人で歩いて、でも他の同期のメンバーとバラバラになったようで、だけど携帯で連絡を取り合って、午後10時近くになってからJRの駅のそばの「笑笑」へ入りました。

 全部で9人くらいで、私はアルコールは飲めずウーロン茶なのですが、一緒に飲みました。途中で一人帰り、その後は午後11時過ぎまでで2人くらい帰り、私は、そばの駅から、いつもと違うルートで帰って、終電には間に合って、午前1時前には帰れました。当然ながら、妻は寝ています。

 遅くなって悪かったと思いながら、それから義母をトイレに連れて行きました。

 これから午前5時くらいまで介護の時間はありますが、今日はもう勉強はほぼ出来ないと思いました。ただ、帰りの電車で、いろいろゼミの人と話して、新しい研究法の名前を知り、それを知らないことに少し焦ったりもしたのですが、新しい学期が始まり、勉強が負担というよりも課題が次々と出てやる事が増えてめんどくさいと思う部分もあるにしても、なんだか気持ちが落ち着いていて、妙に楽しい気持ちになっていて、こういう生活がずっと続けばいいのに、的な気持ちにもなったりしています。

 でも、この生活は限られた時間しかもちろん続かないですし、あんまり満足してしまっているとしたら気をつけた方がいいと思いました。やる事はけっこうある。学校の勉強だけを理由にそういう事をさぼってはいけない、と思いました。

3連休

 9月18日。土曜日。

 昨日は帰宅が遅くなりました。最後の乗り換えのところで、もう終電がないかと思ったら、待ち合わせの時間の調整で間に合いました。考えたら、社会人と言われるような年齢で、自分で、誘われたら付き合うと決めていたとはいえ、よく若い人達の飲み会にウーロン茶で、参加していると自分でも感心はするし、大丈夫かな、とも思っています。

 考えたら、本当に仲良くなれば終了してからも同期との付き合いは続くのかもしれませんが、それは今みたいに「今日、飯に行きますか?」みたいな感じではなくなるのは確実で、前々から予定を立てて、それでも何人かしか来なくなり、さらには明日が仕事なんで、と静かさが増したりするのが、何となく分かります。

 だけど、まずは今が学生の気持ちが味わえるわけですから、それを大事にしようと思いつつ、だけど、考えたら、私よりも若い人達の方が将来への不安はばくぜんとした分、つらさが大きいのかもしれません。

 私の不安は少なくとも、何をしたらいいのか、というものはありません。やることは決まっていて、だけど、それがうまくいく可能性は今のところ限りなく低い、という何だか暗い話です。

 これから先が分からない、漠然とした何も分からない不安とは質が違うでしょうし、これまで何とか生きてきて、いろいろ経験してきた事がプラスになるかもしれない、というような気持ちもあります。今は不思議な時間であることに変わりはないと思います。

 夜は、暑いような少し肌寒いような気がして、少し寝苦しく、今日は妻が10月にあるクラス会の打ち合わせで出かけるから、とトイレに起きた朝方にちらっと会ったのですが、ちゃんと起きたら昼頃で、その時は、今日は義母はデイサービスだし、誰もいませんでした。

 何かを買ってきて食べようとも、ちらっと思ったのですが、レポートを書かなきゃと思ったら、なんだか出かける気持ちにもなれずに、とりあえず書き始めました。

 義母をデイサービスに迎えに行かなくてはいけない時間になるまでには、1回目を書いたのですが、おそらくそれはレポートというよりもエッセイに近いものでした。という事は分かったような気がしたのですが、まずは伝えるべきことは伝えないといけないとも思って、書きました。

 だけど、まだ足りないことがたくさんあって、と思いながら、だけど、片方では研究ゼミのインタビュー原稿の切片化をしなくてはいけなくて、ディメンションとプロパティというのがやっぱり分かっていなくて、これからこれを切り分けた上で、再び統合する、みたいなやり方がピンときていませんでした。

 それでも、研究という名前がついた以上、そういう方法をとらないとダメだというのは分かっていて、だけど、その上で誰かが協力してくれるのかどうか、というのを考えたら、なんだか先行きはちょっとどころかかなり暗い。だけど、やらないと何も変らないと思うと、やらなきゃという気持ちになってくるのも事実だったりもします。

 一人で書いていると、結構、グルグルとした考えになりそうです。

 思い通りにとれないショートステイ。今日も義母が、部屋に置いてあった義姉から届いた鉢植えを、自分ではほぼ歩いたりもできないのに、一人で勝手に動かして、そういう事は危ないのに、とすごく怒ってしまい、なんだか自分が嫌にもなりました。

 でも、それは毎日の事だし、いつまで続くか分からないし、ということで、義母が楽しみにしていた、近所での祭りにも連れていったのですが、それからガストで食事もして、帰って来て疲れて夜の9時頃から寝たら、誰かに押さえつけられるようなリアルな夢を見て、起きて、またうとうとしていたら1時間がたっていて、すごく体がだるくなってしまいました。

 なんだったのでしょうか。

 やることはけっこうあります。だけど、それは介護だけをしていた時に比べたら、とても恵まれたことだと、やっぱり思います。今はお金も時間も自分に投資しているわけだから、大事に過ごして、そして、その結果は、大学院を修了してから出ることになります。これからも、同期のみんなに会えるような成果を出したい、と思います。

 春は慣れようと思っている時に連休が入って返って不安が増したのですが、今回は、この3連休がありがたく思います。この時間で、レポートと課題が出来る、という気持ちになっています。本当に学生みたい、って言っても、確かに学生なのも間違いありません。

健康

 9月21日。火曜日。

 今日は、カウンセリング施設での実習があって、ハンコを押したり、お約束カードを作ったりしている間に時間が過ぎ、もちろん利用してくれる人たちもいらっしゃって受付の業務もして、その時間が夕方に終わりました。

 その後は、学食に行ったら、何人も同期の人たちがいたのですが、食事をしていて、少しゆっくりしていたら、チャイムの音が流れ、あわてて教室へ向かったら、ちょうど出席をとっているところでした。

 それから、家族心理学の講義は進んだのですが、虐待や育児の場面など凄くリアルで、それはその時の言葉の再現のようなものが巧みとかではなく、経験から来るリアルだと思いましたし、ある意味では落語の名人に近いものがあったりもするのかもしれないと思いました。

 講義が終わり、トイレに行き、教室に戻ってきたら、同期の一人の机の上にはノートとかがそのまま残っていて、みんなが帰っていく中、調子が悪そうだったから、どこかで貧血で倒れているんではないか、などと思っていたら、しばらく経ったら、戻ってきたので、何人かと一緒に地下鉄で帰りました。

 体調が悪そうな同期は、みんなに心配かけちゃった、という話から、自分自身が長いこと体調が悪いという話になりました。そんな話をしているときに、もう少したてば何とか30を越えたら大丈夫かも、などと言ってしまったことに後になって、自分で安直だったと思えました。

 自分自身は、けっこう健康に生まれ、育ち、健康じゃなくなった時は心臓の発作を起こして以来で、でもそれは年齢的にいっても下り坂の時だったのだから、まだ20代前半の人に言うべきことではなかった、と反省しました。

 自分の10年前の事を考えました。自分でも、心房細動の発作を起こした後は、一生半人前だと思って嫌になっていました。だけど、そこからしばらくして、少しでも長生きして、などと思い始めてから、体重を落として筋トレを始めて、それでも今でもストレスに弱いのは変らなくて、でも、あの10年前の自分に、そのうち何とかなりますよ、などと誰かに言われたら、むかついていたはずでした。

 同じ事を、今日言ってしまったかもしれないと反省をして、次に会ったときは、そのときの様子で、きちんとあやまろうと思いました。

発表の予定

 9月22日。水曜日。

 昼頃にメールを開けたら、大学院から2通入っていました。1通は書籍の販売のお知らせ。もう1通は講義の関係でした。それも、来週の火曜日に始まる秋の最初の学期の講義で、いきなり発表があるというお知らせで、その何人かの中に自分の名前もあって、それは名簿順だから、というシンプルな理由でした。

 これで週末に出かけるとか、明日、老眼鏡を作りにいくとか、来週の月曜日にアートを見に行くとか、そういう予定が全部ダメになりそうだと思ったのですが、その急な展開にちょっと笑ってしまうような気持ちになりました。

 だけど今日は義母を病院へ連れて行く日だから、それが優先されるのは当然だし、出かけるしかありません。昼過ぎに出かけ、微妙に乗り遅れつつ、病院に着き、義母がトイレに行きたいと言い出して、車イスを押して、トイレに行っている間に、やっぱり名前を呼ばれてしまい、一人先に譲ることになってしまったのだけど、そのあとに呼ばれて、診察のときは、医師のおかげで、いつも通りなごやかなまま時間が過ぎ、妻が薬を調べたら、いつも飲んでいる薬のうち、2種類がずいぶんとたくさんあって、今回の3ヶ月分はいらないくらいでした。

 その事を告げ、病室を出ました。義母は医者の名札に手を伸ばして、つかむように見て、そのことで驚かせしまいましたが、そのうえで、名前を間違って憶えてしまい、さらに女性の医師のせいか、ちゃん付けで呼んでいました。こういうことは珍しかったし、失礼なことでもあるのですが、親切に対応してもらって、嬉しかったのかもしれません。

 それから、会計をすませ、処方箋をもらって、薬局に行き、あんまり待たずにもらえたおかげで、トータル1時間くらいですみました。

 まだ日差しがやたらと強いままです。無事に自宅の最寄りの駅に着き、買い物をすませて帰ってら午後4時くらい。少し介護を手伝ってから学校へ出かました。

 大学に着いたら、まだ5時半を回ったくらいで、同期は誰も学食にいなかったのですが、何を食べるのかを迷ってカツ丼を選んだら、カウンターで「時間がかかりますけど」と言われました。それは、カツは揚げてあるけど、そこから卵をかけて、とじたりする、という手間をかけるからのようでした。

 それが出来て、カツ丼を食べていたら、何人か同期が来て、一緒に食事をしながら、発表の話になる。ああだ、こうだと言っていると、なんだか学生っぽくて楽しい気持ちになれました。

 それでも今日中に欲しかったテキストがあったので、少しあせって、その本を買いにいき、それからゼミへと向かいました。それは修士論文を完成させていくためのゼミで、教授が一人と、学生が二人というぜいたくな空間でしたが、そこで、いろいろ話をして、結局のところ、もうインタビューを始める準備をした方がいいのではないか、という事を言ってくれて、なんだか一つ進んだような気がしました。

 でも、介護のことをテーマとした過去の論文を読んでも、そこから違和感を感じることが多そうだし、だから、介護者へインタビューという調査を勧めてもらったのは、今のままだと論文が進まない、という判断もあるように思いましたが、それでも、話を聞けるかもしれないのは、ちょっとうれしく思いました。

 ただ、帰ってきて、こんな時にコンピューターの調子が悪く、この日のことを言葉で打つのに、あちこちに飛んで、むちゃくちゃな動きを連発するので1時間くらいかかりました。発表まで、かなり不安です。

健康度

 9月24日。金曜日。

 歯医者へ行って、自分の治療をしてもらって、そのとき義母の歯ぐきの事を歯医者さんに頼んだら、電話します、と言ってくれました。

 それから、家に帰って、何かしらをしてから学校へ行こうと思ったら、もう時間になっていました。

 だから、何だかバタバタして、家を出て、大学へ着いたら、講義まで、もうそれほどの時間もなくなっていたのですが、学食へ行ったら、同期の人達もいたので、まだ時間はあると思いながらも、この大学の名前のついた丼がないのでカツ丼にして、カツ丼だけはなぜかトンカツに卵をとじて、からするので、メニューの中でも時間がかかるのに、と思い出したけど、待って、あせったせいか、みそ汁をもらい忘れそうになった上に、少し周りにこぼして、迷惑をかけ、それでも食事を一緒にしました。

 それから、図書館の上の初めて入る、仏像が置いてある部屋にクツをぬいで入って、講義を受け始め、バウムテストの勉強をしたのだけれど、でも、いろいろな人の絵を見て、健康かそうでないか、の区別をしたりしているのは、なんだかちょっと疲れます。

 そういう心理検査は必要なのかもしれないけれど、でも、自分が介護をしているので、ラベリングされる側なせいか、今でもそのせいか、なんだか抵抗感は抜けません。

 ロールシャッハテストでも、似たような気持ちになったりもしました。自分で絵を描いても、なんだかそれはどこが病気の人、と言われそうな絵に見られるだろう、と思っていたら、隣の人が、葉がない枝を切られた絵を描いていて、それは健康でない、と言われそうだったけれど、でも絵としてうまかったし、幹がしっかりしていました。

 講義が終わり、今日は、来週に発表もあるから帰ろうかな、というようにも思ったけれど、同じく発表をする人が、聞きたいことがある、と言われて、それなら一緒に飯でも食って、という事になり、道を歩きながら、だいたいの事はしゃべったのですが、それから食事をして、同期の6人と一緒になり、いろいろと話して、午後11時を過ぎてから解散という事になり、地下鉄に乗って、帰りました。

 地下鉄に乗っていると、途中で、同期の女性が貧血が起こりそう、という事を言ったので、顔色を見て、途中の駅で降りて、回復するのを待っていました。しばらく時間がたち、大丈夫だというので、また電車に乗りました。

 その人は、一度、一緒に街へ出かけた妻の事をほめてくれました。お姉さんみたい、とか、それから義母にも会いたいと言ってくれました。

 家に帰ったら、妻のメモがありました。「おかえり。おつかれさまでした。先にねてるです。ごめんね」という文字と、顔のイラストが描いてありました。

 すごく有り難いと思いました。

 それから、午前5時頃まで、介護の時間です。

倫理

 9月27日。月曜日。

 前期は頻繁に講義があったのに、後期になって、会う機会自体も減っていた教授に講義を受けました。

 輪になって話し合うような形になって、テーマが倫理でした。どうして、倫理になると気が重いんだろう?と思いながら、久々にこうして話し合いが中心になるような講義を受けて、改めて大学院らしいと思いました。

 そのうちに黙って聞いているだけではなく、一人一人話をしなければいけないような感じにもなり、私はつい、倫理はどの職業にもあって、この仕事は、とても倫理と近い、特殊な仕事だと思いました、ということを話していました。

 さらに面接における、恋愛感情の話題にもなり、男性は特にクライエントが女性の場合は、ぐらっときやすい、という話を聞きました。つまり、ちゃんと男性に話を聞いてもらう事が女性は少ないから、みたいなことを聞き、納得がいきながらも、そうした距離感になるくらい近づかないと、カウンセリングはできないけれど、確かに、そうした難しさはずっとあるようでした。

 あとは、心理士であっても、倫理に反するようなことをする人もいなくはないのだから、もしかしたら倫理規定の罰則を強化する必要もあるのでは。という話や、やっぱり、そういう事でしばるのは違うと思う、という言葉も出ています。

 こうして、真剣に倫理のことを話せる機会自体が、とても大事なのだろうと感じていました。それをずっと考え続ける仕事というのは、いい仕事なのではないか、とも思っていました。

 倫理、という言葉は普段はあまり気にはしないのですが、でも、実は結婚している人間には、なじみがある文字でもあり、不倫という言葉には倫という文字が入っていて、この場合の倫って、人の道、だそうで、そう考えると怖い言葉ですが、でも同期と話していて、倫理みたいなものがあると、余計に自分は向いてないのではないか。もっと人間として関わりたいのに、という言葉を聞くともっともだと思い、こういうことを考えられる人は向いているのに、と思いながら、だけど、それを効果的に伝えることも出来なかった自分の無力を、それから時間が経って感じました。

 家に帰ってきてからは、介護の時間です。

発表

 9月28日。火曜日。

 午後のカウンセリング施設での実習に着いたら、落雷で電話が不通になっていました。

 最初は、この地域だけと思っていたら、大学に雷が落ちて、学内だけ電話が外線も内線も使えなくなっていると知りました。不思議なことでしたけれど、受付の業務をしていて、電話がまったくないのは,時間的には余裕が持てましたし、クライエントにお茶を出して、その後は少し事務作業をするくらいですから、いつもよりは、なんだかゆっくりとした時間が流れていました。

 教授同士の会話で、私の名前が急に出たのが聞こえてきました。年齢が高めで学校に入って、これから先に混乱している例として出され、そういう人たちに対して、どう支援していけばいいのか、といった話題になっていたようなのですが、それを私が聞こえるところで話をしてしまったことと、そうした混乱を招いていることについて責任があるかも、といったことについて謝ってくれたのですが、そんなに気をつかわなくてもいいのに、みたいな事を思いました。

 同時に、私だけではなく、そうした混乱した気持ちがある社会人入学の人もいるら、何でも伝えてくれたり、もしくはどんな事を思っているかを聞いてもらって全然かまわないのに、などと思っていましたが、だけど、いつのまにか、けっこう私のことまで憶えていてくれたんだ、などとも思い、それは何だかありがたいと思いました。

 そうこうするうちに午後5時を過ぎ、ホントに何事もなく、ではなく、落雷で電話が不通になったのだから、いろいろあったのですが、受付の業務としては、あまり忙しくない感じで時間が過ぎ、ゴミを集めて、そういえば、今日は涼しかったから、いつのまにか急激に寒いといっていい気候になってしまったので、クライエントに出すのは冷たい麦茶から温かい紅茶になったので、久しぶりにお湯を使いました。

 それから、閲覧室へ行きました。そこは、専門書を中心に心理学などの資料が揃えられている場所ですが、机とイスがあって、例えれば、大学院の、それほど騒いではいけない「部室」のような場所でもありました。

 そこにはコピー機があって、今日発表の別の人がコピーをとっていて、その後にコピーをとっていたら、手伝ってくれる同期がいて、ありがたく思いました。それから学食へ行き、まだ緊張しているし、他の発表の人は、昨日は準備のために午前5時までかかった、と言い、みんなで疲れているような気がしたのですが、でも、なんとか発表の資料は書き終わり、あとは、発表をするだけだったのだけれど、眠ってしまいそうだったので、食事は軽めにしようと思って、ミニ丼200円にしたらカツが2切れとキャベツが少しの、小さい丼でした。

 それを食べて、その後、アイス最中も食べてしまい、「だから体が冷えるんじゃないですか」と笑われました。私が、夏でも冷房の温度を上げたがるような、いつも寒がりだったせいでした。

 時間ぎりぎりで教室へ行き、トイレで着替え、発表が始まり、私は2番目で、持って行ったエヴァンゲリオンの雑誌から、村上隆のカタログから、岡本太郎の本から、全部を使って、なんだか知っていること全部をしゃべった気がしました。それは、発達心理学のテキストをもとに考えたこと全てを伝えたかったのだと思います。

 その後の人の発表も含めて、有意義な時間が過ごせて、そして、ラベリングの事で、いろいろ話した後で、さらに考えたりもできました。いいラベリングと、悪いラベリングが確かにあるのではないか。それはやや抽象的にいえば、そのラベルが貼られた人間が不幸になったり傷ついたりするのが悪いラベリング。そして、本人が幸せになるのが、いいラベリング。もう少しくわしくいえば、強制的でなく、はがすことも出来て、はがれたら後は関係なくなるのが、いいラベリングのような気がします。ただ、そういう定義はやっぱり難しいのだと思いました。

ダンス

 9月29日。水曜日。

 実習ゼミで、担当の教授の力の凄みみたいなものを改めて感じ、そして、自分でこれからの事を話しながら、組織に属して、その全体を柔かく支える、みたいな仕事をしたいんだ、と改めて思いました。

 自分がいなくなって、初めて、あああの人仕事してたんだ、と思われるような感じのサポートがしたい。50歳が近くなって、松本幸四郎がテレビ番組で、60歳からが本当の夢だ、と言っているのを見て、なんだか通じるところはあったのですが、これまでも、インタビューなども相手がいないと成り立たないし、いつも相手がいて、初めて自分の役割があるような仕事をしてきたと改めて思いました。

 これからも相手をサポートする仕事が増えることになり、それに対して、それをやってみたいという気持ちに素直になっていて、そして、それを自分の手柄、みたいにはあまり思わなくなっている部分があって、だから久しぶりに会った友人からギラギラしてなくなった、などと言われるようになったのは、疲れているせいだけではないかもしれない、と思いました。

 それが自分に合っているのでは、と思い、だけど、年齢もあるから、仕事があるかも分からないけど、向いているとか向いていないとか決めるのは私ではなく、世の中だ、というようには思えていて、だから、その結果として仕事がまったくないという可能性はあるけれど、力がある人には仕事は来ます、と実習ゼミの中で話が出て、ちょっと勇気づけられました。

 でも、力がある人になれるかどうかも、年齢が高いから、より分からないし、とも思うのですが、20年前と比べて、今は心理士の仕事はたくさんあって、という話を聞いても、不安は減らないのですが、でも、なんだか有り難く感じる部分もありました。

 今回は友人の事例をお借りしたので、閲覧室でシュレッダーをかけようと思ったが、中で話し合いをしていたので、少し遠慮して少したってからかけて、それから、いつもよりも少し時間が遅くなって、一人で歩いて地下鉄の駅に行き、家に電話をしていたら、同期の人が来ました。

 ちょっとした偶然だけど、どうして遅くなったかと聞かれ、自分の事情を話したら、その同期の女性は、わたしはダンスを見ていたから、と言いました。最近、ダンスがしたい、とずっと言っていて、そうしたら駅のホームで鏡を見ながら軽くダンスを始めて、その動きはダンスをしていた、という動きに見え、なんだかキラキラして見えましたが、どう?と言われても、何とも言いようがありません。

 ただ、動いている時は、楽しそうに見えました。それはよかったと思えることでした。

 帰ってからは、いつもと同じように介護の時間が、午前5時まで続きます。

休み

 9月30日。木曜日。

 起きたら午後12時でした。

 義母がデイサービスに出かけるときは、妻が介助していたのですが、それも、よく分からないまま寝ていたみたいです。自分にとっては、午前5時すぎに眠っているとはいえ、ここまで気づかないのは、珍しいことでした。

 やる事はけっこうあって、たとえばMMPIとか、精神医学の講義の宿題とか予習とか、メールをいろいろと書くとか、研究ゼミのインタビューの準備とか、様々な事をやらなくてはいけないと思いながら、昼起きて、お風呂を洗ったり、雨が降っているから洗濯はあきらめたり、としながら、久しぶりに完全にのんびりした気持ちにもなっていました。

 そのせいか、気になっていたカゼ気味もなんだか治っていて、一昨日の講義での発表が思った以上にプレッシャーになっていたんだな、とも思い、自分でなんだか少しあきれるような気持ちにもなりました。

 MMPIもあまり進まず、その内に義母がデイサービスから帰って来て,妻とお茶をしながらテレビを見て、それから昼寝をして、あんまり眠った気がしないまま、だけど、この季節のちょうどいい肌寒感のせいか、気がついたらけっこう時間がたっていました。筋トレをするから、と約束していたから、妻に起こされました。1時間半がたっていました。

 妻の筋トレをして、食事をして、義母をトイレに連れて行って寝かせて、それから夕食を食べて、としていたら、あっという間に時間はたち、講義の時の時間の進み方とは当然ながらまったく違っています。

 それから夜になって、MMPIの続きをやって、こういう質問で本当に分かるのだろうか、などとも思い、そして、こういうテストみたいなものを受けるのはかなり負担がかかるのは事実では、などとも思い、どうしても、心理検査みたいなものが好きにはなれず、やっぱりなるべくやらないで何とかしたい、みたいな気持ちにまた、なりました。それは、心理士としては間違った姿勢かもしれません。

 いろいろ進まないと思いつつ過ごしているより、少しずつでも進める毎日の方がいいと思っていても、なかなか思い通りにはいきません。

 ただ、後期が始まって、もう2週間くらいたち、集中講義を含めたら、1ヶ月くらいたつのですが、その時間の過ぎ方は早くなっています。何よりも大学院に慣れたことで不安は少なくなり、課題に追われる焦りはあるのですが、でも、気持ちは春に比べたらはるかに楽で、そして、大学院へ行くことはまだ楽しく思えています。

 時々、同期の若い男性や女性が目の前にいて、自分のことを仲間のように扱ってくれるのが、一種のSFみたいに思える癖がまだ抜けきっていないのは、この10年以上、ただ介護だけをしていた環境とあまりにも違うからだと思います。

 今でも自宅にいる時は、家では義母が90歳を超えていますし、ご近所でも高齢者の方々が多いし、そうした中では、自分は50手前でも若手で、大学院へ行けば最年長で、という時差のようなギャップにまだ慣れません。

 この時期になって、さまざまな事情から休学する人も出てきて、なんだかドラマチックな事が、思ったよりも起こりすぎていて、もっと穏やかにただ淡々と大学院の修了へ向かって進んで行くと思っていたのですが、人間が関わっていれば、当然ながら、いろいろな事があるのを分からされた気もしています。

 でも、自分は、介護を続けながらでも、妻が介護を多く負担してくれていることで、こうやって大学院へ通えるのは、とても有り難いことに変わりはありません。

 あさってがやたらと朝が早く、午前5時すぎ就寝の私にとっては、その後に食事会という行事もあり、自分にとってはハードなスケジュールですが、がんばろうとは思っています。

 時々、字がぼんやりとしか見えない事があって、これまで視力は1・5を維持できてきたのに、それでも老眼になったのは眼科医に診断してもらって分かったのだから、老眼鏡を買わなきゃ、と少し焦っています。

 今日で、9月も終わりです。



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